FC2ブログ
 

クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon エピローグ


夜が明けてイスラエル人がもはや何に驚けばいいやら、とばかりに大騒ぎになったのは、言うまでもない。
王の部屋が荒らされ、王が死に、エチオピア人たちは根こそぎいなくなり、その上神殿から聖櫃が盗み出されていた。
だが、その時を持って最高責任者となったレハブアムは、父もエチオピア人たちも聖櫃も消えた、と聞き、少しの間悲痛な顔をしたのちに、こう言った。
「下手に騒ぐな。僕のものになり得ないものが、皆ぼくの目の前から消えた……僕にとってはただ、それだけの事だ」
レハブアムはもはやエチオピア人たちなどは最初からいなかったかのように扱い、粛々と父の葬儀の関する話を勧めた。そして、聖櫃が盗み出された件については、祭司たちや職人を集め、極秘にレプリカを作れ、と命じた。
石版を目にしたことのある祭司が記憶を頼りに図面を書き、職人たちがこしらえる。三日もかからなかった。はなから内陣に入れない民衆達には何ら知られることなく、「聖櫃」はイスラエル神殿に戻ることとなった。
数少ない人々しか知らなかった騒動は、その一片も、イスラエル人に知られることはなかった。

ソロモンの亡きあとは、レハブアムが無事、王となった。
だがやはり案の定、彼に父ほどの政治能力はなかった。ソロモン王の積み上げた偉業や財産はまだしも、彼が晩年課した重税から民を解放する方法を、若い王は知らなかった。
民が自分たちの税が重すぎる、と訴えた際、彼はさすがに迷った。だが彼の耳に強く響いたのは、ザドク達の告げる「民の事を思い、税を軽くして差し上げて下さい」と言う言葉ではなくベナヤや彼の息子たちが告げる「あなたは王。民に遠慮なさる必要などありません」と言う言葉であった。
叡智の王、栄光の王、イスラエルの最盛期を築いた王。そのような父に関するコンプレックスは結局、レハブアムのままでは永遠に消えないままであったのだろう。のちの時代の記録書には、レハブアムが「私の小指は父の腰よりも太い」と言ったという逸話も残された。レハブアムは確かに、そのような言葉を残しても不思議はなかった。本当にそう思っているものが、わざわざそんな言葉を口に出すはずもない。彼はずっと、悩んでいたのだ、小指のような存在の自分に。そして今や、どう頑張っても、父はこの世にいない、永遠に追いつくことのかなわない存在へとなってしまったのだから。
関係でも何でもなく、純粋な好意、いや、崇拝と言ってもいいようなベナヤとその家族の言葉がレハブアムの心の一番甘く響いたとしても、何も不思議はない。

ただ、そのような王の悩みに民衆が付き合う義理もないのは、また事実だった。そしてそのようなイスラエルの国内情勢を聞きつけて、エジプトから戻ってくる男がいた。ヤロブアムであった。
もはやソロモンはいなくなり、レハブアムという敵にもならない存在以外の邪魔者がいなくなったヤロブアムは、そんな傲慢な王に不満を持つ者が爆発的に増えたイスラエルで、たちまち民衆の期待の星となった。
彼はみるみるうちに数千、数万単位の民衆のリーダーとなり、よくよくレハブアムと直接話し合って交渉の席にも立った。だが懐かしく見る彼が相手だと、レハブアムは一層を劣等感を刺激された。
「お前には、そこがお似合いだ」と、レハブアムは民衆のリーダーとなったヤロブアムに吐き捨てた。

そして、来るべき時が訪れた。民衆はとうとう、レハブアム王に対する不満を爆発させた。
労役の監督アドニラムが、あわてて彼らをいさめに、レハブアムとベナヤと一緒に向かった。だが、頭に血の上った群衆は、口々に罵りながら、アドニラムに石を投げた。一つ、二つと石を投げられたアドニラムがやがて崩れ落ち、動かなくなったのを見て、レハブアム王は震えあがった。
「貴様ら……!」
自らの主が怯える様子を見て、ベナヤは激昂した。民衆たちが、王も打ち殺せ、と叫んでいるのを聞いて、さらに彼は激怒した。
「このお方をどなたと心得る……全イスラエル唯一の王、レハブアム陛下なるぞ!」
彼はソロモンが死んでから、絶対にソロモンの子レハブアム、という呼称は使わなかった。ただ、イスラエルの王、レハブアムと。
我々は税を安くしてほしいだけだ、そんな望みを聞かないものなど王ではない、という群衆の叫びに、彼はこう怒鳴り返した。
「だまれ!貴様らは臣民、この方は王!臣民ならば……王の言うこと、全てに従え!」
ベナヤは数千単位の群衆に、一人剣を抜き、切りかかっていった。血が飛び、周囲に悲鳴が飛んだ。「陛下!」と、響く声とともに、レハブアムは急いで戦車に乗せられ、その場を去らされた。
それが、ベナヤの、この世で何よりも愛した王子レハブアムとの今生の別れとなった。
喧騒が終わったころ、ベナヤは群衆に集団で殴られ憤怒の表情を浮かべたままで、こと切れていたのだ。
彼の最期の言葉に民衆がどんな顔をしたか、彼に果して見えていただろうか。
自分の主人がどのような状態になっていても、彼の言うことこそすべてと盲目的に従い、どんな残酷なことにも心の痛まない王の臣下。昔の正義感あふれる青年のベナヤであったなら、絶対に許さない存在であっただろう。それこそまさに、アドニヤのために命をささげたヨアブ将軍の姿であった。
皮肉にもベナヤは、かつて軽蔑したヨアブと似たような人生を送り、そしてその人生を全うして、イスラエルの将軍として歴史に刻まれたのであった。

それを皮切りに、ヤロブアムは本格的に王に祭り上げられた。もはやレハブアムを王とは認められない、と言う、イスラエルの過半数の民衆に。そしていつしか、イスラエルは二つに分かれていた。
ダビデ王家の属する氏族であるユダ族と、ベニヤミン族の生きる、南ユダ王国。
ヤロブアムを王に、と騒いだ、その他の十士族の作り上げた、北イスラエル王国。
かくして、預言は全て成就した。神の愛したイスラエルはレハブアムの治世になってからいくらもしないうちに南北二つに分かたれ、以後、別々の歴史を歩むこととなった。

そしてレハブアム治める南ユダ王国は、それに引き続き追い打ちをかけられた。ソロモンがいなくなり、後を継いだ息子も無能の極みでついに王国の半分に逃げられた、と目を付けたファラオによって攻め込まれ、属国となってしまったのである。まだ年若かったベナヤの息子たちも、その戦争であっさりと命を落とした。レハブアムの治世の、まだ、たったの五年目の事であった。

それからさらに数年後。戦い、逃げられ、搾取されたイスラエル、いや、今や南ユダ王国もようやくそれなりに落ち着いたころに、レハブアム王にめずらしい客が来た。
彼はエチオピアの若い皇帝、名前をメネリクと言った。
「エチオピア……懐かしい」メネリクを丁重に迎えたレハブアムは、食事の席でそう語った。
「私がまだ若いころ、エチオピアの女王と姫がここに来ました」
「はい。存じております」メネリクはそう言った。
「妹がイスラエルに行ったきり不思議に消えてから、私が皇帝となりました……けれども、私はずっと、イスラエルに来てみたかったのです。妹はこの国を、本当に気に入っていたようですから」
「そうですか」レハブアムは、かつての初恋の少女の面影を思い出して。懐かしそうに微笑んだ。「それは、よかった……」

宴会が終わってからも、二人は一対一で静かに酒を飲み交わした。床に引きずるほどの足を完全に覆い隠すローブ、まるで女性が着るようなそれを王の部屋の床に泳がせて、メネリクは話した。
「ことに貴方は、大変奥さんを愛していらしっているとか」
「ええ、そうなんです」レハブアムは静かに答える。
「父の妻も引き継ぎましたし、何人か迎えはしましたが……マアカに勝る女は、いません」
「噂通りですね」メネリクは久々に飲むエルサレムの葡萄酒は何処か味が変わった、と思いながら、杯を傾けた。
「いえ、でも意外でしょうが……若いころ彼女と婚約者だった頃は、私は本当に彼女のことが嫌いだったのですよ。今思えば、失礼なほどに……けれど、王国も割れて、一番愛していた忠臣も死んで、エジプトも攻め込んできて……私には、何もなかったのです。偉大な父からは本当に、目に見えるモノ以外の者は何も受け継ぎませんでした。そのモノすらもどんどんとられて、私と言う人間の申しわけ程度の価値もなくなっていく中、彼女は本当に、私の隣に居続け、私を励ましてくれたのです。それでいつしか……私にとっても、彼女が掛け替えのない存在となりました」
「良い話ですな……本当に幸せそうな御夫婦仲で、何より」
メネリクは目を細めて笑う。その真意を、勿論レハブアムは理解などできはしないだろうが。
「ところであなたは……ソロモンの子であるということに、大変劣等感を抱いておられる……いえ、無理からぬ話だとは思います。おつらかったでしょう。天才の父と比べられるのは。そしてその父がもうこの世にはおず……もはやどれほど努力しても届かない存在になってしまったことは」
メネリクは、レハブアムの目をじっと見つめて問いかけた。金色の目に見つめられるのは、彼も久々であっただろう。
「ですが……この私、貴方の友メネリクが、僭越ながら申すことです。貴方はどれほど拒もうと、ソロモンの息子です。そしてそれは、貴方を苦しめる者であるかもしれませんが、同時に……父が貴方に与えもうた、モノではない遺産の一つで、あるはずです。ですから……どうかお大事になさってください」
何故、彼はそのようなことを語るのか、レハブアムには、分かっていただろうか、メネリクは、言葉を言い終わってから、レハブアムの指に綺麗にはまった指輪を見つめた。ダビデ王家の、真紅のルビーの指輪を。
「……ありがとうございます。メネリク殿」レハブアムは静かにその言葉を受け止めた。
「そうですね……どれ程まで落ちぶれようと、私は、ソロモンのこの世でたった一人の息子ですから……」
そう微笑んだ彼を見て、メネリクも、微笑んだ。やはりレハブアムにも、うすうすと分かっていたのかもしれない。あの幼かった王子も、もう流石に、大人になっていた。
イスラエルの情勢を聞き、メネリクは決断したのだ。自分の血筋も、聖櫃の存在も、門外不出の王家の秘密にすると。これから混迷の時代を迎えるイスラエル、そこに異国にソロモンの息子がいると知られれば、また事態はややこしくなる。契約の箱を与えられたというのであれば、なおさらだ。
父の築いた国がさらなる混乱に見舞われる事を、メネリクは望まなかった。だから、黙っていようと決めた。時が来るまで。例えその時が、自分の生きている間には来無かろうとも。
そして目の前のレハブアムを見て、自分の判断は間違ってていなかった、と悟った。父の偉業をはぎ取られた彼はようやく、ソロモンの子レハブアム、と言う称号に、少しだけ誇りを感じられるようになったかのようだった。

南ユダと北イスラエルはその後、一つになることはなかった。アヒヤの見抜いた通り、結局神に従う王とはなれなかったヤロブアムが死んでも。父以上の事は最後までできないままに悪い王として歴史に名を刻まれたレハブアムが死んでも。
数百年後、二つの王国が滅ぼされ、ヘブライ人が離散の民となるまで、二つの王国は分かたれ続けたままであった。一代で終わりを告げたソロモン王の栄光の時代は、その後また苦難の道を歩み続けたイスラエル人にとって、夢のような伝説の時代として、語り継がれていった。

波風が打ち付ける、湖のほとりの宮殿。バルコニーでその様子を眺めながら、バセマトは言った。
「イエドさん。今日も、湖が綺麗ね」
「ええ、そうですね……」
「あなたもそう思うでしょ?」
「うむ」バセマトの夫アヒマアツも、穏やかに言い返す。
ヤロブアムは悪政を敷いたが、バセマトの嫁いだナフタリの土地は、ほぼ彼らに任されることとなった。
全ては、ヤロブアムが王へ、となった時彼に巧みに取り入り好条件を引き出したバセマトの手腕。アヒマアツもすっかり頭があがらず、なおかつこの、さすがソロモンの娘と言うほど切れ者の妻に、好意と感心を抱いたものだった。
何もかもをわかっていた彼らが守ろうとしたのは、望んだものは、北イスラエルでも南ユダでもなかった。このさびれた北の土地、湖のほとりの土地だった。だが、これでいい。
イスラエルの王権と神が、分かたれる。神を選ぶと決めた彼らは、この土地を守り、この土地に生きると決めたのだ。
その土地は後に、ガリラヤ、と呼ばれる土地。
シバの女王が預言した男が、救い主がその地に現れるまでには、まだ、長い長い時間を要した。


(完結)

スポンサーサイト

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する