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クリスマス市のグリューワイン

feat: Elijah 第八話


「どうすればいい」ベン・ハダドは腹心の部下たちに言った。
「陛下、こうなれば道は一つしかありません」
渋った顔をして語る彼らに、ベン・ハダドは「申してみよ」と言った。
「我らが首を縄をかけましょう。そして腰には荒布一枚巻いて、その恰好でアハブの前に出つのです。そうして、こう言いましょう。『あなたの僕ベン・ハダドは、貴方様が命を助けてくださることを望んでおります』と。」
「なに!」ベン・ハダドは当然のごとく憤慨した。「貴様ら、あの奴隷風情に、この私の方が奴隷と名乗ると言うのか!」
「は……その、アハブは寛大な性格と聞いておりますから。ひょっとすればこうすれば、貴方様のお命は助かるやもしれません」王の勢いにタジタジとして、部下は続ける。「陛下、無論貴方様のほうがアハブよりも数段偉大なお方です。その事実は揺るぎようもないでしょう。さすれば、一度、この屈辱に耐え、一度だけ、かりそめでよいのです、かりそめの追従を演じることでなんとか今度の件をうやむやにしたところで、貴方様の偉大さの本質が傷つくこともありませぬでしょう。何を言っても、貴方様の偉大さは岩よりも頑強であらせられます」
彼らはベン・ハダドを怒らせないように必死で言葉を選びながら言った。
「今一度そのようなことを行ったところで、アラムのほうが力があることも、貴方様の栄光も揺るぎません。イスラエルのような小国の王ごとき、せいぜい舞い上がらせていけばよいではありませぬか。それで命も助かり、また崇高なる陛下にこのような屈辱を負わせた復讐の機会が生まれるのであれば、それこそが貴方様の選ぶ道と我々は存じますが……」
びくびくしながらそう言う臣下たちを怒りに燃える目でベン・ハダドは睨みつけた。しかし、それ以上にいい方法も思い浮かばなかった。どうにせよ、彼らは大敗を喫してしまったのだ。結果、数日後、アハブの前にはそのような変わり果てた姿のベン・ハダドの部下たちがやってきた。彼は悲痛な声で、「寛大なイスラエル王、アハブよ。貴方の僕ベン・ハダドは、命を助けてほしいと願っております」と言った。その様をみて、アハブは落ち着いた表情で「そうか。王が生きておられるのだな、それは良いことだ」と言った。
「ベン・ハダドは僕などではない。私の兄弟も同然だ」
ベン・ハダドの部下たちはこれはうまくいったと顔を上げた。「そうです。あのお方は貴方様の兄弟です」
先ほど僕と言った舌の根も乾かないうちに、と、わざとらしい彼らの態度にアハブは内心で頭を抱え、言った。「危害は加えない。ベン・ハダド王を私のもとに連れてきなさい」
彼は自分の車を出して、その車でベン・ハダドを迎えた。ベン・ハダドは屈辱に満ちた心を何とか隠そうとしていると言った体で、今回の非礼をわびた。アハブは社交辞令的にそれを気にしていないと言った。

和平協定は、ベン・ハダドの父が先のイスラエル王オムリの治世に彼から奪ったいくつかの町と、ダマスコで市場を開く権利をイスラエルに返還するという条件のもと、滞りなく結ばれた。いや、正確には一回、滞りが起きそうになった。ツィドキヤが天幕の中に入ってきて、「陛下、なりません!」と突発的に叫んだのだ。アハブはその言葉を聞いて、首をかしげた。
「へ、陛下、主は、全てを貴方様に与えるとおっしゃっておりました……ベン・ハダドは、その男は、まだ……」
「失礼、ベン・ハダド王。戦場の興奮で、気のふれてしまった男でして」
アハブはツィドキヤの言葉をそうやってさえぎると、丁寧な詫びの言葉とお辞儀をし、ツィドキヤを外に連れ出した。
「どういうつもりだ?」
「陛下、主は……主は、ベン・ハダドを懲らしめるために今度のようなことを……あの男は陛下を兄弟などと思っておりませぬ、あの心の奥で、貴方を見下し、イスラエルを見下している…きっと、のど元過ぎれば熱さも忘れましょう、再び、元通りに……ですから、このような甘い条件で彼を返しては……彼は、いずれ、貴方様を……」
「ツィドキヤ」アハブは冷静に言った。「どうした……お前らしくないな」
その言葉に、ツィドキヤははっと我に返り、口をつぐんだ。
「そのようなこと、私とて分からないはずがなかろう。しかしこれが一番良いではないか、アラムとの友好的関係はまだ続けておくべきだ。それがイスラエルにとって一番に得なのだ。……それともなんだ、ツィドキヤ。神と言うのはそのような不利益な計算をする存在なのか?お前の語る神はそのようなものではなかった」
ツィドキヤはあいた口がふさがらない様子であった。確かに自分はどうしてしまったというのだろうか。全く訳が分からない。そうだ、こんなことは不利益だ。普段の自分の受ける神の啓示であればあり得ることではない。きっと、アハブの言うとおり戦場で気がおかしくなって、ありもせぬ幻覚を見てしまったのだろう。
「陛下……」息を切らしながらツィドキヤは地に身を投げた。「どうか、お許しを」
「もういい。イスラエルに帰ったらゆっくり休め。落ち着いたころにまた宮廷に戻ってくれば良い」
彼はそう言って、ツィドキヤを放っておくと、また天幕の中に隠れた。そして、何事もなかったかのように和平が結ばれたのだ。茫然と地に突っ伏すツィドキヤは、しばらくその場を動けなかった。

「あのアハブめ!」
ベン・ハダドは叫びながら馬車を走らせた。
「ええい、この私に奴隷を自称させるなど……あの奴隷風情が!みておれ!お前の国などいずれこの私が滅ぼしてくれるわ……!」
そんな恨みの文句を言いながら去っていったベン・ハダドを、高みから見ている二つの人影と鴉の群れに気付くものはいなかった。
「ありゃベン・ハダド!?」
エリヤはそう言った。

「そうか……もういなくなるってこた、つまり、そういうことなんだな」
ぼんやりとそれを見ているエリシャに向かって、エリヤは「おい、エリシャ」といった。
「なんでしょうか?」
「一つ、俺の顔殴れ。血が出る程度に」
あまりに突然な彼の言葉に、エリシャは「はっ!?」と言葉にならない声を上げて驚いた。
「何言ってるんです。できるわけないでしょ!」
「いや、だからさ、つまり……」
エリヤは説明しようとしたが、その台詞はさえぎられた。と言うのも、鴉のうち一匹が、思いっきり彼の眉間やまぶたのあたりをつついたからだ。エリシャが次に気づいたときには、エリヤは数か所傷を負って血を流していた。
「あ……ああ、どうも」彼は言った。そして、持っていたぼろぼろの細長い布を取り出して、包帯のように顔にまきつけた。彼の目元が隠れた。包帯に血が滲み、ちょうど戦場で負傷した人物のように見えた。
「つまりな、エリシャ」エリヤは頭巾をとりながら言った。「こうやってちょいと変装してアハブのもとに出ようってわけ。お前が心配してくれたから、ちょっとは気を付けようと思って」
「そ、そうだったんですか」エリシャは言った。
「にしても、こんな荒っぽい方法じゃなくても。と言うか、理由を最初に言ってくださいよ、びっくりしたじゃないですか!」
「すまん」彼はそう言って笑った。
「まあ、なんにせよ……アハブは、結局、神様の言葉を信用できなかったんだ。とにかく、伝えろって言われた限り、神様の言葉は伝えなきゃなんねえだろ。お前、そこで待ってろよな。帰ってこれりゃ帰ってくるし、帰ってこれなくても俺の居場所は後で鴉が教えてくれるさ」
そう言って彼は切り立った崖をすとんと降りて行ったかと思うと、アハブのほうに向かって悠々と駆け出した。途中、彼は死んだ兵士からマントを拝借して、それで自分の体を包んだ。
彼の残した頭巾を握って、エリシャはぼんやりと死屍累々と言った上体のアフェクの野の光景を眺めていた。あの干ばつの二年間にどこか似ていた。神の怒りの前では、かくも人間の命など軽いものか。それでもなぜ、自分は神を恐れるのみならず、惹かれているのだろうか。


帰り支度を始めたアハブのもとに、よろよろと顔に包帯を巻いた人物が出てきたとき、彼はもちろん、それがエリヤだとは気が付かなかった。包帯で顔は隠れていたし、頭巾も脱いで、毛皮の服もマントで隠れていたからだ。
「王様」彼はぎこちないしゃべり方でそう言った。「どうか、訴えを」
「申してみよ」
アハブは言った。
「わたしはこの近辺に住んでいるものです。ところで、イスラエルのある方が、戦場を離れ、私のもとに一人男を連れてまいりました。言うには、そいつを見張っておくようにと。もし逃がしたら、お前はその代わり命を指す出すか、金を払えと。しかし、わたしがあれこれしているうちに、その男、逃げてしまったのです。命は差し出せませんし、金もありません。どうか、お慈悲を」
「哀れとは思うが」アハブははっきりした口調で言った。「お前はそのことで納得をしたのだろう。それをいざ破ってくれとはお門違いな話だ。その男、逃がしてはならぬ事情があっただろうにお前は逃がしてしまった。お前もいろいろ忙しかったのだろうが、そんなものは関係ない。そういう契約だった以上、相応の罰は受けなければならん」
「では、王様」
彼の口調が変わった。「あなたもですね」
彼が突然に言いだした言葉に、アハブははっとした。包帯で隠れた顔に、見覚えがあるような気がしたのだ。
「あんたも、最初から神様と、全てを与えるという約束をしておきながら、逃したんだ。逃しちゃいけねえ人物をあんたは逃した。あんたにも王の事情はあるだろうが、そんなもん関係はないと、そう言ったのもあんた自身だ」
「何者だ、貴様!」アハブは言った。「包帯をほどけ!」
アハブは彼に掴み掛ると、強引に包帯を引きちぎった。その中から、エリヤの顔が現れた。

「貴様……エリヤか!」
「ちっ、ばれたか。あっさりと」
エリヤはアハブを払いのける。周囲もエリヤが現れたとあって騒然とした。指名手配されていた預言者が、なぜこんなところに、と。
ふと、一人、預言者の天幕の中から出てきた。一本の三つ編みを揺らして驚きのあまり血の気の引いたような顔で出てきたのは、ミカヤだった。
「うそ……エリヤ?」
彼は目を丸く見開いて、彼らを眺めた。
「エリヤだ……エリヤが来た……彼に、また、会えたんだ……」
彼の目は、いつもの生意気そうな態度が嘘のように、無邪気にきらきら輝いていた。ふっくらした頬は若干紅潮していた。

「まあアハブ、手短に言っとくぜ。あんたはアラムから、滅びるべきベン・ハダドからなにもかも得るっていう神様の言葉に背いた。だから神様は俺に、こう言えと言って俺をここに使わしたのさ。『私が滅ぼし去るように定めた人物を貴方は手元から逃したのだから、貴方の命が彼の命に変わり、貴方の民が彼の民に変わる』」
「だまれ!」アハブが大声を上げた。
「貴様ら、何をしている。早くとらえんか!」
「おっと、そりゃごめんだ。俺は逃げるぜ」
エリヤはさっと身をひるがえして、他の人間が動く前に、馬よりも早いかと言う速度で逃げ出した。カルメル山で見せたのとまったく同じようにだ。足場の悪い岩山で馬車を追い抜くほど速いのだから、まして平地ともなると凄まじいスピードである。数人エリヤを追おうとしたものはいたが、彼はあっさりと振り切ってしまった。

「なんだあれは……本当に人間なのか?ええい、もうよいわ。残った者ども、帰り支度を勧めろ。不機嫌だ、とっとと王宮に帰るぞ!」
そうアハブが言うや否や、また彼を突き転ばすかと言う勢いで勢いよく馬を走らせた人物がいた。直接アハブを突き転がしはしなかったものの、勢いにつられてバランスを崩したアハブは結局そのまま地面に転んだ。彼が腰をさすりながら見上げると、地平線の彼方にかけて行かんとするその馬には三つ編みの少年が乗っていた。


「もう、まいたかね」エリヤはそう言った。ちょうど、エリシャのいる岩陰が見えるほどになっていた。後ろを振り返ったが、自分の速度に辟易したのか、だれも追っ手は来なかった。
彼はエリシャに目くばせした。エリシャも自分のほうに気が付いたらしく、手を振っている。早くここを離れようと彼が言おうとしたその時だった。
「エリヤ、待って!」鋭い声が聞こえた。追っ手かと思ったが、違った。馬に乗って全速力で自分を追ってきているのは、身の丈に合わないような長い服を身にまとった三つ編みの少年。
「ミ……」エリヤは目を瞬かせていった。「ミカヤ!?」
「エリヤ、やっと会えた!」ミカヤは叫びながら寄ってくる。「待ってよ、今度こそ、貴方と……」
エリヤは一瞬、エリシャに目くばせした。言葉は発さなかった。しかし、そうするや否やエリヤが別の方向に向かって走り出したので、エリシャは彼がやはり逃げて、自分は後で鴉に案内させるのだと思っていることを理解した。
エリシャは最初、ミカヤの事を追っ手の一人だと思っていた。しかし、エリヤとエリシャの大声で交わされる会話を聞くと、どうもそんな単純なものではないらしかった。
「なんで逃げるの!」とミカヤは叫んだ。「ボク、確かに生活のために宮廷に仕えてるけどアハブなんか……」
「関係ねえのは知ってるよ!逃げなきゃずっとついてくるだろうが!俺はなあ、お前に同情しねえわけじゃねえが、連れて行くわけにはいかねえんだよ!神様がそう言われたんだ!」
エリヤは叫びながら、必死で大地を駆けて行った。ミカヤも追いつこうとするも、やはり彼の脚力にはかなわないらしく、やがて馬のほうが疲れて失速してしまった。そこで彼は諦めたのか、がっくりとうなだれて、来た道を引き返した。
エリシャは一部始終をずっと見ていた。
「(誰だろう……あの子?)」
ミカヤと名のるあの少年、どうも自分より以前からエリヤと知った仲のように見えた。いったいどんな中なのだろうか。ずっとついてくるとは何か。なぜエリヤは彼から逃げているのか。
ふと、冷たい視線を感じたような気がした。そっと岩陰からぎりぎりまで顔を出さないようにしてのぞいてみると、ミカヤがこっちを見ていたように見えた。エリシャは背筋が寒くなった。
「いや……偶然こっち向いてた、だけ、だよな?」
彼はそのまま、隠れたまま迎えの鴉が来るのを待つことに決めた。

「エリヤ……せっかく会えたのに、また居なくなっちゃった……」ミカヤは呟く。
「それにしても、エリヤ、誰かと目配せしてた……あの岩陰にいた。ボクと同じくらいの男の子……なんで?エリヤって誰も連れてかないんじゃなかったの?気のせいだよね?偶然あっち向いてただけだよね?エリヤは今も一人なんだよね?」
彼はぶつぶつ呟きながら、サマリアに向けて疲れ切った馬に鞭を入れた。


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