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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第百二話

ビルキスの息子、メネリク。
そのあまりに唐突にやってきた情報、そしてそんな彼に今自分が刃物を向けられているという状況に、さすがのソロモンの頭も理解が追い付かなかったのは、当然の事である。
だが、目の前の彼は明らかにビルキスの血を引いていた。アラビア人らしい褐色の肌も、その真っ黒な髪の毛も、金色の輝く瞳も、山羊のようなロバのような異形の脚も、全てが見覚えがあった。唯一見覚えがないのは、彼の顔立ちだ。まるで鏡を見るように、彼の顔は、ソロモンに似ていた。
「お、お前は……」
「無駄に騒ぐなよ、ソロモン王。お前も、イスラエルの最盛期を築いた王。無様な死に様は、晒したくなかろう?」メネリクはギラリと輝く銀の刃を向け、ソロモンを見つめた。
「それに私も……お前が罪を、我らの恨みを知らずに死ぬことは望まん。お前一人でイスラエルの天に召されるなど、許されてなるものか」
「メネリク……と言ったな?お前は、ビルキスの息子……となると、私とビルキスの間に生まれた息子なのか?」
そんな存在がいること自体、初耳だった。タムリンの手紙はそのようなこと、一切知らせてはいなかった。
「なぜ、今まで名乗り出なかった」ソロモンは震える声で、反射的に問い詰めた。「お前がいると知ったなら……地の果てまでも探して、イスラエルに引き取ったろうに……」
その瞬間。メネリクはカーテンに刃物を突き立て、ざくりと切り裂いた。縦に一刀両断されたカーテンが、ひらりと夜風に舞う。
「ふざけたことを言うものだ……それともそうして、私も、母と同じように、気がすんだら殺したわけなのか?」
メネリクはぎろりとソロモンを睨みつけて言った。「母は、お前の寄越した毒薬で死んだのであろう!?」
その話を聞いて、ソロモンもはっと腑に落ちた。彼は、誤解をしている。
「誰から聞いた?それを……」
「私を育ててくれた人物……お前はその名を知っているだろう。タムリンだ」
タムリン。もちろん、ソロモンもその名はずっと覚えていた。
「タムリン隊長か……なるほど。メネリク、お前は誤解をしている……!あれを起こしたのは、私ではない。私の……」
「黙れ!言い訳は聞きたくない!お前から薬であると預かった物のせいで母は死んだのだ、お前が関わっていないはずが無かろう!!」
メネリクはそう言って、ソロモンに掴みかかった。ばたり、と背中に衝撃が走る。ソロモンはメネリクに、完全に床に抑え込まれた。
相当鍛えているのだろう、ソロモンがひ弱なことを差し引いても、十四歳とは思えない力だった。
「ソロモンよ……なぜ、シバの女王の息子として生まれたこの私が、シバの王子として育たなかったと思う?」メネリクは言った。「全て、タムリンのおかげさ」
「なに……?」
「母がお前のおかげで死んだと知り、タムリンは……復讐に燃えたのだ。何度も、私に話してくれた。タムリンにとって、母は……この世に存在する意味そのものだった。それを奪い去ったお前に、イスラエルに復讐せよと、周囲の反対を押し切って、幼い私を連れてシバ王国を逃げ出したのだ」
メネリクは、凄まじい話を語りだした。片手で父を抑えつけ、片手で短剣を突き付けながら。
「たどり着いた先が、エチオピアだった。イスメニー様は当時より母と懇意にしてくれていたからな……イスメニー様は、事情を、タムリンと母の無念をよく理解してくださった。そして……こんな異形の私も、分け隔てなく優しく迎えて下さった。そして私はイスメニー様の養子となり、エチオピア王族に迎えられながらも、タムリンの指導の下暗殺術を叩きこまれていたわけさ……いつかお前に復讐するために。幸いなことにだ!私は、母の血をついでいたからな……この異形の足が示す通り」彼は、床を蹄でかつんと叩いて見せた。
「私の体に流れる精霊の血はたったの4分の1、母のように人間以外の姿になることはかなわん。だが、人間になら……どんな容貌にも、私は変化できるし、性別も、体格も、思いのままなのさ」
「それで……」ソロモンは言う。「ビルキスそっくりに化けて、私に近づいた、と?」
「その通り。幸いタムリンは何年たっても、幼かった頃の母上の姿を隅から隅まで克明に覚えていたからな」メネリクは不敵に笑う。ソロモンはあまりの事に、めまいがしてきた。
自分も、ビルキスを奪われた苦しみのあまり、妻をこの手で殺した。だがタムリン隊長は、なんという規模の事をやってのけたのだ。今ならわかる。あの男にとっても、ビルキスは言葉にもできほどに掛け替えのない存在であったのだ。それが心も、生命も奪われた悲しみとなれば、相当の者であろう。
それでも……それでも、と、ソロモンは思う。自分がビルキスを殺せたものか、自分以上に、ビルキスが何年も、何年生きることを願ったものが、どこにいる。あれはナアマのやったことだ、あの思い出したくもない、愚か極まる妻がやらかした、許しても許しきれない大罪だ。やるせない気持ちが、噴水のごとく湧きだしてくる。
「メネリク……!お前は、私の母への愛が、偽りであったと言うのか?」
「お前の心情など、私にわかるものか。天才と呼ばれたお前の考えることなど、所詮我々にはわからん。私にわかるのは……一度は母に愛を語ったお前が、母を心の底から夢中にさせたお前が、手のひらを反して、母を殺めたということだ!」
「だからそれは、誤解だと言っている!」ソロモンの心臓が縮む思いだった。間違いなく彼は、この状況を悲しんでいた。
ビルキスと、自分の子供、もしそんな相手がいるのなら、と、この十四年間何度心に願った事だろうか。会って、育ててやりたい。自分の跡を継がせてやりたい。そんなどうしようもない夢想をし続けてきたのだ。
今になってソロモンは、ふっと腑に落ちた。自分が「マケダ」に望んでいた感情が、なんであったのか。自分はマケダに、実の娘を見ていたのだ。ビルキスと自分の間に娘が生まれたら、きっと、このような美しい聡明な女の子であったろうと。
その本人が、本当に自分たちの子供だった。そしてその相手が、自分とビルキスの愛を誤解し、話すどころか、自分に殺意を向けている。
何故だ。なぜ、このような運命が与えられた。ソロモンは、絶望に心が満たされた。ずっと、望んでいた相手に、なぜ自分が憎まれている。なぜ、自分とビルキスの愛が、この少年の中では、無に帰されているのだ。
「口答えするな!」メネリクは怒鳴ってきた。だが「お前は……」と、ソロモンは呻いた。
「お前は、それでよいのか。母が何を思ってきたか、父が母に何を思って生きてきたか、知らぬままでよいのか……」
「……言い訳も、嘘も、いくらでも言える。だがそんな言葉で、母は生きかえらん」メネリクは呻いた。
「これ以上、私に信じさせることをよせ。真実を言え。母を愛していなかったと。少なくとも殺すことができたほどには……母は、愛する対象ではなかったと」彼は呟く。その言葉を聞いて、ソロモンの目には、薄く涙が浮かんできた。なぜ、こう言われなくてはならない。
「言え!これ以上私に、お前たちの間に愛があったのではないかと……お前は冷血の王ではないのだと信じさせることをするな!」だがメネリクも、必死でそのように叫んだ。
「お前はずいぶん演技達者な奴だ。十四年間お前への殺意を募らせ続けてきたこの私が……知らず知らずのうちに、お前を殺したくなくなったよ……だからもう、そのような演技はよすがいい。お前を憎めなくなったら……私の人生は、なんだったというのだ」
メネリクは半ば独り言のように語った。それが尚更、ソロモンの胸を打った。ああ、この少年は確かに、自分とビルキスの息子だ。彼は、聡明だ。自分の育ちが本当ないびつなものであると悟ることができるほどに。自分の本心に、向き合えるほどに。
「貴様は母を殺した人でなしだ、そうなのだろう!?」
だから、ソロモンは、彼の望みどおりにはできなかった。
何故、潰せるものか。必死にあがく彼の本心を。自分の息子が苦しんでいるのに、なぜ、手を差し伸べるにいられるものか。
「メネ、リク……」ソロモンも、とめどなく湧き出る涙に顔をぬらしながら言った。
「悪いが……死んでも言えん!私とお前の母の間には、ただ愛のみが存在した。古来より人が尊び、これから先の未来でも費えることのない、美しい感情が……愛のみが、存在した!なぜ私が、彼女の死など、望んだものか!」
「死んでも、だと……」
ソロモンの顔面に、自分のものではない涙が落ちた。メネリクも、泣いていたのだ。
「母は、死んだのだ!それ以上に、何が必要だ!……よろしい、わかったとも!お前が自分なりの仁義すらもない、ただ綺麗なままでいたいだけの……大嘘つきだと言うことがな!」
その言葉を重ねに重ねた罵倒は、ソロモンに言っているものとも聞こえなかった。
メネリクは、自分自身に言っていたのだ。自分自身にそう言い聞かせ、必死で体を動かしたのだ。
ソロモンは、まだ何か言おうとした。初めて会った自分とビルキスの息子、彼があまりに、哀れだと思えた。タムリン隊長には同情する。責められた義理でもない。しかしこの彼は、自分の両親の愛を無理やりにでも疑って、それを自分を律する方法として、生きていくのか。
余りに、哀れだ。彼も、ビルキスも。
死んだ人間の心など分からない。だが自分の気持ちになれば、はっきりとわかる。ビルキスがこんな状況を、望んだものか。
何か言おうとした。だが、メネリクは腕を大きく振り上げた。きっと彼に手が数本付いていれば、両耳ふさいでいたことだろう。メネリクは、何も聞きたがってはたあなかった。これ以上自分が信じていた道を汚すものを、受け入れたくなかったのだ。父は本当に母を愛していたのかもしれない、と、信じることが、怖くて怖くてしょうがなかった。いくら聡明とは言えど、まだ十四の子供であったのだから。

殺される。
その感覚が、ソロモンの体を駆け巡った。
今までに二回、あったこと。一回目はアドニヤに、二回目はハダドに。
だが二人とも、憎むべき相手であった。今となっては顔も見たくないほどの相手。それなのに。自分は今、憎しみとは対極にある感情を注ぐ相手に、殺される。
こんな出会いを、望んでいなかった。
もっと話したかった。父親として、何でもしてやりたかった。それなのに自分ができることは、彼に殺されることか?
メネリクの持つ刃が、真直ぐに振り下ろされた。躊躇う無く心臓を狙うように。

「ソロモン」
その時、声が聞こえた。ベリアルの声。
「何をぼうっとしてるの。このままじゃ死んじゃうよ、ほら……」
声だけが、耳をつんざく。自分の右手に、熱が走った。何かを、握らされたような感覚。
こちらに迫りくる、メネリクの姿。ソロモンの視界には、彼の胸元に揺れる、スリランカ産のルビーの指輪が目に入った。あいも変わらずそこには、金色の星が輝いていた。ゆらり、と、自分のものではないかのように、不随意的に熱を握らされた右腕が動いた。

そして次の瞬間ソロモンの目に映ったのは、その指輪、自分とビルキスの愛を誓った証の指輪が、血にまみれる瞬間だった。自分には、一切の痛みがないのに。
何かが落ちる音がした。ソロモンはようやく、状況を把握した。メネリクが、倒れた。そして自分はいつの間にか、光でできた短剣を握らされていた。
そして倒れこんだメネリクの背中に、赤い穴が開いていた。ソロモンはすぐ状況を理解した。自分のこの短剣が、メネリクの胴を貫いたのだ。

完全に、無意識下での一瞬だった。だが、ぴくぴくと動くメネリクが、彼の心を現実に戻した。あまりに大きなことをやってしまったという現実に。
「ぬかった……なぜ、今日に限って、武器を……」メネリクは呻いていた。金色の目が、ビルキスと同じ、オフィルの黄金よりも透き通った美しさを持つ目が、友愛や慈愛や情熱に満ちて自分を見つめてくれていた眼が、無念と憎悪の色に染まっていた。
「メネリク……」ソロモンは恐る恐る、彼の名を呼んだ。彼は必死そうににやり、と笑った。
「やはり、私の思った通りの男だったな、お前は……母も、私も、お前は殺してしまった。何が、愛していただ……なにが、叡智のイスラエル王だ」
そう言って、メネリクの全身から力が抜けた。自分の向かって悪意に満ちた笑顔を浮かべたまま、彼の首は床に沈んだ。
ソロモンは、起こったことを受け止めきれず、しばらくの間その場にしゃがみ込んでいた。だが時間が立ち彼の心を満たすものは、絶望以外に、何もなかった。
何故だ?
何故、自分が、彼を殺した?
ソロモンは右手に持った、光る短剣を手放した。不思議と質量はあるのだろうか、それは床に転げる。そしてそれには確かに、血が付いていた。
殺したのか、自分は、メネリクを。
この世で誰よりも愛した人との子供を。
その裏にあった企みが何であれ、十四年ぶりに自分の心の支えと名てくれた人物を。
自分は、殺した。

言葉にならない叫び声を上げて、ソロモンは慟哭した。
失ってしまった。この世から消えてしまった!あったはずの、ビルキスの忘れ形見が、この世から消えた……自分の、自分のせいで、消え去ってしまった!
言葉など紡ぎだせなかった。獣のように泣くことしか、できなかった。
体中を包む悪寒。ああ、此れには覚えがある。ソロモンははっきりわかった、。北の独房だ。自分が子供のころ、ずっと閉じ込められていた場所。
あそこを這い出て、栄光の道を進んだ打が自分は結局、あの場に戻ってしまうのだ。あの純粋な絶望以外有り得ない空間に。もうビルキスもメネリクも、この世にはいない。そのような空間に。
「ソロモン……」
透き通るような声が聞こえた。柔らかい光が巻き起こる。ベリアルだ。
「ベリアル……ベリアル?」
ソロモンが振り向くと、ベリアルがそこに多、ソロモンは物も言わず、彼にすがった。心が壊れてしまい層などと言う生易しい物ではない。今まさに、壊れている気がする。音を立てて崩れ去るのを、自分は感じていることしかできない。その崩壊を少しでも止めてほしい。その一心で、ベリアルの温かい体温にすがった。

「泣いてるの?」
だが、ソロモンの体をそれ以上の悪寒が蝕んだ。べリアルの声が、普段と違う。笑っているのに、その笑い声はまさに天使然とした彼の普段の者とは違う。途方もなく邪悪で、悪意に満ちた笑い方。
ソロモンは顔を上げた。そして、息が止まるような思いをした。ベリアルは笑っていた。その笑い声に相応しい顔で。冷たく、邪悪な顔で。
「泣いてるね……ソロモン、泣いてるね。フフ……」
「ベ、ベリアル……?」
「生半可な悲しみじゃない。本当に、絶望してる顔だ。アハハハハ……」
誰だ、これは?
自分とずっと一緒に居てくれたベリアル、本人だと言うのか?
いや、本人だ。それは分かる。では……自分のこの目に見えているものは、自分が、今まで見てきたものは?
「いいよ、いいよ。すごい素敵な顔だよ、ソロモン……」彼は言った。
「その顔が見たかったんだ。君のその顔が、ボクは、ずっと……」
「ベリアル……お前は、ベリアルなのか?」ソロモンは、息も切れ切れに問いかけた。
「何を当たり前のことを。ボクは、ベリアルさ……。そう。かいて字のごとく。『ベリアル』」

ベリアル。
それは、ヘブライ語で「無価値な物」を刺した。

「ボクはベリアル、この世で最も必要とされなかった、無価値な魂……」歌うようにそう言いながら、彼はソロモンを見て、にたりと笑った。
「天使のなりをした、悪魔だよ。ソロモン」

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