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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第六話

ダビデの神殿建設はなかなか先に進まなかった。誰も満足するような神殿の設計を作ることができなかったからだ。材料や職人のルートは確保できたものの、設計図がない事には作業を始められるわけがない。腕利きの建築士たちが設計しても、ダビデは首を縦にふらなかった。持ってこられるものすべてが神の御心に叶うものではないように、彼には思えていた。


ソロモンは長い間、外に出なかった。アブサロムが彼に負わせた傷はかなりの重傷だった。灰に埋もれたせいでできた火傷もあって、そもそも起き上がること自体が困難だった。ナタンは医者を呼んで治療にあたらせた。しかし看病する人間は誰もいなかった。定期的にナタンと医者が来て様子を見るだけで、ソロモンはいつもと変わらず一人で置いておかれた。医者すらも自分の事を気味悪そうにじろじろ見るのをソロモンは見届けた。別に今さら心の痛むことではない。彼は医者に一言も口をきかなかった。痛いかと言われても首を振るだけで答えた。爪の噛み癖が戻ってきて、しばらく噛まずにおかれていた長い爪がまた一気にぎざぎざの深爪になった。
シクラメンの灰を彼は全てマントに包んで部屋に運び込み、床いっぱいに散らばしていた。風が灰をさらって行ってしまうのが許せなかった。医者もナタンも足の踏み場に困っているようだったが、ナタンはかわいがっていた花を失った彼の気持ちもわかると言って、彼を好きにさせておいた。
長い間、彼は図面を描けはしなかったが、そもそも描く気にもなれなかった。彼はただ、時折の痛みに耐えながら一日中寝台の上にいて、天井を眺めていた。
ナタンから見るソロモンは、前にもまして一層薄気味が悪くなった。いつみても彼は険しそうな表情をしていた。アブサロムがどうなったかを聞きすらしなかった。ダビデは猫を失ったタマルとアブサロムの気持ちにも同情できると二人に何の罰も下さなかったのでそのことを告げなければならないかと思うと心が重かったが、実際には告げる必要すらなかった。思い切って自分がその話が気にならないのかと切り出してみると、ソロモンはぼそりと「父はアブサロムを罰しはしない」とだけ答えた。それだけ話して、彼はずっと黙り込んでいた。
何かを考えているのではないか、とナタンは恐れた。しかし恐れたところでどうにもならない。自分の教育係だからと心を開いて何でも話すような子供では、ソロモンは断じてない。それはダビデもよく存じていることだ。結局、ナタンはソロモンを放っておくことにした。
ナタンの目から見ても、今回、アブサロムとタマルは少々わがままに思えた。彼らだって猫を愛していたのだろうが、ソロモンもあの花畑を可愛がっていたのだ。王宮の端にひっそりと咲き誇る花園と、黒いマントに身を包んだソロモンの姿をナタンは数回遠巻きに見ていた。誰にも心を開かないソロモンが、唯一シクラメン相手には楽しそうに接していたのを見た。珍しく、彼が子供らしい表情をしているようにすら思えた。それを台無しにされたのに謝られるどころか一方的に怒られ、侮辱され、こんな体になるまで蹴られたのだ。それなのにアブサロム達に何の咎めもないままとは、理不尽と思うのもさすがにうなずける。それに加え、何者かに残ったシクラメンまで全部燃やされたのだから、たった十一歳の子供に覆いかぶさった屈辱とショックは相当大きなものであるに違いない。だからこのようにいつにもましてふさぎ込んでいるのだ。ナタンはそう自分に言い聞かせた。だからこそ部屋の灰を取り払う気にもなれなかった。ソロモンがしたいのならばさせてやろうと彼は思っていた。


ソロモンはじっと、天井を見つめて考えていた分かりきっている。ダビデはアブサロムを罰しはしないのだ。
何が彼をそうさせるのだろうか?アブサロムが誰よりも優秀でかわいい子だからだろうか?自分が尊厳を守ってやるほど価値のない存在だからだろうか?もはやそういう問題でもないかのように思えた。ダビデは何をしたいのだろうか?若い日に英雄とあがめられた偉大な父王は息子たちに何を望んでいるのだろうか。
ソロモンは思った。彼はおそらく安寧を望んでいるのだ。栄光を得た彼は命を閉じるその日まで、何も変わらないままでいたいのだ。
彼は神殿に着手した。神にすがり始めた。おそらく彼は何かを不安に思っているのだろう。それは一体なんだろうか?ダビデも若くはない。彼はだんだん、老人になろうとしている。普通の男ならば揺らぐ年齢になっても揺らぎはしなかったさしもの美しさにも多少の陰りが出てきたようだ。肌は張りを失い、髪には白いものが混ざり始めてきた。彼はもはや変化したくないのだ。彼は自らの身に老いの影、死の影が迫りくるのを自覚し始めてきたのだ。一生を安寧のうちに終えたいのだ。もうこれ以上心煩わすものがあってほしくはないのだ。ナタンの預言の事を知らないソロモンは、そのことを頭に入れることはできない。しかし、彼は父のその心境を確信した。
「(しかし、変わらないということは、俺はダビデが死ぬまでこのままだということだ)」
ソロモンは寝台から這って出ると、部屋の隅に転がしてあった機材を引っ張り出した。例の虫よけ薬を造るにあたって手に入れたものである。彼はもう一つ、木箱を取り出した。これも例の薬を造るにあたってナタンに持ってこさせたもののあまりで、様々な草や植物の実を干したものが入っていた。ソロモンは調合用の容器に水差しの水を注ぎこんだ。今ナタンが出ていったばかりだから、あとしばらくは戻ってはこなかろう。
「(父なんぞに頼ってはいられない。俺の身は俺が守るんだ。そして俺の尊厳も、俺でなくては守れない。全て俺自身でやらなければならないんだ)」
体中がバラバラになりそうに痛い。ここまで暴力を振るっても、アブサロムにはとがめはなく、ダビデは自分の顔すら見に来ない。変わらないでいろとはなんと残酷なことなのか。ダビデはいつ死ぬのだ。あと十年か、二十年か。その間自分は死ぬか、さげすまれながら生きるかどちらかの選択肢しかないのか。父の人生はさぞや優美に終わることだろう。
「(俺は俺の人生の長らくを、貴方の人生のために傷つけなくてはならないのか!?そんなことをするほどに、貴方は俺に恩をかぶせたか!?パピルス紙とペンと小汚い小部屋がそれほどにまで高価なのか!?ああ、それとも、俺の人生はそれほどまでに軽いのか!?新しい選択肢を待ってなんかいられるか!それは俺が、俺だけのために作り出すしか方法はない!)」
数種類の薬草をわしづかみにし、彼は容器の中にそれを放り込んだ。そしてシクラメンの灰をその中に混ぜ、怒りを込めたようにすりつぶし始めた。
「(待っていろ、アブサロム。俺はお前に復讐してやる。お前が罪を犯したのも、お前の処刑を願うのも、この世に俺しかいないのだから)」
過ぎ越しの祭りが数日後に控えていた。その日に彼は、計画を決行するつもりでいた。


神殿造りの難航を受けて、王宮は落ち着きがなかった。アブサロムはそれがあまり気持ちいいと思わなかった。
ソロモンはあの後すっかり寝込んでしまったと聞く。罪悪感は一片もわかなかった。いい気味だとすら思えた。父を煩わし、妹を悲しませる化け物などこれを機にさっぱり死んでしまえ、とすら彼は思っていた。
タマルのもとには新しい猫がやってきた。白い毛と左右で違う目の色が美しい猫だったが、タマルは死んでしまった猫を忘れる気になれないようだった。そこが一層、ソロモンの事を腹立たしい存在と思わせた。
「(僕を差し置いて)」
しかしもうあそこまでやったからにはソロモンも少しは自分の身分と言うものをわかるだろうと思い、アブサロムはかわりにアキトフェルの言った一言を思い出していた。はっきり言うと、自分の心の中には確かにその一言があったような気がする。この台詞に含まれているのは、なにもソロモンの侮蔑の念だけではない。自分もまた、あるべき順序を差し置いて王になれるのだという思いあってこその台詞だ。
「(僕は、僕が思っている以上に出世欲があるらしい)」
アブサロムはそう実感した。
「(いや、よすんだな。下手なことをして将来を棒に振りたくはない。僕は弟なんだし、アムノンの臣下だ。それで将来が保証されているんだから、結構な話じゃないか)」
アブサロムはそう自分で自分に言い聞かせた。しばらくは王宮も過ぎ越しの祭りの準備で忙しい。なかなか進まない神殿造りにかまけている暇はないはずだ。彼は妹のもとに向かいながら、心配事を頭の中から消した。


ソロモンは容器の中の液体を数粒の小麦に浸し、それをネズミの目の前にばらまいた。ソロモンの部屋に侵入してきたネズミは、捕まえられたにもかかわらず何かを差し出されたのに困惑したようにも見えたが、やがて素直にそれを食べた。
ものの数分もしないうちにネズミの体に異変が起きた。つまみあげながらそれを観察したソロモンは、にやりと笑った。後ろでは、ベリアルも一緒ににやにやした笑いを浮かべて喜んでいた。その時、ちょうど日がくれた。明日はニサンの月の15日、過ぎ越しの祭りが始まる日だ。


星明りに照らされながら、ソロモンとベリアルは夜の宮殿を歩いた。手には、例の容器を持っている。王宮にいるのは彼らだけだ。足音も立てずに、静寂に溶け込むように、彼らは彼らだけの世界となった王宮を渡り歩いた。
ソロモンは過ぎ越しの祭りのために諸々のものが用意されている倉庫のそばに来た。当然鍵はかかっていたが、彼は針金でそれを難なく外した。ベリアルのいない時分には暇つぶしによくやっていたことだ。
彼は過ぎ越しの祭りで使うために並べられている王族のカップを手に取った。
「君は優しいねえ、ソロモン」猫なで声で、ベリアルが言った。
「俺は俺の報復をするだけさ」
ソロモンはそのカップの内側に例の液体を塗りつけた。液体はたちまち気化していって、薄い粉末がグラスにこびりついた。それらはカップのこすれと混ざり、簡単には分からなく思えた。
カップを見つめながら、ソロモンは言った。
「アブサロムは俺を殺さなかった。なら、俺もアブサロムを殺さないでいてやろうじゃないか。俺は奪われただけだ。愛しているものを奪われただけだ。アブサロムにも同じだけ、その苦しみを味わわせてやろうじゃないか」
彼はカップをもとの場所に戻すと早足で部屋を出て、元通り針金で鍵を閉め、何事もなかったかのようにまた夜の宮殿を闊歩し始めた。薬を塗られたカップも何事もなかったかのように、冷たい倉庫の中に鎮座していた。数ある中でも二番目に豪華に飾られたそれは、第一王子の使うカップだった。


次の日暮れに、過ぎ越しの祭りが始まり、晩餐が催された。
アブサロムもタマルを連れてそれに来た。ダビデの王子ももういい年になって、王宮とは別に家を持って暮らしているものも多い。アブサロムも普段はそうだった。それでも、この日には一堂に会するのだ。
「ああ。こんばんは、アドニヤ。やあキルアブ、久々だね、元気だったかな。ああ、イトレアム、ごきげんよう……」彼はダビデの他の王子たちにきわめて笑顔であいさつした。父の、「息子同士で争ってはくれるな」という言葉を思い返していた。
その時、ふと一人、目立つ人影が見えた。
「ソロモン!?」彼は叫んだ。まだ傷が完治していないと見えて少し体を引きずるようにしていたが、ソロモンが王子たちの中に混ざっていた。すでに日は暮れていたので、例の黒いマントは彼の体を覆ってはおらず、彼は長い白髪をあらわにしていた。しかし、なぜか彼はそれで非常に堂々としているように見えた。そんな彼の姿を、アブサロムは初めて見る。いや、誰でも初めてだ。ソロモンがそうであったことなど一回もなかった。
「なんでここにいるんだ」
「過ぎ越しの祭りですから。私も王子として出席する義務はあります」
敵意をあらわにそういうアブサロムに、ソロモンは冷静にはっきりと答えていった。確かに言葉ではその通りなのだが、そうは言いつつソロモンはこのような祭儀の時に姿を現したことなどほとんどない。それがこのタイミングで来るなんて、とアブサロムは警戒心を感じた。
「(もしや僕の事を、ほかの奴らに言うつもりじゃ?)」
そう思いはしたが、その考えはすぐに馬鹿馬鹿しいものだと撤回した。他の王子たちだって、ソロモンよりはアブサロムのほうを信じるだろう。いざとなったらうまく言いくるめればいい。
「ソロモン、お前、僕らの前によくものうのうと顔を出せたね」
だからこそ、アブサロムは威嚇するように語気を強めて彼にそう言った。彼の後ろのタマルも、ソロモンの事を睨みつけていた。
「本当はもっと早く来たかったですよ。私をそうできなくさせたのは貴方です」悪びれもせずにソロモンはそう返した。
アブサロムはかっとなって、腕を振り上げた。しかし、それは振り下ろされなかった。振り返ると、アブサロムのすぐ下の異母弟であるアドニヤが立って、彼の腕を制止していた。
「よしたまえよ、アブサロム。何があったか知らないが宴会の席じゃないか。こういう時はみんなで楽しまきゃ」彼はそういってアブサロムをなだめた。「ソロモン。君が来るなんて珍しいね。会ったのは何年振りかな」
「おそらく三年です」
「そうだったかな?……うん、君はよく覚えてるね。ところで、歩き方がおかしいけど、怪我でもしているのかい?」
アブサロムはその質問にぎょっとした。しかし、ソロモンは間髪をいれずに言った。
「そういったところです。階段から足を踏み外して」
「気を付けたまえよ、君はあまり体が強そうじゃないんだから」
笑いながらアドニヤは去っていった。ソロモンはアブサロムのほうを見て、にやりと笑った。
「借りを作ったつもりか?」
「まさか」
そうとだけ短く会話して、ソロモンはさっさと端の方に自分の席をとってしまった。
その時、ふっと背筋が寒くなったように、アブサロムには感じられた。彼がそれを気に留めずにいなかったことは、彼にとっての悲劇だったと言えよう。


過ぎ越しの祭りはソロモンの存在以外は何も特筆すべきところなく、例年通り順当に終わった。そのソロモンすらも、マントこそかぶっていなかったがきわめて口数は少なく、終始控えめな態度だった。最初のほうこそ彼の姿に動揺していた他の王子たちも、宴会が進んで酒が入るにつれだんだんとソロモンの事は気にも留めないようになっていた。彼らは長男のアムノンを中心に、楽しそうに盛り上がった。
アブサロムはソロモンが自分への復讐のため何かしでかすのではと思い彼に注意をはらっていたが、彼は全くその予兆も見せなかった。とうとうアブサロム自身にも酒がまわって、彼もソロモンの事は気にも留めずはしゃいだ。


それから数日立つ頃には、彼はもう、ソロモンの事は忘れかけていた。王宮に来ても、忌々しい気分にはならなかった。彼は妹に会いに、女たちの住む宮に足を急がせた。
だが彼の期待とは裏腹にタマルの侍女が、彼女の不在を告げた。

「なんだって?タマルはどこに行ってるんだ」
「アムノン様のところでございます」
「アムノンの?何のために」
「なんでもはやり病にかかってしまって。元気をつけるためにタマル様の作ったお菓子が食べたいとか……」
侍女はそれ以上は知らないようだった。アブサロムは誇らしく思った。妹の価値が、次に王位を継ぐアムノンにも認められているのだと思うと、嬉しかった。彼は妹が帰るまで待ちたいと言い、言葉通りタマルの部屋で待った。

夕方ごろになって、ようやくタマルは帰ってきた。
「タマル、お前の帰りを待って……」
アブサロムが言い終わらないうちに、タマルはよろよろと彼の胸元にしなだれかかった。彼女の顔は真っ青になっていた。世にも恐ろしいものを見たかのような恐怖と絶望に彩られていた。
ただならぬ異常事態を感じたアブサロムは、叫ぶように言った。
「タマル、どうしたんだ!?」
「お兄様、私……私……」
絶望の面差しで、彼女はアブサロムに言った。
「私……もう、生きてはいけない」

タマルはアムノンに強姦されていた。


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