クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第三十七話



病床に伏せるアンモン王の前にソロモンが現れたのは、とある日の朝の事だった。刺すような朝日に照らされて、マントをかぶったソロモンのシルエットが鮮烈に彼の目の前に浮かび上がった。
「陛下、私に軍隊を動かす許可をください」
アンモン王はぼんやりする頭で、あっさりとそれを了承した。


ベナヤがソロモンに軍隊を動かせと言われた時、彼はようやくか、と思った。ベナヤを雇い入れてから、彼は全くいつも通りに仕事をこなしていたのだ。ベナヤとしては、一日でも早く帰りたくて仕方がなかった。だが、ソロモンは彼がせかすと、待て、と言うのみだった。そして、「私の言うことには従え」と来るものだ。
実際、ベナヤはもう彼には逆らえない。彼は完全に自分達より優位なのだ。自分達は彼を切り捨てることはできない。彼は自分たちを切り捨てても、おそらく何の損失もないというのに。そう、自分たちは今、お情けでソロモンの味方にしてもらっている存在でしかないのだ。
だから、ベナヤは待つしかなかった。それがようやく、進もうというのだ。
「今夜出発をする。お前は兵を揃えろ。何、そんなに数はいらん。百人程度で十分だ。ただし、選り抜きの実力の者にしろ。アンモンの古株の軍人の判断もあおげ。わかったな」
こんな発言にもとくには驚かなかった。ソロモンは日光に弱いうえに夜に強いのだから、夜に出発することは全くおかしくもなんともない。付き合わされる方は楽なものではないが。
見れば見るほど、ソロモンは昔少しだけ見た思い出の姿とは違っていた。それは、成長して背丈が伸びたせいもあったのだろうが、もっと根本的なところで違っている。
彼が今マントをかぶっているのは、純粋に日光を避けるためと言う印象を受けた。変な話ではあるが、あの日、裁判の席に立った少年は、もっとそれ以上に、外を拒もうとしていたのだ。自分の姿を一片でも他人に見せてなるかと言う強固な面が感じ取れたのだ。
目の前に立つ彼は、長いマントの留め金を止めず、ただ羽織るにとどめている。白い髪も、顔も、あらわなままである。目には若干影がかかっているが、それでも、彼の眼の赤色ははっきりと見えていた。屋内だから、その程度で十分いうことなのだろう。
「では、私はこれで」彼はマントを翻し、さっさと次行くべき場所に立ち去って行った。ベナヤはその後姿に威圧されるような思いだった。そうだ。根本的に違うというのはこれだ。今、彼には威厳があるのだ。


「ナアマ。旅の支度をしろ。今夜出発する」と、ソロモンは彼の妻の部屋に入るなり、だしぬけに言った。ナアマはいきなり部屋に入ってきた夫の姿に一瞬怯んだものの、すぐにいつも通りの態度に戻って「私がついていく必要も義務もないわ」と言った。
「ほざけ。俺が付いて行けと言っているんだ。夫であるこの俺が」
「たいそう偉そうね、奴隷上がりのくせに!」
「お前はそれ以外の言葉は言えんのか?支度をしたくないなら勝手にしろ、その薄い恰好で夜の荒野の寒さに耐えきれるというのならそれもまたよかろう」
皮肉の色がたっぷり入ったソロモンの言葉に、ナアマは唇をかみ、彼を睨みつけた。彼の視線は全く別のところにあったので、彼女の眼を彼が捉えることはなかった。
「どこに行くの、教えなさい」とナアマは言おうとした。だがソロモンはそれより早く「今日、アンモンを離れるからな」と言った。
「なんですって!?」
「アンモンを離れる。俺の故郷に帰るのだ。お前のような女でも一応は妻だ。連れて行かなくてはならんだろう」
故郷、と言う言葉に、ソロモンは我ながら不思議な感触を覚える。懐かしさと言えるものはおよそ、どこにもないはずだ。あの土地のどこに自分が感慨を感じるいわれがあったというのか。
ただ、それであってもイスラエルは自分にとって特別なところなのだ。アンモン以上に。だから、故郷と言う言葉にも不思議なものは感じても皮肉なものは感じなかった。あそこは確かに自分の故郷なのだ。たとえ、王宮以外のものを自分が知らなかったとしても。
ナアマは呆気にとられている。ソロモンは「急いでお前の侍女にも伝えろ」と短く言いきった。
不意に、ナアマが笑う。ソロモンはそれを持ってようやく彼女に言葉以外の初めての反応を見せた。彼は眉をひそめた。
「ほほ……ほほほ!笑っちゃうわ!故郷って、貴方の故郷なんて羊の牧場じゃない!この私を、アンモン王女を!羊の群れの中に連れて行くのね!いや、そもそも、アンモンのような立派な国の王座を約束されておきながら羊たちの世話に帰ろうなんて、ああ、あほらしい!ほっほっほ、やぱり猿知恵があろうとも、羊飼いの息子は羊飼いの息子だわ!それなりの常識しか持ち合わせていないのだわ!」
彼女は鬼の首でも取ったかのように、あざける笑い声を出した。ソロモンは彼女の言葉が終わるのを聞き届けると、自分もにやりと笑って言った。ナアマはその顔を見て、思わず笑いを引っ込める。彼女にはわからない。彼がどうしてこうも、残忍な笑い方をできるのか。
「ナアマ、俺の父の飼っている羊はただの羊ではない。お前にもいずれわかるだろう」
ナアマは、自分の夫の指に輝く赤い指輪に気づくことはなかった。



王になれないのなら、誰も自分を愛さない。アドニヤが生まれて初めて気が付いたのは、そのことだった。
彼の母は、彼を相手にしてくれなかった。そして、周りにいる人間もそうだ。彼らは、第一王子のアムノンか、彼以上に王に相応しいと言われているアブサロムのもとにこぞって集まった。彼はもちろん悲しかったが、その悲しみを傍にいて受け止めてくれるものも、誰もいなかった。彼はやがて、それが、どうせ王にはならない自分を愛したところで周囲の人間にとって何の見返りにもならないからだと悟った。
小さいころアドニヤは、動物をいじめるのが非常に好きだった。その悲しさを紛らわせたかったのかもしれないし、彼の天性の残虐さがそうさせたのかもしれない。ともかく、彼は発散させようのない怒りを自分より小さいものにぶつけた。虫やカエルを捕まえてはバラバラにし、鳥や小動物を逃げないように縛り付け、石をぶつけて遊んでいた。誰も一緒にそうして遊んでくれる者がないから、彼は、一人きりでずっとそうやっていた。
しかし、ある日彼は、全くの気まぐれでアムノンやアブサロムがやっているように、動物に餌をやってみようと試みた。すると、彼は驚くこととなった。てっきり、自分は普段から動物たちをいじめているから寄ってもくるまいと思っていたものが、うきうき喜び勇んで彼のまき散らすパンくずに寄ってきたのだ。
孔雀が自分の掌をつつきながらパンを食べた時、アドニヤの中で全く、動物たちがくだらなく思えた。ああ、そうか。この程度なのだ。動物を傷つけるというのは。自分がいくら残酷であろうとも、ただ良い人間を装えば、彼らは騙されてしまうかもしれない、と、彼は考えた。その日以来、彼は変わった。
自分の趣味をぱったりやめて、動物たちに優しくするように努めた。動物たちはすぐに彼になついた。そのうち、彼は、これは人間にも適用できるのではないかと考えた。
彼は一人きりになるのをやめた。ニコニコした笑みを浮かべて、相手がどんな相手であろうとも、貴族であろうと奴隷であろうと、手伝いがほしそうにしている相手に手を差し伸べた。つらそうにしている相手に、優しく、語りかけた。彼らは満足している様であった。その時、初めてアドニヤは今まで気づいていなかった自分自身の才能に気が付いた。自分は、生まれながらにして人心掌握の才能があるのだ。他人が求めるものを見極め、それを演じることが、他人以上にできるのだ。そう、彼は自覚した。彼はそれに徹底した。残酷な自分をありがたがるものなど誰もいない。彼は常に、仮面をかぶり続けた。彼らの求める人間であることに努めた。まだ、年端もいかない子供だった頃の話である。
成長していくにつれ、そのような彼をありがたがる人間はますます増えた。彼の、他人の思いを見抜く腕も、めきめきと上がっていった。腕を上げ、そして最終的に、彼は見抜いた。彼らはいつしか、自分を良い手伝い程度の者でなく、尊敬するかのようなまなざしで見ていた。そしてもう一つ、彼には気づくところがあった。彼らはアブサロムやアムノンに、同じようなまなざしを向けているのだ。
それを自覚した瞬間、アドニヤは歓喜に打ち震えた。王とならなければ、誰も自分を愛さない。しかし、自分はこれを持って、王となることができるかもしれないのだ。王となるには人望が必要だ。自分はアムノンよりも、アブサロムよりも、それを集めることができる。自分にはそれだけの力がある。少年の日のアドニヤは、そう確信した。
彼はもう、動物をいじめることなどなくなった。そんなところを誰かに見られたら、自分のイメージが崩れるかもしれない。だんだん、優しくするにも相手を選び、効率よく自分の好感度を上げるように努めてきた。ただし、だからと言って下賤の者に冷たくしたわけではなかった。彼らにもまた、あくまで目上の者として最大限に払える優しさと敬意を見せ、丁重に扱った。何人もの人間を観察し、どうすれば自分がその人間の求める姿になれるか、どうすれば彼らに尊敬されるかを観察した。
彼はそれを、母親にも試してみた。簡単なことだ。彼女に、自分の王としてのポテンシャルを見せつければいいだけの話だったのである。取り巻きの数こそまだ兄たちに及ばないが、貴族や祭司たちに一目置かれている彼の姿を、母親にそれとなく見せつけるだけで十分だった。
ハギトは人が変わったように、アドニヤに構い始めた。今まで一瞥もくれなかったのに、途端に過保護になり、アドニヤにべったりとくっつくようになった。そして暇さえあれば、貴方は自慢の息子だと繰り返した。アドニヤは、彼女が息子も同じように自分を愛してくれることをも望むようになったのを見抜き、そんな母の愛情を世間の仲むつまじい母子のするような形で受け止めたが、内心では母をあざ笑い、軽蔑した。
アドニヤは着実に、力をつけ、信頼を得ていった。彼は、王となりたかった。王になれるからこそ愛されるのだ、王になることが自分の存在意義なのだと、小さいころ得た確信を信じて、動いた。王となれば、もう昔のような屈辱にあえぐこともないのだ。誰もかれも、動物のような馬鹿ばかり。その馬鹿にでも、自分は愛されたいのだ。
天の恵みかと思う瞬間は、ある日突然に訪れた。アブサロムに呼ばれて出席した宴会で、突然、アムノンが凶刃にかかって殺されたのだ。彫刻のごとき美しい顔をこの上なく深い憎しみの色に染めてアムノンを切り刻むアブサロムを見て、アドニヤは心の中に沸き立つものがあった。ああ、なんという表情だ!まるでこれは、破滅の表情だ。人の心を見抜くアドニヤは、その時も見抜いたのだ。アブサロムの破滅の予感を。彼がいかに自暴自棄になっているかを。
邪魔な長男が消え、三男の命も風前のともしびとなったのを誰よりも一足早く見て、アドニヤの心が希望に燃えた。自分が望んできた地位が今、手に入るチャンスが生まれた!と。
アブサロムのクーデターが起こった時、誰もかれもが城を離れたがる傍らアドニヤは自ら、城を守ると名乗り出た。アブサロムに負けるなどと言う気はさらさらなかった。彼にはそれだけの自信があった。
それに、これほどにまで、自分はダビデ王家に忠実に使える王子であるということを顕示する機会もない。案の定、周りはみんな心配そうな顔をしながらも、同時にアドニヤに対する敬意の心が沸き立っていた。理想の王子とあがめられたアブサロムが父を裏切るなどと言う出来事があった直後なのだから、さぞかし父王に忠実な王子の姿は、彼らの心を打ったことだろう。
いよいよ他のものが出ていくときになって、預言者のナタンが彼に言った。
「アドニヤ殿下、よろしければ、ソロモン王子に助けをお頼みください」
ソロモンの名を聞いて、アドニヤは不審に思った。なぜナタンが彼の話を出すのか。しかし、次の言葉に彼は納得した。
「ソロモンは、天性の知性を持っております。役に立つかもしれません。なにとぞ、ダビデの家をお守りください」
アドニヤはその言葉に、了解の意を示した。天性の知性。もしもそうなら、確かに、この状況で自分が今一番欲しいものだ。
ソロモンの事は知っていた。不気味な白い体に赤い目。おまけに夫を裏切ってダビデに嫁いだいわくつきの女の息子。誰もかれも、彼を忌み嫌い、軽蔑し、避けていた。そして彼も、不気味なまでに、他人に媚びることを拒んでいた。誰にも愛されない天涯孤独の弟。それはまるで……昔の自分のような。
ソロモンを自分の味方につけることは、今までの誰よりも簡単だ。アドニヤは、そう確信した。だって、ソロモンが何よりも欲しいものを、自分は誰よりも知っている。それはかつて、自分自身が強く、強く望んだものなのだから。


夜が更け、アンモンの王宮にかがり火がともされた。ベナヤが選んだ兵隊たちは一列に並べられ、出発を待つ段取りとなった。ナアマも結局しぶしぶと旅支度をすることを強いられ、文句ありげな顔で少し離れた場に立っている。
ソロモンはどこにいるのか。肝心の彼が来ていない。彼は隣に立つザドクとともに、そのことを心配していた。
だが、心配は不必要だった。彼はすぐ、その場に来て全員の前に立った。そして、自分の体に覆いかぶさるマントを、ばさりと翻し、夜の空気を切り裂いた。
彼の長い髪が冷たい夜風にふわりとなびく。真っ白なそれは、いつのまにやらよく手入れされていて、艶やかに輝いているようにすら思えた。夜風に翻されたマントも、あのみすぼらしいぼろぼろのものではない。真っ黒なのは同じであるが、上等の布地で作ったものだ。彼はそれを片手でまとめ、背筋を伸ばして彼らに向き合った。月明かりに彼の鋭い視線がはっきりと照らされる。彼は見下ろすように、彼の前の軍隊を眺めていた。誰もが、それに知らず知らずのうちに威圧されているようにも思えた。
美しい。ベナヤはそう思い、畏怖すら覚えた。彼が生きてきた中で、今まで、これほど美しく、厳かで、……このような感情をソロモンに持ったことなど、おそらくイスラエル人の中では誰もないだろうにもかかわらず、彼はこう思えた。これほど高貴な男がいただろうか。はかない月の光を受けてレバノンの山の上に降る雪のように白く輝く若者は、まるで人間を超えた、はるかに高貴な存在のように、ベナヤには映っていた。
彼は細長い指にはまったルビーの指輪をかざし、言った。
「ものども。我らはこれより、イスラエル王国に向かう。そして、イスラエルの王位をわがものとするのだ」
彼らは一瞬どよめいた。イスラエルは宗主国である。そのような大それたクーデターが、なぜここまで少人数なのかと。だが彼は言った。「うろたえるな!私には、イスラエルの王位を継ぐ権利がある。このダビデの指輪が、何よりの証拠」
ベナヤはいつかと同じような感触を覚えた。月明かりに照らされ星よりも煌めくルビーの赤色は、ソロモンの眼の色と全く同じだ。ソロモンは三つめの眼を、その手に携えているかのようだった。ルビーの指輪は彼の眼同様、冷たく、彼らを見下していた。
「ものども、私についてこい。イスラエルの王座は、アンモン王の婿エディドヤのものにあらず。この私、ダビデの指輪を持つもの……イスラエル王子、ソロモンのものだ。」
何の威厳も威圧感もないものが言っているのならば、軍人たちはなおもどよめき続けそうなものだ。いったい、この目の前に立つ王の婿はどんな気の振れたことを言っているのだろうと、信用できなくても不自然な話ではない。ましてや、彼は、名前さえも彼らが知っているものとは違うものを唐突に明かしたのだ。混乱しても当然である。
だが、不思議とそのような思いを持つものは一人もいなかった。ソロモンの冷たい威厳もそうだったが、何よりも、イスラエルの王位と言う言葉から、ソロモンがそれに感じている静かな、そして途方もない怒りと恨みの念が感じられ、彼らを圧倒しているのだ。
彼らは傀儡のように、その言葉を聞き、そして、自分の感情を知らず知らずのうちに忘れていった。ソロモンは指輪のはまった腕を振りかざし「出発する!」と言い放った。誰ひとり、従わないものはいなかった。ベナヤもそうであった。
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