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クリスマス市のグリューワイン

feat: Elijah  第六話

アハブは困っていた。エリヤが捕まらないことにではない。彼の居場所は確かに皆目つかめないままであり、それは懸念事項の一つに違いはないのだが、いま彼はそれよりもはるかに大きな問題を抱えていた。
問題と言うのは、アラムの王ベン・ハダド二世についてである。彼がある日、唐突に自分のもとに挑戦的な発言を仕掛けてきたのだ。その内容たるや、酷いと言うほかはない。すなわち、アハブの財宝、アハブの家族はすべて自分のものであると彼は豪語したのだ。
アラムは小さな国ではない。先代のオムリの時代から、イスラエルはアラムに圧力をかけられ、土地も幾分か手放していた。イスラエルのほうが力が弱いと言っても過言ではないほどだ。言うだけなら言わせておこう、戯れを本気で受け取って怒らせる方が面倒だと適当にあしらったのが悪かった。ベン・ハダドはその態度をもってして、アハブはたとえ自分が彼のものに本当に手出しをしても反抗はしないと読み取ったのか、本気でアハブが全てのものを無条件で差し出すように言ってきたのだ。
流石にアハブもこれを二つ返事で飲みこむわけにもいかない。王としても、夫、父親としてもまっぴらである。しかし、弱小国の王であるという立場は彼を弱気にさせた。彼は、イスラエルの長老や預言者たちをかき集め、会議を開いた。預言者たちと言うのは、昔ながらのイスラエルの神に従う預言者たちである。もう、神殿の中でバアルの預言者たちの立場はすっかりなくなっていた。


荒野の中に、一人の少年が立っていた。丈の合わない大きな外套を着て長い髪を三つ編みに結んだその美しい少年は、馬に乗ってあたりを見渡していた。誰かを探しているようだった。荒野に吹き付ける風が彼の三つ編みを揺らして、彼は目に塵が入りそうになって切れ長の目を細めた。
「こんなところにいたのか、ミカヤ!」
ふと、後ろから声が聞こえて、ミカヤと呼ばれた彼は振り返った。視線の先には、宮廷長のオバドヤがいる。オバドヤもまた馬に乗っていて、焦ってやってきたという体だった。
「散々探したぞ。どこに行ってたんだ」
「あっ、オバドヤさん、久しぶりですね」
ミカヤは何ら悪びれることもなく、オバドヤに友好的な態度で近づく。
「探したってなんです、ひょっとしてサマリアで何かありましたか?」
「アハブ陛下が問題を抱えていらっしゃるんだ、預言者を収集している。お前も宮廷預言者ならば、来る義務がある。……それなのに、一人ブラブラしているのはお前くらいなものだぞ!」
「オバドヤさん、怒ってます?」
「当然だ!」
オバドヤは痺れを切らしたように言って、馬を来た方向に後ろ向きにさせた。ミカヤも彼の視線を受けて、しぶしぶ自分の馬の向きを変えさせた。
「ボクの預言なんていらないと思いますけど」彼は悠々とそう言いながら、オバドヤの後をついて、一応は素直にサマリアに向けて走り出した。オバドヤはため息をついた。彼の父と祖父と家族同然の交流があったという縁で、彼の面倒を見てやっているものの、彼のこのマイペースな態度は正直疲れるものがある。
それでも、オバドヤはミカヤを突き放せなかった。彼の抱えたものを考えると、彼が哀れに思えて仕方がないのだ。そのため、多少のわがままくらいは許してやりたくもある。自分も、あの日の事を思い出すだけでいまだに心が痛むのだから。ふと後ろを振り返ってみると、ミカヤの表情は非常に物憂げだった。彼は切れ長の目を細めて、視線の先にはいない男を見ようとしていた。
「ミカヤ」オバドヤは言った。
「今度も、彼を探しにサマリアを飛び出たのかい?何も言わずに」
「はい。今度こそ見つかるって思ってたんですけど」ミカヤはぼんやりした口調でいった。
「二年間、見つかっていないのだぞ。お前に見つかるはずがない」
「どうでしょう?それはほかの人にとって、あの人がどうでもいい存在だからでしょう。ボクは違いますから。ボクだけは」
彼は強い口調でそう言い切った。それを受けて、オバドヤの口から再度ため息がこぼれる。ミカヤは独り言のように、広がる荒野を眺めて呟いた。
「会いたいなあ……エリヤ……」
彼の視線の先に、数羽の鴉が飛んで行った。


数羽の鴉がさらに数羽集まり、群れを成して荒野の真ん中の岩陰に降り立つ。彼らはとある男を中心に集まっていた。
男は鴉の鳴き声に似た声を上げながら彼に礼を言う。男と言うのは、エリヤだった。そばにはエリシャもいて、彼もぎこちなく「ありがとう」と、鴉たちに礼を言っていた。もっともそれが鴉に伝わっているか否かまでは定かではない。
鴉たちは、彼らにパンくずを運んできていた。パンくずとは言え、かなり多くの鴉たちが運んできたので、その量もそれなりになっている。獣の生肉を運んできたものもいた。
「じゃ、食うか」エリヤは全く当然と言った顔でエリシャにそう言った。

エリシャがエリヤと旅を初めてまず最初に面食らったのが、これである。あまりにも当然のように行うので最初は全く置いてけぼりを食らったような感触だった。エリヤは、鴉と会話ができるのだ。なぜできるのかと言われればエリヤ自身もよく覚えていないらしい。気がついていたらできたというのだ。そんなもので取り付く島もないので、最終的には分からないまま受け入れざるを得なかった。とにかく、エリヤは鴉の言葉がわかるのだ。それでも日数を重ねれば慣れてくるもので、今はエリシャは当たり前のように受け入れている。
エリヤは粉々になったパンくずをつかみながら食べ、集まってきた鴉たちもそれぞれ自由についばみ始める。エリシャも食いっぱぐれはごめんなので、急いで自分もパンくずを食べ始める。取り残されている暇はない。いつ食べ物にありつけるのかはわからないのだ。エリヤと旅をすると決めて当然このようなことにもなる覚悟は固めていたのだが、荒野での暮らしは予想以上に厳しいものだ。エリヤは何年間もこのような暮らしをしているらしいから慣れたものではあるのだが。
彼は食う傍ら鴉たちと何か会話を交わしていた。鴉たちはこうして彼に食べ物を分けてくれるほか、町の情報を彼に教えてくれるらしい。なるほど、荒野にいたままでも情勢を追えるわけである。
「エリシャ」エリヤが口を開いた。
「もうすぐ年末だろ?」
「ええ……そうですね、師匠」
「年が明けたらここ動こうか。……アフェクあたり、いいんじゃねえのかな」
「アフェク?」エリシャは怪訝そうに言う。「なんでです?」
「俺がやることったら一つだろ、神様が預言をしろって言ったからだよ」


数日後、アハブは抵抗を決意した。さすがにベン・ハダドのむちゃな要求をやすやすと飲むいわれはない。民も長老も、王に進言する立場の人間は全て挙兵すべしと言った。遠まわしにベン・ハダドにその体を狙われたイゼベルもさすがに勝気なもので、彼女も進軍以外ありえないと声を張り上げて言ってきたのだ。ベン・ハダドは怒りの手紙を突きつけてきたが、アハブはこう返した。「武具を帯びようとするものが、武具を解くものと同じように勝ち誇ることはできない」。
自分も挙兵せんとしている手前あまりたいそうな文句ではないと彼は思っていたが、それにしても頭に血の上ったベン・ハダドを挑発するには十分だったように思える。ベン・ハダドは戦を急いだ。それは即ち、先方の準備不足を意味する。
ベン・ハダドが一足先に挙兵をしたという情報が入ってきたときに、アハブの前に出たのはツィドキヤと言う名前の預言者であった。彼は預言者集団の中でもリーダー的存在であり、かつ、アハブに非常に忠実な男でもあった。
「陛下、私は主の預言を聞きました」ツィドキヤは言った。「ベン・ハダドの挙兵を気に病む必要はありません。陛下。主はこういわれております。あの大軍を、主は今日貴方様の手に渡されると。それを持って主は、自分こそ主であることを貴方様にお示しなさいます」
「我らが勝つというのだな」アハブは言った。
「主は誰を助け手によこすのかね」
「諸州の知事どもでございます」
「戦の指揮を執るのは誰かね」
「陛下、貴方様ご自身でございます」
このような問答の末、アハブも挙兵することに決まったのだった。その間、他の預言者たちも彼らのやり取りを見守り、ツィドキヤの預言に相槌を入れるなどしていた。だが、ただ一人ぼんやりとやる気のなさそうに構えている姿があった。めだって年の若い彼は、ミカヤであった。彼は何か別の事を考えているような表情をしたまま一言も話さず、退屈そうにしていた。王は彼を見咎めて、彼に向けて不快そうな表情をしたが彼は気にも留めなかった。

アハブはさっそく諸州の知事に収集をかけ、集まった兵力は七千二百人以程度であった。アラム群の軍隊は何万といるので彼らの間には不安の色が強かったが、その不安はなんということか、すぐに消え去った。すなわち戦いはツィドキヤの言葉が的中し、拍子抜けするほどすぐにイスラエル軍の優勢になったのである。イスラエル軍が攻撃をかけたのは正午ごろの話だったのだが、思い上がりの激しいベン・ハダドは幸運なことに同盟を組んでいた味方の王侯たちと酒を飲んで酔っ払っていた。そんな状態でも彼は、イスラエル軍が攻めてきても、「せっかくだから全員捕虜にしてしまえ、彼らが戦いのために出てきたのだとしても、和平のために出てきたのだとしても」と大口をたたいて、戦闘の準備を始めようともしなかったらしい。
そんな油断を突かれて見下していたイスラエルに大敗を喫したベン・ハダドの胸中はいかほどのものだったであろうか。彼は自分たちの劣勢を知るや慌てて馬に乗り逃げ去っていったそうだ。その頃には当のアハブ自身も戦争に出陣しており、彼らは王の逃げ去ったアラム軍を完膚なきまでに叩きのめして大損害を与えた。


「さて陛下、まだまだですよ」ひと段落して、戦車の残骸の残る、数時間前までは戦場だったところに、ツィドキヤがやってきた。彼は数人の預言者たちを引き連れていた。
「さあ陛下、勇気を持ってお進みなさい、主はイスラエル王たる貴方にすべてを渡すでしょう」
彼はアハブのそばに寄って、恭しい態度で預言の言葉を告げた。
「神は私に告げられました。もうじき年が改まります、それが過ぎるころまたあのアラム王は性懲りもなく我々を攻めに来るのです、立ち向かいなさい、偉大なるアハブよ、主は貴方に味方しておられる。我らが偉大なるアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神は!」
仰々しく語るツィドキヤの言葉に、取り巻きの預言者たちもその通りとうなずいた。唯一、一応ついてきていて一番後ろに立っていたミカヤが誰にも聞こえないように「あほくさ」と呟いた。


「年が改まるころだって?いかにも神の預言臭く御大層に言っちゃって。アラム軍が軍備を整えたらそれくらいになるに決まってるじゃん、ばかなの?」
ミカヤはそう独り言をつぶやき、袋の中に適当なものを詰める。後ろではオバドヤが心配そうに見ていた。
「いや、そう言ってもお前、本当にそうなるかは……」
「九割がたそうなるでしょ、ベン・ハダドのあのアホな性格じゃ、急ぎに急いで兵を集めてイスラエルに復讐!ってなるはずですよ」
ミカヤは自分の家の衣装棚を今度は探りはじめた。オバドヤは彼の様子を見に来たのではあるが、彼がこのようなことを始めているのでまた心に不安を覚えつつ、彼に話しかけたのである。もちろん彼は、それで手を止めるようなことなど一切なかった。
「ミカヤ、まさかまたどこかに行くつもりじゃ……」
「そのまさか。安心してください、今度はあの人目当てじゃなくて、宮廷人としての仕事みたいなものですから」
彼は三つ編みをほどいて、長い髪をふわりとたらした。
「ま、ボクの独断だけど」
そしてそれを刺繍で飾ったベールでくるみ、着物も女性の着るような控えめなドレスにさっさと着替える。オバドヤの目の前には、一瞬で生意気そうな少年ではなくいかにもかわいらしい、大人しげな美少女が現れた。
「ミカヤ!」オバドヤは悲痛な声を張り上げる。「お前、またそんな恰好を……女装は律法で禁じられているではないか!」
「大丈夫でしょ、背徳のためじゃなく、信仰のためなら。ロトの娘たちだって生き残ったんだから」
ミカヤはそう言うと旅用の厚いマントをはおり、ふわりと軽やかな身のこなしで自分の馬に乗り、「それじゃ、行ってきます」と言った。
ため息をつくオバドヤを振り返ることもなく、彼はアラムの国の方向に馬を走らせた。


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