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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第十九話

翌日から、ソロモンは兄に依頼された一件に取り掛かった。筆はとても速く進んだ。窓の外は明るい。まだ午前中なのだから、当然である。
彼は当たり前のようにさらさらと、愛を語る優美な歌を羊皮紙の上に書いて見せた。まるで図形を描くかのように、その筆はスムーズに進んだ。どこか、机のわきに追いやられた図形を描いた方のパピルス紙の束が自分たちが構われないことに不満を抱いているかのようにも思えていた。ソロモンはそれを想って、これが終わればきちんと彼らにもかまってやろうと考えた。
「早いね」と、暇そうに後ろに構えているベリアルが声をかける。
「お兄様が待っている。仕事は早い方がいい」
彼は、ベリアルには目もくれずにそう答える。
ソロモンはそう言い流すも、実際のところ自分でも随分と速く書けるものであると関心を覚えていた。一体何が自分にそうさせているのだろうか。反射的ともいえるほど次々浮かぶ言葉を紙に書きつけると同時に、ソロモンは自己分析をする。
『わが愛する者よ、見よ、あなたは美しい』彼は彼女をほめたたえる文句を書いている途中に、ふと、その自己分析の結論に至った。
「そうだ」
「……?ソロモン、どうかした?」
「いや、俺も何故こうさっさと筆が進むのか考えていたところなんだよ」
「書きながら…?まあ、いいか。で、それがわかったんだ……なぜなの?」
「そうだな……上手く形容しがたいのだが、その……理由のほどはまだわからないのだが、俺は何処か、本心からこのようなものを書きたいと思っていたふしもあるんだと思う」
彼はパピルスから目を離すことも、手を止めることもなくそう語った。ベリアルは彼のそばによって、より言葉をじっくり聞こうと構えた。
「そうなの?」
「何か、こう……楽しいんだ。俺の中にくすぶっている何かが形を持って現れているのをはっきりこの目で見るような感覚で」
「ソロモン、君は詩作にも興味があったってことかい?」ベリアルが言う。
「ううん……どうなんだろうな。無かったというほどのものでもないのだが…」
彼はなおもさらさら書き続ける。彼の字は流れるように繊細で美しい。あまりに文字の形、大きさ、全てにおいて整いすぎていて、どこか非生物的な印象すら与えた。ベリアルはソロモンのそばでそれをじっと、愛する者を見るような柔かい目つきで見ていた。ベリアルの体の光に手元が照らされて、いささかばかりソロモンは筆記がしやすかった。ベリアルは片手だけを机の上に置いて、そこに体重をかけるような姿勢で傍に立っていた。彼の光の糸のような金髪が格子窓から入ってきた風に揺れる。彼はそれを白い手で一つにまとめると、ソロモンの邪魔にならないようにそのまま片手で押さえつけた。
「ベリアル」ソロモンがふと口を開いた。
「どうしたんだい?」
「俺は、詩が作りたいというより、ただ彼女にこのような言葉を送りたかっただけかもしれない」
少し目をうつむかせて、彼は言った。彼の手は、アドニヤの言葉と言う名目での、シュネムの少女に対する愛の言葉をつづっていた。そして、それがもう終わりに差し掛かろうとしていた。格子窓からもう一度風が吹き込む。窓の外はシクラメン畑だ。シクラメンに香りはないので風に乗って香りが入ってくることはなかったが、どこか、風の中にシクラメンの気配が確かに感じられた。なぜか、畑にヤツガシラも来ているような気がソロモンにはしていた。
「俺も、彼女が好きなのかもしれない。だから、これがただの代筆ではなく、俺の本心たりえるのかも」
その言葉を聞いて、ベリアルは静かに微笑んだ。ソロモンは彼に目を合わせようとはせず、書き終わってペンを置いても、しばらく顔をうつむかせたまま、椅子から立ち上がろうともしなかった。


ナタンはここのところ、王宮に上がっていなかった。と言うのも、不吉な預言に彼は苛まれていた。王に伝えねばと言う義務感はあれど、知らせなくてはならないと思っていても、渋る気持ちを彼は止められなかった。神の言葉を知らせるのが自分の使命だという自意識の強い彼であっても。
彼は心のどこかで願っていた。この預言は神の意志など介入しないただの自分の夢であることを。何事もなかったかのように忘れ去ってしまいたかった。十二年前見たものも、三年前見たものも。
彼はここのところ、幾度となくソロモンの夢を見ていた。全くいつも寸分たがわず同じ夢だった。自分自身の行動や発言すら、違うことをするのを許されていないかのように同じに事は進んだ。光景は、宮殿の大広間だった。大広間の玉座に、ソロモンが座っていた。三年前とは違ってグロテスクさを感じるものは一切存在しなかった。ただ、そこは恐ろしい空間であるようにナタンには思えたのだ。息をすることができない。自分がそこに居ることを本来許されてはいないかのようであった。
王の周囲には何人もの侍従が控えているのが普通ではあるが、そのようなものは一人もない。生きている人間は、ソロモンとナタンの二人だけだ。
ソロモンはナタンに片手を差し伸べる。彼は王の衣装を身にまとい、あの黒いマントを着てはいなかった。
「清め油を」彼は口を開いて、ナタンにそう言った。ナタンの手には清め油の壺が握られている。彼は人形師に糸を引かれる人形のようにソロモンのもとに寄ってきた。彼とナタンしか生物はいない空間で、響き渡る音もナタンの足音一つだった。今すぐにでも逃げ出してしまいたかった。しかし、足がそれを許可してはくれなかった。
ソロモンの前に立った彼は、壺を開け、清め油を頭から彼に注いだ。彼の髪は、不思議と、いつになく艶めいていた。老人のようだったか髪の毛が、いっそ美しいと言ってもいいようになっていた。白い髪の毛に交わった油がそれらを伝って、彼の長い髪の表面をゆっくりと滑り、彼の肌に注いだ。彼の生気のない肌が油にぬれて不思議なきらめきを放つ。彼は自分の唇のわきに流れてきたそれを細い指でぬぐった後、ぺろりと舐めとった。油にぬれてまっすぐになった髪の毛の先から滴り落ちた油が、彼の衣装をもぽつぽつと濡らした。ナタンはその間ずっと、息ができなかった、自分の体が自分の思うままにならなかった。誰もいない空間で、ソロモン一人が生命を維持していた。
目を上げた時、彼の頭の上にはどこから現れたともわからない王冠が乗っていた。光でできたそれは、不思議とシクラメンで作った花束のようにも見えた。それをナタンが見た次の瞬間、ソロモンはナタンの首を絞めた。彼の赤い視線がナタンを睨む。この世の恨みと憎悪のすべてを持っているかのような目だった、彼はナタンの首を折らんとする勢いで締める。意識がいよいよ消えるとなった時、最後に映る光景があるのだ。そこは墓地のようにも思えた。大量の棺桶と一緒に、ナタンもそこに、ゴミを投げるかのように放り込まれた。人間一人を片手で放り投げたそれは、ソロモンのようにも思えたし、天使のようにも、悪魔のようにも思えた。
そこで、目が覚めるのだ。そのようなことが、ここ数日続いた。
ナタンは、ある結論をもう出さざるを得なかった。これが神の意志なのだ。ただの幻覚と割り切るには、もうはっきりしすぎていた。波風の立たなくなる時期を待って、先延ばしにしておく時間ももはやないかのように思われた。


午後になって、アドニヤは来客の声を聴いた。そして、驚いた。扉の前に立っているのは黒いマントを着込んだ弟の姿だった。彼はアドニヤの部屋の近くに控える衛兵を警戒するようなそぶりで、「お兄様」と彼に声をかけた。ソロモンが自分の部屋に来るなどと言うのは初めての事だった。
「やあ、どうかしたのかい?」と、アドニヤ。
「先日のものができました。どうぞ」
彼はマントから延びる白い手に握った羊皮紙の束を彼に手渡した。アドニヤはそれを見てもう一度面食らう。
「昨日の今日で?」
「はい……いけませんか」
「いや、そんなことはないんだが……へえ、君、字が綺麗だな。隙のなさと言うのはこういったところにも表れるものだね」
彼はソロモンから受け取ったそれをまじまじと眺めていた。その間、ソロモンはずっと居心地悪そうにしていた。それを見て、アドニヤは文を読むのをやめて、そっと彼の頭を撫でた。
「ありがとう……本当にありがとう」
いじらしいまでの声で、彼はソロモンにそう言った。彼は幼児にするように、何度も弟の頭を撫でる。それを受けて、ソロモンはマントを少し上げて、赤い目を彼に向けた。
「お兄様、事がよく行くことを祈っております」
そうだけ言って、彼は速足でアドニヤの部屋を後にした。


「ソロモン、よかったのかい?」
その足でシクラメン畑に向かおうとしたソロモンの耳元で、ベリアルがそうささやく。
「良いって、何がだ」
「アビシャグがアドニヤの事好きになってもいいの?」
「合理的に考えてみろ、それが一番いい。俺を好きになる女などいるはずがないのだから、俺の感情を優先したところで誰かにとって特になるということがない。俺が彼女に好意を持っていたとして、それが実ることなく、かといってアドニヤの思いも同時に実ることがないのならば、当たり前の結果として誰かが新たに幸せになるということはない。それに万が一にも俺の感情のほうが成就してしまえば父やアドニヤ、そしてこんな俺と付き添うことになる彼女にも害があると言えよう。だが、アドニヤならば……そう、あの兄なら関わる人間をみんな幸せにできる。少なくとも兄も彼女の二人は幸せになれる。数値から言って、それのほうがどう考えてもよい道じゃないか。俺が合理的ではない道を選ぶと思うのか」
「そんなこと言いたいんじゃないけど……と言うか、ややこしくてこんがらがってくるよ」
ベリアルは頭を掻いた。
「それにだ……ベリアル。そのことを差し置くにしても、俺がアドニヤを、お兄様を裏切れるか?俺が自分の勝手な感情のために、すがってきたお兄様を見離したら、あの人はどうなる」
ソロモンはカツカツと足音を立てて、渡り廊下を歩く。人は少なく、彼の声を聴く者はいなかった。ソロモンは渡り廊下の一本の柱に身を寄りかからせて、遠い目で言った。
「俺はお兄様のために働きたいんだ。あの人が俺のおかげで喜んでくれるなら、俺は、それで幸せなんだ」
彼らは外に出た。昼間の日差しが強い。ソロモンはぐっと、マントを深く押し下げた。そして、その場を離れ、庭に降りた。後には、マントをかぶることもなく日に照らされた白い柱だけが残った。


そして、日も沈み切ったころ、全く同じ場所にやはり人がいた。庭に出る渡り廊下。そこに、人影が立っていた。月明かりが彼を照らしていた。
無論、ソロモンではない。もっと背が高いその彼は、アドニヤだった。黒色の巻毛を月光に光らせて、彼はたたずんでいた。彼の手には竪琴が握られている。彼はそれを演奏していた。ちょうどソロモンがふれたのと同じ柱に彼もに背を預けて、竪琴を奏でていた。彼の長い指が弦の上を滑り、様々な音が混ざり合う。ふと、弦の上を走る指を止めて、彼は足音の聞こえてきた方角を見た。小さな足音だった。
「アドニヤ様?」少女の声が聞こえる。月明かりに照らされたその声は、アビシャグのものだった。
「やあ……アビシャグ。来てくださったのですね。嬉しいですよ」
彼は彼女に目を合わせることなくそう言った。
「ぼくの竪琴もなかなかのものではありませんか。父上には劣りますが」
「ええ……素晴らしかったですわ」
体重の軽さを思わせる足音を立てて、アビシャグはアドニヤの柱に近づいた。石造りの廊下にそれが響き渡るかのようだった。アドニヤは静かに、竪琴を足元に置く。
「アドニヤ様…あの、お文を……私、読みました」
「ええ。だから、ここにいらっしゃるのでしょうね……アビシャグ、ぼくを軽蔑し、なじりに来ましたか。敬愛すべき貴方にあのような思いを抱く、このぼくを」
彼は悲観的な言葉を言いつつ、その口元は笑っていた。幻想的な月明かりとも相まって、彼はまるで天使のように清らかな表情だった。アビシャグは彼のその表情を見て、言うべきか言うまいかと悩んでいた言葉を言う決心が、ようやくついた。
「アドニヤ様…実は私も、貴方様をお慕いしております。ずっと前から…貴方を愛しております。ふしだら女と笑ってくださいませ、夫がいる身でありながら、と……でも、それでも私も、貴方様に惹かれているのです。貴方様をお慕いしております。父や、ダビデ様に感じる愛情などではありません。私は……」
ふっと、自分の体が浮いたような感触をアビシャグは味わった。アドニヤが彼女を抱きしめたのだ。アビシャグの胸が高まる。服越しに、アドニヤの男らしく引き締まった肉体の感触が感じられた。
「ありがとう」彼は、アビシャグにそうささやいた。そして、静かに彼女と唇を重ねた。渡り廊下にいる二つの人影が、今は重なって一つとなっている。その状態がいくらも続いた後、アドニヤは静かに彼女の唇を解放した。
「アドニヤ様」彼女は息を吐きながら、ほんのり上気した顔で言った。
「なんだい?」
「信じていただけないかもしれませんが……私、生娘なのです。ダビデ様には、一回とて、抱かれたことなどないのです」
アドニヤは一呼吸おいて「そうですか」と鷹揚な口調で言った。
「そのことを私、悲観しておりました。でも、今となってはその必要もありません。おそらく、この時のためだったのですわ。私が真実愛するお方と、清らかな姿で愛の言葉を交わすため、神様が私にこのような運命をお授けくださったのですわ」
その言葉を聞いて、アドニヤはもう一度笑って、彼女にキスをした。そして、彼女の体を一層強く抱きしめた。夜の鳥の泣き声が聞こえ、彼らは恍惚とした表情でお互いの目を見つめあった。



それと全く同じころに、ダビデは一人、部屋で昼間の事を思い出していた。昼間、ナタンが現れてこういったのである。
「陛下、陛下の跡を継がれる人物の預言が、幾度となく私に降り注いでおります。恥ずかしながら……私は恐れます。その預言を。しかし陛下、言わねばなりません。我らが主、神の意志なのです。お聞きくださいませ。王位を……ソロモン様に約束するのです」
そう言ったナタンは、思いつめたような顔だった。目には濃いクマができ、なんなら今にも死んでしまいそうなほど衰弱しているようにも、ダビデには見えた。一体どんな張りつめた預言だったのか、推して知ることができようというものだった。
「ソロモンを…?」彼はナタンに言った。
「しかし、アドニヤはどうなる。あの息子は……あの善良な息子は」
「へ、陛下、私は…」ナタンは震える声で言った。「私も、同じような意見です。あのソロモンに王が務まりましょうか。あのような恐ろしい悪魔の子、不倫の子に誰がついていきましょう。おぞましい事です、彼のあの白髪に清め油が注がれ、赤い目の王が玉座につくなど、あってはならぬことでしょう。もしも神の言葉が介入しなかったら、私がなぜあのアドニヤ殿下を差し置くようなことを言えるというのでしょうか。しかし、しかし……ああ、神のご意志ではあるのです。神のおぞましさは我らのおぞましさと必ずしも一緒ではない。ダビデ陛下、ご決断を。イスラエルは神の国。神の意志に従わずいることは、アドニヤではなくソロモンを王の座につけること以上に、国が終わるも同じことなのです」

ダビデは、宝石箱を開け、自分の紋章の刻まれた指輪を中から取り出す。ルビーでできたそれは、そのおぞましいほど透き通った赤さにおいて、彼の息子の瞳を連想させた。
このようなことになるのではないか、と、ダビデは考えていた。ソロモンが生まれた時より、ずっと自分はそのような恐れにどこかしら苛まれてきたのだと、彼はルビーの赤さを眺めながら、思いをはせた。
初めて、泣き声一つも立てない白い赤ん坊を見た時から、ダビデには、このような不吉な未来が何となく思えていたのだ。これは自分の罪の権化だろうか、いや、それだけではないと。彼が自分の罪の裁きを下すのだとしたら、それはその誕生においてのみではないと、彼は考えた。
もう十四年も前の事になるのに、はっきりと思い出す。自分はあの時、確かに赤ん坊だったソロモンを見てこう思ったのだ。自分の人生が幕を閉じるとき、その舞台には二人しかいない。一人は醜く年老いた自分、そしてもう一人場に立つ演者は、この屍のような息子だと。


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