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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第十八話

一か月もするころには、すっかりアドニヤとアビシャグは仲良くなっていた。当然、彼女がダビデに抱かれることなどはなかったが、彼女はだんだんそのことに関する焦りも気にしなければ周りの自分自身を睨む視線も気にしなくなっていた。その程度の余裕が彼女にはでき始めていた。アドニヤは非常に優しかった。
アビシャグに兄はいない。男友達を作るなどもってのほかだった。召使や家庭教師すらも、万が一の間違いを考慮して若い男はつけてもらえなかった。だから彼女にとってアドニヤのような年齢の若い男がそばにいるというのは生まれて初めての事で、最初のほうこそ多少の警戒心もあったが、それらすべてが杞憂に終わるほど彼は紳士的だった。彼は彼女に指一本触れない。柔和な笑顔で優しく語りかけてきたり、一緒に庭園の動物の世話をしたりするだけである。そのような彼をと交流することで、初めてアビシャグは、自分が男に抱かれる運命をどこか怖がってきたことも自覚した。高貴な男の子供を産むことこそがお前の人生だ、と命じられて育っては来たものの、男とともにそのような行為に及ぶという経験もしたことのないのだから、それ自身にアビシャグは一種の恐怖を感じていたのだ。いや、経験どころか若い男とろくに話をしたこともないのだから全く無理からぬ話である。そのようなことをしたこともないのに、全く何の恐れもなしに完全に悦びのみを持って初めての行為に及び子供を孕む方が、あるいは珍しいのではないだろうか。ただアビシャグに至っては自分の場合それを親に期待されているのだからと押し殺してきたのだ。ダビデとの初夜の晩で、自分が感じていた何かしらの恐怖の原因がようやく彼女にはわかった。アビシャグ自身ですら気が付かなかった。しかし、アドニヤが自分と距離を置いてなおかつ友好的に接してくれていることにおぼえた嬉しさから、彼女はそれを自覚したのだ。アドニヤは、彼女自身も気づかなかった彼女の恐れにすら敏感で、それを考慮し、接してくれる相手なのだと、アビシャグは感じた。
おまけに、彼は美男子である。さすがはあのダビデの息子、と思わせるだけのことはある。そのことを話したら、彼は笑って礼を言った後、「もっと美しい兄もいましたが」と話してきた。アビシャグにとってアブサロム王子と言うのはクーデターを起こした不届きものと言う知識しかなかったものの、アドニヤは彼がいかに優秀でよい兄だったか、彼があのような乱心を起こしてこの世を去ってしまったことがどれほど自分にとって痛ましい事だったか、しつこすぎない程度にアビシャグに語って聞かせた。
「国民の間ではもうすっかり歴史に消えた悪の王子となってしまいましたが、それでも、ぼくにとっては愛する兄でした」と、アドニヤは切なそうな表情で語った。その横顔がまた優雅なもので、アビシャグは自分の胸が高鳴るのを自覚できた。

アドニヤとアビシャグが仲良くしていることは、もちろん宮殿の中にも知れ渡っていた。若い二人が親しいとあって下種な勘繰りをする者は当然のように出てきた。アビシャグも後宮の女たちから度々そこをつつかれたものだった。ダビデと言う夫がいながらその息子となど、売女の極み、と彼女たちはその視線を持ってアビシャグに語ったのだ。
しかし、ほどなくしてその噂をアドニヤ自身が否定した。「彼女はぼくにとって敬愛すべき存在です。なんといっても敬愛すべき父の妻なのですから」と、一片の下心も感じさせない王子然とした顔で彼はそう語るのだ。それがアビシャグにとっても救いだったことは言うまでもない。アドニヤがそう言い切る以上、勘ぐる自分たちのほうがよもや悪ではなかろうか、と王宮の人間たちは感じるのだから。
また、ダビデもその件について何も言及しなかった。臣下の一人が恐る恐る問いただしてみれば、「家族同士仲良くすることに何の不利益があるというのだ」と、当然と言った顔でダビデは語った。
そうなれば、本当に他人の首の突っ込めるところではない。いつの間にか、二人の仲を邪推するような雰囲気も消え去っていた。


その日も、アドニヤとアビシャグは二人で宮廷の庭を仲良く散歩していた。アビシャグもすっかり宮廷に慣れ切って、今では勝手知ったる様で広い庭を闊歩する。長い癖のついた黒髪を無防備にゆらゆら揺らして歩くその後姿を見て満足そうにアドニヤは笑った。本当によくなついたものである、と。
「アドニヤ様、どうかなさいました?ご機嫌がよさそうですが」
「このような素晴らしい陽気のもとでは、特別なことがなくとも機嫌はよくなりますよ」
アドニヤは顔を崩すことなくそう言う。
「お父上とは仲良くやれていますか?」
「ええ、おかげさまで……ご病気の方も、最近、悪くはないそうで」
「それはよかった。父には、長生きしてほしいものです」
彼らがそのような話をして歩いていると、不意に視界に急いで通り過ぎようとした黒い影が入った。その正体は、言うまでもない。
「やあ、ソロモン!」アドニヤは陽気に声をかけた。
ソロモンのほうは厳重に体を包んだうえで「お兄様……に、アビシャグ。ごきげんようございます」と、少々棒読みで言った。
シクラメン畑に行くのか、と聞いてきたアドニヤに、ソロモンはうなずいて肯定を示す。
「私がここに来てからいくらもたちますし花壇の花も移ろい始めましたが、ソロモン様のシクラメン畑はいつでもきれいなままですのね」ふと、アビシャグがにっこり笑ってそう言った。
「……シクラメンは一年中咲く花ですから」
アドニヤに話しかけるのとは違う、無機質な口調でぼそぼそと言うソロモンを見て、アドニヤは心の中で呆れた。彼は相変わらず、アビシャグ相手だと態度がおかしい。まるで彼女を恐れているかのようだ。自分が一か月彼女に接してきて分かったことは、本気で彼女に恐れるところなど何もないということだ。極論を言えば、彼女ほど殺すに易い人間もないだろう。警戒心も疑いの心も世間慣れもすべてが最低のレベルだ。男好みの女を育てるには、本当に彼女の父は成功したと言えよう。往々にして男と言うのは馬鹿で油断ばかりしている女が好きなものだから。
ソロモンがその正反対で非常に警戒心が強く、パーソナルゾーンを侵害されることが大の苦手なのは知っているが、この少なくとも理解力はある弟が彼女のその本質を見抜けないでもないと思うが、はて?と彼は心の中で考えた。
その時、ふと呼ぶ声が聞こえた。アビシャグに、ダビデ王のもとまで来いと言うのだ。それが彼女の本来の仕事ではあるのだから、彼女は二つ返事で今すぐ行きますと言い、アドニヤとソロモンに別れを告げて、小走りで声の聞こえた方向に向かっていった。
二人残されたところで、アドニヤはソロモンと何かしら会話を続けようと彼の方を振り返った。そして、気が付いた。マント越しの彼の視線は確かに、立ち去っていく彼女をじっと見つめていた。ただ苦手なだけの人間なら、目もくれずに自分もこの場を去っていくであろう弟がだ。その時、やっとアドニヤの中に一つひらめくものがあった。
「(なるほど……ね。そういうことか。ああ、やっと気が付くとはおれもまだまだ鈍いな!)」
アドニヤは心の中でそう言い、ソロモンに近づいた。
「どうしたんだい?ぼうっとして」
「……大したことはありません。大丈夫です」と、ソロモンが言ったその瞬間、アドニヤは彼のマントの中に手を滑り込ませ、ソロモンの頬に自分の指を軽く食い込ませた。彼は驚いて「な、何をするんですか、お兄様」と言う。
「ああ。ごめん。君が調子が悪そうだから、熱でもあるんじゃないかってね……で。本当に熱があるじゃないか、ソロモン?いけないよ、そういう時は安静にしていたまえ」
「大丈夫です。すぐ治りますから。私は、シクラメンに水をやらなくてはならないので」
「そうかい?お父上の病気もなかなか治らないんだし…この上君まで病気になってしまっては、と思うと、ぼくは気が気でないよ」
焦ったような声でそう言うアドニヤの言葉をを「本当に何でもありません、お気になさらず」と早口で遮って、ソロモンもさっさとその場を立ち去って行った。一人残されたアドニヤは、誰も見ていないのをいいことに、にやりと笑った。
「(いやいや……あいつがまともな人間からあんまりにも離れているもんで、気が付かなかったよ。なんだ、あいつも人間並みの感情があるとはね、あの化け物に!意外だったよ、全く。……ああ、でもこれは面白いかもしれないぞ。良い暇つぶしになりそうだし、なにより、あいつがどこまでおれに尽くすようになったのか、ちょっといいテストにもなりそうなことを思いついてしまったよ)」


部屋が暗くなり、ソロモンが部屋の蝋燭に明かりをともしたころ、扉をたたく音がした。「ソロモン。ボク、隠れてるね」という声とともに、ベリアルが姿を消す。それと同時に、ソロモンは「今、開けます」と言って扉の鍵を開けた。この扉の叩き方で、誰が来たのか彼にはわかった。扉を開けて現れたのは、アドニヤだった。
「やあ、ソロモン。今、大丈夫かい」
「ええ、暇にしていました」
ソロモンはそう言って、アドニヤを見上げる。彼は少し面食らった。アドニヤはいつになく、思いつめたような真剣な表情をしていた。
「実は、君にここだけの話があるんだ。……君以外には、誰も相談できない。誰にも聞かれてはならないんだ。ソロモン。聞いてくれるかい」
アドニヤは張りつめた表情のまま、そう続けた。アドニヤがそのような顔をすることなど、初めてと言ってもよかった。
「……わかりました。お兄様、どうぞ奥へ。私の部屋など、誰も来ませんからね。内緒の話には一番良いでしょう」
「ありがとう」
そう言葉を交わすと、ソロモンはアドニヤを部屋にあげ、彼が奥の寝台に腰かける間に内側からまた鍵を閉めた。彼の部屋に椅子は一つしかないので、アドニヤは寝台に座るほかないのだ。
「どんなお話でしょうか」ソロモンは一つだけの椅子に腰かけて、アドニヤに言った。
「はっきり言おう。ぼくはこれから、非常に恥知らずな話をする。そのことを承知の上だ。だが、誰かに話さないことにはやっていけないのだ。それほど、ぼくはつらい。だがね、ソロモン。君は君の倫理に従いたまえ。もしもぼくの言葉を聞いてなんと恥知らずな兄と思えば、もうぼくのことを兄などと思わずにいてもいい。父上に言ってくれても結構だ。ぼくはそうされても文句の言えない思いを抱いているのだ」
「お兄様?」ソロモンは怪訝そうな声色で聞いた。「どうなさいましたか。そのようなお兄様は初めて見ますが」
「見るだろうね。ぼくは必死で覆い隠してきたのだから。このような人でなしの自分を」
「お兄様、お話し下さい」ソロモンはせかすような口調で言う。「どのようなことであっても……お話しない限り、私には何も言えません」
どのようなことがあっても、貴方は兄だ、とは言わないあたりがこの弟らしいとアドニヤは思った。アドニヤはためらうようなそぶりをした後、ようやく言葉を紡いだ。
「君、アビシャグの事をどう思うね」
「アビシャグですか?」
思いもよらない名前の出現に、これまたソロモンはどう対応していいか迷う。
「……美しい人間だと思いますね」
「そうか……それだけかい?」
「それだけです。で……何か?」
「ああ、君は幸福だ。なぜかと言えばね、ぼくにとってはそれだけじゃないんだ」
アドニヤは先ほどにもまして苦しげに眉をひそめ、絞り出すように言った。
「はっきり言おう。ぼくは彼女を美しいと思う。そして、人間としても敬意を払っている。だがそれ以上に、僕は彼女に恋情を覚えているのだ。実の父の妻相手に」
その言葉に、ソロモンは不思議な感触を覚えた。一番近いものを上げるならば衝撃であるが、衝撃と言う言葉を使うにはそれはあまりにも大人しく、あまりにも静かで透明だった。だが、それは確かに衝撃であったようにも思える。静寂の中で頭が混乱した。何がそれを引き起こすのか、彼には判断ができなかったし、また、しているような時間もなかった。アドニヤが少しの間の後、また言葉をつづけたからである。ゆらゆらと蝋燭の光が揺れた。日はもう落ちてしまったのか、部屋はすっかり暗くなっていた。アドニヤの顔に影がかかっている。ちょうど、あのアブサロムの反乱の日、アドニヤが初めてこの部屋に来た日を思い起こさせた。
「ああ、やはりあきれるだろうね。それはそうだ。父と言う何者にも勝って尊敬すべき存在の妻に劣情を抱くなど、まるで犬畜生にも等しい行為だ」
「お兄様、そんな……」
「ぼくは分かっている。わかっているとも。わかっていればこそ、ぼくは何もできない。だがねソロモン、このような感情を吐露できる相手など、君しかいないんだ。だからこそ、ぼくは君にすがりに来た。君にすれば、実に迷惑な話だろうが……」
ふと、アドニヤの目に涙が一筋流れるのがわかった。彼は瞼を震わせて、涙を袖でぬぐった。
「ぼくを軽蔑したかい?だが、ぼくは情けないんだ。そして他人にすがりたい。教えてくれ、ソロモン。ぼくは何をすべきだ。ぼくは一体どうすればいいんだ。このような思いを抱えて、ぼくはどのように生きて行けば……」
「お兄様!」
不意に、はじけ飛ぶような声が聞こえた。アドニヤも、一瞬本気で驚いた。ソロモンがこんな大きな声を出せるものかと。
ソロモンも大分興奮状態にあるようだった。震え声で、彼は言った。
「そのように……言わないでください。お兄様。貴方は何も悪くない。兄を殺し国をひっくり返したことに比べれば、何と浅い罪ですか。……いいえ!そもそもそれが罪であること自体がいうなればおかしいのです!生物学から言っても、魅力的な異性に惹かれるのは生物として当然の話です、それを責められねばならんとは、なんとおかしな話ですか?お兄様……自分をお責めにならないで下さい。私もあなたを責めません。軽蔑などいたしません。これからも、貴方は、私の、兄です」
弱気なアドニヤが、ソロモンにはひどく庇護するべき生物のように思えた。この兄を励ましたい、とソロモンは思った。他人に対してこのような感情を抱くのは初めてだと自覚した。これは一体なんだというのだろうか。見返りもなく、他人を庇ってやりたいと思えるなど。他人に油断を見せれば殺されるのだ。ましてや自分がそのような情けをしたところで、誰がそれを喜ぶだろうか?化け物が一丁前に人間並みなことを、と感謝の一つもなしにあざ笑われた挙句、利用されるだけは利用されるのが落ちだ。他人など信用出来ない、情けをかけるに値しない。それが、自分が幼いころから信じ続けてきた一つの真理ではないのか。
だが、アドニヤは別なのだ。ソロモンはそう自分が考えていることが分かった。そうだ、アドニヤは別だ。アドニヤだけが唯一、自分に優しくしてくれた人間なのだから、別ではなくて何であるというのだ。ソロモンは自分なりの言葉を並べて、アドニヤの言葉を否定し、彼の気持ちを肯定した。ソロモンは裁判官になったような気持ちで、姦淫の罪人として自分自身につるし上げられたアドニヤを必死に弁護した。
それはそうとしてソロモンは、心の底で何かしらの痛む気持ちも同時に抱えていた。なにか、彼がアビシャグに恋するのを許しては置けない気持ちのようなものが。この気持ちはなんだというのか?自分はダビデなどに間違っても恩義など感じていない。下種なことを言えば、妻の一人くらい寝取られたからとて彼に対する恨みは晴れなかろうとすら思っている。ではなんだというのか?律法か、倫理観か。だがそれらを差し置いても、アドニヤに勝るものはないと彼は判断した。倫理と言うのなら、自分に適用されてきたものが倫理と言うのか。息子を無視し、さげすみ育てることが倫理だというのか。おそらくはそうなのだろう。王と言うのは何をおいても倫理を守る存在であってしかるべきなのだから、ダビデの実行するところならば倫理であるのだ。だとするのならば、自分が倫理の味方をする道理などあるのか。いや、ない。ソロモンはそう判断し、その気持ちを仕舞い込んだ。自分は、アドニヤの味方なのだ。この青年、たった一人の家族の味方なのだ。彼は自分自身にそう言い聞かせた。そして、アドニヤのほうを見た。
「お兄様。お兄様の望む結末は、私にはわかりません。それは、お兄様のお好きなようにしてください。ただ、この私は、お兄様が望むのであれば、どんな形であれお兄様に協力しましょう」
彼はアドニヤをまっすぐ見つめて、そう言った。抑え込んだ例の感情が暴れているのか、冷や汗がわいているのがわかった。

「本当かい?」
アドニヤも震える声でそう言った。「本当に、こんなぼくを受け入れてくれるというんだね」
「はい、当然です」ソロモンは言った。
「受け入れるも何もありません。貴方が間違っているものか。数値的に考えてみてもおかしいではありませんか。男女の数が同数の人間の世界において、男は女を何人も囲えるというのに、女には生涯一人の男しか与えないというのは。あなたとアビシャグは結ばれる権利があります、生物学的、数学的に考えてもそれが一番しっくりくるんだ。ましてや恋情を覚えることの罪とはなんですか。実害もないことをなぜあなたは罪と呼ぶのか。安心してください。私は、貴方の味方です。お兄様」
半ば自分の、その感情にも言い聞かせるような気持ちでソロモンはそうまくしたてた。蝋燭に照らされたアドニヤの顔が、みるみるうちに普段の明るい表情に戻っていくのがわかった。
「そうか。ソロモン……そう言ってくれるんだね。嬉しいよ。ぼくは、本当に幸せ者だ。君のような弟を持つことができて……」
アドニヤはそう言って、ソロモンを抱きしめた。ソロモンも、彼が自分の背中にしているように、彼の背中に腕を回した。思えば、このようにするのは初めての事だったが、そうしたいと思った。
「ソロモン。ぼくに協力してくれると言ったね?」アドニヤの声が耳元で聞こえる。
「はい」
「ぼくは、彼女に、ぼくの気持ちを伝えたい。彼女にどう思われようと、伝えたいんだ。ぼく一人の中で完結させたくない」
「善い事でしょう」
「……ところで、ソロモン。君、詩作はできるかい?」
「詩作ですって?」
アドニヤの言葉を聞いて、ソロモンは抱き合ったままそう言った。
「恥ずかしいことだが、僕はとんと駄目なんだ。分かるだろう、直接告げたら、もしもその場で断られるかと思うとぼくは怖いんだ。ぼくは彼女に文を送りたい。だが、それが書けないんだ。しかし、聡明な上芸術家のようなセンスもある君ならば、あるいは……と」
「……私に、代筆をしろと言うのですか?」
「ああ。……頼めるかい?」
ソロモンは詩作の知識も大分あるつもりであった。書こうと思えば書けるであろう。易いことだとは思った。
彼は、溢れる冷や汗を叱咤しながら、「もちろんお引き受けします、お兄様。ことがよく行きますように」と、アドニヤに抱きしめられたまま話した。
宮廷の大人たちには言えないような秘密を共有しあった兄弟は、その後しばらく部屋の中で抱き合っていた。ソロモンにはそう思えただろう。何にせよ、彼にはアドニヤの顔が見えなかったのだから。美しい顔を実に醜くゆがめて笑う彼の顔を見ていさえすれば、ソロモンがそのように思ったはずがないのだ。


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