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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第百一話

夜が明け、昼が過ぎ、何事もなくイスラエルの時間は過ぎて言った。夕方になったころ、そっとエチオピアの兵士とマケダの侍女が門を出て言ったものの、彼らのごく小さな荷物から、門番たちもまさか彼女らがエチオピアの帰るのだとはつゆとも思わなかった。

そして日は暮れ、晩餐の時間となった。
ソロモン王の隣にはマケダが座り、今日も二人な仲好さげに話をしていた。最近では、王宮中のあらぬうわさも少しずつ、鳴りを潜めつつあった。宮殿の有象無象の人々にも、どことなく分かって来たのかもしれない。ソロモンのマケダに向けている愛が、男女のそれではないことに。
そして、王はその色気のない愛と共にありながらこの十四年間のどんな瞬間よりも、幸福そうであったのだ。
「マケダ、約束したね」ソロモンは言う。「今夜も、来なさい。今夜も晴れた夜だ。夜空が綺麗に見えるはずだよ」
「はい、陛下」ソロモンはその時、マケダに少しばかりの異常を見た。マケダはいつもの通り笑顔を作ろうとしていても、その顔がどこか少々、こわばっているように見えた。まるで緊張しているかのような。
今まで何度も部屋に呼んでいるのに、なぜ今緊張するのだろう、と思わないでもなかった。「どうした?体調が悪いのか」と、ソロモンは問う。
「いいえ……大丈夫です」それでもマケダは、しゃんとして返事をした。「楽しみにしております。陛下」と言って。
その様子を、会場の端で、ベナヤがじっと見ていた。怒りと、義憤に燃えながら。レハブアムはまだ、起き上がってこない。
ソロモンは、幸福そうだ。シバの女王がこの国にいた時と同じように。
だが、もうソロモンの幸福など、字bんには何の関係もなくなった。自分が守るのはレハブアムの幸福、ただそれのみだ。レハブアムが幸せになるのなら、もう、何も望まない。ベナヤはそのような心持になっていた。

「どうかしたのかね」そんなベナヤに、ザドクが声をかけた。
「ザドクさん……何でもありませんよ。お気になさらず」
「そうかい……お前がここの所、陛下を怖い顔で見ているから、心配に名てきていた」痛いところを突かれ、ベナヤは一瞬言葉を飲み込んだ。弁解はせず、特に何も言う様子ではないベナヤを見届けて、ザドクはぼそりと言った。
「お前は最近、ヨアブ将軍に似てきたね」
その前代イスラエルの将軍の名を聞いて、ベナヤも固まる。忘れるはずがない。悪辣な王子アドニヤにもう目的に仕えていた彼の事が、ベナヤは大嫌いだった。心底、軽蔑していた。
「ザドクさんと言えど、そのようことを言われたくはありませんな……私がどれほどまでにあの男を嫌ったか、わからないわけではないでしょう!」
何十年たっても、彼に対する嫌悪感は消えていない。一緒にされるのは屈辱だった。ザドクはそれを聞くと、悲しそうな声で「ああ……すまない。嫌なことを言ってしまったね」と自分の非を認め、後は、その話題を続けなかった。

やがて晩餐が終わった。ベナヤは、マケダの部屋の前で待ち構えていた。やがて彼女が出てくる。青い天球儀を持って、足取りも真直ぐに、王の部屋に向かってくる。
彼女が角を曲がった。そしてその時だ。ベナヤは、あらかじめ抜いてあった剣を、マケダの首元に突き付けた。

一瞬驚いたのは、彼女が何も慌てなかったことだった。廊下に並べられた燭台の光が映し出す顔はゆっくりと情報へ動かされ、金色の目で自分に刃物を向ける狼藉者を見抜いた。そして落ちつきはらった声で「あら、こんばんは、将軍様」と言った。
ただの姫ならこんな真似をされれれば怯えるだろうに。さすが……ヤロブアムの胸にすら飛び込んだ肝の持ち主と言ったところか、とベナヤは踏んだ。
「何のおつもりです?」と彼女が聞くだが、ベナヤは、引く気はなかった。「どこへ行く」と、可能な限りの重々しい声で聞いた。
「陛下の部屋へ」
「貴様が行くべきは、そこではない。エチオピアの売春婦が」彼女のその余裕すらも、恨めしかった。彼女はこのように平然として、レハブアムの恋を踏みにじったのだ。たった一つの、掛け替えのないレハブアムの心を。
「私についてこい。貴様を待つ者は、他に居る」
レハブアムにやれと言われたわけではない。人の道に外れる行為だとも知っている。
だが、レハブアムは一瞬でも幸せに成れるなら、レハブアムの思いを遂げさせることができるなら、極悪人にも、悪魔にもなる。そう誓い、今まで生きてきた。
「……レハブアム王子が、こんなことをしろと?驚いた。彼にそんな気概はないと思っていたのに……」
「殿下ではない。私の判断だ。勘違いをするな、売女めが」ベナヤは憎々しげに吐き捨てる。お前と一緒にするな、お前ごときの発想と。レハブアムがなぜ、このようなことを思える者か。あの王子に、汚れなど必要ない。汚れは全て、自分が被る。お前には、理解できなかろう。その涼やかで可憐な笑顔を持って、残酷なまでに人の心を踏みにじる、お前では。
ベナヤはゆっくりと剣を横に動かし、その銀の刃をる遅くの光に照らして見せながら、言った。
「来い。私の言葉に従わねば、命の保証はないぞ」
そうして、彼女を睨みつける。
イスラエルの将軍、筋金入りの軍人として、それはまさにふさわしい態度であった。ベナヤ自身もそう確信していたし、そこにはマケダとベナヤ以外存在しなかったものの、他者が見てもそう思っただろう。
だからこそ、ベナヤは次の瞬間、ぞくりとした。一瞬うつむき、すっとこちらを睨んできたマケダの表情に。
「下手な脅しだな」彼女は先ほどとは打って変わった低い声で、ベナヤにそう告げた。ベナヤの背筋に悪寒が走る。それはまさに、王者の威厳であった。ベナヤが、王宮に仕える者として生きてきた彼が、生涯逆らえないもの。
「命の保証はない、だと?それしきで、この私が怯むと思ったか。私が死ねば、レハブアムが悲しむ。お前が、彼を悲しませることなどできるわけがなかろう」
そしてマケダは、ベナヤの本心を恐ろしいほどに的確についてきた。ベナヤの全身が震えあがる。彼女の金色の瞳が、暗闇の中で輝いているようにすら思えた。剣を握る手にすらも、わずかながら、その震えが伝わって来たかのようだった。なぜだ?なぜ数十年イスラエルの将軍を勤め上げたこの自分が、こんな小娘ごときにおびえなくてはならない。
「おや、震えているのか……」マケダは嘲るように笑って、そしてこの用に告げた。
「駆け引きをするなら、もう少しはったりでもいいから堂々としていろ。付け込まれるぞ」
その時ベナヤは、記憶の奥底を呼び起こされた。このようなことを昔、言われた覚えがある。
ソロモンと初めて会った時の事。
そう。目の前の少女は、ソロモンにそっくりだった。君が悪い程に、昔のソロモン、そのものだったのだ。ベナヤの人生において、ずっと、彼の上に居続けた男に。
ベナヤは、剣を支えていられなくなった。自然と彼女の首元から剣をのけ、後は茫然と、圧倒されながら立ち尽くすしかできなかった。
マケダはそんな彼を見て、微笑みながら、とうとうと語る。
マケダは薄く笑い「では、失礼」と言って、迷いも何もなくすたすたと歩き去っていった。
彼女が言ってからも、ベナヤは震えていた。いったい、あの少女は何者なのだ……。

「陛下。マケダです、入ってもよろしいですか?」
「ああ、いいとも」と、ソロモンはいつもの通り、マケダを迎え入れた。バルコニーにつながるカーテンは開かれており、夜風が吹き付け、イスラエルの神が作りたもうた星空が輝いているのがはっきりと見えた。
ソロモンはマケダを奥の方に通す。バルコニーの椅子に二人は座って、しばし話kンだ。いつもの通り、たわいもない話であった。いつもの通り、恋大情欲とも違う、何とも言えず柔らかな愛がそこに張った。と、その世にソロモンには感じられていた。
だがやはりソロモンは、以上を一つ見つけた。マケダは何やら、落ち着かなさそうにしている。平生を保とうともしているようだが、微妙に声が上ずることもあった。
「やはり、体調が悪いのでは?」と、ソロモンは聞いた。マケダはそれに反応したが、返してきたのは「大丈夫です」と言う一言であった。
それでも、多少冷え込む夜であったので、ソロモンは部屋の中に入ろうか、と提案した。マケダはそれを飲む。カーテンが閉められ、ソロモン王の部屋は蝋燭の光のみに照らされた。
「辛かったら、帰っても大丈夫だ」ソロモンは優しく言った。
「いいえ……体の事ではないのです。体は、いたって平常なのです」
「それでは……何が、君の心を悩ませているのかね、マケダ」
その質問を受け、マケダはしばしの間黙り込んだ。そして。話を切り出した。
「陛下にお伺いしたいことが一つございます……よろしゅうございますか」
「君の問いになら、なんでもこたえよう」ソロモンは部屋においてあった葡萄酒をマケダと酌み交わしつつ、鷹揚に答えた。マケダは手渡された盃の水面を揺らしながら、思いつめつつ、それでも最終的に目標とする質問を紡ぎだした。
「陛下は……私の中に、他のお方を見ておられます。それは……誰ですか?」
その質問を行き、ソロモンも一瞬。びくりと体中の動きが止まった。

それだけは、悟られたくなかったことだった。
すでに消えてしまった恋人の面影を見ているなどと明かすことは、大変に失礼であるとソロモンも思っていた。マケダの事を、女性としては愛さぬ存在と悟った今ならば、なおさらだ。
暫く、ソロモンも黙り込んでいた。だが、自分の言葉に、このマケダに向かって誓った言葉に嘘は無い、と決めていた。
「よく分かったね。その通りだとも」ソロモンは観念して、言った。
「シバの女王、ビルキス……君の年齢では、知っているだろうか?十数年前まで、アラビアの果てのシバ王国に、そのような名前の女王がいたのだ。その人は……私の、唯一無二の恋人であった」
「その口ぶりだと」マケダは言う。「もう、この世には……」
「ああ、そうだ……もう、いない。死んでしまった」
「では、陛下は私を、その方の身代わりにも等しく思われていたのですか?」
「否定できるほど、私は立派な人間ではない。そんな面も……確かにあった」
一切の言い訳は、しないつもりであった。それがむしろ、この目の前の王女に対する礼節である気もしていた。
蝋燭がゆらゆらと揺れる中、マケダはじっとソロモンを見つめていた。咎めるような視線でも、さげすむような視線でもなかった。
「妻を千人持った貴方様が、今なお執着するお方だと?」
「私にとって……ビルキス以上の女性など、ついに存在しえなかった」
マケダはその言葉を飲み込むように、しばらくじっと考えていた。手の中の天球儀を眺めながら。「よろしければ」彼女はまた新しい質問を投げかけた。
「お話しいただけませんか?もっと……その、シバの女王ビルキスの事を」

ソロモンは、勿論のこと了解した。
彼女がどの世にイスラエルに来たか、彼女といた時どのようなことがあったか。自分と彼女が、どのようにそれに立ち向かっていったか。そして彼女と思いあえる中になった際……自分たちが、どれほどまでに愛し合ったか。エイラットストーンを初めて見つけたのもその時だ、と言うことも明かした。マケダが大切に抱く天球儀と同じ宝石は、一時期自分とビルキスをつなぎ合わせていたのだ、と。その話をした際には、ソロモンはしばし立ち上がり、宝石箱の中から、あの時のブローチを取り出した。ビルキスが死んで以来は一回も身につけることのなかったそれは、十四年前と変わらずに、たおやかに輝いていた。
いくらでも、話すことができた。ビルキスとの思い出を、目の前のビルキスと同じ顔の少女は、異常なまでに熱心に、真摯に聞いていた。
話しの終わりは、彼女の死だった。唐突にビルキスが死んだと聞かされ、以来自分は抜け殻のようになってしまった。
「そうだったのですか……陛下にも、そのようなことが……」マケダは含むように言った。
「ああ、そうとも」ソロモンは言う。
「誤解をするなと言うのも無理な話。君に失礼だと言うことも分かっている。だが私は、今でも……ビルキスに対する気持ちに、嘘はつけない。彼女は私の唯一の恋人だった。そして、その彼女を思い出させる気味が来て……始めて私は、救われたようになった」
「そうですか……では、陛下。お聞かせください」マケダは小鳥、と、天球儀を机の上において言った。
「陛下はその方を、愛していらしったのですね?」
「ああ、愛していたとも、心の底から、誰よりも、愛していた……」
「それが聞けて、嬉しく思います」
そう言い残し、マケダはガタリ、と椅子から立ち上がった。ソロモンが不審に思って彼女の方を見ると、その目の前には驚くべき光景があった。
彼女の穏やかな金色の目が、憎しみに燃えていた。ソロモンへの、憎しみに。
「嬉しく思いますよ……本当に」彼女のなよやかな声が、いつの間にか威圧するような低い声に代わっている。
「迷いが生じていたんだ。私の中に」彼女は立ったまま、自分の衣服を片手でバリバリ、と引き裂いた。少女の体を包むに相応しい装飾が引きはがされ、二本の脚があらわになる。
そして、その帯の中には、ギラリと輝く短剣が隠されていた。
「けれど……その言葉を聞いて、ようやく迷いが吹っ切れた。全く……ありがとうと言うほかはない。私の決意を……お前が固めてくれた」
その時、ソロモンは気が付いた。彼女のドレスの襟元に常に隠されていた、首飾りの存在に。そしてソロモンは確かに、それに見覚えがあったのだ。
蝋燭の暗い光の中でも分かるほど、鮮やかに輝く、蓮の花のような薄紅色。スリランカ産のルビーだ。そしてそれに輝く五芒星までもが……見える気がした。
「お、お前は……?」
自分がビルキスに渡したはずの指輪を、この少女がなぜ、そう思った時だった。マケダの体が、すさまじい閃光が覆った。
「嘘、ばかり……!」
そして彼女は光の塊になる。すると、彼女の体は変化をはじめた。背が伸び、体格が変わっていく。まるで……彼女の発していた低い声に相応しい。鍛え抜かれた体の少年の姿になって行く。そして、彼女の足が、変形し出した。関節の位置がずんずんと上にずれ……まるで、山羊のような、鹿のような動物のそれに代わってく。
「ソロモン……お前は、ビルキス女王にもそのようなことを囁きながら、あの方を殺したのか……!?」
そしてソロモンの部屋は、まるで昼間のように明るくなった。気が付けが彼の目の前には、ビルキスと同じ獣の足を持つ、一人の見知らぬ少年が短剣を構えつつ立っていた。だがその目……ビルキスそっくりの金色の目は全く変わらずに、ソロモンをじっと見つめていた。そして彼の、全く男の物となった胸板には相変わらず……スリランカ産のルビー、自分がビルキスに愛のあかしとして与えたはずの指輪が光っていた。
「お、お前は……?」ソロモンは目を白黒させつつ、問いかける。
「誰だ?王女では、ないな……?」
少年はにやりと笑った。
「エチオピア王女マケダとは、仮の名前、仮の姿……私の名はメネリク。雅称はエブナ・ラ・ハキム……その意味は『知恵の息子』」
その名前の意味を聞き、そしてその金色の瞳と足を見つめ、ソロモンもはっとする。
「察しがついたようだな」メネリクと名乗った少年は、獲物を見つけた猛獣のように、残酷に笑っていた。
「そうさ。私の母が……お前の事を思ってつけた名前だ。私の母……偉大なるシバ王国女王、暁の娘、ビルキスがな!」

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