クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第三十三話


突然倒れたアンモン王を見て、医者は原因がわからないと言った。医者の眼には、見たこともない奇病と映っていたのだろう。アンモン王は、高熱を吹き出し、体がちっとも動かなくなっていた。奇病であって当然だ。ソロモンの作った毒薬は、めったには知られていないものだ。傍目にはただの病気のようにしか映らない。
「治すすべはないかもしれません」神妙な顔で、医者がそう言う。
「いやよ、お父様、お父様!」
ナアマは泣きわめいた。ソロモンは、それをすぐそばで見ていた。
人望あるアンモン王の事だ。今は、誰もが彼の奇病を嘆いている。だがすぐに、別の心配が出てくるはずだ。
医者も治せない病気なのだし、アンモン王ももう年だ。となれば、王はこのまま死ぬのではないかと言う懸念。すると、王子のいないアンモン王はだれを跡継ぎに据えるのかと言う問題。そしてこれは、王自信が思っていても不自然ではないことであった。
「(アンモン王よ、貴方には感謝せねばなるまい)」ソロモンはそう思った。
「(俺が息子だったら。と、そう言ってくれたな。そんな言葉を言ってくれて、本当にありがたい。おかげで、計画が進めやすい)」
彼は、もう一つ瓶を懐に隠して、そう思った。

アンモン王は、熱に浮かされたまま、天井を眺めていた。不思議な感触だ。生きていて、病気にかかったことがないではない。だが、これはそれまでのどれとも違うような……。自分はどうなるのだろうか。自分は死ぬのだろうか?アンモンはどうなるのだろうか。自分亡き後、アンモン王国の行く末は、そして、王女のナアマは……。アンモンを任せられる男の家臣の顔を、彼は朦朧とする頭で思い浮かべようとした。その時、ふと彼の眼に、白い髪の毛の男が映った。
「エディドヤ」
「陛下、解熱剤です。お飲みください」
鍵のかかっているはずの部屋である。だが彼がどうやって入ってきたのか、問いかける余裕はアンモン王にはなかったし、彼が懐に隠した針金に気付くほどの注意力も残ってはいなかった。彼は、どこか非現実的な思いに浮かされながらソロモンから差し出される口の細い瓶を自分の老いて水気を失った唇にうずめた。
とくとくと、甘く心地の良い液体が喉を降りて行くのがわかる。確かに、熱は楽になるかのように思えた。いや。熱だけではない。体全体が楽になるかのような感触。涼やかで、穏やかだ。先ほどよりも、もっと非現実的な思いになれる。
彼の意識は、次第にふわふわし始めた。熱とも、体中が軋むような痛みとも、彼は無縁になれた。五感が一気に、どこかもっと楽な世界に飛んだようだった。まるで安らかな、夢中のような世界に。
「陛下」
聞こえる声がソロモンのものであることも、もはや彼にはわからない。彼はまったく違う世界に自分の意識のみで飛んだような気持ちになっていた。
ソロモンが彼に飲ませたのは、解熱と沈痛を兼ねた幻覚剤だった。これを使えば、彼は、自分の発言を、あたかも自分一人の頭の中で浮かべたものだと思うはずだ。

「陛下。私の言葉が聞こえますか」
その声に、気の入らないような声で返答したアンモン王を見て、ソロモンは薬が効いたのだと分かった。にやりと笑い、彼は静かに、口調を変えた。
「アンモン王、国王よ。私の声を聴きなさい」
彼はゆっくりと、彼の耳元でささやく。薬を使うことも含めて、昔ナタンの持ってきた書物で読んだ、催眠術の方法だ。こうすると、人はあたかも神の啓示を受けたかのように暗示に犯されるのだ。
「あなたはもうすぐ死ぬ。病に侵されて死ぬのだ。貴方亡き後、アンモンを継ぐ者はいない。あなたにいるのは、王女だけだ。王女では、アンモンの王は継げない」
赤ん坊のようなうめき声で、アンモン王は恐怖にあえぐ。夢の中でおそらく、自分の声に反応しているのだろうということがソロモンにはわかった。
「代わりの者を立てなさい。貴方の臣下、奴隷の中で、最も賢いものを、最もあなたの息子に相応しいものを、自分の代理へと、後継ぎへと立てるのだ。貴方の奴隷エディドヤを、その地位につけよ。彼は最も賢く、貴方も、彼の知性を認めていた。彼以外にはいない」
彼がそう言うと、アンモン王はびくりと反応した。完全な拒絶ではなく、しかし迷いもあるということは見てもわかった。当然だ。ソロモンは奴隷なのだから。むろん、そのこともしっかり予想していた。彼は、すぐにこう言った。
「迷っているのか。彼は奴隷だ、王位にはつけない。だが王よ、アンモンの法に、身分の違うもの同士の結婚を妨げる法はない。王である貴方が許しさえすれば、全ては為る。そして、お前の王女ナアマに夫はいない。エディドヤを、貴方の娘ナアマと結婚させ、貴方の婿の位につけるのだ。さすれば、彼は王座に就く権利を得る。エディドヤをそのようにして、貴方の跡継ぎとしなさい。そうして、アンモンの王座を守るのだ」
その言葉を聞くと、アンモン王は静かになった。幻覚の世界の中で、何かを考えているようだった。
「良いか、貴方は眠り続ける。昼すぎになればこの場にアンモンの大臣たちが訪れる。貴方はその時、目を覚ますのだ。そして、私の告げたとおりの事を発表しなさい。それが最良の道であると、聡明な貴方にはわかるはずだ」
もう言うことは言い切った。この場に残る必要もない。ソロモンは静かにその場を立ち去り、また、何事もないように鍵をかけて、誰にも見られず立ち去った。



やがてアンモン王家の大臣たちが集まってきた。王はその時、ぱちりと目覚めた。相変わらず熱と痛みはあった。
「お目覚めですか、王よ!」大臣たちが口をそろえて言った。アンモン王の頭に突然、頭の中で起こった出来事が襲いかかってきた。
そうだ、自分は声を聴いたのだ。そして。その声は言っていた……。

「大臣たちよ。私は死ぬ。この病で死ぬのだ」
王の唐突な一言に、アンモンの重臣たちは驚いた。「王、そのような弱気なことをおっしゃらないでください!」「病は治ります!」と、彼らは口をそろえて言った。しかし、彼はそれすらもさえぎって言った。
「王女と、奴隷のエディドヤをここに連れてくるのだ。彼らに話がある。何よりも、重大な話だ。早くしろ」
穏やかな王には似つかわしくなく、何かせかすような威圧感のある喋り方だった。まるで、臣下たちをせかしているようでその実彼自身がもっと大きい存在に背中を押されているかのようだ。

自分の部屋で気を揉んでいたナアマは引きずるように父親のもとに連れてこられた。見ると、侍従長に連れてこられたソロモンが王の前にいるのを彼女は見た。
「奴隷!ここは大臣たちと王女である私しかいないのよ、なぜあなたが!」
「ナアマ、静かにしろ!」
アンモン王は強迫観念に憑かれたように、珍しく激しく彼女をしかりつけた。「王女、お前に重要な話があるのだ。そしてエディドヤ。お前にも」
「なんでしょうか?」陛下。ソロモンは、まるで何もわからないと言ったような神妙な顔と声色を作って見せた。
「お父様、なぜ私と奴隷を並べるの!」
「聞け、私には後継ぎがいない。私は死ぬ。もうじき死ぬのだ」
「お父様、お父様は死にませんわ!」
「ナアマ、黙って聞けと言っただろう!」
ナアマもどうやら、父の異常な雰囲気にのまれてしまったのだということはソロモンにもわかった。彼女は半ば怯えたように、縮こまった。
「私には王子がいない。偉大なるモロクに捧げて以来、私に王子は生まれなかった。私の妻たちも、私に男の子を与えはしなかった。聞け、アンモンの大臣たちよ。私は後継者をこの場で指名する。私の代わりに、アンモンを治めるものは、ここにいるエディドヤだ。この、誰よりも聡明な若者に、私の跡を継がせよ!」

その言葉に、その場全体がどよめいたのは言うまでもないことだ。ソロモン自身も実に白々しく、驚きを見せた。
大臣たちはさっそく不満の嵐だ。「なぜです!これは、奴隷の身ではありませんか!」とだ。アンモンは役人の地位は役人の家の出身でしかなれないらしく、だからこそ奴隷上がりのソロモンは王位を継ぐ存在などにはなれないというのだ。それに、長く仕えてきた大臣たちにしてみれば、自分の方がふさわしいと思うのも人情だろう。しかし、ソロモンはなおも知っている。アンモン王は見事に催眠術に引っかかったのだ。暗示から逃れることはできない。さあ、次の言葉を言うがよい、と彼はにやりと笑った。その笑みを、誰も見はしなかった。彼らの注意は、すっかりアンモン王に行っていたから。
「そうとも、彼は奴隷だ。そのままでは王位にはつけぬ。だから、私はもう一つ、言おう。このエディドヤを奴隷から解放し、王族に連なるものとする。私の娘ナアマの夫に、エディドヤをつけるのだ!彼を私の婿とし、私の息子も同じ立場にせよ!今すぐに!これは私の命令だ!」
第二の衝撃的な発言に、どよめきはもはや、静寂へと変わった。
奴隷を王女の婿にするなど、前代未聞だ。
だが、ソロモンはそれをはっきり理不尽だと切り捨てられないところまで、自分を置いてきた。ぬかりはなかった。大臣たちは無論、何か言いたげにしている。彼らは言いたいのだ。奴隷の少年が王女を娶るなどありえないと。しかし、言えない。それは、彼らも知っているからだ。ソロモンが自分達より賢く、能力だけを見るのなら、彼ら以上に王女の婿となってアンモンを継ぐにふさわしい器だということを。そう彼らに思わせるようになるまで、ソロモンはずっと自分の立場を高めてきた。王が困っている裁判を解決した日から、彼はずっと名よりも実を取って、奴隷の立場から無理に逃げようとは思わず、ただ着実に自分の実力を周囲に見せつけてきた。
年老いたアンモン王に、もともともう息子が生まれる確率は低かった。だからこそ、彼らは楽しみにしてたのだろう。唯一残った独身の王女の婿に選ばれるのは、王の息子になれるのはだれかと言うことを。それは彼ら自身に期待していたかもしれないし、彼らの息子や孫に期待していたのかもしれない。しかしこの瞬間、それら全ては打ち砕かれたのだ。それに選ばれたのは、彼らに連なる誰でもなく、誰よりも聡明な、異様な姿をした奴隷だった。
「いやよ」
静寂の中に声が生まれた。
「いやよ!いや!絶対いや!!」
言うまでもない。ナアマの声だった。

「絶対いや!お父様、どうしちゃったの。私はお父様の娘よ、王の子よ!そんな私を、奴隷の男に渡すなんて!お父様!私が奴隷女となってもいいの!?お父様、お父様ってば!」
彼女は、泣きわめきながら父に縋り付いた。ソロモンは無表情のままそんな彼女を見ていた。彼自身は、一言も発言しなかった。
「お父様、助けて!私、奴隷の妻なんていや!」
彼女は泣いてすがりついた。だが、ソロモンにはわかっている。そんなものは無駄だ。だって彼は、暗示にかかっているのだから。絶対にこれを遂行しなくてはならないという暗示に。それでなくても、王はソロモンをもとから気に入っていたのだから。
その証拠に、と、ソロモンは王の表情を見た。王は、ちっともナアマに同情的な表情をしていなかった。お人よしの彼からは想像もできない、病気のために体力を消耗した辛さもあわさっての、鬼気せまる顔だった。
彼は、娘に怒鳴りつけた。

「いい加減にしろ、このわがまま娘!」
彼はそう言って、ナアマの顔を打った。
「お前を奴隷にするのではなく、エディドヤを王家にするための結婚だ!こうしなくては、アンモン王家は存続できん!」
「私には、もっとふさわしい夫が……」
「いない!探している暇もない!それともナアマ、この場にエディドヤよりも有能な男がいるか?いるのならば言ってみろ!」
ここまで言えとは言わなかった。ソロモンはアンモン王に、皮肉を抜きにして本当に感謝した。なんと、実に役に立ってくれる王だろうか。そうだ。それを言えば、みんな黙るしかないのだ。だって誰しもが知っている。ソロモン以上に賢い男などいない。
「だって、だって」ナアマはとうとう、その場に子供のようにへたり込んで泣き出してしまった。もういい年だというのに。
「陛下、エディドヤはこれ以降も顧問に据えればよいではないですか。王女殿下の夫は夫で、相応しいものを立てては……」
「駄目だ!エディドヤよりふさわしいものなどおらぬ!お前たち、考えても見ろ。エディドヤが貴族だったら、お前たちは同じことを言えたか?良いか、これは私の命令だ!」
彼はひとしきりそう言って、咳き込んだ。そばにいる奴隷があわてて水差しを差し出す。水を飲み込むと、アンモン王は「エディドヤ」と、彼を見据えて言った。
「言い逃れは認めない。これは私の命令だ。ナアマを妻とし、私の婿となれ。私の代理としてアンモンをおさめ、私亡き後はアンモン王家を継ぐのだ」
彼は、ソロモンの赤い目をじっと見つめて言った。ソロモンはあくまで命令を受ける臣下と言った顔で、「仰せのままに致します。国王陛下」と真摯に言った。
「いやよ、お父様、私……」
「ナアマの言い訳は受けん!お前たち、何をぼさっとしている!私はいつ死ぬかもわからない、明日からエディドヤには働いてもらわねばならんのだ!今すぐ結婚式を執り行え!この姫に花嫁衣装を用意しろ!エディドヤを貴族に相応しく飾り立てるのだ!日が暮れる前に、早くしないか!」


アンモンの王宮が、右へ左への大騒ぎになったことは言うまでもない。アンモンでは王家の結婚式はあくまで王宮の人間だけで厳かに行われるのがしきたりらしく、そうたいそうな準備は必要なかったが、何にせよあまりに急な話である。
だが結局、王の言葉にすべて押し切られてしまった。日が下りる頃、王宮内の神殿で、急遽結婚式が行われた。モロク神の前に巨大な火が燃え盛り、神官が祈りを述べている間、ナアマは泣きながら、殺してやるとでも言いたげな目でソロモンを見ていた。ソロモンは、彼女の涙で化粧が剥げて流れているのを、たまらなく不細工だと思ってそれを見ていた。
この場の誰も、自分とナアマを祝福していないのがわかった。それでいい。祝福される必要などない。祝福されるほど、幸せなことでもないのだから。自分にとっては、ただの計画の一幕にすぎないのだ。自分が、奴隷ではなくなるための手段として、一番早いのがこれだった。ただそれだけの話だ。早く終わってくれた方がありがたい。ソロモンはそう考えた。
それにしても、とソロモンは思う。王子に生まれておきながら、高貴な衣装を着せられ、金の装飾品をはめられたのは、生まれて初めてだ。まさか外国でそのようなことになるとは思ってもみなかった。そう、細い手に何重にもはめられた腕輪や指輪を見て彼は感じていた。

結婚式の終わりに、王の詔が発表された。今を持って、エディドヤは奴隷ではなく、王の婿であり、王族の一員であると。ソロモンはやっとか、と思った。それの発表だけがほしかったのだ。ずいぶん時間をかけたものだ。


その夜の事だった。ソロモンとナアマは、新婚の夫婦が常にするのと同じように、同じ寝室に通された。新月の晩で、外は真っ暗になっていた。
ナアマは、泣きはらした顔をシーツでぬぐった。シーツが彼女の涙と化粧品で汚れる。汚らしいとソロモンは感じた。化粧の崩れた彼女の顔は輪をかけてグシャグシャで、いっそ滑稽なほどだ。
ソロモンのそんな視線を受けてか、ナアマも彼のことを睨みつけた。
「あなた、まさか私を抱けると思っているんじゃないでしょうね」彼女は言った。いつもどおりの、威張り腐った高慢ちきな言い方だ。だが、化粧品に汚れた顔でそう言われても、ソロモンでなくても怖くも何もないだろう。ソロモンは黙っていた。彼女を見下すような冷ややかな目で黙っていた。
「いいこと、常識ってものがあるのなら、私には近寄らないことよ。貴方は奴隷だけど、有能だから、仕方なく私も貴女の妻にならなきゃならなかった。それだけなんですからね」彼女は言った。「お前のような奴隷男に、私に指一本触れる権利はないのよ。その汚らしい体で、私の王の血を引く体に触らないでちょうだい」
彼女はそう言って、言葉を止めた。
しばらくの沈黙ののち、今度はソロモンが口を開いた。
「言いたいことはそれだけか?」
「…なによ?」
「言いたいことはそれだけか、と言ったんだ」
「な、なによ。それが王女に聞く口?身分を」
「身分?俺の身分は今日を持って王族だ。アンモン王女のくせに、アンモンの言葉もわからなかったのか?」
この結婚自体は計画の一段階でしかなかったが、もう一つおまけがあるにはあった。この気に食わない、大嫌いな王女を黙らせてやるという点においてだ。ソロモンもさすがに、とっくに堪忍袋の緒が切れていた。
「なによ、奴隷が…」と彼女はすごもうとしたが、言葉を飲み込んでしまった。彼は彼女を寝台に押さえつけた。細身な彼とはいえ、さすがに女性一人を押さえつけるほどの力はある。
「俺は夫が妻にすることを今からお前にする。何か問題があるのか?」
「な、何よ、奴隷のくせに!お父様が、お父様が許さないわよ!」
「許したのは王だ。もうしゃべるな。お前はうるさい」
彼はさっと彼女の着物を下半身だけ脱がせた。彼女は悲鳴を上げる。彼自身も着物をはだけ、彼の真っ白な体がろうそくの明かりに照らされた。
「いや、いやよ!お前、お前の体を鏡でよく見てみなさい!その奴隷の体で、穢れた体で、私に触らないで!」
「鏡を見ろ?それはこっちの台詞だ。お前、化粧が剥げてこびりついて、驚くほど不細工だぞ。それでよく威張り腐れるな」
「あ、貴方って奴は…」ナアマは震える声で言った。「ずっと私に懸想してたのね!私を抱きたくてしょうがなかったんでしょう、この…」
「ふざけるな!」彼は急に、怒って言った。そして、彼女を平手で打った。彼女は怯えて、言葉を引っ込めてしまった。もうずっと長い間厨房の奴隷たちからは虐められなかったし、彼女の暴言にも耐えてきたので、ここまで感情を高ぶらせるのは初めてだった。
「もう俺とお前は対等だ、おれはお前に遠慮などしないぞ!俺がお前を好き?片腹痛いわ。いいか、俺はな、お前が大嫌いなんだ!男か女かにかかわらず、無能のくせに威張り散らしている奴は皆嫌いだ!」

ソロモンは彼女の体を抱いた。至って強引に。どこか、暴力にも似ている気分を、彼は味わった。

「(想像していたよりも)」彼は思った。「(どうと言うこともないな。性交と言うものは…こんなものに夢中になり、人生を滅ぼすものがいるのか。そんな馬鹿にだけはなりたくない。それなりの快感はあるが、それだけだ。…俺は、もう清らかな体ではないのか。かといって、特に変わったという実感もないが……)」
彼がぼんやりとそう考えた。脇では、ナアマが泣いていた。相変わらずグシャグシャの顔で、怒りに満ちた顔で泣いていた。ソロモンはそんな彼女を冷ややかに見下した。
「私は」ナアマは気力の抜け落ちた顔で言った。彼女も処女だったのだから、相当なショックはあるのだろうとソロモンは思っていた。処女が無理矢理襲われるショックの大きさは、タマルの事を思い返してみても証明されている通りだ。
「私はお前に、負けないわよ」
もはや、彼女の汚らしさのあまり、彼女のほうが奴隷のように見えるのではないかという様だった。だがナアマは言った。
「王族になった、ですって?調子に乗っているがいいわ。成り上がりもの。いいこと。お前の肩書がどうだろうと、貴方は生まれたとき下郎だった。私は生まれながらに、王女だった。覚えておおき。お前がどんな小細工をしようと、わずかな知恵をひけらかそうと、神の定めた生まれだけは、どうしようもないのですからね。貴方は下郎に生まれ、私は王女に生まれた。その時点で、私の方が優れていることは、絶対なのですからね」
この期に及んでも身分にすがりこちらを見下しにかかるのか、と、ソロモンは思った。
「(ここまでくれば、いっそ面白い)」
彼は妻を相手にもしなかった。


白昼だというのに、不気味なほど誰もいなかった、アドニヤは遠乗りに出ているらしく、不在だ。それどころか誰も、庭に出てはいなかった。
ベナヤは今日は休暇の日で、しかし彼は王宮に来ていた。一応、姿を隠すために顔と頭を覆い、長い上着を着ている。おあつらえ向きなまでに誰もいない。怖いほどである。
しかし、もう後には引けない。今は絶好のチャンスなのだ。彼は木に登った。アドニヤの部屋の窓の近くに枝を伸ばした木があるのだ。身軽なベナヤなら飛び移れなくはない距離だった。
ここを見られたら一巻の終わりだ、とは思いつつ、ベナヤは木の上からさっと飛び移り、一瞬でアドニヤの部屋に侵入した。誰にも見られてはいないようだった。彼はするりと縄を回収する。
あの指輪を探さなくてはならない。ベナヤの頭にはそれしかなかった。彼は、アドニヤの部屋中を探し回った。ふと、宝石箱のような箱が目に止まった。彼はためらいなくそれを開ける。
幸運だった。中にはまさに、六芒星が掘られた大きなルビー付きの指輪が輝いていた。ザドクが言っていた王権の指輪そのものだった。
「(これさえあれば!)」ベナヤは震える手で、それを自分の懐にしまった。
「(これさえあれば……あのアドニヤ王子の本性を暴ける!このダビデの家の狂気を取り除ける!)」
具体的な計画までは頭になかった。しかし、彼の正義の心がどうしてもそれをしないことを許さなかったのだ。あとはもと通り木に飛び移って帰ればいい。指輪さえ手に入れれば、ここに用はない。早く立ち去ろう。

そうして、ベナヤがさっと木に移った時だった。その瞬間、彼は気が付いた。誰もいなかった庭に、一人だけ、いたのだ。
いつのまにか、ヨアブがいた。遠いところに、だが、しっかりと一人だけ、こちらを見ていたのだ。
「ど……」
ベナヤはヨアブが叫ぶまでの間に、あわてて走り去った。
「泥棒!待て!」
ヨアブがそう叫び、こちらに向かって走ってきた頃には、ベナヤはもう彼の視界から消えていた。彼は顔の覆いと上着をとって、王宮の人ごみに紛れこんだ。
「(なんということだ。どうすればいい……)」
誰もベナヤを気にしてはいなかった。彼は当たり前のように、宮殿の中を歩いて見せた。なるべく落ち着いて、なるべく当たり前のようにいようと心掛けても、心はやすまらなかった。
「(ヨアブ将軍に、ヨアブ将軍に見られた……よりによって一番見られたらまずい人に!どうする!?あの人なら、アドニヤ王子の部屋に入ったやつをすぐに殺すくらいのことはする!ど、どうすれば……!)」
あたりは騒ぎになっていた。ヨアブの叫びを、皆聞きつけたのだ。ベナヤは今になって、自分の行動を後悔し始めた。
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