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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第二十九話


全て寝静まった夜、誰もいないアンモン宮殿の夜の畑に、ぶちぶちと薬草をむしり取る音が聞こえる。薬草泥棒の犯人は、目当てのものをとっていくとそのまま足跡をひそめてさっさとその場を立ち去ってしまった。ものの数秒しかしなかった。彼は、細い月しか出ていない暗い中を全くなれたようにすたすた走り去っていった。
彼の正体は、勿論の事ソロモンだ。彼はマントの裾に薬草を包むと、今度は井戸の近くの木に向かって走った。木の下の箱を難なく掘り当てると、箱の中から湿気にすこし傷んだキノコを取り出す。彼はそれもマントの裾に放り込んで、厨房に急いだ。
ソロモンは蝋燭一本に点した光を頼りに、厨房の鍵を針金でこじ開け、中に入るとまた扉を閉めた。誰もいない真っ暗な中に入る。彼は普段料理長が使っている鍋の前に立つと、燭台を傍に置き、大なべの中にマントの中に包んだ薬草やキノコを全部ぶち込み、くみおきの井戸水を流し込む。次に蝋燭の火をこよりに移して、それを油をまいた竈の中に放りこんだ。
大きな火が燃え上がり、薬草入りの鍋を熱していく。ソロモンはその工程をじっと見守っていた。当然のことだが誰もかれも夜だから寝ていて、人がくる気配はない。だが、細心の注意を払った。この薬の厄介なところは、作業自体は簡単なものの数時間は煮込まないと薬にならないのだ。夜のうちには終わりそうだが、誰かに見つかってしまえば自分の計画が全てふいになる。自分の人生の中でここまで緊張したこともない、と思いながら、彼は耳を澄ましつつ鍋の中を注意深く見守った。鍋の中はようやく沸き立ち、ボコボコと泡がわいていた。


「(またか、また、私は夢の中だ!)」
イスラエルで、ナタンは夢の中で悲鳴を上げた。
また、自分は預言を受けるのだろうか。あのむごたらしい預言をだ。
「(ソロモンは死んだ!死んだのだ、私はそう信じたい!ベナヤが言ったではないか、アドニヤがソロモンを殺すのを見たと!アドニヤがそのようなことをしでかす柄かと言うことはともかく、ソロモンが死んだと聞いたときは本当に安心したのだ!私の予言が外れていたと思い込めるから!この一年間、ソロモンにまつわる預言はただの一つもなかった!なのになぜまた!このように、全てが安泰となった時に!ああ、神よ、偉大なる神よ、なぜ私にこのような苦痛を負わせます!)」
まだ預言のビジョンは始まらない。ナタンはただ、真っ暗な中に意識だけがあった。
「助けてください、主よ!わたしはもう、うんざりなのです!どうか、平和をお与えください!私ももう長くはありません、お願い致します、主よ、私の心を乱さないでください!どうか、どうか、私の人生を平穏のうちに終わらせてください!もう疲れたのです、貴方の手で終わらせるならば終わらせて下さい!貴方が何をおっしゃろうと誰にも信じられない、信じることが合理的に許されない、人間の世はそのようなところなのです!どうか、私の魂をお取りください。私はそれほどまでの価値しかない人間です!」
彼は無我夢中で、暗闇の中、どなった。ふと、彼は、暗闇の彼方に光るものを見つけた。
彼は我を忘れた勢いで、そこに走り出した。ああ。あれは神か。自分を迎えに来てくれた神か。光は非常に遠かった。だが、彼は走った。老いた体で、無限とも思える道のりを走った。ただそれ一つが、暗闇の中で彼が闌れる存在だった。
ああ、神よ、神よ貴方なのか、私を苦しみから救ってくれる、貴方なのか。彼は疲労も何も感じなかった。ただ走った。
だが、光のところについたとき、彼は愕然とした。光とともにあるのは神ではなかった。彼はソロモンだった。王冠も、王の衣装も着てはいなかった。ソロモンは、奴隷のような身なりで、ボロボロのマントを頭からかぶって、そこにたった一人でうずくまっていた。表情は見えなかった。
ナタンは、自分の心の中にこみ上げるものを感じた。これは憤怒だ、と彼は自覚した。
ソロモンはナタンに気が付いたのか、ふと顔を上げた。その顔は、ナタンが初めて見るものだった。
彼は、弱々しかった。いつも、人に隙を見せまいと生意気にふるまい、大けがを負ってなお自分の感情を見せもしなかった彼からは想像もつかないほど、弱々しかった。漂白したかのごとき頬は涙にぬれ、白目すらも真っ赤に充血しているせいで目はいよいよ赤かった。彼は泣いていたのだ。声を押し殺すように、泣いていたのだ。
彼はナタンを、真っ赤に染まった目で見つめた。
「助けて」と、彼が呟くのが聞こえた。声は、か細く、震えていて、まるで今にも消えそうな蝋燭の火のようだった。
「ナタン、助けて」
彼の細い手が伸びる。彼はナタンに抱きつこうとした。期待していたものに会えなかった絶望から、ナタンの心の中の憤怒が、烈火のごとく燃え上がった。ナタンは勢いよく彼の手をはじいた。
「お前じゃない!」
ナタンは叫んだ。
「(神だと思えばこそ、ここに来たのだ。なぜお前なのだ。なぜ、自分をここまで悩ませ続けてきたお前なのだ。なぜ、神ではないのだ。神はなぜ来てはくれないのだ)」
ソロモンはあっけなく、枯葉が落ちるかのように、地面に倒れた。ナタンはそれを見て、同情心すらわいてこなかった。彼は完全に憤怒に取りつかれていた。ナタンは足を上げた。憤怒が、もう押さえつけられないほどになっていた。
と、その時だ。

気が付けば、ナタンの目の前に光輝く天使がいた。何の前触れもなく、パッと目の前に現れたのだ。真珠のような輝きを放つ翼をはためかせ、波打つ金髪を揺らし、花冠をかぶった彼はナタンの前に立ちはだかった。
ナタンは声が出なかった。代わりに、希望のまなざしで彼を見つめた。ナタンより背の高い彼は、じっとナタンを見つめていた。彼の光に、ナタンの歓喜した顔が照らされた。
彼の顔はナタンを見つめ、笑っていた。ナタンも、それに心が躍った。ああ、これぞ神の使いだと。圧倒的なまでに、目の前に立つ彼は美しく、まるで神の力を一身にその身に受けているかのようだった。
だがしかし、彼が口を動かさずに言った言葉は、ナタンのその頭を冷やした。ナタンはその言葉を聞くや否や、物を考えられなくなり、彼のなにもかもが停止してしまった。
「お前、ひょっとして、ボクをお前を救いに来た天使だとでも思っているのか?」
彼が花弁のような唇を開く。戸惑うナタンの顔に、彼は柔らかな手を添えてこう言った。
「バカ人間」
その瞬間、嵐のような衝撃がナタンを襲った。

ナタンは飛び起きた。目の前には、薄い月明りでぼんやりと見覚えのある自分の寝室があった。
ああ、夢だ、何事もない、夢だったのだ。彼がそう言い聞かせ、心を落ち着けようとした矢先、彼は今度こそ悲鳴を上げた。もう夢の中ではない。ここはナタンの部屋だ。それだというのに、夢の中で見た天使が、笑顔を浮かべてナタンの前に立っていた。
「覚えておいで。ベリアル……ボクの名前はベリアルだ」
その言葉が、ナタンの体中に反響した。ベリアルの姿はいつの間にか消えてしまったが、彼は悲鳴を聞きつけてきた家族の足音すら耳に入れる余裕はなかった。彼は思いだした。あれは、彼がかつて見た預言の中で、ソロモンを祝福していたあの光の天使だ。



後日、アンモンの国ではモロク祭りが始まった。モロク神像の前に、大きな棚が備え付けられ、小麦やらさまざまな獣やらが置かれている。これらをモロクへの生贄として焼き尽くすのだ。ソロモンはその様子をじっと見ていた。
モロク神像は巨大で、内部には大きな穴が開いている。その中に、あの捧げものを棚ごと入れて蒸し焼きにするのだ。ソロモンは聞いていたことはあったものの、実物を見るの初めてだった。
生贄の棚は七段になっている。だが、一段目から六段目までは小麦や肉が置かれているものの、七段目は空だ。これは、今回はこの七段目を使うべき時ではないからだ。ソロモンは知っている。モロク信仰は人身御供を伴うのだ。それでそれは、王に第一子の男児が生まれた時に行われる。すなわち、王は初めに得た跡継ぎをまず神の捧げものとして生きたまま蒸し焼きにし、それで国の繁栄を誓ってもらうというわけらしいのだ。アンモン王もそれを行ったようで、今に至るまで新しい王子が運悪く生まれず、今後継者問題に悩んでいると言う。ソロモンはそれを聞いたとき、そのような風習が実際に行われていたことを興味深く思うとともに、あまりにも馬鹿らしい、と滑稽に思えた。国を繁栄させるための手段と言うのはまあわかるとしても、そのおかげで後継者不足と言うのは実に間抜けな話だ。よくもアンモンが今まで生きてこれたものだ、と彼は思う。イスラエルの属国になるのも納得だ。あと、飢饉などの時に不定期に子供の生贄を行うようだが、これは王の子供でなくてもいいそうだ。そうならば最初からそうしておけばいいのに、とソロモンは心の中でアンモン人の非合理性を笑った。
モロク像のそばには多すぎるほどの楽隊。これは伝統的なものらしいが、おそらくは新生児の人身御供を行う際に、子供の声をかき消す意味合いも込めているのだろうということは予想がついた。
今日日がくれたら、モロク祭りだ。祭典の際には、奴隷たちも酒を飲んで騒ぐことが許されている。ただ、やはり身分の違いと言うものがあるので、貴族と同じ樽で飲むわけにはいかない。樽は別で、より安いワインが回される。
ソロモンは、ワイン樽を積み上げてある天幕のところに行き、ワイン樽のそばで見張りをしている年配の女奴隷に話しかけた。
「厨房から来ました。ワインの事で、言付かったことがありまして」
樽にはそれぞれ違う印がしてある。貴族に万が一質の悪いワインを出しては宴が台無しだから、当然と言えば当然だ。
「あら、何かしら?」
「上からワインの質に間違いがないか念のためもう一度確かめろと言われまして。調べてもよろしいですか。それと、どの記号がどの階級のためのものか、私は聞かされていないのでお教えいただきたいのですが」
「ええ、勿論いいわ」
彼女はそう言って、ソロモンをあっさり天幕の下に通し、どの記号がどの階級のためのものかを簡単に説明すると、自分はまた天幕の外側を見張り始めた。
ソロモンは彼女の視線が自分にはないのを確認して、マントの下に隠しておいた小さな壺を取り出し、一瞬のうちにその中にある液体を厨房の奴隷用の印が付いたワイン樽に注ぎこんだ。女奴隷も、誰も、彼には気が付いていないようだった。
彼は適当に樽を開け、一応少し確かめて、当然のように何も間違いはないことを確認すると、「大丈夫です。お騒がせして申し訳ありませんでした」と女奴隷に言った。
「いえいえ、お疲れ様」
「そちらこそお疲れ様です」
と言葉を交わし、ソロモンは全く平常心のままその場を立ちさり、ゴミ捨て場に向かった。薬を入れた壺を捨てるためだ。
ソロモンが一晩かけて作った薬を、先ほどまでその身になみなみとたたえていた壺だ。そのままでは毒にも薬にもならない、何の変哲もない薬だが、最後に大量の常温の酒、特に古いワインと結びつくことで、それは真価を発揮する。
ソロモンは悠々と厨房に帰った。


モロクの生贄が行われている頃、彼はのんびりと一人だけの厨房で暇を持て余していた。喧騒が聞こえる。彼は形が悪くて料理には使えなかった果物の皮をむいて適当に食べていた。そろそろだ。そろそろ、彼らがあのワインを飲む。そしたら、いくらもしないうちに始まるはずだ。
ソロモンは立ち上がり、厨房内を見渡した。祭りがはけた後の、王の特別の夕食の下ごしらえがしてある。王の家族の夕食だけはすこし遅れて出されるのだ。

彼は何食わぬ顔で厨房の外に出た。祭りの中に行くと、王侯貴族たちは祭りを楽しんでいるものの、そこから少し離れた奴隷たちのところはてんやわんやになっていた。ソロモンはにやりと笑った。成功だ、薬が効いたのだ!
「どうかしましたか」彼は何食わぬ顔で、女奴隷の一人に聞いた。
「大変なのよ、厨房の皆さんがみんな、お腹が痛いって言いだしてのた打ち回っちゃって」
彼はその言葉を聞いて、人ごみから顔を出した。確かに、見知った厨房の先輩たちが全員腹痛にのた打ち回っていた。彼らはみんな顔を自分たちの吐瀉物にまみれさせている。悪臭もする。おそらく何人かが激痛に耐えかね失禁したんだろうと思われた。当然、周囲は飲み、食べ、盛り上がる雰囲気ではすっかりなくなっていた。
「はっ、はやく、医者ぁ!助けてくれ!」
悲痛な声で叫ぶ料理長を見て、彼は心の底でケラケラ笑う。あの偉そうな彼も、吐瀉物にまみれていて無残な顔になっていた。
彼が作ったのは、アルコールと反応して効果を発揮する即効性の毒薬だ。毒薬とは言えど、人を死に至らしめるほどではない。一、二日も寝転んでいれば治る。ただ、毒が潜伏している間強烈な食中毒によく似た症状を出して、その強力な腹痛ゆえに起き上がることもままならないのだ。
「(ざまあみろ!)」
彼はあの嫌な先輩たちの、汚物にまみれ悶える無様な姿を楽しんでいたかったが、そんな時間もなかった。彼はきょろきょろ周りを見渡した。そして、毒を飲んだわけでもないのに青い顔をしている侍従長を見つけた。
「侍従長様」彼は声をかけた。
「エディドヤ!お前か!……なんでお前だけは大丈夫だったんだ?」
「私は先輩方から仲間はずれにされておりましたもので」
「ああ、そうか、お前ならそうだろうな……」
「ワインが悪かったのですか?」
「そう言ったところだろう……ええい、そんなもの今はどうでもいい!」
侍従長はわめいた。
「どうすればよいのだ!王の夕食はだれが作る!今から城下に料理人を呼びに行っても時間に間に合わんぞ!」

これだ。この時を待っていた。
自分から言うつもりだったが、侍従長のほうから言ってくれて、好都合だった。

「侍従長様」ソロモンは言った。
「厨房に残っているのが私一人である以上、私が作るほかはありますまい」

「お前が!?」侍従長は今度こそ絶望したような悲鳴を上げた。
「馬鹿を言え!来てから一年もたっていない新米に王の料理など任せられるか!」
「では、時間を遅らせますか」
そうするわけにもいかないのだ。ソロモンはきちんと知っている。
侍従長はもう言葉にもならないようなうめき声をあげている。のた打ち回る料理人たちの声に混ざって、なんとも汚い響きだった。
「分かった!お前、最善を尽くせ!私は王に言い訳をしてくる!」
とうとう彼は、はじけるような声でそう言い、「とっとと行け!」とソロモンの背中を押した。ソロモンは「光栄です、侍従長様」とだけ言うと、厨房に戻った。

厨房につくや否や、ソロモンはさっさと料理に取り掛かった。それも、非常に手際よく動く。誰かいたなら、その人物はきっと顔を真っ青にしてしまったに違いないほどに。厨房に来てからずっと、先輩料理人たちの動きを見て動作も所要時間も技術のすべてを頭に叩き込んでおいたのだ。
この時を待っていたのだ。失敗など許されるわけがない。ソロモンには自信があった。


「私、今日はご飯など食べたくありません!」と、アンモンの王の食堂で声が聞こえた。アンモン王の一人娘だ。名前をナアマと言った。
「私に新米の作った料理を食べさせるですって!お前、一体何を考えているの!?」
彼女は侍従長を問い詰める。侍従長はたじたじとなってしまって「は……その、しかし、料理人が彼一人しか残っていないもので」
「ナアマ、無理をお言いでない。私はそうでなくとも空腹で死にそうだ」
「お父様、お父様は王でありながら新米の料理を無理やりに食べさせられることに、屈辱の一つも感じませんのね!」
アンモン王には先述の通り、男児がおらず、生まれた女児はだいたいが諸国に嫁に行ってしまい、今はこのナアマ一人が残っていた。アンモン王は頭を抱える。
「姫の言うことなど気にするな。なんでもいいから早く持ってこい」
「はっ、た、ただいま」
素人同然の新米一人にどこまで作れるだろうか。出てくるもの次第では自分の首も危うい。彼はソロモンにすがるような気持ちで、黙々と時間を過ごした。と、次の時だった。給仕の女奴隷が、夕食を何品も運んできた。
「おお!?」と声を上げたのはアンモン王だ。
「遅くなりました。陛下、王女様、夕食でございます」
給仕たちはそう言って、アンモン王とナアマの前に、全くいつも通りの豪華な夕食の品々を並べた。いつも、何年も使えている料理人が手をかけてつくっているもの全く変わり映えしない、華やかな食卓が彼らの前に展開された。
「こ……これを、新米が作ったのか?」
王に目をぱちぱちさせてそう聞かれた侍従長は、自分もうろたえた様子で「はあ、その……ええと、そのはずなんですが」と答え、給仕に「おまえたち、誰か厨房に手伝いが来ていたんだな?」と言った。
「いいえ、厨房にはお一人しかおられませんでしたわ」と、給仕たちは口をそろえて言う。彼女らも仕事の場である以上冷静であろうと努めていたようだが、やはり動揺が見てとれた。何がどうなっているんだ、と侍従長は頭を抱えた。
「ま、よかったじゃないか、ナアマ。なにはともあれまともな食事が出てきたぞ、ほれ、よろこべ」
「喜べませんわ!」
先ほどまで自分もあっけにとられていたような顔をしたナアマは、そう言われて慌ててきつい顔に戻して、むきになったように言い返した。
「どうせまずいに決まっていますもの!私、下賤なものは食べたくなどありません!」
「困った姫だな」
アンモン王はあきれた顔で、「わが偉大なるモロク神よ」と、モロクに対する祈りの言葉を唱え、自分一人で食べようと食事に手を付けた。

と、次の瞬間だ。王は一口食べた料理を見て、不思議そうな顔になった。
それを見た侍従長は、生きた心地がしなかった。しかし、彼の心配は杞憂に終わった。王の表情は、料理がまずいからではなく、むしろ、正反対だったからなのだ。
「う、うまい!」
王は皺のできた顔をほころばせてそう言った。
「おい、今日のこっていたのは本当に新米なのか?うちの料理人でも、こんなうまい料理は作らないぞ!」
王は突然、食べる勢いを強めた。次々に料理を口に放り込み、「うまい、実にうまい!」と言った。侍従長は今度こそ呆気にとられてしまい、王の前で不躾とわかってはいてもあいた口がふさがらなかった。
「ナアマ、お前も食べなさい!本当にうまいぞ!いつも食べているものよりも、断然こっちの方がうまい!」
彼女はぶすっとした顔で、「食べません!」と意地を張った。しかし、次の瞬間、彼女のお腹が鳴った。
その音を父や給仕たちにも聞かれてしまった彼女は、顔を真っ赤にして給仕たちを睨みつけると、無言で食事に手を付けた。
「……!」
「どうだ?姫よ、うまかろう」
「え、ええ……たしかに」
ナアマからしても、料理は圧倒的に普段のものよりも美味だった。いつの間にか、彼女も不本意ながら次々と料理を口に運んでいた。
「これが本当に新米の作ったものなら、大したものじゃないか!侍従長よ、そちは本当に素晴らしい奴隷を買ってきたぞ!そ奴をここに連れて来い、顔を見たい!」
夢中で食べる娘を傍らに、アンモン王はそう言った。侍従長はいまだに目の前で行われていることが納得がいかず、目を白黒させたまま「は、はい、ただいま」としか言えなかった。


王の前に現れたソロモンは、侍従長に「王の前でそんななりをするなどなんと無礼な!」と言われ、あらかじめマントを脱がされていた。燭台に明るく照らされているとはいえ夜なので、無理な話でもないし、彼は素直にそれに従った。
アンモン王は、自分の前で恭しく礼をする少年奴隷の白い髪と肌を見て、「ふーむ」言った。「なんと面妖な」
「は、へ、陛下、これは」
「いや、侍従長。何を言うには及ばん。料理人は旨いものを作りさえすればよいのだ。こやつの作ったものは、お前にも食わせてやりたいほどうまかったぞ。奴隷よ、面を上げい」
そう言われて顔を上げるソロモンを見て、アンモン王は「ほう、髪の毛と肌だけかと思えば目もまた不思議な色をしている。名前は何という」と言った。
「エディドヤと申します」
「そうか。エディドヤ。私はお前の作る料理が気に入ったぞ。どこでこんな腕を付けたのだね?ここに来る前も料理人をしていたのか」
「いいえ。ただ、ひとえにアンモンの料理人の皆様が懇切丁寧に教授してくださったことの賜物でございます」
「お前は簡単に師を超えたと見える」
アンモン王は鷹揚に笑って言った。
「エディドヤよ。お前の作るものは本当にうまい。どうだ?今後とも、私の料理を作る気はないかね?」
「へ、陛下!?」と、侍従長の素っ頓狂な声。
「お父様!?何をおっしゃるの!?たかが新米じゃないの!」
「だが、古株のものよりも料理はうまいぞ。その証拠に姫よ、お前だって喜んで食べていたじゃないか」
その言葉を聞いて照れて真っ赤になるナアマを横に、アンモン王は言った。
「どうだ、エディドヤ。受ける気はないかね」
ソロモンは心の中で大笑いした。これだ!これを待っていたのだ!アンモン王に近づく機会を!そのために、先輩方の料理の腕ばかりか、欠点すらもじっくりと観察し、わがものとしてきたのだ!
それを見るだけで吸収でき、なおかつ一回で完全に成功させてしまうところは、やはりソロモンの人並み外れた学習能力のおかげなのだろう。天賦の才なのだ。ソロモンは自信があった。天才の自分ならば絶対にできるという自信が。自信を持たずして、このような行動に移れたはずがない。
計画は成就した。ソロモンは厳かな表情を作って、「もったいないお言葉にございます、陛下」と言い、深くうなずいて、承諾の意を示した。


翌日、やっと調子の戻ってきた先輩料理人たちは口々に愚痴りながら厨房を目指していた。
「まったく、ひでえワイン飲ませやがる!」
「奴隷だからってなあ」
そう言って厨房を開けると、彼らは驚いた。ソロモンが「やあ、おはようございます。先輩方」と言って、料理長の使う大鍋の前で作業をしていたからだ。
「エディドヤ、てめえ、なにしてやがる!」
さっそく殴りかからんばかりの勢いでやってきた料理長に、「ああ、すみません。私の料理をつくるにはちょっとこの鍋が必要なもので」
「お前が料理だあ!?」
「その通りだ」
後ろから、侍従長が現れていた。
「あー……本日付けで、エディドヤは国王陛下の王女殿下の料理の担当となる。何をおいても優先されるべきは国王陛下と王女殿下の料理だ。以後、彼を一番の優先順位に置き、彼が使いたいものは使わせろ。わかったな。これは国王陛下からのお達しだ」
「はあ!?」
料理人たちは信じられないと言った顔で、昨日の今日まで王の料理を担当していたはずの料理長はソロモンに掴み掛った。
「やい、エディドヤ、てめえ、どんな汚い手を使った!」
「こいつの料理のほうがうまかった、と国王陛下がおっしゃったのだ!」侍従長は怒鳴った。
「それだけだ。離せ。彼は国王陛下の昼食を作っている途中なのだ」
「そうですよ。先輩方。なんなら食べてみますか、私の料理を」
それだけ言ってすぐ自分の作業に戻ってしまったソロモンを、他の料理人たちは忌々しそうに見詰めた。しかしもう、見つめるだけでどう手出しすることもかなわなかった。国王からの指名で専属料理人になったとあっては、彼の身に危険を及ぼしては、それ即ち王直々に罰を受けてもおかしくはないのだ。もう、以前のようにいじめることのできる存在ではなくなってしまったのだ。
ソロモンは彼らの持っていきようのない怒りと悔しさを後ろでひしひしと感じていた。恐ろしいとは少しも思わなかった。
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