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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第九話


アブサロムはゲシュルに行ったきり、彼のほうからは何も言ってこなかった。ゲシュルの地の、母親の親戚のところに彼は身を寄せて、そこで何をするでもなく、やはり腕にはめたタマルの髪の毛の腕輪を撫でながら一日中無気力にしていたそうだ。昔の彼を知る母の親戚は、それを見て心を痛めていた。

彼がイスラエルに戻ってくるまで、随分と時間を要した。アブサロムも何も言わなければ、ダビデも何も言わなかったからだ。最終的に口火を切ったのはイスラエル軍の最高司令官であるヨアブだった。彼はダビデの親戚で、彼に仕える者の中でも、かなりの古株だった。ダビデに非常に強い忠誠心を誓っていることで知られた男だった。
「アブサロムのしたいようにすればいい」と、ダビデが最初取り合わなかったことに、ヨアブは腹を立てた。「それによいではないか。奴は兄を殺したのだ。第一王子を殺したのだ。国外追放の手間が省けたとでも思っておけ」彼はヨアブに目もあわさずにそう言った。
自分が仕えた時のダビデ王と、何と違ってしまったのだろうか。ヨアブはダビデに仕えてからもう長い。彼が今のような絶対的権力を持つ前、ひとつ前のサウル王の治世の頃からの付き合いだ。昔の彼はこんなものではなかった。彼は輝かしかった。血なまぐさい戦場の中にあって、彼一人が戦地を照らす太陽のように美しく燦然と輝いていると思えた。今このように目の前の問題から目をそむけ、自分の気持ちにも嘘をつくダビデなどヨアブは見たくなかった。ヨアブは、ダビデがアブサロムに未練を持っていることを知っていた。
アブサロムはダビデにとっても、またイスラエルにとっても重要なのだ。アムノンが死んで以来、ダビデの心はもともと特別に目をかけていたアブサロムにむしろ傾いているのをヨアブは見ていた。彼はアブサロムの不在に心を痛めているように思えた。彼はまだ、息子がかわいいのだ。無理もない。ダビデに息子は数居れど、アブサロムは極めて出来がよかったのだから。
おまけに、第一王子であるアムノンが死んだことで、後継者争いの問題も発生してきた。一応、後には第二王子であり、カルメル地方に住む貴族の娘であったアビガイルとの間に生まれたキルアブという名の男子がいた。だが彼はそもそも昔から自分は王の器ではないと言い、今では王宮を離れて母親の故郷で長官としてそれなりの暮らしを送り、それで満足しているようだった。控えめなことは悪いことではないが、確かにこの負けん気の無さは王には向かないとヨアブも感じていた。事実、彼はアムノンの死を受けても王になる気はさらさらないらしかった。
となれば、順当に行けば次の順位は第三王子であるアブサロムだ。これはかなりの大きなことだった。もともと、アムノンの生前から容姿も実力も聡明さも兼ね備えるアブサロムは人気があった。少なからぬ人がアブサロムこそ王に相応しいとほめそやしていた。アムノンがそれを笑って許していたので、大事には至っていなかったまでだ。だが、第一王子が死に、第二王子が王位継承を拒否した今、彼らの言葉が現実になろうとしている。アブサロムを慕う彼らは興奮していた。そしてヨアブの目から見ても、アブサロムが王に相応しいように思えた。ダビデも長くはない。後継者問題は深刻だ。アブサロムはイスラエルに居なければならない。あと十年か二十年後にやってくるであろう王の死のそばに寄り添うために。そして、その後その王冠を受け継ぐために。
最終的に彼は知り合いの女に依頼して、一芝居うってもらうことを考えた。つまり、彼女を息子を二人持っている未亡人に仕立て上げ、弟息子が兄息子をちょっとしたいさかいで殺してしまい、親戚中から弟を殺せと迫られている、とダビデに言うように、彼女に言ったのだ。女性の地位の低いイスラエルにおいては、女性一人での生活は非常に難しい。未亡人ともなれば、彼女の生活を支えるのは彼女の男児しかいない。息子を完全に失うというのは未亡人にとって社会的な最大の損失である。なので、弟息子がどのようなことをしでかそうと、彼には生きていてもらう必要がある。それに何より、どんなことをしても息子は息子、可愛い息子を殺すなどできない。だから弟息子を周囲の反対を押し切り生かすため、ダビデにお墨付きをもらいたい、と言う設定のもと、彼は彼女をダビデのもとに送り出した。
ダビデはと言えば、嬉しいことにあっさりとその芝居に引っかかってくれた。彼は弟息子が今は逃亡していると聞いて、彼を引き戻すように言い、また何の罪咎めもうけさせないと墨付きを付けた。あとは簡単だった。ヨアブと彼女は、それならばあなたの息子も同じことだ、アブサロムを連れ戻してくれ、アブサロムを失いたくないあなたの気持ちも、アブサロムを失う損失も、そっくりそのまま同じようなものだろう、とたたみかけた。ダビデは言ってしまった手前と、とうとう根負けしたのもあってか「よろしい。ヨアブ。お前に命じるから、アブサロムを連れ戻してこい」と彼に命令した。

そんないきさつで、アブサロムはイスラエルに連れ戻された。アブサロム自身は何も言わなかった。イスラエルにつくまで、ヨアブが彼の護衛をした。久しぶりにアブサロムの姿を見て、彼は愕然とした。アブサロムはアムノンに復讐する前以上に、何もかもが抜け落ちてしまったような様子だったからだ。よく光っていた眼はすっかり濁って、肌の色は幾分不健康になったようだった。しまりのある肉体も、心なしか少しだけ衰えてしまったように見える。なによりも、あの美しかった髪はひどく艶を失っていた。
「父上様は、本当に僕と会うことを望んでいるのか?」虚ろな目でアブサロムは言った。
「もちろんのことです。殿下」
ヨアブは確信した口調で答えた。自分とて、ダビデとの付き合いは長いのだ。彼がどれほどアブサロムに対する愛を捨てきれていないかはヨアブ自身が承知している。きっとダビデはアブサロムにすぐ会うだろうと彼は確信していた。

ところが、事態はなにもかも、ヨアブが踏んだようにはいかなかった。

彼の予想に反して、ダビデはアブサロムに会おうともせず、謹慎を命じた。彼がまだ葛藤しているらしいことに、ヨアブはひどく落胆した。
「陛下はいつの間にこれほど歯切れが悪くなってしまったのか」
年老いはじめたダビデの姿を思い出しながら、ヨアブはため息をついた。昔のダビデならば、すっぱりと許すなり、許さずに処刑にするなり、何かしらをしたはずだ。しかし、今の彼にはどうやらどちらもできないらしい。アムノンへの父としての手前と、アブサロムへの捨てきれない愛情、どちらも捨てきれないままどっちつかずでいるのだ。彼は王の仕事は今まで通り着々とこなし、その仕事ぶりに特にそつがあるようにも思えなかった。ただ、アブサロムの件に関しては答えを先送りに、先送りにした。謹慎を解くとも何とも云わず、彼自身の感情に関しては一言も言及することはないままで、結局ろくに事態は進展しなかった。その話が出るたびにダビデ自身もつらそうにため息を繰り返すため、いまひとつダビデを恨む気にもなれなかったのもまたヨアブにとって悩みどころであった。繰り返すが、昔のダビデならあり得ないとヨアブは思った。何が彼を変えたのか、彼を変えた得体も知れない何かを、ヨアブは何より恨めしく感じた。
アブサロムにしても、引きこもる先がゲシュルの親戚の家から再びイスラエルの自宅に戻っただけの話で、何も変わりはなかった。立派な装いで王子らしく振舞うことを、もはや彼はしなかった。それどころか、彼は呼び返されたにもかかわらず父親が冷たい態度をとることに絶望したらしく、今ではひどく酒を飲むようになっていた。ダビデどころか、アブサロムにもだんだんヨアブは幻滅し始めてきた。こんな王子ではなかったはずだ。自分がアブサロムを呼び戻そうと思ったのは、アブサロムこそ王位に相応しいと思っていたから、と言うのも大いにあるのだ。こんな無気力な青年ならば、キルアブのほうが何倍もましではないか。
ヨアブはなんとか二人の仲を取り持とうと、何日も何日も懸命に王宮に通い、王に直訴した。しかし、ダビデは生返事しかしなかった。

ある日、彼はその件で忙しかった中何とか時間を作って、久々に自分の地所に帰ってきた。彼はどちらも煮え切らない親子に少し苛立っていた。しかし、忠誠を誓うダビデのためと思えばこそ、このような面倒な事態であっても苦も無くいられるのだ。久しぶりに会う家族は、自分を温かく迎えてくれた。しかし、やはり彼の頭の中はどうやってアブサロムとダビデを和解させるかのことでいっぱいで、なかなか家族との会話に身が入らなかった。
夜に、彼は眠れずにぼんやりと窓の上から、自分の地所の大麦の畑を見つめた。月の光に照らされたそれは夜風を受けて酷くざわめいていた。ふと、畑の中に何か人影が見えるのがわかった。彼は畑に何かを撒いていた。こんな時間に召使たちも農作業をしないだろうし、誰だと思って彼は身を乗り出した、そして月明かりに照らされたその姿を見て、彼は驚いた。
「アブサロム殿下?」
その時、アブサロムは手に持ったたいまつを畑の中に放り込んだ。大麦畑は一瞬で火の海になった。アブサロムはその場に立ち尽くしていた。

彼は大声を上げて召使たちを呼び、畑に向かった。確かにアブサロムと自分の地所は非常に近い。来ようと思えばすぐ来ることのできる距離だ。しかし、彼がなぜそのような行動をしたのか、彼の頭は混乱していた。
大麦はかなり燃えてしまったが、幸い火はすぐに消されたため酷い火事騒ぎにはならずに済んだ。アブサロムも少し髪の毛の先が焦げてしまった程度で、大きな火傷もなく、無事に保護できた。

「どうしてこのようなことを?殿下」ひとまず自分の家に彼を寝かせて、ヨアブはあくまで落ち着こうと努めて彼に言った。アブサロムは酔っているようで、多少おぼつかない口調でこういった。
「お前に何度も使いを送っている、なんで返事をよこさない」
アブサロムが言うには、アブサロムはヨアブの家に何度も、ダビデに取り合ってくれるように依頼の手紙を出していたそうだ。しかし、単独でダビデに交渉していたヨアブのもとにそれは届かず、結果、アブサロムはヨアブに無視をされていると思って彼への報復のためと、畑に火をつけたらしい。
「こんなくらいなら、僕はゲシュルにいたほうがましだった。イスラエルはまだ、タマルの思い出がある。タマルの事を忘れられない」
彼はそうぼそぼそと語った。ヨアブはその場では怒りを収め、次の朝彼を家に送り返した。しかし、内心では彼に溜め込んでいた不満が彼の炎によってふつふつと煮え立たされたような気分だった。


一体どうしてアブサロムはこんな風になってしまったのか。ヨアブはこの放火のことを報告せんと、王宮のダビデのもとに向かっていた。いくらなんでも堪忍袋の緒が切れそうだ。ダビデは許せるが、彼は所詮ダビデの息子でしかない。ここまで世話を焼いてやる義理がどこにあるというのだ。昔の威厳に満ちていた彼ならまだしも、こんな気力も何も抜け落ちていしまった若者を世話してやっている自分すらひどく情けないように、ヨアブには思えた。
「どうしたんだい?ヨアブ将軍。ひどく憂鬱そうな顔をしているが」
ふと、声が聞こえた。振り返ると、アドニヤがいた。
「アドニヤ殿下」ヨアブは深くお辞儀した。
「何か気になることがあるようだね」
「いえ、殿下のお耳に入れるほどの事でも」
「そんなこと言ってくれるなよ、ぼくも暇なんだ」
アドニヤはヨアブの肩にポンと手を置いた。
「ぼくにできることなら手伝わせてくれたまえ。貴方が父の臣下なら、ぼくの臣下でもあるんだ。臣下の心配をしないわけにはいかないだろう?」
彼はそういってヨアブに笑いかけた。ヨアブはたった一人で二人分の我がままに付き合わされていたのもあって、ちょうど助け舟がほしい気分だったので、彼がこう言ってくれるのは願ってもない事だった。
彼は一部始終を洗いざらいアドニヤに語って聞かせた。「そういうことか」と彼はうなずいた。
「よし、ぼくも一緒に父上に直訴に行こう。君ひとりよりも、少しはたしになるだろう」
彼はそういって、ヨアブと並んで歩き始めた。最近一人で精神をすり減らしていたヨアブには、今までそう気にもしていなかったアドニヤがひどく頼りがいのある存在に思えた。

父が会ってくれないショックで放火までしでかしたのと、アドニヤも一緒になって懸命に頼んでくれたおかげで、ようやくダビデはアブサロムの謹慎を解くことを命じた。数日後、ダビデとアブサロムは再開し、親子の抱擁を交わした。ヨアブはやっと一息ついた。
彼のそばに立つアドニヤが「よかったね、将軍。君のおかげだ。ぼくからもダビデの息子、アブサロムの弟として礼を言わせてくれ。ありがとう」と、ヨアブそっちのけで再開の言葉を交わしあうダビデとアブサロムの脇で、彼をそうねぎらった。ヨアブはボロボロになったアブサロムと、隣に立つ青年を見比べて、少し、不思議な気分に襲われた。



謹慎が解けてから、アブサロムは少しずつ王宮にも来るようになった。しかし、父との仲はぎくしゃくしたままだった。そして何より、彼の無気力は完全にそのままだった。彼は常にタマルの髪の毛の腕輪を外そうとせず大量の酒を煽り続けた。
そんなある日、彼のもとに来客が来た。
「アブサロム様、ご無沙汰しております。ご達者でしたか?」という声には、聞き覚えがあった。
「アキトフェル!?」
来客の正体は、あのダビデの軍師、アキトフェルだった。

「アブサロム様、これほどお酒を召し上がってしまってはお体に毒でございます」
以前と変わらず、少しねちっこい低い声でアキトフェルはアブサロムに言った。アブサロムは彼に目も合わせずに言った。
「酒を飲まないとやっていけないんだ。何もかもつらい」
「ほう、それはなぜ?」
「何故だろうな……タマルの復讐を、果たしたはずなんだが」
彼はぐったりと背もたれつきの椅子に寄りかかって、虚空を見つめて話した。
「そうだ……むしろ、タマルの復讐を果たしてから、一気にこうなったんだ。ゲシュルについてから、本当に、何もやる気がなくなった」
そう語るアブサロムを見て、アキトフェルが言葉を飲み込むようにうなずいた。あのアムノンが死んだ日、ヨナダブが王の間でぶちまけた言葉から、結局、アムノンがタマルにやったことはすべて明るみに出たので、アキトフェルは何のことかは理解していた。
「あのときは、本当に精神が高揚していたんだ。アムノンが死んで、本当に胸がスカッとした。アムノンの死体を何重にも切り刻んださ。こいつがタマルの人生を奪ったんだと思えば、憎くて憎くて、しょうがなかった」
アブサロムは酒のコップをサイドテーブルに乱暴に置くと、頭を抱えてつづけた。
「でも、むしろ復讐してから、タマルを失った時以上に、ひどい喪失感から抜け出せないんだ……なんて空虚なんだ、これが復讐か?僕はなんて不毛なことしたんだろう、と……アムノンに同情するわけじゃないさ、あいつに同情してやる価値なんぞあるものか。でもとにかく、僕はあいつを殺したことでタマルと同じくらい大切なものを捨ててしまった気がするんだよ。なんというか……人間として空っぽになってしまった気分なんだ」
うなだれる彼の頭に、アキトフェルは自分の片手を置いた。
「アブサロム王子。アムノンが死に、キルアブが王位を継ぐ気のない今、貴方様が王位継承者であります」
「知ってるさ。でもなんだか、ピンとこないんだ、はっきりって、嬉しくもなんともない」アブサロムは、きっぱりと言い切った。
「あと何十年かして父上様が死んだら、僕にその王位が来る……不思議なもんだな。嬉しがるはずなんだろうがね、今、当の僕は全く嬉しくもなんともないんだ。悲しいわけでもないし。そもそもそんなことが約束されたんなら、僕はその日までこのまま生きているだけでいいんだ。何もしなくていいと思ったらなおさら何もする気がなくなる。何もかもが面倒臭くてしょうがないし、面倒くさいこと自体が辛くてしょうがないよ」
「王子。なぜあなたがそうお思いになるのか、教えて差し上げましょうか」
アブサロムは床に膝をつき、椅子に座るアブサロムを見上げ、今度は彼の膝に手を置いた。
「それは、もはや貴方がダビデ王を愛していないからですよ」
「父上を?……そうかもしれない」
タマルが犯されたと断腸の思いで話した時、アブサロムはダビデがアムノンを罰してくれるものだと思っていた。しかし、彼は何もしなかった。何も起こらなかった。それがタマルに最後のとどめを刺したのだ。それ以来、あれほどまでにあった父への愛情が、自分の中からぷっつり消え失せてしまったような気もする。
「もう王を愛してはいないからこそ、王から与えられる、王のおこぼれに預かった王冠など、貴方は興味もなくしているのです」
「……そうか。そうかもしれんな」彼は言った。
「今のあなたは希望を失っておられる。今のあなたに必要なのはね、もっと大きい希望なのです。生きる活力が貴方には必要です」
アキトフェルは目をそらそうとするアブサロムの目をしっかりと自分の目で追って、そういった。
「生きる活力?……ふ、言葉はきれいだが、そんなもの、あるもんか」
「ありますとも、アブサロム様。王におなりなさい」
アキトフェルははっきりと言い切り、彼の手を握った。

「……僕が王に?」
その言葉を聞いて、アブサロムはあきれるように目を細めた。
「聞いてなかったのか?王になるも何も、もう決まってるだろ。次の王は僕だよ、でも僕は王になんてなりたくもないんだ。ダビデからもらう王冠なんて、欲しくない」
アブサロムはぷいと顔をそらしたが、アキトフェルはにやりと笑って耳打ちするように彼にささやいた、
「貰う王冠ならば、そうでしょう。しかし、奪う王冠ならば、どうですか?」
「奪う……王冠?」
ふと、その言葉がアブサロムの耳に引っかかった。アキトフェルはその興味をがっちりとらえるように、ゆっくりとアブサロムに話しかけた。
「そうでしょうとも。奪う王冠です。待つのはおやめなさい、アブサロム。貴方は王に戦いを仕掛けるのです。革命を起こすのです。そして自分の王冠を自分でつかみ取るのです。のうのうとこのまま年を取り、時間に運命を任せるのはおやめなさい。貴方は若い。貴方は美しい。若く美しいうちに、王とおなりなさい。生きる活力とは、得る力の事を言うのです」
「得る力……」
アブサロムは、初めてアキトフェルのほうをしっかりと見る得て、そうつぶやいた。
「貴方はアムノンに復讐した、しかし満たされない。それはなぜだかわかりますか?あなたはアムノンを殺しても、最初から何も得られなかったからですよ。何も生まぬ争いは虚無しか生みません。あなたは何かを生む争いをなさい。自分の人生を切り開くのです。王冠は貴方自身が得るのですよ。それこそ、貴方の生きる活力です、あなたの希望です。貴方が息を吹きかえす道です」
「生きる希望……僕が、父上様に、戦いを……」
アブサロムは半ば自己暗示をかけるようにぶつぶつつぶやいた。やがて彼は、アキトフェルの目を自分のほうから覗き込んでいった。
「アキトフェル」
「なんでございましょうか?」
「お前は…なんで僕に、こう言ってくれるんだ?」
アキトフェルはアブサロムの膝に置いた手を這わせ、彼の頬を撫でた。
「理由等ございませんよ、アブサロム王子。以前にも言ったとおりです。私はただ、貴方の味方です。貴方にお仕えしたいのです。貴方のためにこの人生をお捧げしたいのです」
そういうと、彼は手を放し、代わりに床に手をついて、アブサロムの前に恭しく礼をした。
アブサロムは自分の心に、何かしらが湧き上がるのがわかった。こんな気持ちになったのは久しぶりだ。アムノンに復讐を決めた時も、これほどではなかった。体中の血が沸騰するようだ。死にかけていた細胞に大量に血が流れ込み、体が端の方から息を吹き返した。停止していた体のすべてが目まぐるしく動く。自分が王になる、ダビデの死を待つのではなく、自分の力で。自分の生きる活力……。
「アキトフェル。面を上げろ」
アキトフェルはアブサロムの声を聴いて、震えあがるほどに歓喜が自分の体を駆け巡るのを実感した。彼の声は、久々に、あの力強い声色だった。
彼は顔を上げた。アブサロムの目は元通り、光がみなぎっていた。
「よろしく頼むぞ。僕は……すべてを倒そう。もう一瞬もダビデを王座においてなどいられない。王となるのは、この僕だ」



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