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クリスマス市のグリューワイン

feat: Elijah 第七話

アラムの国では宴会が行われていた。年越しを祝う祭りである。にもかかわらず、ベン・ハダドの顔は晴れやかではなかった。当然と言えば当然の話である。イスラエルに惨敗したのは昨日の今日と言っても遜色ないのだ。
「陛下、あまりお気になさいませぬよう」
高官の一人が声をかけた。
「あの王侯どもは皆首にしましょう、代わりに長官職の者どもを置けばよろしいのです。全て奴らのせいですよ」
ベン・ハダドの太鼓持ちたちに、一人の使用人の少女がワインを注いで回る。彼らのうち一人、王のすぐ隣の位置に座る将軍ナアマンがふと彼女に注目した。彼女がナアマンにウインクすると、彼の方も口角を緩ませてにやにやした笑いを浮かべた。
「ちょっとした子だな」彼は隣にいる自分の部下である少年兵、ハザエルに声をかける。
「最近雇ったそうです。宴会のせいで人手不足で。名前はたしか、ミカヤとか」
「あとで私のところに呼ぶぞ」
ミカヤはその言葉をしっかり聞き届け、呼ばれる前に自分のほうから彼のところに寄ってきた。
「閣下、もう少し召し上がられませんか?」と、彼女、いや、彼は、いかにも女の子のような滑らかな声で彼にそう言った。ニヤニヤするナアマンと、怪しまれないようにしっかり上目づかいで目を合わせつつ、彼は隣のベン・ハダド達の声に聞き耳を立てる。
「ですので陛下、彼らの勝利は彼らの神が山の神であったからにすぎません。聞くところによれば、彼らは山で彼らの神に啓示を受けたと聞きますから」
当のナアマンの反対側に座るほうの高官が、ベン・ハダドに声をかけていた。
「ですので、山地での戦いでは彼らに分があったのも当然の事。もし平地で戦えば、我らのほうが有利になるはずです。アフェクの野を今度の戦場にしましょう」
「ふうむ……いいかもしれん」ベン・ハダドがそう答えた。
「失った兵、軍馬、戦車を補充し、平地で戦いましょう。さすれば我らの勝利となりましょう」
「(大変だね、アホの機嫌取るのも)」
ミカヤはそう心の中でつぶやいた。その後、彼らは様々に作戦を話していたが、ある程度話し終わったらもう話は進まず、ただの宴会が続いた。
「(もう居る意味もないかも。長居も危険だし、早く帰らないとうるさいし)」
ミカヤはそう考えて、その場を離れようとした。「ああ、待て」とナアマン将軍が声をかけると、彼はぴょんと振り向き「今はお仕事がありますから。閣下。また、後ほどお願いします」ともう一度ウインクする。少し恥らったような表情を作って。
少々呆れた顔のハザエルにも気づかずだらしない表情でそれを見送る彼に、裏方につながるカーテン沿いでもう一度視線を投げかけると、ミカヤは裏方に抜け、そして当たり前といったように裏口を抜けて外に出る。誰もかれも忙しいので、誰ひとりミカヤを心にとめている余裕はなかった。
彼は見張りのすきをついて塀をはしごで乗り越えると、少女の服を脱いだ。外に隠してあった男の服に着替えて、髪を三つ編みに編みなおす。あっという間に使用人の少女は消えて、皮肉っぽい笑みを浮かべた美少年がそこに現れた。彼はどんちゃん騒ぎの宮廷を背に、馬を預けてあった郊外の農家に向かって何食わぬ顔で悠々と歩き出した。


「主のお告げです」イスラエルに帰ったミカヤは言った。預言者集団の中でである。
「アラム人たちは、『イスラエルの神は山の神であるから、平地であればその力を使うこともできないだろう』と言っております。彼らはアフェクで戦いを行います」
「ミカヤ、本当にお前に啓示が下ったのか」ツィドキヤは舐めたような表情でそう言った。
「お前のような不真面目な若造にそのようなことができるとはとても思えないが」
「本当です。彼らの作戦も事細かに教えてくださいました」
ミカヤはいかにも神から聞いたという体で、自分がアラムの国で聞いてきたことを話した。彼らは無論、ミカヤがアラムに数日潜伏していたなどと言うことは心にも思ってはいない。
「ふん、まあ本当かどうかはお前以外にはわからん。ただ、嘘はつくのではないぞ。主の言葉を勝手に語ることは預言者の風上にも置けん。そのことは心得ておくのだな、ミカヤ」
「心得ました。それでは、ボクは用がありますので」
彼はそういうと、すたすたと踵を返して帰っていった。

数時間して、ミカヤはこっそりと大広間を囲む柱の陰に隠れていた。ツィドキヤがやってきて、アハブに誇らしげに神の預言を言っていた。
「主は言っておられます。アラム人は主が山の神であって平野の神ではないと言っているので、私はこの大軍をことごとくあなたの手に渡すと。そうして偉大なる主は貴方様に自分が神であることを知らしめられるでしょう。山の神も平地の神もない、唯一の神であることを。彼らが向かうのはアフェクの野です……」
ミカヤは気づかれないようにそっと立ち去った。ツィドキヤもアハブも、「神の預言」とやらについて夢中で話していた。ミカヤは王宮の廊下を歩きながら、くすくすと笑った。
「(預言者なんて、所詮こんなものさ。本物なんてなかなかいない。みんな当たり前のことをもっともらしく言って、王のご機嫌取るためだけの集団さ。本物……そう、あのひと、エリヤは、本物だったけど)」


年が改まったころ、ベン・ハダドはアフェクに向かって挙兵した。彼は、度胆を抜かした。イスラエル軍は彼らを迎え撃つために待ち伏せをしていたからだ。戦はすぐには勃発せず、彼らは七日間の間対峙した。
そして、戦争が勃発する少し前に、イスラエル軍とも、アラム軍とも違う二人の人影もやってきた。エリヤとエリシャであった。
「ついたぜ。ここがアフェクか」
「本当に……戦争が始まるんですね」
エリシャは眼をぱちぱちさせてそう言う。非常に見通しのいい平地に吹き付ける風は乾燥し、砂埃が混ざっていた。風が彼らに吹き付け、彼らの服や日除けの頭巾を揺らす。エリシャは目を細めた。彼らは、若干高いところに立って両陣営を見下ろしていた。アラム軍のほうが圧倒的に数が多い。十二万以上はいそうに思える。どれほどむきになってかき集めたのだろうとエリシャは思い、同時にそれに対する不安をエリヤに言ってみた。だが、エリヤは安心しきったような顔で「大丈夫だって。イスラエルが勝つから」と言った。
「ベン・ハダドはろくでもねえ奴だ。アハブも褒められたもんじゃねえが、奴はそれ以上。だからよ、今回の事は神様がベン・ハダドに灸をすえるための事、ってわけだ」
「アハブが主に不信心でもですか?」
「ああ、悪さに度合くらいついたっておかしくはないだろ?」
エリヤから聞かされていた。アフェクでもうじき戦争がはじまり、アハブもそこに現れると。アハブの振る舞い次第で、彼はアハブに戦争が終わった後、神の言葉を聞かせねばならないと神に言われたそうなのだ。だがいざこのように言われたことが事実として目の前で起こると、やはり多少なりとも驚くものだ。
「師匠、アハブに捕まったらどうするんですか?」
「安心しろ、走って逃げりゃいい」
彼はカラカラと笑い声をあげた。
「師匠が言うと冗談に聞こえない……」
「え!?俺、冗談言ってねえぞ!?」
びっくりしたと言った顔で勢いよくエリシャのほうを振り向いたエリヤは言った。
「まあ、お前はそんな走れねえだろうし、いざって時になったらお前はしばらく隠れてろよ、あいつらお前の事は知らねえと思うしな」
エリシャはその言葉に黙ってうなずいた。彼らは、身を休めるにちょうどよさそうな小さな洞穴を見つけて、そこに入っていった。ほどなくして洞窟の中に、アフェクに住まう数羽の鴉もバサバサと入っていった。関係のない戦争に巻き込まれるのはごめんだとでも言いたげな態度だった。


七日目、アハブのもとにツィドキヤが走ってきたのを見て、アハブは驚いた。彼はいつになく、落ち着きのなさそうな形相だった。
「へ、陛下、申し上げます。神のお告げが下りました。主はこう言っておられます。『アラム人は主が山の神であって平野の神ではないと言っているので、私はこの大軍をことごとくあなたの手に渡す。こうしてあなたたちは、私こそ主であることを知る』と!」
あせって早口でまくし立てた彼の言葉が終わったころ、ようやく落ち着きを取り戻したツィドキヤが目にしたのはポカンと面食らっているアハブの顔であった。
「ツィドキヤ」
「は、はい」
「その預言は、もう聞いた内容ではないか」
もっともな彼の疑問を聞いて、ツィドキヤもあわてて口をふさぐ。「いえ、ですから、その……」彼は言い淀んだ。
「今日、剣を交えるべき、と言う意味か?」
「は、はい!そうでございます!今あらためて言葉を下されたことこそ、開戦のあかしでございましょう!陛下、神のお言葉通り、アラム人のすべてを貴方が手にお納めください!」
気がふれたというわけでもなさそうだが、いずれにせよなぜか冷静さを失っているツィドキヤをアハブはあくまで穏便に下がらせると、「まあ……このまま硬直しているわけにもいくまい」と、開戦命令を出そうと、その身をひるがえした。まだ朝で、夜の底冷えが平野に残っていた。
下がらされたツィドキヤは、自分の天幕にかけこんだ。宮廷預言者たちは数人ついてきているものの、その頂点に立つ彼は自分の天幕を用意されている。彼は天幕の中の自分の寝床に突っ伏すと、荒い息を何度も吐いた。すでに中年の年齢である彼の体からは全身から冷や汗が吹き出し、朝の冷えとともに彼の体を凍りつかせるようだった。にもかかわらず、彼の心臓だけは激しく波打ち、ともすれば血管を破ってしまいそうなほど勢いよく体中に血をめぐらせた。息が続かない。いくら吸っても体が酸素を欲している。ツィドキヤは今の今まで自分の身に起こったことを思い返した。あれは頭の中に響いた気もするし、自分自身の体が一瞬何処かに連れ去られていたような気もする。彼は、大きな声を聴いた。その声の一つ一つが衝撃となって彼の体を波打たせた。一語一語を聞くたびに彼の体は壊れんばかりに踊り、最後の一語が終わった瞬間に出来上がったのが、先ほどの言葉だったのだ。自分が言ったことと内容は全く同じ。しかし、それをアハブに言わなくてはいけないような気が、ツィドキヤにはしていた。
彼は冷や汗をぬぐった。着物を乱雑に脱いで、体中をこそげおとすような勢いでぬぐった。
「あれはなんだ。まさか……あれが、神の言葉だというのだろうか?」
ツィドキヤは頭を抱えてそう言った。彼の全裸の体は、体をこすったことで全身痛々しいほど真っ赤に染まっていた。彼は今まで、状況観察や情報収集の末これから何が起こるかとひらめく瞬間、それを神の啓示と解釈し、宮廷人らしくアハブをよいしょする言葉も交えつつアハブに語っていた。だが、今日彼が受け取ったものは、決定的にそれとは違っていた。


ツィドキヤの「預言」を受け、戦闘は開始された。
「おい、エリシャ、見てみろ、始まったぞ!」というエリヤの声で目が覚めたエリシャは、自分の体に乗っかって寝ている大量の鴉を丁寧にどけて、寝床から這い出した。次の瞬間、一瞬で目が覚めるような大戦闘を彼は目の当たりにした。
息が止まりそうな勢いであちらこちらで戦いが怒っている。様々な音が聞こえ、様々なにおいが交差する。あの稲妻の嵐ほどの衝撃ではないが、それでも圧倒されざるを得ない迫力と残酷さがエリシャの目の前に渦巻いた。しかも、戦闘は明らかに、圧倒的に数少ないイスラエル軍が押していた。
「凄い……」エリシャはため息をついた。
「神様の言ったとおりだ、イスラエルが勝つ」
勢いに圧倒され言葉のつむげないようなエリシャに比べて、エリヤのほうはかなり冷静であった。
「あの……師匠は、見慣れているんですか?」
「ん、まあな。荒野にいると、戦争にもちょいちょい出くわすし」
「そうですか……」
イスラエル軍の勢いは、確かに神がかりと言うほかなかった。いつの間にか、鴉たちもやってきて、エリヤとエリシャと一緒に戦いの行く末を見守っていた。誰ひとりとして、彼らに気づきはしなかった。



信じがたいことだが、ベン・ハダドは信じなくてはならない。実際に起こったことなのだから。その日一日の戦闘で、歩兵の十万人が討ち死にした。こてんぱんに叩きのめされた敗残兵たちはアフェクの町に逃げ込んだものの、なんということだろうか、アフェクの町の城壁が痛んでいたのか、高く、厚くつみあがっていたそれが崩れ、アフェクに我先へと逃げ込んできた彼らを襲った。あるものは石に骨を砕かれ、あるものは下敷きにされ圧死して、そのパニックのさなか、残った二万七千人余りの中からまた多くの死者を出すことになってしまった。
ベン・ハダドは命からがら、アフェクの町に入ることができたのだ。さすがの彼の顔からも、余裕の色は消え去り、ついこの間まで酒によって真っ赤だった顔は、血の気が引けて真っ青になっていた。

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