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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第百三話

血だまりの匂い。倒れ伏すメネリク。そして目の前で、見たこともないような表情を浮かべ、こちらを見下ろすベリアル。
その場にあるすべてのものが、ソロモンの心を打ち砕く。夢の中の光景と同じだ。自分が長年愛してきた建物が打ち砕かれるのを、黙って見ているしかできない。そして、ソロモンが損な感情に浸れば浸るほど、ベリアルは満足な様子だった。
何故だ?現実を受け止められるはずがない。ベリアルが、何を言っている?彼が、悪魔だって?自分の守護天使であったはずの彼が?
震える細い方には、ベリアルの両手がしっかりと置かれていた。ベリアルは混乱するソロモンの顔を、相も変わらずじっと眺めている。
「長かった……本当に、長かったよ。やっと……君が、そんな顔をしてくれたね」
「ベリアル、お前が……」かろうじて言葉と言う体裁を保っているかのような声で、ソロモンは彼に問いただした。
「悪魔、だって……?なら、なんで……どうして、俺についていたんだ?どうして……」
「どうして、って?決まってるじゃない。ああ、お前には、わからないよね。神さまに愛された、お前には……」
昼間のように部屋の中だけが輝いていたからこそ、ソロモンの目に名はっきり映った。信じられないことを言っているのに、そこ煮るのは、確かにベリアルであった、夢でも幻覚でもない、自分と三十年以上付き添ってきた相手以外のものではあり得なかった。
「ボクの気持ちなんて……わかるはずがない。ボクは、憎いんだよ、許せないんだよ。ダビデ王家が……そして、お前が。お前一人が幸せになるのが、許せないんだ」
「ベリアル……お前は、何者だ?」
「さっきも言っただろ?ボクはベリアル……ボクは無価値なもの。この世で最も必要とされなかった魂だって」
ベリアルの頭に飾られた花冠が、じわりじわりと枯れていく。真珠色の翼が、金糸の髪が、みるみるうちに、炭を流したように真っ黒に染まっていく。細かく編みこまれた紙が、自然にほどけて、荒々しく散らばっていく。
「そうさ。ボクは、人間……人間としてこの世に生まれるはずだった魂だ。其れなのに、生きる事すら許してもらえなかった魂……ソロモン、君は覚えているのかな。ボクと初めて会った時、君がボクに何を言ったか……」
彼の傷一つない滑らかな肌が、赤く染まっていく。生まれたばかりの赤子のような、ブヨブヨとした生臭い肌に代わっていく。輝かんばかりの彼の美貌が、見るに堪えない暗闇に覆い隠されていく。
これが、俺が、ベリアルの姿か?悪魔ベリアルの姿?ソロモンはその一部始終を、絶句しながら見守っていた。
「君はいったね。自分はあの男の『罪』だって……ダビデとバテシバが不倫の恋をしたことに対する罪の証として、自分は醜く生まれなくてはならなかったのだって……覚えてる?もう、そんなこと、覚えてないの?オレは今でもはっきり覚えてるよ。その言葉を聞いたとき、よっぽど……この場で殺してやりたいって思ってたもん。だって、キミくらい恵まれた奴が、よりによってどうして、オレの前でそんなことを、って……」
「恵まれた?」ソロモンはオウム返しに繰り返す。ベリアルは歪んだ笑いを浮かべ、「分かってもいなかったの」と言った。
「ダビデが生まれ、そしてバテシバがこの世に生まれた時……主は、このように定められたのさ。すでにその時、運命は決まっていた。ダビデとバテシバの間に生まれる子は、主に愛される子、イスラエルの栄光の時代を築く王になる、ってね……けれど、彼らは恋人にはならなかった。まっとうな恋人になるほどの存在に、彼らはお互い、育たなかった……分かるでしょ。あんな父と、あんな母だもんね」
急な話を次々と聞かされつつも、ソロモンはその言葉一つ一つは、腑に落ちるような思いだった。ああ、そうか、やはり父は、母を愛してなどいなかった。父は誰の事も、愛してはいなかったのだ。
「結果として彼は……神様も予測できなかったほどの、最低最悪の形で結ばれた。そこから先は、お前の考えと同じ。どんなに神が定められた相手でも……そんなみっともない、愛もない不倫の関係に鉄槌が下されないはずがないだろ?ましてや神に愛されたダビデが犯した罪なんだ、神が黙っているはずがない。その罪は、子供の形で生まれたんだよ。……けれど、ソロモン!お前が間違っているのは……その子供は、お前じゃなかった。そうさ、お前は罪でも何でもない!むしろ……罪の要素全てをもう一人の兄弟に押し付けて、綺麗なまま、イスラエるの栄光の王になると言う運命の身を背負わされて生まれる存在であったのさ!」
その言葉を聞き、ソロモンは、はっとした。

ハダド達の殲滅計画にあたり引っ張り出した、ナタンの歴史書。ちょうどかつての妻、ナアマの故国アンモンの戦争について書かれていた箇所の近くに、ダビデとバテシバの記録が乗っていたのだ。
そして、そこにあった、ごく短い記述。ダビデとバテシバが不倫の関係を結び、預言者ナタンはそれを厳しく非難した。そしてバテシバが身ごもり生まれた子供は……そう、ソロモンの実の兄は、生後すぐに病気になり……七日目に死んでしまった。そして、それにうなだれるバテシバにダビデが産ませた子供が……ソロモンであったと。
「理解したようだね」
天使のごとき美しさを今やすっかり失ったベリアルは、笑顔を崩さないまま、自分を目を白黒させて見つめるソロモンに言う。恐ろしいことに彼の笑顔は、同じもののままだった。全く変わらないままなのに、全く別物のように醜く、恐ろしかった。美しい器と、醜い器。その二つが、同じ表情に持たせる意味をがらりと変えていた。
「では……お、お前は……」
「そうさ……名前すら与えられなかった、ダビデとバテシバの第一子」真っ黒な翼を生やした赤い肉塊、そのような存在へとなり果てたベリアルは、ソロモンの頭を掴んで引き寄せた。そこに、彼が縋った温かい体温はなかった、屠られた後の獣の肉に触れるような、生臭く、ぐちゃりとした不快な感触があった。
「お前の兄だよ……!未来も、人生も、何も用意されてなかった。ただ生まれるだけ、生まれて死んで、ダビデにお前のやったことが罪だと知らしめるだけにこの世に作られた……この世で最も無価値、もっとも、誰にも必要とされていなかった魂さ!」

無いに等しい体温。
肉塊のような感触。
憎しみに満ちた、目の前の彼の表情。今まで自分に受けていた清らかな笑顔とは対極にあるもの。
それに包まれ、ソロモンはただただ絶句した。メネリクをこの手で殺してしまった、と言うショックにそれらがくわえられ、もはや、言葉が言えなかった。
「なんで生まれた、なんで魂を、自我を、与えられたのか、この程度の役割しかなかったのに、って……?お前が言わなくとも、オレはずっと思ってたよ。今でも覚えてる。体中暑くて、死にそうで、でも誰もかれも、オレの事をいぶかしがる目で見ていた……こんな赤ん坊、助ける価値はないんだって……そしてオレが何が一番悲しかったかって……神様が、神様自身がそう思っていたって、わかってしまった事さ。そうして、オレは死んだ。でも……死んでも、死にきれなかった。オレの魂はいつの間にか人間の世界に留まってたよ。そしてそのオレを見つけて……悪魔にしてくれた存在がいたんだ。悪魔の長……ルシファー、と彼は名乗った。けど、彼の名前はオレにとってすらどうでもいい。大切なのは、彼はただの赤ん坊の怨霊でしかなかったオレを悪魔に変えて、体と、悪魔としての力を授けてくれた……憎いダビデ王家にお前が何をするも自由だ、って言ってくれてね!」
彼はソロモンの指にはまった、赤いダビデ王家の紋章の指輪を握りしめた。ハリも生気もないその肉体に、ずぶずぶと赤い指輪が食い込む。
「オレはもちろん、復讐する道を選んだよ。ダビデが憎かった。バテシバが憎かった。ダビデの血を引く王家が……血を分けたオレにこんな運命を授けておきながら、のうのうと生きている奴が憎かった。けれど俺が一番憎かったことは……すでにバテシバの中に、新しい子供が宿っていたことさ。そして絶句するオレに、ルシファーが教えてくれた。あの腹の中の子供を、神は、イスラエルの王とする気だ、って。本来お前がなるはずだったのに、罪も汚れも罰もすべてお前一人に押し付けて、そのお前が死んだから、満を持して『イスラエルの最盛期を築く栄光の王』が生まれることができるんだ、って……」
指輪を握るその手から、血とも膿とも、体液ともつかない液体が流れ出す。
「そんなの、許せなかった……なにより理不尽だって思ってた。だからね……オレは、決めたんだ。そいつ……そうだよ、お前だよ!お前だけが幸せになるなんて許せないって、そう決めたんだ。だから、オレは……バテシバの胎内のお前に、呪いをかけた。それがオレが悪魔になってから、初めてやったことだよ」
「まさか」ソロモンは、家の鳴く声で聞く。ベリアルも「やっぱりお前は、察しがいいね」と言った。
「そうだよ。お前が化け物みたいな容姿に生まれてきたのは……オレのせいだよ!」

ベリアルは、ソロモンの白い髪を一房とる。生まれつきの、白い髪。
「別に、なんでもよかった。オレは特に、決めてなかったよ。五体満足なことが尊ばれるこのイスラエルで……十分な器と、知性と、神に与えられた運命を背負っているのに、誰にも理解されずに、差別されて、惨めに生きるような姿で生まれるなら……こんなんじゃなくてもよかったさ。手がなくっても、足がなくっても……でもお前は、こんな姿で生まれてきた。お前、知らないでしょ?お前が生まれた時に母親がどんな反応をしたか。まあ、知らないまでも想像はつくだろうけど……お前の母親、絶望して気絶したんだよ。そして目が覚めた時、侍女からお前をひったくろうとした。きっと床にたたきつけて、殺すつもりだったんだろうね。気持ちよかったよ!お前の成長を影から見ているのが、最高に気持ちよかった。父も、兄弟も、お前の教育が狩りすらお前を化け物扱いして、皆してお前を差別して、虐めて……すっごく、快感だった!オレの不幸をお前も味わってるんだって心の底から思うことができたよ!けども……オレにとって誤算が一つ起こった。それは……神様は、お前を次期イスラエル王にする、っていう運命は、全く揺るがさなかったこと。お前が嫌われているのも、化け物扱いされているのも承知のうえで、容赦も何もなく神様は、お前の教育係りだった予言者ナタンに再三再四、お前が王になる未来を告げていたんだ。……ぞっとしたよ。結局いくら痛めつけられても、お前が王になったんじゃ、オレの苦しみは晴れやしない。そこには、オレが付くはずだった。その席に、俺に何もかも押し付けて生まれてきたお前が愛も変わらずついたんじゃ、どうしようもないよ……だからオレは、十一歳の誕生日から、お前に近づくことにした。表に出さないお前の気持ちも、必要次第で近くで観察できるように……何もかも、お前をオレと同じくらいに絶望させるための事だった」

「それでも、お前はオレの企み通りの人生の方を歩んでくれたよ……本当に、神様は人間を信じ過ぎているよね。いくら自分が言ったって、ダビデ王家の奴らは、自分とは違うお前を差別して、見下して、そればっかり……アドニヤなんか、お前ごときに王位をも笑われてたまるか、って思ってたものね。オレはお前が一番憎かったけど、ダビデ王家だって憎かったよ。だからお前のアブサロムへの復讐にだって協力したわけだし……。でけれどやっぱり、オレのお前に対する憎しみなんて他人のそれと比べれば物の数でもないな、って、アドニヤがお前を殺してゴミ捨て場に捨てた時、はっきり思った。本当に……本当に、嬉しかった。俺と全く同じ両親の間に生まれたお前が、俺みたいな人生話お湯んでくれて。何も成し遂げられず、誰にも愛されず、ゴミみたいな無価値な人生を歩んで死んでくれて……本当に、嬉しかった。本当に満たされた。あの時熱病に浮かされながら感じていた孤独感が、一気に満たされる気がした。それから、オレはダビデ王家の方に取り掛かったよ。もうこっちの方は、本当に楽だった。ダビデ王家に呪いをかけて狂わせて、ダビデを奇病に伏せらせて、アドニヤやバテシバや、周囲の奴らまでもおかしくして。ダビデ王がどんどん、どんどん狂っていくのが、本当にオレにとっての救いだった。オレを使い潰した奴らが、惨めに死んでいくなんて、本当に最高だった。だから……ぞっとしたよ。お前がイスラエルに帰ってきたときは、本当に肝がつぶれるほど驚いてた。あとでルシファーさんから聞いたんだ。神さまは一度死んだお前を、甦らせたって。そんな掟破りをしてまでも、次の王がお前だって決めてたんだ。お前の部屋も、お前の花畑も、不可侵と言わんばかりにずっときれいなままだった……あれを守っていたのは、勿論オレじゃない。あれは、神様が、お前についていた本当の守護天使が守ってたんだよ。……オレの悔しさがわかるか?お前が、オレの与えたその容姿は全く変わっていないお前が、玉座についたときのオレの気持ちが。悔しくて、悔しくて……それこそまさに、絶望そのものだったよ。オレは無価値なだけだったのに、死ぬことだけが仕事だったのに……お前は、栄光を手に入れるんだ、お前は幸せになるんだって、その運命は変えられないのかって、苦しみぬいたよ……。でも、オレはあきらめなかった。諦められなかったんだ。そして誓ったさ。お前が王になってしまったのなら、引きずりおろせばいいだけの話だ、って」

「オレは、アビシャグの奴がヤロブアムの子供をはらんでいたのを後から知った。だから、ある預言者のもとに、天使の振りをしていったんだ。あの少年が将来ダビデ王家に代わって王となる、ってね……信心深く、義務感に忠実な男だった。どこからどう見ても天使のオレの言うことは、本当に簡単に信じて、その子を育ててくれた。本当にややこしかったよ、レジスタンス組織を育てるのは。……そう、わかるだろ?その子がヤロブアムだよ!でも、やっぱり父親似だね。ものすごく優秀な子で……幸い奴を育ててくれた男も、貧民街育ちとは思えないくらい優秀だった。オレが陰ながら誘導していたものあるけど……数年のうちに彼らは、ダビデに恨みを持つ亡国関係者たちと関係を持って、反乱を企てたんだ。でも、そんな時に、邪魔が入った……そうだよ、シバの女王、ビルキスさ」
つらつらと、恐ろしい話を続けていたベリアルの声色が、彼女の名前が出た瞬間に、より一層曇った。ベリアルはおそらく、彼女の事をソロモンと同じほどに憎んだのだろう、と言うほどに。ソロモンも、彼女の名前を出されて、防戦と聞いていたものが今一度、はっとする。
「はっきり言おう。ソロモン……お前が神を憎んだのは、全くの無駄骨だよ。神は、お前とビルキスを引き合わせたんだ。ビルキスは正真正銘、お前の運命の相手だった。お前と愛し合う存在だった。だからお前とビルキスが惹かれあった時……オレは激しく嫉妬に燃えたよ。お前を不幸にさせたくてオレがこんなにもあがいているのに、お前はどんどん幸せを手に入れていく。神に用意された幸せに、どんどんたどり着いていく。オレには何一つ、用意されていなかったのに……お前とあの女が結ばれるのが、オレにはお前が玉座に上がることの次ぐらいに耐えられなかった。ヒラム・アビフが来た時すら、ここまでの者じゃなかったよ。今からすれば当然だな……お前とビルキスは、本当に純粋に愛し合っていた。栄光を手に入れたお前が愛も手に入れるなんて、オレは許せなかったんだよ!だから、必死でお前たちの仲に反対した。それなのに……彼女は、お前を守るために奴らを駆逐した。まあ、オレも反乱軍の奴らは大嫌いだったけどね……オレみたいな覚悟もないくせに復讐だなんだって威張っている奴らは、本当に見ていて寧ろむかっ腹が立ってたよ。思った以上には小物だったしさ……。オレの本命は、ヤロブアム以外に居なかったしね。けど、そんなクズどもが皆いなくなって……お前たちは、晴れて結ばれた。お前を不幸にするためにオレはこの世界にしがみついていたのに、お前はどんどん幸福になっていくんだよ……お前が初めてってぐらいに、幸福そうにしていたんだ。こらえられなかったよ……このまま幸福が続くなんて許せなかった。絶対に……!」
「ひょっとして」ソロモンは恐る恐る口を開いた。「ビルキスは、まさか……」
「そうだよ。オレが殺したようなもんだ」目を細めて、ベリアルは告白した。「オレがナアマをけしかけて、精霊でも死ぬ呪いの薬と、お前が持たせようとした薬を入れ替えさせた。そうすればばれたところで、お前も、ナアマ一人のやったこととして片付けたろうからね……そして、オレ一人が呪い殺すのとは違くて、お前は形だけ手に入れた家庭すらも、台無しにしてしまうという結果までついてくるからね」
ソロモンの心に、ビルキスとともにいた時の記憶が躍った。本当に、幸せな、絶対に壊されたくないほどの幸福の日々、それを壊したのは、自分が守護天使だと信じつづけてきた相手。そして……アドニヤよりも、ハダドよりも、ヤロブアムよりも、誰より自分を憎み、数十年にわたって呪い続けていた……自分の、実の兄。
心臓が、脳が、キリキリと痛む。それを見るベリアルは心底、満たされているようだった。可憐な身体を失っても、その幸福だけは、あらわになるものだ。
「ビルキスを失ったお前を見て、オレは……楽しかった。けれど、まだまだ、って思ったよ。本当に、心の底からの絶望には、まだあと一歩届いてないって。俺が味わった絶望には届いてない、ってそう思った。だからオレは、ヤロブアムが王になるまで待つことに決めた。お前の堕落しきった十四年間は、本当に見てて結構楽しかった。でも驚いたのが……そうだよ、心の底から驚いたのが、そんなお前を見てやっとお前の王としての人生を終わらせることを決意してくれた神さまが、お前のバカ息子と君を二分する王としての運命に定めたのが……ヤロブアムだったって事さ!信じられる?アドニヤの息子とはいえ、後は何の根拠もなしにこのオレが、もとはと言えば赤ん坊の怨霊でしかないこのオレが選んだだけの相手が、そうなったんだよ!?あとはもう、ヤロブアムが国に帰るのを待って、お前から正真正銘、何もかも奪い去るまでを待つだけでよかった。……でも、そこに」
「マケダが、来た……?」
「何者だって思ったよ。オレですら、正体が解らなかった。ヤロブアムを邪魔しようとすらしていたし……何より、マケダが来ても前が十四年ぶりに幸せそうなのが、俺には我慢ならなかった、本当に目の上のたんこぶみたいな小娘だと思ったよ。けど……お前より一足早く、結局オレは知ったんだよ。マケダは仮の名、本当はビルキスのお前の息子で……しかも、オレが殺したなんて露ほども思わずに、お前がビルキスを捨てたんだって勘違いして、お前を殺しにやってきた奴だって!それを聞いて……オレの頭には、もっといいシナリオが浮かんだってわけ」ベリアルは、血だまりの中に転がるメネリクを激しく指さした。
「ヤロブアムにはもう、次期王となると決めらえた運命があるんだ。それが簡単に変わらない事を、オレ以上に痛感した奴なんていない……裏を返せば、どんなに生半可な妨害をしたって、どうせヤロブアムは生き残る。生き残って、イスラエルに帰る。なら……この鉢合わせたお前の敵二人、マケダにいったん勝たせれば、マケダの復讐とヤロブアムの復讐、お前は二回受けることになる。そっちの方がどう考えたって、面白いじゃないか!だってそうだろ?心の底から愛した人の子供に殺意を向けられるなんて、すごく……辛い事じゃないか?」
ソロモンの絶望。ベリアルの歓喜、正反対の二つの感情が、深夜に唯一明るく輝く空間で、静かに二つ、そこに立っていた。血を分けた兄弟の、二つの感情が。
「だからオレは、ヤロブアムを見捨てることにした。マケダ……というよりメネリクは良くやってくれたよ。びっくりしたのは、ヤロブアムを助けるのに神さまが実力行使をしてかかったところ。オレの出る幕はほとんどなくなっちゃったね。でも後は……ゆるゆると、メネリクがお前に復讐するのを待てばいいってだけの話だった。でも、オレはもう……今日のシナリオを考えてたよ。だって、この計画。お前が今日生き残らなくちゃ続かないもの。そして……今に至る、ってわけ、オレはメネリクがお前を殺すタイミングで、お前に刃物を握らせた。お前は……勝手に動いてしまったんだよ」
「お前が……」ソロモンは言う。その中にはわずかながら、怒りも混ざっていたように思える。だがやはり、悲しみの感情の方が、途方もなく大きかった。
「お前が、そうけしかけたのでは、ないのか?」
「そう思う……?ふふふ、どうだろうね……どうにせよ、それを聞いたところで、お前の心は一切満たされないよ。だって、そうだろう?」彼はべちゃりと、ソロモンの頬に手を当てた。
「何も、変わらないもの。ビルキスとの子供に殺されようとしたことも、ビルキスとの子供を、自分自身が殺してしまったことも……お前自身が一生、許さないもの。お前の目がそう言ってる。すごく。いい目だ。この瞬間だけが、オレの望みだった。鏡なんて見ることもなく死んだオレが、まるで鏡を見てるみたい。分かるかい、ソロモン?お前に踏み台にされたオレは……そんな気持ちで、死んでいったんだよ」
その言葉は全く、本当のように思えた。
きっとベリアルが殺させたからと言って、自分の気持ちは晴れまい。空の空、全ては空。そのような言葉すらも、この感情を言い表すには値しなかった。
自分が、ビルキスの息子を殺した。
唯一の救いを、唯一の忘れ形見を。
もう、自分は立ち直れない。
この先何があっても、立ち直れないだろう。
思考するだけ、息をするだけの肉の塊以上のものに、もはや自分がなれる気はしなかった。
「ソロモン……ありがとう。漸く、オレの願いをかなえてくれたね」ベリアルはグロテスクな肉塊と化したその体で、何回もやったように、ソロモンの体を抱きしめた。
「殺させはしないよ。君はずっと、ずっと生きていくんだ。ずっと、その表情のままで生きていくんだ。……ヤロブアムが帰って、お前を玉座から引きずりおろして死刑にするまで、ずっと、生きていくんだ。……これでオレたち、対等だね。やっぱり、兄弟は、こうでなくっちゃいけないものね。うれしいよ、ソロモン……やっと、オレのところまで堕ちてくれて」
怒りも、何も、湧いてこなかった。
このまま生臭い血肉の感触抱かれ、それこそ、どこへでも堕ちていけそうな気がした。頭がぼうっとして、かすんでいく。

その時だ。
ベリアルが、うめき声をあげた。
ベリアルの頭に、光の剣が刺さっていた。
「え……?」当のベリアル自身が、目を白黒させていた。
「なに、これ……」
光の剣は貫かれ、彼の同数か所を、恐ろしいスピードで刺し貫く。ベリアルはずるりと床に倒れた。

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