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クリスマス市のグリューワイン

feat: Solomon 第三十五話


「それで?……一体、どういったわけだ?」
一通りの仕事が終わり、ソロモンの執務室に通されたザドクとベナヤに浴びせられた最初の質問はそれだった。
その言葉はこっちが吐きたいくらいだ、とどれほどザドクとベナヤが思ったことか。彼らの認識では、ソロモンは完全に死んでいたのだ。それがピンピンして生きているばかりか、たった二年半程度で一国を任される立場になって、ついでに知らない間に結婚までしている。理解に苦しむのはどう考えてもこちらの方だ、と言うのが彼らの言い分だ。
しかし、ザドクは律儀な男で、彼はソロモンに当然の疑問をぶつける前に、まず、彼らの身にあったことをつぶさに聞かせた。まずベナヤの紹介から始まり、彼がソロモンがアドニヤに襲われた日の目撃者であったことを話し、彼がもう一つ見たものを話し、イスラエルから出ることになった詳細すらもつぶさに話した。
アドニヤとバテシバの間に起こったことを話すときは、さすがにザドクも居心地が悪そうだった。その話を受けて「まあ、あの女と兄ならやりそうなことだ」と、返答や相槌と言った風ではなく、ただぼそりと呟いたソロモンの眼の冷たさに、ベナヤは一種の恐怖を覚えた。
ザドクが彼と話している間、ベナヤはずっとソロモンを見ていた。この王子とこうして会うのは正真正銘初めてだ。あの時に姿を見はしたが、あの時はアドニヤの行為ばかりに気をとられ、彼自身の姿に関してはあまり印象に残っていなかった。彼は昔のように厳重にマントで全身を覆い隠しはしていない。おそらく屋内だからと言うのが大きいのだろうが、それが、彼を昔とは違う、気高い存在に見せていた。
パッと見た感想は、意外、と言うものだった。化け物、忌み子、と散々な話を聞いていたので、どれほどにまで化け物じみた醜い顔をしているのだろうと、正直な話思っていたのだ。しかし、こうして見ればそんなことは全くない。醜いどころかむしろ、彼は非常に繊細で端正な顔をした十代の美少年だ。ただ、かといってやはり、普通ではない。その父親と母親両方から譲り受けたとよく分かる美しさが、尋常ではない色彩を持つことで、その美しさと同じ度合いの不気味さをも持って輝いていると言ったような印象も、彼は受けた。
「なるほど。大体の話は分かった。まあ、貴方とは知らない仲でもないし、そういうことならアンモンに隠れるなりなんなりしていればいいだろう。私は邪魔立てしない。そのベナヤも雇ってやる」
それはそうだ。彼には、イスラエル王家に裏切り者を引き渡す義理などあるまい。とベナヤは考えた。
「話は終わりですか?」ベナヤは口をはさむ。「じゃあ、俺からあんたへ質問だ。あんた、なぜここにいるんだ?」
ザドクの話が終わったと見えて、ベナヤはかねてより気になっていた話題を切り出した。ザドクは彼の非礼の態度をとがめるようなことを言ったが、ソロモン自体は特に気にしていないようだった。
「俺は見た。あんたは確かに、心臓にナイフを突き刺されたはずだ。なぜ、生きているんだ?」
「なぜ……か」
ソロモン自身も、その返答の答えに困っているようだった。
「なぜか、と言われれば、私にもわからない。とにかく、私はお前が見たその一件の後奇跡的に息を吹き返したのだ。その証拠に、私の左胸には、まだナイフの傷跡が残っているぞ」
それを聞いてぎょっとしたベナヤに、ソロモンは無言で少しだけ着物の胸元をはだけて見せた。左胸には確かに、ナイフで刺したような傷跡が残っていた。それを見届けてさらに顔を真っ青にするベナヤとザドクに向かって、ソロモンは着物を正しながら続ける。
「とにかくも、私は生き返ったのだ。それで、誓った。この落とし前を必ず付けるとな。それで、アンモン王宮に入って、王に取り入って婿になって、今ここにいる、と言ったわけだ」
「……大したもんだ」
ベナヤはほとんど、素の感情からそう言った。独り言のようでもあった。
自分達がああでもないこうでもないとぐずぐずしていた間に、この目の前の男は、着の身着のままの手負いの少年の身で、のし上がってきたのだ。
ソロモンはそこまで多くを語ったわけではない。彼の語り口は、あくまであっさりとしていた。しかし、ベナヤはなぜか彼のたたずまいから、ただならぬ雰囲気を感じられたのだ。彼がこれまでの期間、一体どのような思いで過ごしてきたかを、彼はその姿で物語っていた。
「ベナヤ、何を言う。お前の言葉づかいはひどすぎるぞ」
ザドクのそんな言葉など、聞いていられなかった。とにかく、事実として分かったのだ。ソロモンは生きている。生きて、今、目の前にいる。
自分の目的のためにこれ以上良い材料があるだろうか!ベナヤは決心を固め、ソロモンの前に身を乗り出した。
「ソロモン王子、俺はあんたに取引を持ちかける!」
そう言って彼は、ソロモンの前に先ほどの指輪を差し出した。

「取引……?」
「ああ。あんた、さっき落とし前をつけるって言ってたな。その口ぶりじゃ、あんたはアンモンをのっとってそれで満足ってわけでもなさそうだ。あんたの最終目標はイスラエルに帰って、自分の復讐を完遂すること。そうだろう?あんたは憎んでいるはずだ、イスラエルを。自分の家族を」
彼はそう畳み掛けた。ソロモンは彼の言葉が終わるのを待ってから「よく分かったな。……その通りだ」と言った。
「これはあんたの指輪だ。あんたがダビデ王からもらったもんだ。王位継承者に選ばれたことの証拠として、これ以上のものがないことくらい王宮の人間なら誰でも知っている。俺は、あんたにこれを渡そう。それで、あんたは自分の王位継承権を十分に主張できるはずだ。アドニヤを差し置いて」
「なるほど」ソロモンは少しだけ口角を上げて、言った。「で……取引ならば、お前は私に何を要求するのだ?」
「アドニヤ達を完全に滅ぼし、王になってくれ!」ベナヤは言った。
「俺はもう耐えられない、あの狂気の王子に!それを取り巻く周囲にもだ!ダビデ王はもういつ死ぬかもわからん、アドニヤを止められる正当な権利を持っていたのはあんただ!ならば、あんたが一番それをできるはずだ。それで、王になったら、俺とこのザドクさんを、それぞれ軍と祭司の最上位の位につけろ。俺たちはそのくらいの貢献はできるつもりだ」
ソロモンはその言葉を聞いて、薄く、にやりと笑った。「ベナヤ!」と、ザドクが大声で静止する。だが、それは無視された。
「断ると言ったら?」
「断れねえ。あんただって、この指輪がほしいはずだ」
その言葉を聞くと、ソロモンはいよいよ高らかに笑い出した。だが、ベナヤはそれに戸惑い、思惑違いに慌てた。と言うのも、その笑いは、王子たるものに媚ではなく厚かましく取引を持ちかける不敵さに感心したものではないと、彼のあざけるような雰囲気から実によく分かったからだ。ベナヤは肝が冷える思いだった。
「不安げだな。顔に出ているぞ。取引を持ちかけるなら、もう少しはったりでもいいから堂々としていろ。付け込まれるぞ」ソロモンは狐のような目つきでベナヤを見据え、そう言った。なぜ自分より年下の少年にこんな説教を受けているのか、と、情けなく思うような余裕は、ベナヤにはなかった。
「ザドク。こいつ、あまり頭はよくなかろう。頭の悪いものが、虚勢を張って取引などするものではない」
「……それは、心外だな」
ザドクが言葉をはさむ前に、ベナヤが言う。だがソロモンは「違うか?お前の話を聞くに、指輪を盗んだ話云々は全く考えなしの無鉄砲の所業としか思えんがな。結果的によく転んだから、まあ良かったものの」と言う。ベナヤはそれは全くの図星ではあるので、言い返せなくなってしまった。
「お前の前提は間違っている。はっきり言うが、私には今、そんな指輪一つ、たいして重要な存在でもない」ソロモンは悠々と続けた。
「なんだって?」
「お前たちがだらだらやっている間に、私は今の今まで、イスラエルに帰り復讐するために、ずっと戦ってきた。誰に頼ることもなかった。ただ、利用しただけだ。私はだれも信じなかったし、たった一人で何でもやってきた。いくらでも侮辱を受けて耐えてきたし、最終的にそいつらも全員黙らせて、今、ここにいる。……この意味がわかるか?」
ソロモンは再度、ぞっとするような冷たい雰囲気に戻っていた。彼は明らかに、ベナヤとザドクに少し苛立ちを覚えているかのようだった。
「私はもう、イスラエルに戻って復讐するには十分な力があるんだよ。そこにお前らがのこのこやってきた。それで、すべて一人で得てきた私に、いまさら要りもしないものを得意満面に差し出して、自分たちの力が必要だろう、貸してやるからこちらの要望も聞けと自慢げに言ってきたというわけだ。笑うしかあるまい。要するにお前たち、私に取り入るには少々遅かったというわけだ」
彼は口角をあげて笑ったが、目が相変わらず冷淡なままだった。ベナヤは威圧された。何か言わねばと思ったが、うまい返しが思いつかなかった。確かに、そう言われてみればそうだ。
だが、ここで引き下がるわけにもいかない、と彼は感じていた。自分はともかく、ザドクは妻子がある身なのだ。おそらく今、自分たちの不在がばれているだろうし、彼の家も仕打ちを受けているはずだ。なんとしてでも、彼は復権させねばならないし、それで出世もさせてやらねば示しがつくはずもない。それに、軍隊をあのヨアブや、彼の息のかかった部下に任せるわけにはいかない。ベナヤの義憤がそれを許さなかった。
ソロモンがアドニヤを倒すのが、無論本質なのだしそれはそれでかまわない。だが、それだけではだめなのだ。なんとしてでも、自分たちの出世も同時にかなえさせねばならない。ここで引き下がってはだめだ。
ベナヤは急いで頭を回転させて、どう言おうか、どうソロモンを納得させようか、この抜け目のなさそうな王子を、と考えた。だが、その時である。
ソロモンの白い指が目の前に伸びてきて、ベナヤの指に捕まれたままの指輪をそっと取り上げたのだ。
「何をそう苦虫をかみつぶしたような顔をしている。私は取引に応じないとは言っていないぞ。ただ、お前の至らなさを指摘してやっただけだ。お前があまりにも取引向けの人間じゃないから」
気が付いたころには、ルビーの指輪はソロモンの掌の中にあった。見れば見るほどソロモンの瞳の赤とルビーの色がそっくりで、まるで彼の掌にもうひとつ目が開いたかのようだった。
「え?」
「まあ、不要とはいえあって困るものでもない。あるに越したことはない。それに私はともかく、お前たちは真剣にその条件を飲んでもらう必要がありそうだからな。だから、聞いてやる。お前たちの要求全て。それでかまわんだろう」
そう言ってソロモンは、彼の右手の中指に指輪をはめた。まるでおあつらえ向きといったように、それはすっぽりとはまった。
「それに、そろそろイスラエルには帰ろうと思っていたところだ。まあ、良い部下ができたとでも思ってやろう」彼は笑った。
「お前はひとまず、私の護衛に雇ってやる。詳しいことは後で話そう。良いな」

「(『聞いてやる』か……!)」
結果的には、話しが実にうまく進んだ、とベナヤは思った。しかし、引っ掛かるものがあった。こんなはずではなかったのだ。
そうだ。自分は当初、取引を持ちかけたのだ。それはつまり、ソロモンと対等な存在として、イスラエルを打倒する間柄になろうという意図あっての事だった。そう思った理由は簡単だ。彼には、ソロモンを信頼する理由がなかったからだ。鋭い瞳でこちらを見つめる年下の少年が、酷く油断のならないものだと、軍人特有の直観が彼にそう告げたからだ。
しかし、現実ははるかにソロモンのほうが上手だったのだ。そして、ソロモンもまた自分と同じように、自分を信頼してなどいなかったのだ。それが、ベナヤには今わかった。
彼のペースに巻き込まれてくるくると話が進み、気が付いてみれば、彼は完全にソロモンに主導権を握られてしまっていたのだ。
ベナヤは身震いした。この少年は、これほどまでだったのか。もしも彼がイスラエルに帰りたくはないと言った時、ベナヤは最悪のケースとして、剣で脅迫してでも言うことを聞かせようと思っていた。自分の腕っぷしに自信はあることだし、ひ弱そうなソロモンならなんとか成功する可能性もあるかもしれないと思っていた。しかしソロモンの方は、武器すら使わず言葉と行動だけで自分を屈服させてしまったのだ。ザドクが、それに心配そうに声をかける。だが、気休めにもならなかった。
ソロモンが強かすぎるから怖いのではない。ソロモンの知性ではなく、何かもっと根底にある、もっとささくれ立ったものが、自分が恐れているものだと、ベナヤはぼんやりと感じていた。目の前に立つソロモンはベナヤよりも背が低いにもかかわらず、彼はソロモンに見下されている気分だった。その赤い目は、いったい、どのような世界を見ているのだろう。おそらくは、自分の見ているそれとは違うのだろう。そうであれば、このような目つきをするはずはない。世界はこんなに、睨みつけるべき忌まわしいものではないのだから。少なくとも、ベナヤにとってはそうだった。

ソロモンは手元の鈴を鳴らして、人を呼んだ。おおかた、ベナヤを雇い入れるという発表をするためだろう。
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