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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第十話

アブサロムの計画は、あくまで水面下で、しかし着々とおこなわれた。彼は対外的には今まで通り静かなままでいて、アキトフェルがその口八丁でアブサロムの味方を集めていたのだ。
元々アブサロムを慕う人間は多かったので、味方集めはそう難しい事でもなかった。タマルがアムノンに受けた仕打ちがばれたこともあって、アブサロムに味方する者も多かったのもある。おまけに、最近のダビデの優柔不断さがアブサロムの件でかなり如実に浮き彫りになり、そのせいでダビデを見限ったほうがいいと思っているものも少なからずいることをアキトフェルは知っていたのだ。アブサロムのもとには、たちまちそれなりの数の衛兵がそろった。
兵隊の次は、人民の支持を得る番だ。これも、大っぴらには行えない。ただアキトフェルは実にうまく立ち回った。
彼は王宮で、ダビデに直訴に来る人民を、引きずり込みやすそうなものを見極めたうえで呼びとめた。イスラエルにおいて、裁判は王が行うものである。おまけに人民がたくさんいる中で、もめごとが次から次へと起こらないはずがない。それゆえに王宮の大広間には人がいつも絶えないので、アキトフェルの眼鏡にかなうものは日に何人も出て、実にその作業ははかどった。
彼は直訴に来た人民の中でも、裁きの結果に満足していない人民を即座に見極めた。敗訴したものはもとより、勝訴したものの中でも彼の取り分に満足の行っていなさそうなものを呼び止めて、彼に同情するようなそぶりを見せた。
「先ほどの裁判を見ていたがね、貴方の訴えは何も間違ったことはないのだし、貴方が損を受けていることは確かだ。なのになぜ、ダビデはあのような裁きを下されるのか」アキトフェルは非常に巧みな男で、一見すれば怪しそうな言葉でも、彼の口から出ると不思議と怪しむ気分になることができなかった。おまけにアキトフェルは彼らは納得のいかない裁判の直後、冷静さを失っているところをとらえてそう言ったので、彼らは全くアキトフェルのペースにのまれ続けていった。
「思い出しても見たまえ、派手な噂になったからあなた方も知っているだろう、ダビデの王宮で起こったことを!王はアムノンに罰を下されず、アブサロム様にも罰を下されなかった。ダビデに裁きの力はない。そうだろう?今すぐにでも正しい裁きをできる王が立てば、これ以上不当な裁きに苦しむ人間も少ないものを」
実際のところダビデの裁判がそこまで無能とアキトフェルは思っていなかった。そう名裁きもないが、あくまで彼は自分の家族にまつわること以外は昔と変わらずごくそつなく扱っていた。しかし人間とは欲深いものである。正当な裁きで納得しないものは毎日毎日、大量に出る。アキトフェルはそれにつけ込み、同じような台詞を彼らに語って聞かせた。
「もしもよろしければ、アブサロム王子のもとに来たまえ。父の判決は覆せないが、貴方がもともと貰うはずだっただけの賠償を担う、とはおっしゃってくれているぞ」
彼がこういう頃には、たいていの人々はアキトフェルに完全にのまれていた。そして、大喜びでアブサロムの館に向かったのだ。
アブサロムはもちろん、アキトフェルに言われた通り私財を使って彼らに「正当な賠償」と銘打って、金や物をよこした。金は物凄い勢いで減っていったが、全く構いはしなかった。確実に、人民の心が少しずつ自分に向いてきているのがわかったからだ。それに何をするにおいても、投資は必要だ。
「なぜこうまでしてくださるのですか」という人民の問いに、アブサロムは「僕はただ、不当な裁きが許せないだけだ」と感じた。何も口先だけではなく、本音でもあった。タマルが受けたのは、明らかに不当な裁きだったではないか。裁きが正当でさえあれば、彼女が死ぬこともなかったのだと思えば、間違いなく彼は不当な裁きを憎んでいた。自分のもとにやってきた彼らの受けた仕打ちが本当に不当かはさておき。
彼を支持する人間は、そのような活動のかいあって日に日にどんどん増えて言った。人好きのするアブサロムの容貌もあったのだろう。彼は自分の野心を隠し、ただ正義感にあふれた優しい王子としてふるまった。そしてそんな彼は、非常にカリスマ性にあふれる支配者の器と、少なからぬ人民の目には映っていた。それなりの月数が立つ頃には、アブサロムの支持は馬鹿に出来ないほど大きくなっていた。
彼の中で、父を蹴落とすというのは少しずつ現実味のあるものになっていった。そして、それは彼にとって楽しかった。目の前が明るくなっていくようだった。彼はもう酒の世話にはならなくなっていた。

更に月数が経過した頃、アブサロムのもとにアキトフェルがやってきた。
「そろそろ潮時でしょう」彼は笑った。アブサロムの評判は、彼に直接助らえた人々から次々口伝えで広がって、とうとう国中に広まっていた。人民と言うのはこれほどまでに馬鹿で扱いやすいものなのかと、アブサロムは一種の感心すらした。



「父上様、ヘブロンにお礼参りに行く許可をお願いしたく思います」と、アブサロムはダビデの前で頼んだ。ヘブロンはダビデの王権がまだ今のように強固でなかった頃にダビデが拠点としていた町で、アブサロムもヘブロン生まれであった。彼はヘブロンの神殿で割礼をうけた。それで、イスラエルに無事帰ることができたお礼参りを自分の割礼が行われた場所で行いたいと彼は主張したのだ。
「お前の好きにしなさい」とダビデは短く答えた。
アブサロムは、最後の最後まで父は子供たちに対しての感情を持て余したな、と思った。内心では、父が自分のたくらみを看破して、力ずくでも引き留めてもそれはそれで自分の本望だったかもしれない、と彼は考えた。しかし、その答えはすぐに打ち消した。自分はもう、ダビデを敬愛する存在ではないのだ。ダビデはアムノン同様、愛する妹の仇だ。そして、自分が生きる気力を得るために蹴落とすべき存在なのだ。ダビデが自分の計画を見抜けずに、何を嘆くことがある。これこそが神の恵みではないか。彼はそう心の中でつぶやき、王室を後にした。今度ここに来るときは、あの玉座には誰もいないと確信して。彼は、心の中でダビデに残っていた未練をすべて消し去った。

彼は自分の従者たちとともに、ヘブロンに向かった。ヘブロンにある別荘で、彼は自分がイスラエルの王となることを宣言した。クーデターを開始した。

彼はイスラエル全土に密使を送った。そして彼らに、アブサロムが王になったと高らかに宣言させた。アキトフェルの計略が功を奏して、アブサロムを支持する人々の数は膨大になっていたので、クーデターの出だしは非常によかった。彼らは密使たちの言葉に乗り、「アブサロム王、万歳!」と叫んだ。その叫びがイスラエル全土を多いかくすようだった。それを見て、アブサロムは今までに感じたことのない充足感に浸った。彼の隣に立つアキトフェルも満足そうに笑っていた。


アブサロムの事が伝わってきて、王宮は大パニックになった。今までにないほどの騒ぎようだった。
「変なことになってきたな」ソロモンは呟いた。
「俺はアブサロムからタマルを奪ってやっただけなんだが……どうしてその後もあいつはこんなに、忙しそうなんだか」
「ほんとにね。でも……面白いと思わない?」
ベリアルは格子窓のカーテンを開けて外を少し見た。格子窓の外からでも、慌てふためく人々の姿が見えた。
アブサロムの軍勢は全く誰も知らないうちに膨大になっていて、彼らはまっすぐエルサレムに入場する気でいるという噂だ。そしてダビデは自分に従う臣下や兵士、そして家族を連れて王都からの脱出を企てているらしい。もしも本当に誰にも悟られることなくそれだけ味方を集められたというのなら、大したものだと思った。

「アブサロムだけの力じゃないな。最初からおそらく、奴に従う知恵袋がいたはずだ」
「まぁね。奴がこんなこと思いつくとも思えないし」ベリアルは再びカーテンを閉めた。
「どうでもいいな。俺にはどうせ無関係だ」ソロモンは諦めたように、寝台に横たわった。ベリアルはクスリと笑って、寝台のそばによる。
「アブサロムがああするのって、やりきれないからだよね」ベリアルは呟いた。「初めはタマルを失ったことがだけど、次は、アムノンを……というより、家族を殺してしまったことが」
「ん?」ソロモンは怪訝そうに言い返した。「そうなのか」
「うん。少なからずね、人間ってのは家族を殺しちゃうと深くショックを負うようになっているんだ。人間にとって家族を殺すってのは、体中一生治らない大けがを負わせるとか、全てを奪って人生を破滅させるとか、そんなのとは一線を画した特別な行為なんだよね。アブサロムは現実逃避してるだけ。家族を殺しちゃったって言う事実から。もしもこれでダビデが死んだら、彼は結局泥沼に引きずり込まれるだろうね」彼は寝台に肘をついて、頬杖をついた。
「そうか。理屈としては、少々不合理にも思えるが」ソロモンは涼しげに言った。「生きにくいことだ」
「だよね。人間ってなんて、善良な生き物なんだろう。ボクはね、そんな人間が大好きなんだ」


三日ほどたった。ソロモンは目が覚めて、王宮が全く閑散としてしまったことに気が付いた。ダビデは逃げてしまったらしい。王宮の人間も、ほとんどいなくなっていると見えて、王宮は不思議なほどに静かだった。
アブサロムの軍勢はまだ来ないのだろう。ソロモンは今までにないほど、不思議な解放感に包まれた。やはり静かなのはいい。静かであれば落ち着く。ベリアルと話すのは楽しいが、彼とて四六時中喋っているわけではない。それに、ベリアルが現れるまで彼にとって一番心地よいのは静かであることだったのだ。彼にとって外部からの音と言うものは、雑音か罵り言葉の二つだけだったのだから。長らく培ってきた価値観から、静寂はソロモンに非常に安らぎを与えるものになっていた。
彼は日よけにマントを着て、部屋から出た。後ろにはベリアルもついていた。


王宮を歩けども歩けども閑散としていた。おまけに静かだ。夜が光だけを得たようだとソロモンは思った。
しかしいくらなんでも全く人が残っていないわけではなかった。彼は大広間のほうから、いくつかの声を聴いた。それで、そちらの方に足音を殺していった。だが、彼は拍子抜けした。
そこに居たのは十人の、ダビデの側室たちにすぎなかった。バテシバもその中にいた。ソロモンはバテシバがいたことを不快に思った。それに二人の祭司。古株のアビアタルと、若手のザドクという二人だった。そして、彼らの息子が一人ずつ。それだけだ。兵士たちなど残ってもいなかった。これでは守るもへったくれもありゃしない。結局誰もかれも、命が惜しかったのだな、とソロモンは思った。彼らに自分の命惜しさに王の命令を突っぱねるだけの度胸がありさえすれば、この王宮に残るのは正真正銘ソロモンだけであったかもしれないのだ。
彼は柱の陰に隠れながら、伝書鳩から受け取ったらしいダビデたちの今の様子について話をしていた。ダビデのもとには大勢付き従って、外国人すらもアブサロムよりダビデにつく道を選んだらしい。そんな彼らは今荒野を通って、ひとまず落ち着けるところを探しているところだそうだ。
愉快な話ではないか。ソロモンは思う。変化など無しに穏やかな日常のまま消えたいと願いすぎたことで、とうとうこんな変動が起こってしまったのだ。これらはダビデの招いた罪だろう。

「王宮に残ったのは私たち十五人」名前も知らない側室の一人が、そう言った。「いったい、どうすればいいのかしら……」
「(十五人?)」ソロモンはいぶかしんだ。ここには側室たちが十人、ザドクとアビアタルと彼らの息子。十四人しかいないはずではないか。
と、疑問に思ったところ、すぐその疑問は解消された。一人が広間に駆け込んできた。
「見張り台を見てきましたよ。ひとまず今のところはアブサロムは来ていません」
第四王子のアドニヤも、宮廷に残っていたのだ。


アドニヤの登場で、側室たちは安心そうな顔をした。彼は皆の中心に入っていき、こう言った。
「しっかりして下さい、みなさん。ぼくたちは父上様に宮廷を任された身ではありませんか。アブサロムの計画など、必ず倒れます。父上様は神に魅入られた王なのですから」
彼は自信たっぷりに演説した。それで彼らの心を実際やわらげているのだろうとはソロモンもぼんやり思っていた。
これ以上何かを聞く必要もない。生まれてから初めてというほど宮廷が静かなのだ。あと数日もせずアブサロムは入城してくる。この静寂を楽しまないのは損と言うものだ。彼らの声を聞いている時間すら惜しい。
ソロモンは身をひるがえして、足音も立てず中庭のほうに出た。

「ああ、可愛いアドニヤ」先ほどの側室が言った。彼女はハギトと言う名前で、アドニヤの母だった。
「お前はなんて頼もしいのかしら。お前がいるだけで……たった十五人でも、このお城を守っていけるような気がしますよ」
「ありがとうございます、母上」アドニヤは母の手にキスをした。
「ぜひとも十五人で父の尊厳を、宮廷を守り通しましょう」お互いに励ましあう母たちを見て、アドニヤはソロモンの去って言った方向に目をやった。
「(いや……正確に言えば、二人、になるかな)」


それからさらに数日後、アブサロムは大軍を率いてエルサレムに入城してきた。残った十五人は結局まともな抵抗ができるわけでもなく、彼の入城を許した。その時も、ソロモンは自分の部屋にいた。静寂で包まれていた中に、急にやかましい音が入ってきたので、アブサロムであるということは嫌でも理解できた。
ラッパと笛の音からするに、彼はかなり派手に城に入ってきたのだろう。おそらく今の彼は得意満面に、あの長い亜麻色の髪を馬上から受ける風にたなびかせているに違いない。彼は王座に座り、高らかに王位を宣言するだろう。ダビデを打ち破ったと。
「どうでもいい、俺には関係ないことだ」
ソロモンは一人でそうつぶやいた。自分は王宮を守れと言われたわけでもない。ただ、無視されただけだ。いないものとして扱われただけだ。それは本気で彼の存在を忘れていたのだろうか。ダビデに至っては、忘れていたわけではなく、あわよくばこれで命を落としてはくれないかと彼をわざととり残したのかもしれない。もっとも、あのハギトの「十五人」という言葉は確実にソロモンの存在を忘れきっていたのだろうが。
しかしとにかく、ソロモンは見捨てられたのだ。自分をそう扱うものに、なぜ同じ扱いをしてはいけないのか。ソロモンにとって、別に何の変わりもないのだ。誰一人、ソロモンに逃亡を勧めては来なかった。あの大騒ぎの三日間、彼の部屋には誰も訪れなかった。ナタンすら来なかった。ソロモンはベリアル以外だれとも話をしなかった。そして、彼は逃げようとも思っていなかった。
彼にとっては、ただの日常だった。彼は図形を描く気分ではなかったので、本を読もうとした。その時、ガチャリと扉がなった。
ソロモンは驚いて、警戒心をあらわに扉の方を睨みつけた。彼の部屋の鍵を開けて現れたのは、意外な人物だった。
「やあ、今、大丈夫かい?」
アドニヤがそこに立っていた。後ろでは、アブサロムのばかばかしい行進の音が鳴り響いていた。

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