クリスマス市のグリューワイン

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美女ヘレネ 二話

シモンは自分の事を魔術師であり、この世の至高の神の教えを説くものであると名乗った。数人の仲間とともに旅をして信者を増やし、今はローマを目指しているらしかった。
「ローマには今、宗教が乱立している。イシス、ミトラス、セラピス……」シモンは不愛想に呟いた。
「人心が乱れているということだ。人類は不安定な時こそ神にすがる。しかしその際に間違った神にすがってはどうしようもない、そうじゃないかね、ヘレネ」
イスラエルを出て、彼らは小アジアのルステラにいた。ぼんやり突っ立っているヘレネに、シモンは荷物を開きながらそう問いかけた。
「イシスの名は多少懐かしいな、おれが魔術を習ったのはアレキサンドリアだ。イシスは魔術の女王とあがめられていたからな」多少懐かしそうな眼をして、シモンは呟く。ヘレネは適当に相槌を打っていた。
「だが、所詮真実の神ではない。エジプト人が作り出した妄想の産物に過ぎない。彼女の夫たるオシリスも、息子たるホルスも、存在せんのだ。真実の教えは唯一つだ。おれは人類に本物の僥倖をもたらすためそのことを啓蒙せねばならん、そうじゃないか」
「そうだとおもいます。いいことですから」
ヘレネはにっこり笑って、そう答えた。
彼女のその言葉を聞くと、シモンも満足そうににやりと笑い、荷物の中から真っ白な丈の長いドレスを取り出した。
「着ろ」
そうとだけ命じると、彼自身は別の荷物を開けることに取り掛かる。貴金属の類が入っている木箱だ。シモンはそれを風呂敷の上に一度にぶちまけると、どれを選ぶべきか考え始める。ヘレネはそんな彼の横で、自分の着ている粗末な旅衣装を脱いで裸になると、シモンに渡されたドレスを手際よく着付け始めた。
「着なれているのか?」大きなルビーのはめ込まれた腕輪を手に取って、シモンが言う。
「はい。でもいまののほうがずっとすべすべしてて、いいです」
「それはそうだ」
ヘレネが帯を締め終わるのを見届けると、シモンは一対の腕輪と首飾りを取り出し、ヘレネに投げてよこした。
「メナンドロスの奴は何をしているんだ?」シモンはまた不機嫌そうな顔に戻って呟くと、部屋から少し急ぎ足で出て行った。ヘレネは腕輪をまじまじと見つめていた。窓から差し込む明りにルビーをさらすと表面がきらきら輝くのを見て、ヘレネも微笑んだ。ふと、つるつるに磨かれた宝石の断面に自分の顔が映っているのに気が付いて、ヘレネは鏡に向かってするように、穏やかに微笑んで見せた。ルビーに映った真っ赤な自分も微笑む。ヘレネはルビーの鏡を見ながら、髪をとかし始めた。
「何をやってるんだ、まだつけてなかったのか?」と言うシモンの声が聞こえて、ヘレネはようやく我に返り、あわてて腕輪を腕にはめた。彼は大量の薔薇の花が入った木箱を抱えて入ってきた。「まったく、おれの弟子ながら手際の悪い」ドスンと音を立てて木箱を床に置き、シモンもその傍に胡坐をかいて腰かけた。箱の中の薔薇はすでに全部刺が抜いてある。シモンが弟子に抜くように命じていたのだ。もっともヘレネにはその因果関係は分からず、なぜ彼がメナンドロスの名前を出したのか、なぜ彼は不機嫌そうなのか、なぜ刺のない薔薇があるのか、三つの疑問が全くまとまることなく頭の中でこんがらがっていた。
シモンはそんな彼女は意に介さず、驚くような素早さで薔薇を編み合わせ、花冠を作り始めた。ヘレネも答えの出ない疑問の回答を探すのはやめて、彼の手先に見とれた。娼婦の中でも良く花冠を作って遊ぶ者はいたが、ここまで器用に手早く編み上げるのはシモンが初めてだ。一本一本の薔薇が意志を持ってより合わさっているようにすらヘレネには見えた。くらくらするほど鮮やかな薔薇の赤色がシモンの手先に集まり、ルビーにも負けない輝きを作り出しているようにすら思えた。ふと、ヘレネにはバラの花びら一枚一枚がシモンの顔を映しているのが分かった。
あっと言う間にシモンは花冠を編み上げ、完成したそれを両手で持ち、しばらくじっとそれを見つめていた。
すると、薔薇の赤色が徐々に海のような青色に浸されていき、ヘレネがそれを傍によってじっと見始めたころには、完全にすべての赤い花弁が青に沈んでいた。
シモンは花冠を見るために首を下げているヘレナの頭にそっとその青い花冠を乗せる。
「立ってご覧」シモンが言った。ヘレネはゆっくりと、冠を落とさないように立ち上がる。シモンは満足げな顔でため息をつくと、「素晴らしい。まさに女神だ」と呟いた。
「おいで、ヘレネ。お前は何も言わずにおれのそばにいるだけで構わん。いや、そうしていろ。お前は何もしなくていい。お前の存在こそがお前の価値なんだ。お前はおれが数年かけてようやく見つけ出した女神なのだから」
シモンはヘレネの手を引いて、群衆の集まる広場に歩き出していった。


広場に出た途端、ヘレネは群衆の視線が自分に集まっているのを感じた。それも、相当に不自然なのが一瞬で分かった。今までめいめい勝手な事をしていたというのに、突然それをやめて磁石のように首を曲げてシモンと自分に視線を注目させるのだ。ヘレネは特に何も思わず、なんとはなしにそれらの人々ににっこりと笑顔を向けていたり、広場中にあるギリシャの神々の像を眺めたりしていた。赤い薔薇を青くできるシモンならこのくらいのことはできるだろう、というのが彼女の論理だった。
シモンはヘレネの手を引いて、広場の一段高くなった台に上ると割れるような大声で広場中の人々に呼び掛けた。
「ルステラの人々に問おう、神とはいったいなんだ?」
広場の群衆の視線は完全にシモンと自分に釘づけとなっているのが、ヘレネにはよく見えた。
「神とはゼウスの事だ」「ヘルメスのことだ」と銘々から声が上がる。声のやむのを待つと、「そうか、それが答えか。だが私は貴様らに告げよう、それは間違いだと。ゼウスにヘルメスにアポロンなど、詩人の妄想の産物にすぎんのだ。なぜならばこの世の神と呼ばれるべきは彼らよりも格段に高尚な存在であり、なおかつ今この世を支配しているのは彼らよりも一層低俗な存在なのだから」
シモンは彼の言葉に耳を傾けるルステラの群衆に向かって、彼なりの創造神話を高らかに語った。この世の至高神の話、彼が彼の思考を通じて世界を創造しようとした話、エンノイアと名のついた彼の思考、美しくて無邪気な女神が父なる神のもとをはなれ天使達やさまざまな原理を創り出した話、彼女の子供達がいま我々がここにいるこの世を創造したことを、ホメロスの叙事詩を語る詩人よりも朗々と語り上げた。民衆達も半ば酔ったような目で彼の言葉を聞いていた。彼らの頭の中ではおそらくシモンの語る神秘の世界が目前で起こっているかのように展開していたのだろう。ヘレネはそれをぼんやりと見ていた。陶酔した人間の顔がここまで並ぶのはいくらなんでも気持ち悪い、と彼女は感じていた。
「だが、天使どもは自分達を産み出した偉大なエンノイアの力を憎み、恐れ、彼女を貶めんと考えた。何故か?彼らの傲慢のせいだ。彼らは認めたくはなかったのだ。己達が被造物であり、従うべき存在であることを。あまりに傲慢な彼らは自分達こそ至高の神でなければ気が済まなかったのだ。そのためにはエンノイアの存在が邪魔だ!哀れなエンノイアは失墜し、至高の神のもとを離れ、世界に囚われた。お前達はさぞかしホメロスが好きだろうな。ではトロイア戦争を知っているだろう。教えてやろうか、ギリシャの傾国の美姫、ヘレネーもエンノイアの化身だった。至高の神の娘、この世の人間全ての母でありながら、野蛮で醜い男どもに取り合われ、犯された!そのよう責め苦すら邪悪な天使どもが彼女に与えた辱めの一つにすぎん」
ヘレネはふと、自分ではないメネラオスの妻ヘレネーの話が出たことに気が付いた。彼の言っていることはよく分からなかったが、彼がヘレネーを不幸な存在として語っているのが真新しく思えた。自分が娼館の主からヘレネーの名前をもらったのはヘレネーこそ男の愛をほしいままにする存在であるからと聞いていたし、それならばヘレネーは誰より幸せだろうと彼女は思っていたからだ。
シモンの話は続いた。その地上の惨状に気が付いた至高の神は地上に舞い降りた。哀れなエンノイアを救うためと、邪悪な天使に支配された人間を救うために。愚かで傲慢な天使達には気づかれないように、人間の姿となって。そして、彼がとある売春宿でようやく至高のエンノイアを見つけ出したところまで。そこまで語ると、彼はふいにヘレネを前に出した。
「そうとも、この女性こそが、至高の女神エンノイアだ」
民衆がどよめいた。ヘレネは、ずれた青い薔薇の冠を正した。
「その娘が至高の女神だって?」声が上がった。「確かに美しい。まるで人間ではないようだ」
ふとヘレネは違和感を感じた。自分がこのような目線を向けられることは初めてだ、と彼女は思った。
彼女にとって、自分は軽蔑されて当たり前な存在だった。それが、目の前の群衆の目にはそんな色は一滴も混ざっていない。綺麗に磨き上げられたルビーを見るように、素晴らしいものを見る目で自分が見られているとヘレネには分かった。これもシモンの力なのかと彼女の頭に疑問が浮かんだ。しかしそれが終わらないうちに、シモンは再び彼女を自分の後ろに庇うように立ち、「お分かりか、諸君。至高の神の救済は着々と近づいている。至高の神の愛を受けてこそ人間は幸せになれるのだ。ゼウスにヘルメス等捨てて、至高の神を信ずるがよい。それこそが、愚かな世界で愚かに生きるお前達に与えられた唯一の道だ」
「至高の神はどこにいらっしゃるのですか」と言う声。その声を受けて、シモンは不気味な笑いを浮かべた。
シモンははっきりとした声で「お前達は今その神を見ているのだ」と告げる。そして、指をぱちりと鳴らした。
とたんに、広場中の神の像が広場中を揺るがす大声で歌いだした。大理石のアテナが、石灰岩のゼウスが、シモンをたたえる歌を朗々と歌いだしたのだ。ブロンズでできたヘルメス像など、彼のみならず彼の杖にまとわりついている蛇までもが動き出し、ヘルメスとともに歌いだした。あまりの音量に、ヘレネは耳をふさいだ。そんな彼女を見て、「止めよ」とその歌の嵐の中でもはっきりと聞き取れる声でシモンが言った。すると彫刻は元通りに口を閉ざし、蛇もいつの間にかヘルメスの杖に収まっていた。
ただし、静かなのは一瞬だった。ほんの一瞬の静寂の後、広場の群衆が彫像達の歌にも負けないような勢いで「神よ!」「至高の神よ!」とシモンを賛美し始めた。


「なかなか良かったぞ、ヘレネ」
宿に戻ったシモンが女神のドレスを着たままの彼女に言った。
「ここにはもう数日いる。その次はギリシャにわたるぞ。ギリシャを数か所移って、ようやくローマだ。……どうだね、ヘレネ」
「たのしかったです。とても」
ヘレネは自分に初めて向けられたあの視線を思い返して、ほんわりと顔を上気させていた。「お前は生まれてから、見下されることしか知らなかったのだろうな。当然だ、邪悪な天使どもがお前にそれを強いたのだから。可哀想なエンノイア」
シモンはヘレナを立ったまま抱き寄せると、彼女にキスした。
「だがもう大丈夫さ、このおれがいる。お前は女神だ。誰もお前を見下すことなど叶わない」
彼が右手でヘレネの帯をほどいたのが彼女自身には分かった。帯をほどかれパラリと崩れたドレスを、シモンは片手で剥ぎ取る。
「お前は美しいな」
薔薇の花が散らばった敷布の上に、彼はヘレネを押し倒した。ヘレネはどうせならこの薔薇も青ければもっといい、と思いながら、自分のほうから彼にキスをし返した。


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