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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第二十八話


イスラエル王宮は平穏で静まり返っていた。今や押しも押されもせぬ時期後継者と相成ったアドニヤを中心に、非常に強いまとまりができていた。
ただ、ある三人を除いての事である。

「アドニヤ殿下は?」口を開いたのはナタンだ。
「遠乗りに出ていますから、今は不在でしょう」ザドクが答える。
「なら……大丈夫ですな」
「大丈夫じゃないかもしれませんけどね」と、唯一若々しい声で言うのはベナヤ。「あの事を知ってるのが、アドニヤ王子側の人間にばれるだけでもまずいんです」
「もう1年余りにもなるが、いまだにこのことをばらせないままだ。ナタンどの、ベナヤ。我々はどうすればよいのでしょう?正直な話、私はまだ信じられないのですよ。ああ、もう1年余りにもなるのか?それほどたつのに私はいまだにこの事実を受け入れられない。アドニヤ殿下が……殺人者だなどと」
「それでも、俺は見ました」ベナヤが言った。「俺は見ました。はっきりと。間違いなく、アドニヤ殿下とヨアブ将軍閣下が、黒衣の少年を殺していた」

一年前のあの日、アドニヤの計画は完璧なはずだった。しかし、一つの穴があったのだ。即ち、このベナヤが偶然その場に居合わせたのを、アドニヤとヨアブは興奮のあまり全く気付かなかった。ベナヤも軍人である手前、ただならぬ様子を前に気配を消すのも得意であった。
ベナヤはソロモンの事を知らなかったが、件の蜂蜜の壺の裁きの時、護衛兵の一人として大広間に居合わせていたのだ。あの日その場に居合わせたもので、異常な黒衣の少年裁判官を覚えなかったものなどいない。だからこそ、ベナヤはヨアブに切り付けられたものがあの日の彼だということが分かった。会話の内容はよく分からなかったが、彼は目を凝らしてよく見た。アドニヤは彼から赤い指輪を奪っていた。彼は少年のマントをはぎ取ると彼に二、三言言った後で、彼の心臓に自らの短剣を突き刺したのだ。少年は当然、息絶えた。
彼らはその後、少年の死体にマントを着させなおして、血まみれの敷布を丸めて持ち去ったのだ。ベナヤもそこまで見て、あわててその場を立ち去った。何が起こっているのか、何が理由なのか、全く分からなかった。
後日彼は、そのことを洗いざらい、親のように慕うザドクに相談したのだ。するとザドクはみるみるうちに真っ青になっていった。「お前、お前……お前が見たのは、時期後継者の、ソロモン王子殿下だぞ!そのアドニヤ様が、行方不明になったと証言していらした方だぞ!もし……もしお前の見たものが本当なら、とんでもない事が起こっているではないか!」


ソロモンはアンモンの王宮に生えた草を一本一本観察して回っていた。
「(これがあって……あれも生えている。あれは西の菜園にあったな)」
彼は今ではアンモンの王宮に生えている植物をすっかり頭に入れていた。
アンモンに来てしばらくの時間がたつ。彼は相変わらず仕事場にはなじめないままだったが、別にそれを気にもしていなかった。その態度がかえって先輩たちを苛々させることも承知の上で、彼は取り澄ましていた。どうせアンモン王宮の料理人たちはみんな真面目に仕事をしているわけでもないし、きつい仕事で疲れた体と心の癒しとして平然といじめを行う陰湿な集団だ。料理人なだけあって料理の腕はそこそこいい他、何のとりえもないとソロモンの目には映っていた。
奴隷商人たちにこそ従っていたが、不要な媚など売る必要もない。ソロモンは彼らを見下していた。ここまでくだらない存在がいるとは、と、自分の王宮を出たこともないゆえの世間知らずさを痛感した。地位は底辺で、しかも無能だからこそ、寄り集まって数少ない下の立場の者にやたらと突っかかりたがる。地位が低いのはしかたがないにしても、なぜもっと誇り高く生きないのか。要は、それほどの馬鹿だからだ、と彼は思っていた。
「(馬鹿と言うのなら、人に愛されると勘違いしていた俺も馬鹿だ。しかし、俺はまだ自分が馬鹿であるということを自覚した。奴らはそれすらできないんだ。なんて下らん存在だ)」
彼はアンモン王の事を考えていた。公開裁判で見た限り、彼はずいぶん人が良いようだ。さすがに厨房の先輩たちほどではないが、彼もまた、素晴らしい存在のようには見えなかった。何を言っても、彼らには美しさがない。イスラエル王宮も大概であったが、少なくともダビデ王家は容姿だけは美しかった。それだけでまだましなように、彼には思えた。
ソロモンは先ほどまでつついていた草を人差し指でゆらゆら揺らすと、そろそろ休憩時間が終わるので、その場を立ち去った。
彼は気丈に生きると決めた。甘ったれていても、誰も自分を甘やかしてくれない。ならば気丈に生きるしかない。だから、寂しいなどとは思っていられない。だかしかし、その彼も一つ寂しく思っていることがあった。アンモンの王宮は、シクラメンを育てていない。

厨房に帰ってきて、ソロモンは自分の包丁がない事に気が付いた。周りを見渡してみれば、先輩たちがニヤニヤ笑っている。なるほど、と彼は理解した。
「おい、エディドヤ。何ぼさっとしてやがる」演技をするのが下手と見えて、先輩の一人がわざとらしく笑いながら言った。
「奴隷のくせに仕事もしねえなんていいご身分だな」
「包丁がなくては仕事のしようもない」
「ああ!?関係ねえんだよ!包丁があろうがなかろうが、奴隷なんだから仕事はしろよ」
面白がるようにゲラゲラ笑う先輩たちの顔を、ソロモンはマントの下から冷ややかな目で見た。なんてくだらない存在だ。暴力に飽きたら、今度はこれか。
ソロモンは「とっとと持ち場につけ!」という声を無視して、すたすたと調理場のはしの腐りかけた生ごみを積み上げたところに向かい、その中に手を突っ込んだ。中からは、ソロモンの使っている包丁が出てきた。
「衛生上問題がある、洗ってくるぞ」とだけ言って、ソロモンは先輩料理人たちの顔を見ずに勝手に調理場から出て、井戸に向かおうとした。
「なあに言ってやがる?そんな時間はねえんだ、そのまま使いな」と言ったのは、料理場を仕切っているがたいのいい料理人だった。
「私はそれでも構いませんが、これのおかげで食中毒でも起これば責任は貴方にあるのではないですか」
「んなわけねえだろ、使ったてめえの責任だ、てめえがそこに置き忘れたんだからよ!」
生ごみの山に包丁を置き去りにする人間がどこにいるんだ、とよっぽど言いたくなったが、ソロモンはその言葉を飲み込み、言った。
「お言葉ですが、奴隷の本分とは業務を正確に行うことです。無理がありながらも強引におし進めることではありません。奴隷は主に仕えるものですからね。私はこの包丁を洗う方が奴隷の本分にあったことだと存じます」
「ああ?奴隷は主人に従うんだろ?」料理長はニヤニヤ下品に笑って言った。
「だったら俺に従え!」
ソロモンはその言葉に、ここぞとばかりに皮肉をたっぷり込めた口調で言い返す。
「何言ってるんですか、所詮あなたも奴隷でしょ」
その言葉を言い終わって、少しの間が開いた。そして少しの間の後、ソロモンは思いっきり殴りつけられていた。どうせ殴るだろうと思っていたので身構えていた分、そこまで痛むこともなかった。
「てめえ、何様のつもりだ!」
「私はただの奴隷です。この場にいる皆さんと同じく」
痛がるようなそぶりをしつつ、ソロモンはそう言う。
「てめえは大人しくしてりゃいいんだよ、クソガキ!」
ふと、料理長が彼のマントに手をかける。その瞬間だ。ソロモンは思い切り料理長の急所を蹴り上げた。
「俺のマントに触るな!」
彼はものすごい剣幕で怒鳴り始めた。彼は籠の中の痛みかけた果物をとると、生ごみに使っていた包丁で真っ二つに切る。
「これでも食ってろ!」
彼はそれを、料理長の口に強引に押し込んだ。料理長は急所を打たれて痛みにあえいでいたところに急にそんなことをされたもので、喉のおかしいところに果汁の雫を入れてしまったようで、口がいっぱいのおかげで咳すらもままならないまま苦しそうに咳き込んだ。
料理長は憎しみを込めてソロモンを睨み返す。ソロモンも、自分の足元にうずくまる彼を睨みつけた。
「洗ってまいりますよ。それでは」
ソロモンは怒りのこもった声で包丁を握りしめ、今度こそ井戸のほうに向かおうとした。だが、それは無駄だった。すなわち彼が包丁を取るより前に、数人の料理人がやって来て、何を言っているかもわからないわめき声をあげて彼をリンチしはじめたのだ。
ソロモンは必死でマントをとられないように押さえつけ、抵抗した。彼は見た。先輩のうち一人が、包丁を持って彼に切りかかろうとしている。
彼はとっさに体を翻した。ソロモンに向かって振り下ろされた包丁は、別の料理人の腕に刺さった。
痛みゆえの絶叫の後、「なにしやがる!」と、一体ソロモンか、包丁を持っていた料理人か、どちらかに言ったかもわからない罵声が飛んだ。その隙をついて、ソロモンは壁際による。壁際で、彼は自分にかかってくる数人を威嚇するように睨みつけた。
数人の料理人たちは、すっかり頭に血が上ったと見えて、また何人も包丁を構えている。ソロモンは身構えた。その時。
「何をしている、仕事しろ!」という声が、緊張の空気を引き裂いた。声は、侍従長のものだった。

彼は忌々しそうに「エディドヤ、またお前か!」と言った。
「お前たち、さっさと持ち場に戻れ!見ろ、吹き零れているじゃないか!」
そうなのだ。先輩たちは料理を放って、ソロモンをリンチしていたのだ。料理長が怒らないはずがない。彼らは慌てて自分たちの持ち場に戻り、台無しになった料理の片付けに入った。
ソロモンは一人、包丁を拾い上げて井戸に向かおうと踵を返した。しかし、後ろから「エディドヤ」という侍従長の怒りの声が聞こえてくる。
「また何か問題を起こしたんだな」
「私が包丁を洗いに行きたいと言ったら、先輩方がなぜだか怒りました。それだけの話です」
「どうせお前も売り言葉に買い言葉だったのだろう!」
「ご冗談を。私は間違っていないことを言っただけです」
ソロモンは全く悪びれることなく、強い口調でそう言った。侍従長もすっかり頭に血が上っているようで、まくしたてた。「とっとと包丁を洗ってこい!ついでに貴様のマントもだ!そんな不潔な格好で厨房にいるな!洗ったら乾くまで戻ってこなくて結構だ!お前がいると仕事が進みやしない!」
彼は「承知いたしました。ではいってまいります」と言い返した。


井戸には誰もいなかった。ソロモンはジャブジャブと包丁を洗い清めると、次に周りに誰もいないことを見届けて、マントを脱いだ。井戸は大きな木の下にあるため、眩しくはあったがそこまで光に苦しめられることはなかった。彼は、水にびっしょりと濡れたマントの背中の、一文字の大きな傷に指を添えた。無理矢理縫い合わせたそれは、いまだに痛々しさを残している。あの日の事は、忘れることもできない。
水を吸ったマントの冷たさが、彼の白い肌を指すようだ。彼はあらかた汚れを落としたそれを払うと、自分のいるところのすぐ真上の木の枝に干した。日陰に干したところで乾きはよくないのは百も承知だが、日向に出なくてはならないよりはましだ。それに、乾くまで戻ってこなくてもいいというお墨付きまでもらったのだから。
昼過ぎで、誰しも忙しいのか見えないところから忙しそうな声がひっきりなしに聞こえてくるものの、井戸の周辺には人は全くいない。彼は木に背をもたれかけさせて、一息ついた。目の前に、マントから垂れる水滴がポツポツと地面に水玉模様を描く。視界を上げると、やはり一文字の傷があった。
ソロモンはそっと、服の胸元を開けて自分の胸を覗き込む。左の胸には、たしかに短剣で刺したような傷跡があった。
いったい、あの日自分に何が起こったのだろうか。自分は確かに、アドニヤに短剣で心臓を貫かれたのだ。それで、生き返ったというのだろうか?
考えても無駄なことだが、考えざるを得なかった。ソロモンはぼんやりと、木の根元に目をやり、細い手でそこをいじくった。
と、その時だ。ふと、彼の眼にとあるキノコの群れが目に入った。白っぽくて丸く、背の低いそれは、木の根元に密集していた。
「(こ、これは!?)」彼は、自分の心臓の謎を考えるのをやめ、そのキノコに釘付けになった。詳しく調べてみる。間違いがない。自分が知っているとある一種類だった。
彼の頭の中に、急に次々とある調合式が展開されていった。彼は、アンモンの王宮に来たころから、薬をつくる計画を立てていた。難しい器具はいらない、厨房のものだけで十分調合できるが、強力な薬を彼はいくらか知っている。
彼はずっと、自分の動ける範囲で薬の材料を探していた。その甲斐あって、彼の知るうちの一つを調合できるだけの材料がある一種類を残して全部見つかったのだ。そしてその一種類と言うのが、このキノコだった。
「(これだけあれば十分!見つけた、見つけたぞ!!)」
彼は興奮の笑みを浮かべて、キノコをもぎ取った。相変わらず、やかましく忙しそうな声が聞こえる。彼は知っていた。アンモン一の祭り、モロク神の祭りが間近に迫っているのだ。王侯貴族はおろか、奴隷も酒を思い切り飲んで楽しめる祭りだ。そのため、最近王宮中が忙しいのだ。
彼は、土の下に隠してあった木箱を取り出し、キノコをその中に放りこんで、急いでまた土の下に埋めた。取られないためだけではなく、こうして一晩ほどおいておくと最良の材料になるのだ。
「(時は来た!)」
ソロモンは端正な顔ににやりと笑みを浮かべた。その笑みを誰一人見てはいない。
もう、このくだらない労働環境に身を置くのもあとわずかだ。計画は次の段階に行くのだ。
「(見ていろ。俺は、俺の力で幸福になってやる)」



イスラエル王宮では、アドニヤが遠乗りから帰ってきた。
「今、戻ったよ」と言う声に飛びつくように寄ってきたのは、アビシャグだった。
「アドニヤ様!おかえりなさいませ」
「おいおい、アビシャグ」彼はあきれたように言う。「あのねえ、ぼく達は人目をはばからなくちゃならないんだ。そんなおおっぴらにしたら、誰かにばれるかもしれないだろ?」
「わたし、ばれても構いませんわ」アビシャグはアドニヤに寄りかかって言った。「私の父は私を売りとばすことしか頭になかった女衒ですわ。ダビデ陛下も私を愛して下さらなかった。貴方だけが私を愛してくださったのです。そんな何よりも素敵な愛がばれたところで、私、全く困りませんわ」
「やれやれ、困ったさんだね、君は」アドニヤは笑って、アビシャグを抱きしめる。しかし、少し抱きしめた後「ごめんね、ぼくも君とどれほどこうしていたいことか。でもできないんだ。お父上のところに行かなくちゃ」と告げた。
「お名残惜しいですわ」
そういうアビシャグに「じゃあね。愛しているよ」とだけ言い、アドニヤは去っていく。

「(ばれても構わないってなんだ!お前が困ろうと困るまいと知ったことか、おれが困るじゃないか!父の妻を寝取ったなんてばれたら!)」
アドニヤは表面的には穏やかに笑いながら、心の中はいら立っていた。最近、心がやすまらない。今回も、気分をスカッとさせようと遠乗りに行ったのに、全く機嫌は治らずじまいだ。
彼はふと、木の上に立つ数羽のヤツガシラを見咎めた。彼らは餌がほしそうに鳴いている。アドニヤは、ソロモンの事を思い出してしまう、と舌打ちした。
ソロモンがいなくなってから、少し不思議なことが起こっているのだ。もう一年以上もたつのに、彼が手入れをしていたシクラメンは全く枯れる様子もない。誰も水をやったりなどしてはいないというのにだ。それはずっと、影の中に咲いていた。
いや、枯れないと言ったが、正確にはそうではないのだ。ソロモンがいなくなって間もないころ、宮廷の女奴隷が枯れるまま放っておくのも可愛そうだといって、水をまきに行ったのだ。そうしたら、今までピンピンして咲き誇っていたシクラメンが、女奴隷が水をかけた先から一瞬で干からびて枯れてしまったのだ。女奴隷のまく水を受けたものだけが。彼女が取り乱したのは言うまでもなかった。それを受けて、調べてみようと一人の医者が一輪シクラメンを摘んだ。すると、日向に出た瞬間それはドロドロに腐って溶けてしまったのだ。
そんなことがあって以来、ソロモンのシクラメン畑に立ち入ろうとする人間はいなくなってしまった。アドニヤもしばらく行っていないが、おそらく何も変わらないままに咲き誇っているのだろう。あそこはそういう場所だ。孤独な弟のみを、なおも主とする聖域なのだ。
ソロモンはやはり人間ではなかったのだろうか。少なくとも、人ならざる者の力を持ってはいたのだろう、とアドニヤは考えた。不気味な弟だ。やはり殺しておいてよかった。
「(アビシャグ……おれを除いて、誰もお前を愛してくれなかった、と言ったな)」アドニヤはアビシャグの先ほどの言葉を考えた。
「(何がわかる!お前のような箱入り娘に、本当に誰にも愛されなかった奴の気持ちなんか一生分かりはしないだろう!誰にも愛されない苦悩なぞ、お前は分かっているはずもない!お前みたいな、何もしないやつが!)」
彼は、庭園の蓮池に来た。蓮は咲いていない。鯉と孔雀が寄ってくるが、周りには誰もいなかった。彼は、孔雀を手で追い払って、ぼそりと呟いた。
「誰も……『おれ』を愛してくれなかった」
彼の吐息が波紋を描いて、池に響いた。


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