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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Elijah 第十一話


「真実の神?ナボトのぶどう畑を手に入れるだと?」
アハブは、目の前に現れた自分の妃の言葉を受け、そう、いくらか戸惑ったような口調で言った。
「そうですとも」
「それは、手に入れようと思えば手には入れられるだろうよ、イゼベル。どんな手段を使っても」
彼は疲れたように、そう呟くイゼベルもそのことは承知だ。
アハブは王だ。手に入れようと思えば、それこそ力づくで畑の一つや二つ手に入れることなどたやすい。だが彼女にはもう一つわかっている。それでは意味はないのだ。それでは、アハブは癒されないのだ。
律法を破り、王の立場にものを言わせて何かを奪い取ったところで何になろうか。確かに物質は彼の手に入る。だが、ただでさえ希薄なアハブ王へ対する臣民の忠義は、それを持ってますます薄れるのだ。律法を守らぬ王は、信頼されない。
それで心の痛まない図太い性格ならまだしも、自分に自信の持てない、それを開き直ることもできないアハブにそのような行動をとるのは苦痛以外の何物でもないのだ。イゼベルは知っている。彼女は、彼にこういった。
「わが君様。そのような捨て鉢な言い方はおやめなさいまし。貴方に最もふさわしいのは律法に従った行動。だから、私はあくまで律法に従い、貴方様の望むものを貴方様に授けて見せますわ」
彼女の言葉を受けて、アハブは「なんだと?」と目をぱちくりさせた。イゼベルは笑う。
「わが君様。必要なものがございますの。王の印章を少しばかりお貸しくださいませ。わが君様は休んでいらして。私が全てやりますわ」
「それは構わんが」彼はまだ戸惑いが冷めやらぬと言った風で、自分の携帯している押印を彼女に手渡しながら、礼を言う彼女に答えた。
「真実の神、とな。神は、ダビデやソロモンにやったように私に味方をしてくれたことなどなかった」
「それは、イスラエルの妬む神の事でございましょう」
イゼベルは冷たい視線で言い返し、くるりと踵を返した。その時、初めてアハブは異常なものに気が付いた。イゼベルの結い上げた髪の毛に、簪のように刺さっている薔薇の花。それは、花弁が夜空のように黒く、アハブが初めて見るものだった。
アハブはそのことについて聞こうとした。だが、その前にイゼベルは部屋を出て行ってしまった。後姿の彼女が、どこか違う世界に行ってしまうような感触を彼は覚えた。


「イズレエルの人民の皆様。アハブ王と、偉大なる王に連なる祭司、預言者よりのお達しです。イズレエルの人民はこれより皆、断食をし、悔い改めなさい。神から、イズレエルに罪が生まれているとお告げが舞い込みました。断食をし、神からの許しを請うのです」
イゼベルは自分の部屋でそのような手紙をまず書くと、違う筆跡で祭司や預言者のサインを描き、最後にアハブのサインを彼にそっくりの筆跡で書いてアハブの印を押した。
「さて、これがまず一枚目」
彼女は、もう一枚書く。
「イズレエルの人民の皆様。神の怒りが消えました。あなた方の懺悔は偉大なる神に届いたと見えます。もう断食をお解き下さい。これからはこのような嘆かわしい事のないよう、十分に神へ尽くすのです」
彼女はこの手紙にも、サインと王の印を押した。
三枚目の手紙を書こうとしたその時、彼女はふと気配を感じて体を動かした。いつの間にか、後ろにアスタロトが立っていた。
うろたえて、あわてて跪こうとする彼女に、アスタロトは「よい。結構だ。それよりも、そのまま手紙を書け。私は見守っている」と言った。
「は、はい」
彼女は震える手で手紙を書こうとする。だがアスタロトは「字が震えていては不信感を与える。落ち着け」と言い、彼女の手を一瞬、握りつぶすように強く握った。
彼が離した次の瞬間、イゼベルの体から畏れは全く消えていないというのに、彼女の手だけが平常心を取り戻し、震えは全くなくなっていた。
「あ、ありがとうございます。アスタロト様」
「よい。それよりも、早く計画を遂行するのだ」
彼女はアスタロトの言葉にうなずき、深呼吸して二枚目の手紙を書いた。あの日、アスタロトに言われた言葉を一字一句、彼の見ている前で、イゼベルはその繊細な字で克明に紙の上に書きつけた。
「信実の神と偉大なるイスラエル国王アハブの名において、イスラエルの領主、並びに貴族に命ずる。以下の命令を直ちに行え。同封した手紙を発表し、イズレエルの民全員に、身分の上下をを問わず断食の宣言を行え。三日後、イズレエルの宮殿のそばに地所を持つナボトを連れ、彼を人民の前にさらし上げろ。そして、ならず者二人を金で雇い、ナボトの前に座らせ、彼が王と神を呪い、彼らに別れを告げていたと言い聞かせ、彼を石打ちの刑に処せ。それよりさらに二日後、二通目の手紙をサマリアから今しがた来たとして発表し、断食を解除せよ。この命令は神、並びに王の達しである。もしもこれらを行わぬ場合、神と王、それぞれより相応の報いがその身に降りかかることを覚悟しておくがよい」
彼女は、この手紙にはアハブのサインだけを書き、印を押した。それを見たアスタロトはしばらくじっと読んでいたが、それを見つめてハラハラしているイゼベルに「上出来だ。では早速、これを封をしてイズレエルへと送れ」と、にやりと笑って言った。
「もう夜ですが」
「見られないほうが都合がよい。それに、お前とて一刻も早くナボトを葬りたいだろう?」

アスタロトの命じた計画とは、ナボトをあくまで神の名のもとに葬る方法であった。
断食と言うのはイスラエル人の間では神からの怒りを悔やみ、それに対する許しを得るための行為として最もよく行われるものの一つだ。だから、町ぐるみで断食を宣言させれば、普通のイスラエル人ならば何か大きな悪が町でおこったとわかる。最近は、イゼベルにとっては腹立たしい事ではあるが伝統的な信仰心が復興したので、なおさらだ。しかし、断食の命令だけを下され肝心のその元凶がわからなければ皆不安になるものだ。ただでさえ人は食べなければ心が荒むのだから、断食ともなればその不安感が膨らむ速度は凄まじいものがある。
そのような中に、はっきりとこの男が元凶だ、と一人をさらし上げればどうなるだろう?冷静さを失った人民は嬉々とさえして、彼を処刑するのだ。このような物的・状況証拠のない場合死刑をその場で宣告するには証人は最低二人必要なのだが、それは鼻薬を持っていくらでも雇える。
そうすれば、ナボトはあくまで悪人として処刑され、アハブの名は傷つくことなく、むしろ神に逆らう不敬ものを処刑すらして尊敬さえされて、ナボトの畑が手に入るのである。
アハブが直接手を下すわけではないのだから人殺しの罪にはならない。律法的には何の問題も起こらない。
イゼベルは、アスタロトとともに夜の闇の中隠密に去っていく馬と従者を見送った。
「万一の間違いにも対応できるよう、私もイズレエルに向かう。イゼベルよ、お前は吉報を待っているがいい」
「アスタロト様、貴方様の偉大なる主ベルゼブブ様と、貴方様の名を崇めたたえます」
イゼベルはその場に跪いた。
「結構だ。私を崇めるかのごとき行動は慎め。崇められるべきはベルゼブブ様ただお一人」
彼はそういうと、黒薔薇の花弁を数枚散らせて、ふわりとベランダの手すりの上に立った。
「『唯一の神』、『真実の神』、ベルゼブブ様の名にかけて!不忠義のナボトは呪われよ!」
歌うように高らかにそう言った彼は、ふと掻き消えてしまった。後には黒い花弁だけが残っていた。それは夜風に舞うことなく、重々しくその場にとどまっていた。
「真実の神は、祝福されますよう」

余韻に酔っていたイゼベルは、植え込みから彼女を見ていた存在に気づくことはなかった。


三日がたった。
「待ってくれ、違う、私はそのようなことはしていない!」
男の悲痛な声が、晴れ渡ったイズレエルの空に響いた。炎天下の正午だ。縄で縛られたその男は、ナボトである。彼は涙をぼろぼろと流して、必死の弁解をしていた。しかし、断食の空腹も相まって平常心ではいられないイズレエルの群衆に、その言葉は届かない。
「いいや、俺たちは確かに聞きましたよ、ご主人がそう言っているのを!」
そういうのは、ナボトの畑で雇っている召使たちだった。あっさりと大金に転んだ彼らは、イズレエルの貴族が言うままに、主人を裏切ったのだ。
「違う!私は昔から、主に忠実に生きた!主と王を裏切るなどと、思ったこともない!」
「そう言っておいて、貴方は王様に自分の土地を頑として譲らなかったはずだ」と言ったのは、イズレエルの長老だった。
「神の僕である王の頼みすら断るような男のそのような証言を、なぜ信じられるものか?」
同意の声がこだまする。ナボトの叫びすぎてかすれた声は、もはやすべてかき消されてしまう。
アハブが主の僕。なんと都合のいいことだろうか。彼らとて、イゼベルの言うままに宗教改革を行っていたアハブを、神に背く存在と批判していたはずなのだ。だが、彼らの頭にそのような事実はない。
彼らの眼には、ナボトはもはや殺すべき対象でしかないのだ。
「石打ちにせよ!」と言う声を境に、抵抗のできないナボトに次々と石つぶてが投げ込まれた。
座って縄に縛られたままの彼の頭、腕、顔、節々に血が飛び、骨が砕けた。彼はその間ずっと、覚えのない濡れ衣に泣いていた。
「違う、違う、これは王の陰謀だ、信じてくれ」
彼の遺言はこうであった。だが、それを知る人間はいなかった。興奮と喧騒の中、彼の声など、聞こえるはずがなかったからである。

血まみれのナボトの死体を前に、イズレエルの人民は叫んだ。
「唯一の神よ、われらの罪をお許しください!」
彼らの目には映っていなかった。ナボトのすぐそばに立ち、彼の死に顔を眺めるアスタロトが。
皮肉なものだ。
イズレエルに王宮が作られる前から、ずっと先祖代々土地を守ってきたナボトはイズレエルの名士の一人でもあったのだ。人柄のよい、穏やかな彼を慕っていたものも多いのだ。それらと言うのに、誰もナボトの無実を信じなかった。いくらなんでもただナボトを死刑に、と言われれば、いくらかは疑問を呈したかもしれない。しかし、人間は少しだけ手を加えれば簡単に理性を失い、判断力を失う。
「ああ、人間よ、お前たちはなんとくだらないのだ!」彼は高らかに言った。しかし、その声すらも人間に聞こえるものではない。
「唯一の神!そうとも、ベルゼブブ様こそ唯一の神だ。恐れるがいい、イスラエル人共よ!真実なる神ベルゼブブ様の御名によって、この男は死んだのだ!傲慢なる神、妬む神、イスラエルの神に呪いあれ!」


所変わって、イスラエルのとある荒野。
荒野を流れる冷たい川にぶくぶくとあぶくが立って、数秒後にバシャリと出てきたものがあった。彼は口で捕まえたしい魚をペッと川べりに吐き捨てると、ピチピチ苦しそうにはねているそれを見ることもなく「エリシャ、出発するぞ!」と言った。彼はエリヤであった。
「え?師匠、今ですか?」
その声を聴いて振り返ったエリシャは岩場に干していたエリヤの衣装をポンポンと叩いて「まだ乾いてませんよ?」と言った。
「かまわねえよ、歩いてりゃそのうち乾く」
「もう、師匠は着替えとか持たないんだものなあ。風邪ひきますよ……いや、でも師匠ならひきそうにもないかも」
エリヤはザブザブと川から出てきて、獣がするように勢いよく一度体を振るわせて水をはらった。両手には、それぞれ三匹ほどの魚が掴まれている。彼はそれをエリシャに一度に放り投げてから、自分の生乾きになった着物をまとい、皮の帯を締めた。
「うわ、ほんとに濡れたままじゃねえか」
「だから言ったじゃないですか、もう……」
「こういうのが面倒だから嫌いなんだよ、水浴びとか洗濯とか」
「ほっといたら師匠は何か月でも体洗わないでしょう!それに今出発って、せっかくとったこの魚どうするんです?」
「そのまま持ってきゃ大丈夫だろ、火を通せばいつでも食えるって」
エリシャはその言葉に苦笑気味にうなずくと、魚を拾って、ナイフで手際よく魚の血抜きをする。エリヤはその間、水にぬれた髪の毛をいつものように房にしてくくっていた。
「結構世話焼きだよな、お前。俺の奥さんかよ」
「冗談言わないでください。……あれ、ちなみに師匠にはいらっしゃるんですか、奥さんって」
「いるわけねぇだろ、何言ってんだ」
「……そうですね」
エリヤは頭巾をかぶり、そのままエリシャが魚をさばくところを岩に腰かけてじっと見守っていた。彼は非常に集中していたようで、七匹の魚を全部処理し終えたころ、ようやく「師匠、なんで今出発なんですか?」と聞いた。
「前に言ったよな?俺たち、サマリアに行くかもしれないって」
「ええ」
「魚取りしてたら、急に声が聞こえたんだ。今すぐ向かってアハブに会えって。……それと、叫び声みたいな声も」
「なんですって?」
エリシャは川辺につくってあった焚火をけし、さばき終えた魚をエリヤの杖にすべて干すように括り付け、すでに歩き始めたエリヤに急いでついていった。
「何が起こったんでしょう?」
「さあな。ろくでもねえことには違いねえが」

彼らはそれで会話をやめて、正午の日差しの下歩き始めた。エリヤがその声を聴いたのは、ちょうどナボトが息絶えた時間と同じであった。


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