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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第百五話

余りの痛みに耐えかね、ソロモンも床に膝をつく。それを見下し、ベリアルは笑った。
「ふふ……あはははは」
「何がおかしい……」
「おかしいよ……君に、ヒラム・アビフのまねなんてできるわけがない!」彼はソロモンに向かって指を指す。

イスラエルの全てが、その出来事を目撃遷都するため、眠りこけているかのようだった、明かりのすっかり消えた暗い道を抜け、エチオピア兵達は、エルサレム神殿にたどりついた。
神殿には、番人も何もいない。鍵すらも、かかっていなかった。不審に思いつつも彼らは、メネリク王子の指示するままに、異邦人では入ることを許されない内陣へと向かう。それを止める祭司はおらず、イスラエルの神すらも、それをこばまなかった。
そしてついに、内陣に乗り込んだメネリクは、そこにある幕屋の白いカーテンをまくり上げた。
「……これか」
松明の光に照らされたそれを見たメネリクは、息をのんだ。黄金の天使像を頂いた、見るも華麗なアカシア細工の箱。自分たちの時代よりもよっぽど前に作られたものだろうに、その美しさは全く損なわれてはいなかった。それはまさに、イスラエルのhコリを象徴するかのようだった。
「どうしますか……」兵士たちは怖気づいているようだった。だがメネリクは自ら歩みより、手をかけた。何も起こらない。大丈夫だ・彼はそう確信し、契約の箱の一つの隅を持った。
「問題ない。運び出せる。お前たち、手を貸せ!」
その言葉で、兵士たちも一斉に動く。契約の箱は彼らにその見事な身体をゆだね、持ちあがった。
その時、兵士の一人がやってきた。
「メネリク様、人が来ます」
「なに!」
しまった、この様子をイスラエル人に見られていれば、大ごとだ。
「誰かは分かるか?」
「はい、王子、レハブアムでした」
レハブアムが、よりにも寄ってなぜこの時間にここに。メネリクは口惜しく思ったが、部下の一人に自分の持つ角を任せ、自分は幕屋の外に出た。
「メネリク様……!」
「私が何とかする。お前たちは準備を進めておれ」

「なんで、ヒラム・アビフがオレたちを使役できたんだと思う?思い出してみろよ……完全に、その指輪のせいだったか?」強がりつつも、ベリアルは確かに苦しそうであった。そしてそれでもなお、彼の執念の炎は赤々と燃えていたのがはっきりわかった。
「あいつは、悪魔の子孫だった……それも、そんじょそこらの下っ端じゃない。悪魔を使役できるほどの、高位の悪魔の子孫。その血があったからこそ、使えたものなんだよ、それは……しかも、その実の子孫であるヒラムすら、寿命の制限をつけなきゃ使えないくらいのものだった」
ベリアルはケラケラと笑う。ソロモンは、自らの体の中が崩壊するよな感触を味わった。先ほどは、心。だが今は、物理的な身体が。
「お前は、ただの人間なんだよ……いくら化け物みたいな容貌をしていたって、ただの人間とただの人間の間にうまれた、正真正銘、純粋な人間なんだ!」
化け物と呼ばれて、ソロモンは育ってきた。
お前のようなものが、人間であるはずはないと。
そして彼にそのような人生を与えた張本人が、それを否定した。ソロモンは全くただの、人間であったのだ。
「そんなもん、使い続けたら」ベリアルは脅迫するように、笑いかけながらも恐ろしい口調で言う。「すぐに死ぬに、決まっている」

何もかも持っていて、何もない。
自分は何もなせない凡人で、一生、ソロモンの息子としてしか扱われない。レハブアムは、知っていた。そんな自分の人生も、そう嘆いて居ても何も始まらないから少しでも何かに向けて動かなくてはならないということも、自分にはそんなことをする気概も気力も才能もないと、全部、知っていた。父のような叡智など何一つ持たないのに、それだけは、知っていた。
何日も寝込み、思った。神は、こんな自分に答えを与えてくれるだろうか。
答えを与えないでもいい。自分の心を少しでも、楽にしてくれるだろうか。
そう思って彼は、夜中にこっそり神殿に向かった。
夜の神殿に足をふみいれるなど、レハブアムにとっては初めての事だった。普段の雑踏が何もなく、祭司たちの声も音楽も、生贄が燃やされる臭いも、何もない。
不思議な世界だ。彼は神殿も、あまり好きではなかった、どうせここも父の栄光の場、父が作り出したものにすぎないから、と。
けれども、その時限りは、彼は神殿を素直に愛せるような気がした。
階段を上る。門に鍵がかかっているかも、などと考えていなかった。
そして、考える必要もなかった。レハブアムが階段を上ると同時に、門が開かれ、そしてその中から、一人の人物が出てきた。
「……父上?」
レハブアムは目を疑った。そこには自分の父が、ソロモン王が立っていた。

「レハブアム、このような夜更けに何をしている」
ソロモンは、レハブアムにそう問いかけてきた。
「ぼくは……」父を見ると、うまく話ができない。何も、言いたくなかった。だからこそ彼は、言葉など飾らずに、素直に言った。
「祈りに来たのです。何か、悪い事でもありますか」
「悪いことはない。ただ……」
そしてレハブアムは、次に帰ってきた言葉に、耳を疑った。
「今日はもう遅い。返って寝なさい。ここの所、体調を崩していたろう。こんな夜更けに出歩いては、心配だ」
「なんですって」と、レハブアムは反射的に言う。目の前のソロモンは、厳かな表情を崩さないまま、それでも、言った。
「心配なのだ。お前も、私の大事な息子なのだから」

「大事な息子……」レハブアムは、ふっと、笑った。
「何故笑う?」
「お父上は、僕にそんなことを言ってくれたこと、ありませんでしたから……」
しかし、気持ち悪くはなかった。神殿に来て、良かった。レハブアムは空虚になった心が少しだけ、ほんの少しだけ確かに満たされたと、実感した。
「ありがとう、お父上。もう帰ります。……お父上も、早くお帰り下さい」
「ああ、お休み。レハブアム」
レハブアムは「お休みなさいませ、お父上」と言い残し、そのまま踵を返して、ラバに乗って一目散にモリヤ山を駆け下りて言った。
「……いかがでしたか、メネリク様」
「問題ない。うまくだませたようだ」
メネリクは変化を解いた。彼は光輝くと同時に、ソロモンの姿から、メネリクの姿へと変わる。
「急げ。明るくなるまでには、エルサレムを離れねば」
「しかし、僭越ながらあの王子が不審に思わないとも……」部下の一人が言う。「やはり、殺してしまった方がよかったのでは?」
「その必要はない。……哀れな奴だが、あそこまで哀れだと、いっそ皮肉でも何でもなく同情の心も湧いてくる」メネリクはそう、レハブアムの事を評した。自分に矢も楯もなく夢中になっていたあの王子、あの異母兄を。
「せめて、厄介ごとに巻き込んでやりたくもない」
「メネリク様、積み込み、終わりました」部下の一人がすかさず、そう言ってきた。メネリクはそれに「よし」と返答する。
「皆の者!これより、エチオピアは王都アクスムへ、帰還する!」
その鶴の一声で、エチオピアの軍勢は動く。だが、その時だった。エチオピア軍は、目を疑った。
夜空が、金色に輝く。彼らの前に、眩しく輝く天使が、翼を広げて浮かんでいた。将軍のようないでたちの、壮観な男性の姿をした天使が。

内臓が、ねじれるかのようだ。
肺が、つぶれるかのよう。
骨が麦わらのように簡単に折れるかのような感覚。
それらを味わってもなお、ソロモンはベリアルに対抗せんと、指輪に念を込めることをやめなかった。
ベリアルは先ほどと比べて、あからさまに弱ってきている。彼はとうとう、ソロモン同様、膝をついた。もう立ってもいられないように。
「何故……」ベリアルは言った。
「何故、そうまでして抵抗するの……無駄なのに。オレを止めたって、オレは死なないんだよ。お前は、死ぬけどね。このままなら、死ぬけど……」
「俺は、魔術などかじったこともない」ソロモンは言い切った。「だがな……若いころ、俺は何でもできる気がしていたんだ。お前は見てないから、知らないだろう?アドニヤに殺された俺が、アンモンでどのように過ごしていたか。自分は天才だ、自分は何でもできる……その自身一つが、俺をこの地位に上らせた」
「ばかばかしい!」ベリアルは断言する。
「お前ごときをイスラエル王につかせたのは、神だけだよ、神の気まぐれな采配だけ!お前は寝ててもイスラエル王になったさ!だからオレは嫉妬したんだ、それだけ恵まれたお前に!」
「違う、運命は変わり得る!俺の所業に神が愛想を尽かしたように!」ソロモンは答えた。「俺が何もせねば、神も俺に愛想を着かせたはずだ。確かに運命も、才能も、神に与えられたかもしれん。だがそれを、まさにその神に認めてもらえるほどに磨き、使ってきたのは、この俺自身だ。そして、神は言われた。俺にはもう、全てを与えてあると……間違いない、此れこそが、最後の俺の砦だ。俺の友が与えてくれた、砦だ……」
ソロモンは体中が悲鳴を上げているというのに、話すことだけは問題なくできた。まるで神に、そこだけは守られているかのように。
「貴様を、イスラエルにのさばらせるわけにはいかん。俺が守った国に、俺の子孫に、お前にはもう、何一つさせん。……お前を殺すことが、もはやかなわないと言うのなら」
ソロモンはベリアルから授かった赤い目で、ベリアルを、自分を呪い続けた兄を、しっかと睨みつけた。
「お前を、封印するまでだ。……私には、それができる。そのような確信に、満たされているのだ」

「あれは……」
「イスラエルの天使か!?」
エチオピア兵達は騒いだ。無理もない。イスラエルの聖櫃を盗み出した自分たちに神の罰が当たるのだ、とてんてこまいになるのも。
だが、彼の言葉と思しきものが降ってきた。それは、エチオピアの言語で与えられた。
「恐れることはない、ソロモンの子、メネリク!」
彼は自分を見つめるメネリクに向かって、はっきりとそう言いきる。
「私は神の使い、名はミカエル。お前たちと聖櫃を、行くべき場所に案内しよう!」
その言葉を聞いて、エチオピア兵達が一旦、悲鳴も、命乞いの言葉も発しなくなった、その瞬間だった。彼らは、凄まじい光に包まれ、同時に、体が浮かび上がるかのような感覚に襲われた。時間の感覚が彼らの中で、酷く曖昧になった。

そして、目が覚めた時の事。彼らは、目を疑った。
イスラエル以上に見知った光景が、目の前にあった。
そこは、エチオピアだった。しかも、王都をすぐそばに臨む平原に、彼らは立っていた。
「我々の、故国……」
振り向けば、契約の箱も確かに一緒に送り届けられていた。目を瞬かせるメネリクに、ミカエルと名乗った天使は「さあ、帰るがよい」と告げた。
「ま、待て!」メネリクは慌てて縋る。
「お前は、何者だ……?」
「……私は、お前の父の守護天使として、お前の父が彼の母の対に宿った時に、定められたものだった」彼は語った。
「だが……もう、お前も知っていよう。彼の生きている間中、私や……ときには神の意志すらも阻むほどの強力な悪意が彼を取り巻いていて、結局……私が、介入できたのは、一度だけだった。お前の父が……そう、ちょうどお前と同じ十四歳の時に一度敵の関係、ベリアルのたくらみによって殺された時……正と死の淵で、我らは、ただ一瞬であった。それだけだった」
「父の……本物の守護天使だったか」メネリクは、さらに聞いた。「何故、異邦人の私に、契約の箱を?」
「神は、お前を選ばれたからだ。そして、お前の母を選ばれた」ミカエルはそっと、言い聞かせた。将軍のような猛々しい容姿であるにも関わらず、そこには途方もない慈愛があふれているように思えた。まさに、天使のそれと言うにふさわしき慈愛。
「さらばだ。ソロモンの子、メネリク」
彼はそう言い残し、引き留めようとしたメネリクの手もむなしく、閃光を発して消えていった。後に残ったのは、メネリクの見覚えのあるエチオピアの夜空……。
彼はその場に、静かに座りこんだ。

「封印だって!?」
ベリアルは叫ぶ。
「馬鹿な、そんなことしたら、いよいよお前の身が持つわけない!」
「そうか……ならば、やってみよう!」
ソロモンは、精いっぱい指輪に念じる。この者を封印せよ、と。たちまちのうちに、先ほどの数倍もの痛みが襲いかかってきた。内臓が、筋肉が、全て千切れていく。皮膚が裂け、血が出た。それでも、ソロモンはしっかり前を見据えることで、意識を保っていることができたた。ベリアルは明らかに、苦しんでいた。
床に突っ伏し、身動きが取れない様子であった。
「やはり」ソロモンは言った。
「やはり、これが神の望みであったか……ありがとう、神よ。ありがとう。我が友……ヒラムよ」
ずい、と床が動く。それは液体のように変形し、真鍮のような輝きを持ってベリアルの周りに渦巻き始めた。
「お前は、それでいいの……」ベリアルは言う。
「お前も、オレと同じじゃないか!神の望みのままに、死ぬだけだ!神のおもちゃみたいに、命を好きにさせられるだけ!」
「お前がそう思おうと、俺は心の底からこれを望んでいる」ソロモンははっきりと言い切った。
「俺はイスラエルを愛している。我が子孫を、呪わせたくはない。そして……一度は忘れた。もはや許してもらおうとも考えん。だが、それでも神を……俺を見捨てずにいてくれた神を、愛しながらここまで生きてきた」
真鍮はぐるぐると、ベリアルを包み込む。ベリアルの足を、体を。なおもにらみ続ける彼に、ソロモンは、最後に告げた。
「そして……ありがとう、ベリアル」
ピクリと瞼を動かしベリアルに、ソロモンは告げる。体中を蝕む痛みにもかからわず、つきものが落ちたような微笑みを浮かべて。
「お前は知らなかったようだな……お前が来るまで、俺はずっと、死のうと思っていたんだよ。神殿の図面を書き終えたら、死のうと。けれど……それも限界だった」
「何、言いだすの……」
「お前が来る前の日かな?……俺は、決めていたんだ。そろそろ、計画を進めようかと……・自殺の、計画を。そろそろ頃あいか、死んでもいい、夜が明けたら始めよう、と考えていたんだ……それを止めたのは、お前だったよ。ベリアル」
ベリアルははっと、何かを察したようだった。みるみるうちの彼の顔が、屈辱に歪んでいく。
「お前が、俺すら忘れていた誕生日を祝ってくれた。お前が、優しくしてくれた……だから俺は、もうしばらくは死なないでいいか、と考え直すことができたんだ、俺がそう思っているなんて、お前、思いもよらなかっただろう。だけど、俺はそう考えていたんだ」
「やめて……」
「そのおかげで、イスラエルの王に成れた。人々に認められた。神殿を築くことができた。ヒラム・アビフに出会えた。ビルキスに出会えて、子供すらも生まれた……全ての幸せを、手に入れることができたんだ」
「やめろ……やめろよ!」
それはおそらく、ベリアルが最も言われたくない言葉であったろう。
だから、ソロモンは言った。万感の思いを込めて。
「お前が来てくれたから、俺の一生は幸せだった。ありがとう。兄さん」

鋭い声で、ベリアルは怒鳴ったのかもしれない。泣き叫んだのかもしれない。自分の思いを、誰よりも憎み嫉妬した相手に、すべて否定されて。
けれど、その声はもはや、彼以外の誰にも聞こえなかった。

真鍮は完全にベリアルを包んだ。そしてそれはみるみるうちに縮み、一本の、口が鋳潰された真鍮の小さな壺の形になった。
悪魔ベリアルは、封印されたのであった。


「メネリク」
「メネリク様!」
やがて、王宮に帰ったメネリクは、大騒ぎとともに迎えられた、まだエチオピアにつくはずのない彼らがなぜか、帰還していた。しかも、イスラエルの聖櫃まで携えて。
イスメニー女王も、タムリンも飛び起きて彼を出迎えた。
「メネリク様……暗殺は、なったのですか?」
「メネリク……?」
心配そうに自分に問い開ける二人に、メネリクは自分の身に起こったことを全て話した。自分とソロモンの築いた関係、ソロモンに取りついていた悪魔ベリアルの事、彼の企み、母の死の真相、ソロモンが自分に託した願い、そして、ソロモンの本当の守護天使ミカエルが、自分をここまで送り届けてくれたことも。
それを聞いたすべての人々は、絶句した。タムリンは口を開き、「私は、なんということを……」と言った。
「申し訳ありません、メネリク様……十四年間も、私は貴方を、私の勝手な思い込みで、お門違いの復讐へ……」
「気にするな……タムリン。私にとって、お前が誰よりも大切な人間の一人であることには、変わりない」メネリクは鷹揚に笑って見せる。
「ただ、願わくば……」
彼は、自分の荷物をするりとほどいて、エイラットストーンの天球儀を取り出した。そこに描かれているのはイスラエルの空にも、エチオピアの空にも見えた。
「ソロモンと、親子として、話がしてみたかった……」
彼は、ポロリと涙を流す。十四歳の少年相当の、幼さをのぞかせて。
「今、わかる。ソロモンは母上そっくりに化けた私を、女としではなく、娘のように思って接していたのだ。そして私は、それが……心地よかった……私は、ソロモンと親子になってみたかった。あの方を、あの方を、何故、父親と呼ばなかったのだろう……」
泣きながら、メネリクは実感した。
ああ、十四年感信じてきたものを捨てても、何も変わりはなかったじゃないか。
自分は、素直になればよかったのだ。彼に、貴方の息子であると、平和のうちに打ち明ければよかったのだ。
だが、もう遅い。自分が愚かで、幼稚だった。そう思った彼を、イスメニーがすっと抱きしめた。
「メネリク。貴方の親は、ここにもいますよ」
そう言って彼女は、メネリクの頭を撫でてくれた。父譲りの顔立ち、母譲りの異形の足を持つメネリクを、彼女は本物の母親のように抱いてくれた。
「ありがとう……ございます」
メネリクはイスメニーの胸の中、ひとしきり泣いた。そしてその後、言う。
「イスメニー様……貴方の跡を継ぐのは、私ですね?」
「ええ、それは、変わりません」
「私は、偉大なるエチオピア皇帝へとなります」
彼は義母の目をしっかり見据え、そう誓った。
「それが、両親への……偉大なるイスラエル王ソロモンと、偉大なるシバ王国女王ビルキスへ対する、何よりの親孝行になりますから」
イスメニーは、彼を話した。そして、今度は慈母の目ではなく、女王の目に戻り、目の前の少年を見つめた。
「立派な心構えね、メネリク」
メネリクはもう一度、天球儀を見つめ、うなずいた。エチオピアの空にはいつの間にか、見事な朝日が輝いて、その青緑の宝石、イスラエルの至宝ともいえる宝石を、きらきらと輝かせていた。

ソロモンは、ヒラム・アビフにもらった黒い指輪を引き抜いて、細く突き出た壺の口にひっかけた。よろよろと体をおこし、バルコニーに出る。体の中がぐしゃぐしゃにつぶれているのが、よくわかる。もう、長くは生きられまい。
東の空が白んでいる。生まれてこの方浴びられなかった太陽が、今日もイスラエルを照らそうとしている。ソロモンは今一度、自分の治めたこの国を、イスラエルを一望した。
手すりに手をおいて身体を支えながら、この十四年間傷つけた人々に、心の中で懺悔し、謝罪した。彼らも一人一人、心持つ人間であったのだ、と、今になってはっきりわかることができた。
レハブアムには、気の毒な育て方をしてしまった。今思えば、彼には本当に悪いことをした。謝ってどうにかなるものでもない。だが、せめて私の持つすべて、ユダ王国の王位は、誰が何と言おうとお前以外のものではありえない。ソロモンは心の中、そう誓った。
やがて、東の空から朝日が出てきた。東、ビルキスが、イスラエルにやってきた方角から。
その時、ソロモンは、目を疑った。
朝日の光と一緒に、ビルキスの姿がありありと浮かびあがった。十四年前と何も変わらない、美しく、凛々しい姿が自分の前に立って、両手を広げていた。
「ビルキス」ソロモンは微笑んで、その名を呼んだ。目の前の彼女は、優しく、微笑んでくれた。
「来てくれたのだね。嬉しいよ」
ソロモンは手を伸ばし、彼女と抱きしめあおうとした。
「これからは、ずっと一緒だ。ずっと……」
そして、その言葉が、栄華を極めしソロモン王の、最後の言葉となった。

そのに王宮に上ってきたベナヤは、レハブアムの部屋に行く前に、ソロモンの部屋に行った。
何を考えていたのか、あまりよく覚えていない。マケダが不気味だと言おうとしたのかも、レハブアムに関する抗議をしに行ったのかもしれない。ベナヤ自身も思い出せないことだ。あるいは、神に導かれたのかもしれない。
「陛下」重々しい声で言ったその言葉は、帰らなかった。鍵が開いているのを見て、ベナヤはその中に入った。
そしてベナヤは、見た。

太陽の光を浴びることなく生きてきたソロモン王が、初めてその白亜の体を朝日に輝かせ、立って自分の国イスラエルを見守りながら、こと切れていた。
それはベナヤが見た中で、最も美しい、ソロモン王の姿であった。
いや、ベナヤが見てきた中で、最も美しい光景であった。

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