クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第三十一話


「父上様の容体は?」
アドニヤの言葉に、やってきた医者は渋い顔で首を横に振った。一向に良くなる気配は見えないらしい。
ダビデはあの宴会の日に倒れてから、ずっと寝たきりになってしまった。今ではアドニヤが王の代理として王のやるべき仕事をさばいている。ダビデはほとんど形骸のみだ。
アドニヤは部屋の中に入り、寝台の周りのカーテンを開ける。そばでは、アビシャグが看病をしていた。
「アドニヤ様」
「ご苦労様、アビシャグ」
彼はどこか形式的な口調でそう言うと、「失礼します」と言い、父の手をつかんだ。熱い夏であるにもかかわらず、まるで氷のように冷えた指先。
「(何も変わっていない)」と、アドニヤはそれを持って実感した。ダビデは今はどうにか寝ているらしく、反応は当然ない。
「アドニヤ様。ダビデ様は」
「大丈夫だよ、アビシャグ。大丈夫だ」
うろたえる彼女を、アドニヤはそう言いくるめた。そして、部屋を出ていった。


「(おれはなぜ怯えているんだ?なぜおれの心は落ち着かない?喜ぶべきじゃないか!!父が、今にも死のうとしているんだ。父が死ねばおれが王だ、何の問題もない!おれが一番喜ぶべきことだ!なのに、おれはなぜこの状況に戦々恐々としているんだ!)」
アドニヤは、そう考えた。彼は確かに、父の病気におびえていた。だが、愛する父が死ぬから、と言ったセンチメンタルな親子の情からくるものではないということは彼自身がよく知っていた。
それだというのに、彼の死を自分にとっていいものだと割り切ることもできない。彼はただ、怯えていた。得体の知れないものに。心がささくれ立つのが分かる。
「(こんなの、おれじゃない!)」彼は、心の中で叫んだ。心の中でしか叫べないのだ。今、自分が取るべき態度は、父を心底心配しつつも落ち着きを失わず、他の宮廷の人間の不安を取り払い、王の代理として威厳ある態度をとること。自分のことを心配して不安に泣きわめく自分など、誰も求めてはいないと、アドニヤは知っているのだ。だから、心の中でしか叫べない。

「ナタン様」
ナタンの家にやって来ていたのは、ベナヤだ。ナタンは最近、すっかり何かにおびえてしまって、呼んでも呼んでも宮廷に上がろうとせず、家に籠っていると言うので、仕方なくベナヤが出向いたというわけだ。
「ダビデ様の容体はよくなりません。ナタン様。宮廷の人間は全員、全力をかけてことをよい方向に運ばねばならないのです。家に籠らないでください」
「私に何ができる!」
ナタンの声は高く、大きく、今にも喉がつぶれてしまいそうな声だった。
「お前達は預言者を何だと思っている!魔術師ではないのだぞ!私たちにできるのは神の声を聴くことだけだ!」
ナタンはベナヤに怒鳴り続けた。その目には、深いクマができていた。
「それともなんだ!?気休めの事を言って王を安心させろと言うのか?そんなのは無駄だ、神様は何もお言いにならない!死ぬのだ!全員死ぬのだ!」
「ナタン様、頼むから落ち着いてください!」
ベナヤはパニック状態になるナタンを押さえつける。家族から聞くあたり、ナタンは最近こうらしいのだ。感極まると、取り乱し、わめき散らし、「全員死ぬ」と言うのだ。
さすがにパニック状態になっているとはいえ、若い軍人であるベナヤの腕力にかなうはずもない。ナタンはどうすることもできず動きを封じられ、徐々に落ち着きを取り戻してきた。
「ナタン様。どういう意味ですか。全員死ぬとは、神がそうおっしゃったのですか。イスラエル王家は、神に愛された家ではありませんか」
「私のせいだ」
ベナヤのその問いかけには、ナタンはちぐはぐな答えを返した。
「は?」
「私のせいなのだ。私のせいで、ダビデは滅ぶのだ」
「なんですって、ナタン様」
「ソロモンは我らを滅ぼすのだ。神はソロモンを、自ら選んだ子を愛されたのだ。私のせいで、ダビデは滅ぶ」
「ナタン様、俺には言っていることがわかりません!」
「私のせいなのだ。ダビデも、アドニヤも、死ぬのだ」
「ナタン様!」
放っておいたらいつまでたっても同じことを繰り返しそうなナタンに、ベナヤは強く言葉を浴びせ、無理矢理口を閉じさせた。
「何を言っておられるのですか!あなたは長い間、ダビデ王に仕えてきたお方ではありませんか!そんなあなたがダビデ王を滅ぼすはずがない!錯乱したことをおっしゃらないでください!」
その言葉の後、間が開いた。その間の中で、ナタンはうつむき、悲嘆に暮れたように頭を手で支えた。
「聞け、ベナヤよ」
彼の声は非常に心細かった。
「私は夢を見たのだ。死んだはずのソロモンと、夢の中で出会った」
「……?」
ベナヤには、ナタンの発言が解らなかった。しかし、ナタンは非常に悲痛そうな顔をしていて、聞かざるを得ないという雰囲気だった。ベナヤも話を聞こうと、先ほどまでナタンを威圧するように立ち上がっていたものの、ようやく椅子に腰かけた。
「お前はソロモンを知らんな。あの子は、誰にも甘えなかった。誰にも助けを求めなかった。傷つけられても、迫害されても、あの子は絶対に、他人にすがらなかった。昔から、彼は理解していたのだ。すがったところで、他人は、自分を拒むと。死ぬまで、ずっとそうだった」
ベナヤはソロモンを知らない。白い髪と肌と、赤い目の不気味な王子の存在の噂だけは知っていた。それだけだ。
「暗い闇の中で、彼に出会ったのだ。その時、私は初めて見た。ソロモンの弱気に泣いている姿を。彼は私に言ったのだ。『助けて』と!聞いたこともなかった言葉を、彼は初めて言ったのだ。泣きながら、ぼろぼろでみじめな姿になりながら」
ナタンはガタガタと震えた。
「私はその手を、その手を、振り払ってしまったのだ!私は憤怒に取りつかれ、私にさしのべられたソロモンの手を振り払ったのだ!神に選ばれた子の苦しみを、私は拒絶してしまったのだ!」
「ナ、ナタン様、落ち着いてください」
また取り乱そうとしている彼を、あわててベナヤが止める。
「ベナヤよ、覚えているな。あの踊り子を。名を、ベリアルと言った」
「え……?ああ、はい」
踊り子ベリアルを忘れるものなど、誰もいない。呪詛じみた言葉を吐いて掻き消えていった彼を、宮廷では魔術師にして、王を撃つためにどこかから送り込まれた刺客と解釈するものがほとんどだった。軍隊が血眼になって彼を探したものの、彼は霞のようにかき消え、絶対に見つからなかったのだ。
「私は、その後に見た。ソロモンの手を振り払った私の前に、美しい天使が現れた。あの踊り子と全く同じ容姿をしていた。彼は名を、ベリアルと言った」
「えっ……?」
「魔術などではない。神の意志なのだ。神の意志によって、我らは滅ぶのだ。あれは、最後のチャンスだったのだ。我々が、神の選んだ子を受け入れるか、神の意志に従えるか否か、我々は常にそれに失格してきた。あれが最後のチャンスだったのだ。私は、それすらも振り払ってしまったのだ。ダビデを滅ぼしてしまったのは、この私なのだ」


ベナヤは、結局ナタンが宮廷に戻るかどうかという答えはうやむやのまま、帰路に立たざるを得なかった。ナタンは完全に取り乱しているし、ダビデを励ますという気力もないらしい。彼は完全に、絶望の未来しか見てはいないようだった。
ベナヤは自分の馬を走らせた。


自分の耳に飛び込んできたことを聞きつけて、アドニヤはよっぽど舌打ちをしたく思われた。この厄介な事態とあって誰もかれも気が立っているのは分かる。だがその責任を負わされるアドニヤの身となってみれば、面倒この上ない。
彼が早足で向かった先は、後宮だった。

後宮にアドニヤが足を踏み入れれば、アビシャグが待っている。「ああ、アドニヤ様!来てくださったのですね、こちらですわ」と、彼女自身もついさっき駆けつけたらしいと言った体で彼女は言った。
アドニヤは流石に険しい表情をして、無言で彼女についていった。現場に近づくにつれて、女特有の高くてキャンキャンした声での応酬が彼の耳をつんざいた。片方は、ずいぶんと聞き覚えのある声だ。あって当然である。自分の母親の声なのだから。
彼は後宮を仕切るカーテンを勢いよくあけ「失礼いたします!」と、ことが起こっている空間に若干怒り気味に入ってきた。中では、ダビデの妻たちが二人の女の口論を見張っている。いや、彼女らがとっくみあった跡があるため、もう口論ですらなくなっていたのかもしれない。一人はバテシバ、もう一人はアドニヤの母のハギトだ。
この空間で唯一の男性であるアドニヤの介入の衝撃は、さすがに彼女達を黙らせた。そもそも、宦官と言うものがいないイスラエルでは正真正銘後宮に入れるのは王だけだ。アドニヤが来るなど特例中の特例だが、誰もそのようなことを気にはしていなかった。している余裕もなかったし、当事者の息子であり王の代理である彼ならば介入する権利はあると誰もが感じていた。
「アドニヤ、私の自慢の息子!」ハギトは優しげな眼を涙に潤ませて自分の息子に抱きつくようにすがってきた。
「この女が、この女がおかしいのよ!」
「母が何かしましたか」
アドニヤは母の体を庇うようにしながら、バテシバに対峙した。彼は少し、恐怖にすら襲われた。彼女は後宮でもアビシャグとどちらが一番かと言う顔を、半ば狂気の色に染め、髪の毛をふり乱していた。美しい切れ長の目は、その中にはまっている瞳の色以外、本当にソロモンによく似ていた。ヒステリーをおこして平常心でないのは見るだけで分かった。
「バテシバ、同じダビデの妻同士ではありませんか。ぼくの母にこのようなことをしないでください」
次の瞬間、彼女は正気を失った目でアドニヤにすら掴みかかってきた。周囲がどよめく。アドニヤはどうにか彼女を傷つけないようにと受けの体制をとって身構えた。
「なによ、なによ、私の人生を奪っておいて!」
彼女は相当怒鳴った後なのか、声がかすれていた。それでもなお彼女は大きな声を絞り出してくる。恐ろしいまでに根強い執念がそこからは感じられた。
「バテシバ、言っていることが……」
「王の母になるはずなのは、私だった」
バテシバはそう言った。アドニヤは、ぎょっとした。
「私の息子に傷をつけないでちょうだい!」ハギトは負けじと、アドニヤの後ろから怒鳴った。「何度も言っているでしょう、自分の子の事すら忘れたの?」
「私の息子が、ソロモンが、王位につくはずだった!私は王の母になるはずだった!それをお前が奪ったのよ!こいつが、こいつが奪った!」
彼女は憎悪の矛先をアドニヤに変えてきた。ガリガリと爪を立てアドニヤに掴み掛った。ようやく、アドニヤには事態が完全に呑み込めた。バテシバは王の母たる地位に執着してきた。それにもかかわらず、ソロモンが消えたことによってその未来を奪われたという不満が、今この時を持って爆発したのだ。そしてその怒りの矛先を、自分の望んでいた地位を得たハギトにぶつけたのだ。
アドニヤは背筋が寒くなった。だがそれはバテシバの狂気や王の母になるという執念ゆえではない。彼女の発言にだ。これまでの間、誰も明かさず闇に葬ってきた「ソロモンこそが王位継承者だった」という事実が存在したことを、今、彼女が、これほど大勢の間で言っていることにだ。
バテシバはさらにアドニヤを、まるで悪霊憑きのように無我夢中になって暴れて攻撃した。彼は抵抗しなかった。
「お前が殺したんでしょう!殺したんだ!ソロモンを、私の子を!私の人生を成功させてくれた子を!お前が殺したんだ!人殺し、人殺し!人殺しのくせに、王になるなんて!返してよ、私の人生を返してちょうだい!」
「何をお言いよ、この売女!」
とうとうハギトがアドニヤの後ろから出てきて、またバテシバを平手でぶった。
「お前のあの出来そこないの息子が王になるはずだったって、私の自慢の子の前で、もう一度そんなことを言ってごらん!この完璧なアドニヤの前で言ってごらん、私が容赦しませんよ!ソロモンが王になるはずだった?売女は頭の中まで腐り果てているわね!」
アドニヤは慌てて母を制止しながら、自分の背筋に冷や汗が流れるのを自覚した。
まずい。これは非常にまずい。
バテシバがもとから誰にも好かれておらず味方がいないことや、彼女が正気を失っているかのごとくヒステリックにわめき散らしていることが幸いして、今はだれもバテシバの言葉に耳を傾けていることはない。だがしかし、彼女の言っているのは厳然たる事実なのだ。これ自身は取り乱したバテシバの言いがかりだが、結果的には「アドニヤがソロモンを殺した」ということすらも、正解なのだ。
もしもこれがこのまま続いたら、そのうち何人かは、バテシバの発言のうち「ソロモンが王となるはずだった」という発言に注目するに決まっている。そこから巡り巡って、その事実が実際にあったものだと明るみに出るまでは時間を要さないだろう。そうすれば、自分の支持にもぐらつきが出てくる。何にせよ、真実のものだったかどうかというのはさておき、神が選んだのは自分ではなくソロモンだったのだ。その一点を見れば確かに自分のほうが、認められぬ存在なのだ。
アドニヤは戦慄した。なんと言うことだ!今まで何の問題もなくことが進んできたというのに、今になって、このような形でほころびが出ようとしている!

今はまだいい、バテシバに味方などおらず、彼女の言葉に耳を傾けるものもない。しかし、だ。敵の敵は味方と言う言葉がある。ハギトの発言は、彼を不安にさせた。すなわち、アドニヤの母もまた、口論の激情に任せて、他の女たちまで敵に回すようなことを言っていたからだ。
「この際だから、そこで見ているあなたたちもよくお聞き!王はアドニヤよ、あなたたちのろくでなしの息子は全員、アドニヤの足元にも及ばないのですからね!誰にも信頼されて、誰にも好かれているこの子に、貴方たちの息子がかなうなんて考えないことよ、この売女のバテシバみたいにね!」
彼女の口調は威張り散らすようなものだった。その言葉を聞いて、当然周囲の女たちはいい顔をしない。しかも、その場所にはアブサロムの母であったゲシュルの王女、マアカすらいたのだ。マアカはショックと屈辱に満ちた顔で、その言葉を聞いていた。彼女の息子が何をしたか、そのおかげで彼女の人生がどう変わったか、そのことを知ってさえいるのならば、ハギトが吐いたのは信じられないほどデリカシーを欠いた言葉だ。
アドニヤは声を荒げて母を制止した。しかし、彼女はそれすらも、自分の息子の立派さの誇示につながるとしか見ていないらしく、得意げな顔を崩さなかった。輪をかけて、まずい。このままハギトが他に威張り散らして、最終的に彼女らの気持ちを、少しでもバテシバの話を聞く方に転がしてはいけない。
しかし、この母が自分の話を聞くとも思えなかった。再三再四自慢はしすぎないでくれと言っても、彼女はどうやら息子が照れて、あるいは遠慮しているだけだと解釈し、「まあ、アドニヤ、お前はいい子ね!謙虚で、思い上がりがなくて、なんて素敵な子かしら!」としか言わず、結局自分の言うことは聞いてくれなかったのだ。
時間がない。この二人の女を、同時に黙らせなくてはならない。アドニヤはそう考えた。

何とか説得を重ねて、その場を静かにした後、アドニヤはアビシャグに後を任せて、不安げにすがろうとしてくる彼女を珍しく機嫌が悪そうに振り払い、後宮を出て行った。そして、召使の一人に「今すぐヨアブをぼくの部屋に呼べ」と言いつけた。

「お呼びでしょうか、アドニヤ殿下」
ヨアブはすぐにアドニヤの部屋にやってきた。アドニヤは、自分の部屋の周りに誰もいないのを確かめると、「ヨアブ。時間がない。お前にたっての頼みがある。ぼくの王権にまつわる問題なのだ」と言った。
「殿下、貴方様のお頼みとあらば、このヨアブはいかようなことでもする所存であります」
「ぼくの母を殺してくれ。一番、不自然でない状態で。夜が明けるまでにだ」
アドニヤはさも当然のようにそう告げた。
普通なら、一片の迷いがありそうなものだ。ヨアブも、恐れて理由を問いただしそうなものだ。
だが、ヨアブは眉一つ動かさず了承した。理由も何も、聞かなかった。「アドニヤ殿下、貴方様の望みとあらば」と、彼は言った。


朝になったころ、首を絞められて死んでいるハギトの死体が発見された。ヨアブはわざと、力のない女が数人よってたかって殺したかのように見せかけ、彼女を殺した。

アドニヤは当然、嘆きに嘆いて、泣き叫んで見せた。だが、彼の心は少しも嘆いてなかった。冷静に考えれば、それはだれにでも分かったのである。本気で母の死を嘆く男は、彼女の喪の期間にも入らないうちに、「亡くなった母の代わりに私の母代りになってくれる後見の女を指名したい」などと言い出すはずがない。
だが、アドニヤの演技力の前に、誰も結局そのようなことは思えなかった。彼は、自分の新しい母に、バテシバを指名した。
彼女が形式上でも嘆いて見せることすら忘れて狂喜乱舞したのは言うまでもない。失いかけた「王の母」の座が、偶然にも舞い込んできたのだから。
彼女はなぜ自分なのか、と言った。アドニヤはその際に自分が何を言ったのかもあまり覚えていない。「一番親しかった弟の母親だから、ソロモンがいなくなったのは自分にも責任があるから」と言ったのは覚えているが、あとは全く適当な美辞麗句だったからだ。もはや覚えていることすらもったいない。誰にでも、いくらでも、言ってきた台詞だった。

かくして、アドニヤの計画はあっさりと成功した。ハギトはもうしゃべることもできない。バテシバは自分の味方になり、もうソロモンのことなど口にも出さなくなるだろう。王となる息子がいれば、彼女は何でもいいのだ。
アドニヤはハギトの死体と、周囲の雰囲気など気にも留めず歓喜するバテシバを見比べて思った。
「(どいつもこいつも、本当に馬鹿だ)」
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