クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第三十九話

ソロモンがダビデの寝室に入ってきたとき、そばにはバテシバがいた。バテシバは彼を見て、酷く驚いているようだった。彼は彼女を払いのけるようにし、彼女はその手つきに誘導されるように、すごすごと立ち去ってしまった。彼は二人きりで、父と向かい合った。
久しぶりに見る父は、見る影もなかった。もはや体中が黒く腐っていて、人間の言葉をそのままに話しているのが不思議なほどの物体に成り下がっていた。それでも、ソロモンには不思議と、彼が相変わらず美しいと思えた。
「ソロモン」ダビデは言った。「そこに居るのだね」
「はい、おりますとも」
彼は、ソロモンの方を向いた。
「お前は、大きくなった」
「あれから何年も立っておりますから」
「お前は生きていたのだね。遠い地で生きていて、私たちに復讐するため、戻ってきたのだね」
ダビデの口調は、不思議と優しかった。ソロモンにしても、ダビデにあったが最後、どんなに恨み倒してやろうかと思っていたものが鳴りを潜めた。
「主の霊は私のうちに宿り、主の言葉は私の舌にある」ダビデはどこか、歌うような口調でつぶやいた。
「ソロモン。私は、この世のすべてのものがたどる道をたどろうとしている。お前は、私の跡を継ぐのだ。イスラエル王となりなさい。私はお前に約束しよう。私のもとに、主のお告げが下ったのだ。お前が帰ってくると。そして、私の王座を継ぐと。……ソロモン。お前は、私に似ているな。本当に、私に似ている。誰も、私が王になるとは思っていなかった。それでも、私は戦った。そしておまえも、誰にも軽蔑されていた。それでも、戦い続けたのだ。敵のすべてを排除して、愛したものすら犠牲にして……私も、お前も、王冠を手に入れたのだ。ソロモン。お前は確かに、私の息子だったよ。今になって、初めて、それがわかる。戦い続けなさい。勇ましく、雄々しくあるのだ。お前にはそれができる。主の教えを守って、善き王となりなさい。神は私におっしゃった。わが子孫が、真に神の道を歩み続ける限り、イスラエル王家の血は途絶えないと。きっと、主はお前にそれを成し遂げてくださるはずだ」
滔々と彼は語った。ソロモンは「分かりました、父上」と、返した。
「ソロモン、一つ、頼みたいことがある。私が建てようとしていた、主の神殿についてだ」彼は真剣な口調で、そう言った。
「私はあれを立てることを、若い日に主と契約した。しかし誰も満足な設計の作れぬまま、ついに今日に至っている。そして、夢の中で主が私に言われたのだ。私の手は、異邦人の血で汚れすぎた。もう、私にあの神殿を建てる権利はないと。ソロモン、お前にこの計画を託す。主を崇める神殿を建設するのだ。それがお前の運命、お前の仕事なのだ。そして、私が父としてお前に頼める、唯一の事だ」
父。父と思ったことなど、ありはしなかった。ダビデはソロモンにとっては、自分を無視し、全てを無視する、ろくでなしの男にすぎなかった。なのになぜか、彼は今、ダビデを冷たく突き放すことができなかった。
自分は彼に愛されたかったのだろうか。彼を愛したかったのだろうか。ソロモンの知性をもってしても、その問いに対する答えは出なかった。愛などと言う言葉を基準に語れるほど、自分のダビデに対する感情は単純ではないのだと、彼が出した結論はそれだった。
彼はただ、指を失った父の手をとった。指輪のはまった手で。そして「お言葉に従います。イスラエルの偉大なる王、ダビデ」と、厳かに言った。
ダビデは満足そうに笑った。
「ソロモン王よ。貴方にすべてを託そう。私はもう、おしまいだ。貴方が持っているものをくれるかね。私は、それが欲しいのだ」
ダビデは言った。ソロモンは、懐から小さな小瓶を取り出した。
瓶のふたを開け、彼は、ダビデの口に中の液体を注いだ。液体は何の抵抗もなしに、ダビデの体の中に飲み込まれていく。
ダビデはふと、笑った。「ありがとう」と、彼は言った。ソロモンも同じようにふと、切なげに笑った。芥子の実からとった薬。全ての苦痛を忘れて眠りについたまま、楽に死ねる薬。なぜダビデは、自分がそれを持っていることを知っていたのだろうか。神が彼に教えたのか、それとも、彼と言う人間の直観が理解させたのか。ソロモンはおそらく、両方だろうと思った。
ソロモンに手を取られたまま、ダビデは眠りについた。そして静かに、安らかに、その英雄の人生に幕を下ろした。側にはただ、彼が生涯避けていた息子のみがいた。


父の死を見届けて、彼は、眠りにつきに自分の部屋に向かった。自分の部屋。暗く湿った、北の独房。彼の足が向くのは、結局はそこなのだ。
部屋に鍵はかかっていなかった。彼はゆっくりと、扉を開けた。真夜中ではあったが、部屋の中には光がみちていた。ベリアルが、寝台の上で眠っていたのだ。十四歳の頃と同じ、何も変わらない清らかな寝顔で、彼はそこに居た。
ソロモンは、自分の心が動かされるのがわかった。
彼にも捨てられたと思っていた。憎悪の感情を持ったこともあった。しかし、それらすべてを浄化するほど、目の前にいる彼は清らかなのだ。まさに、天使の美しさなのだ。
待っていると言っていた。その言葉通り、彼は自分を、待ち続けていたのだ。

まもなく、彼は寝返りを打って、ソロモンの方を見た。「ソロモン?」彼は言った。
ソロモンの心に、何かがこみ上げてくるのがわかった。だがソロモンが何かを言う前に、ベリアルは彼を抱きしめた。ふわりと優しく、あの暖かさを持って、彼を包み込んだ。この三年間、一度も味わうことのなかった暖かさだ。
「おかえり。ずいぶん、長い用事だったね」
「ああ……でも、帰ってきたよ。ただいま」
ソロモンはベリアルの肩に顔をうずめて、そう言った。彼のふわふわした羽毛の感触が心地よい。ベリアルはソロモンの頭をなでながら「とても、背が伸びたね。十八歳、おめでとう」と言った。ソロモンはその言葉を聞いて、じんわりと涙がこみ上げてきた。
「つらかった?」
「ああ、つらかった」
「よく頑張ったよ。君は。とてもよく頑張ったね。つらかったよね。苦しかったよね。お疲れ様。ゆっくり、休むといいよ。ここは、君の部屋だもの」
ベリアルは彼を、寝台に連れて行った。そして、彼の体をそこに横たえさせた。ソロモンも抵抗はせず、彼になされるままになった。
「ほら、見て!ボク、君の描いた図面を、ずっと手入れしていたんだよ。虫やネズミにも食わせなかったし、シミもつかせなかった!」
彼は懐かしい図面の書かれたパピルスをソロモンの目の前に広げた。ソロモンも笑って、ベリアルの発する光で、それをに目を通す。懐かしい。自分の愛したあの建物のイメージが、また華やかに脳裏に躍った。金色の、美しい、豪華絢爛な建物。構造から装飾に至るまで、自分が思い描いた、自分だけのもの。彼は何枚も何枚も、それを懐かしそうに眺めた。

と、急に、部屋をノックする音が聞こえた。ベリアルは慌てて自分の姿を引っ込め、部屋は真っ暗闇になった。
「誰だ?」ソロモンは言う。蝋燭を持って入ってきたのは、ナアマだった。
「貴方がここにいるって聞いて……この部屋、何?」
「俺の部屋だ。それよりもどうした、貴様。俺に何か用か」
ソロモンはナアマを睨みつけてそう言った。彼女はアンモンを出発して以来、すっかり前のような口は叩かなくなってしまった。無理はない。彼女がソロモンを見下すためにすがってきた最後の切り札である、「生まれが違う」ということも、ソロモンがアンモンより格上の国であるイスラエルの王子として生まれ、しかも王位継承者であったということを持って、完全に崩れさってしまったのだから。結局、ナアマはソロモンにもはや何も威張れる立場ではなくなった。威張ることでしか自己顕示をできなかった彼女にとって、それは大きな損失であったことだろう。
「跡継ぎの俺がいなくなって、お前の父を心配しているのか?安心しろ、アンモンに使いを出した。俺が作った薬を持たせた。あれを一日一回、一週間も飲めばすっかり元通りになるさ。跡取りは、ゆっくりアンモンのお偉い方の息子からでも選ばせろ」
彼は、アンモン王の事も信頼はしていなかったとはいえ、彼には特に恨みはなかった。むしろ感謝していた。だから見殺しにするのも後味が悪いと思い、解毒剤を飲ませることにしたのだ。解毒剤さえ効けば、すっかり昔の王に戻るはずだ。
だが、ナアマが気にしているのはそれではないらしかった。彼女は気味悪がるような顔で、彼に言った。
「あなた、正気なの?」
「……何のことだ」
「あなたのお兄さんや、お兄さんの部下が目の前であんな死に方をしておいて、なんであなた、そんなにけろっとしているのよ?あの人たちが貴方の敵だったのは分かったけど、それにしたって異常よ。もっといいやり方はあったはずだわ。それに、あのお爺さん……あのお爺さんと、あなたは同じものが見えていたの?おまけに……貴方、王になったんでしょ?なんでこんな汚い部屋に居たのよ、気持ちよさそうに。アンモンにいたころから思っていたけど……あなた、ひょっとして……狂っているのよ。普通じゃないわ。貴方は確かに天才よ。認めざるを得ないわ。でも、普通の人間じゃない。普通の感性をしていない」
その言葉を聞いて、ソロモンは自分の唇に手を置いた。そして、言った。
「そうかもしれんな、ナアマ。俺は狂っているのかもしれない。俺はイスラエルを追い出されてから、ずっとこう思って生きてきたからな。俺は、正気の乞食であるよりは、狂った王でありたいのだ」
彼がそう言い放つと、ナアマは彼をもう一度恐怖の眼で見て、その場を駆け出した。
「誰?」後ろから、ベリアルの声。
「なんてことはない。結婚しただけの間柄の女だ」
「そう……でも、ちょっと君にはオバサンすぎない?」
「まだ二十二歳さ。そう言ってやるのも可愛そうな年齢だ。」
その言葉を聞いて、ベリアルは悪戯っぽく笑った。ソロモンも、ナアマの事を忘れて、また図形を見直すことにふけった。彼は、気づかずに眠りにつくまでの間、図面を見て過ごしていた。


後日、ソロモンは王として即位した。ザドクが祭司として、改めて彼に清め油を注いだ。彼の即位に反対する者はだれもいなかった。ダビデの王子たちでさえ、その通りだったのだ。
もっとも、反対するのなら誰でも殺してやる気ではいた。自分の敵を生かしておく意味など、どこにもないのだ。
「祭司アビアタルよ、こちらへ」玉座の上で、彼はアビアタルを呼んだ。あの日さっさと逃げ帰ってしまった彼も、即位式に出ないというわけにはいかず、ずっと決まりが悪そうに端の方で小ぢんまりとしていたのだ。
「わが政敵アドニヤについていた、お前の処遇を決めなくてはならん」ソロモンは言う。
「私個人としてはお前は十分殺してやるに値する人間だが、お前はわが父ダビデの治世、実によくイスラエルに尽くしてくれていたことも、私は知っている。父がサウルの家との王権争いで苦悩してきたときも、お前は常に父とともに辛苦を共にしてきた。その功績に免じ、死刑は免れさせてやろう。家族ともども、お前の故郷アナトトに帰るがよい。畑を耕して余生を過ごせ。今日を持って、お前並びにお前の一族はわがイスラエル王宮の祭司の職から罷免する」
アビアタルはその言葉を受けて、屈辱と絶望に震えながら「お慈悲に感謝いたします、ソロモン陛下」と、なんとか言葉を絞り出した。
アドニヤの権力とヨアブの武力さえとってしまえば、アビアタルなど恐怖にもならない。かえって、あっさり死刑にするよりもイスラエルの祭司の職から追い出された屈辱を長く味わわせてやる方がよいと思えたのだ。
彼は続いて、ザドクをアビアタルの後釜に据えることも発表した。ヨアブの後釜を、ベナヤにすることもだ。ベナヤとの、一応の契約の内容はこれで守ったことになる。
もっとも、当のベナヤはソロモンの目に付くところにはいなかった。彼はおおかた、王宮のどこかで息をひそめているのだ。なんということはない、自分の命令を遂行するためだ。
即位式の前に、ソロモンはベナヤと話をした。バテシバの事についてだ。「あんな女だが、それでも私の母だ。それなりの親孝行はしようと思う」彼はベナヤに、淡々と語った。
「私が即位して、ようやく自分が王の母になれたと喜び勇んでいるときに、お前が彼女を殺せ。気づかれずに後ろから、一発でだ。どうしようもない女だが、それでも、私をこの世界に存在させてくれたのは彼女だからな」
バテシバは幸せそうだ。この上なく。ソロモンはそんな彼女に笑いかけた。もう、彼女を見るのも今日限りだ。何、いろいろあったが、幸せな人生だったことだろう。少なくとも、彼女の一生をかけた悲願はかなったのだから。
女と言えば、あの後、即位式に臨むまでの数日のうちに変な噂が聞こえてきた。ソロモンがアドニヤと相対したあのゾヘレトの石の近くに、変な女がいるというのだ。彼女はよっぽど恐ろしいものを見たのか、すっかり正気を失っていて、ただぶつぶつと何かを呟いているか、いきなりケラケラと笑いだすかだというのだ。不審に思った近隣の住人が話を聞いても、彼女は「私はイスラエル王妃」以外の言葉を言わないという。
ただ、その女が二十歳ばかりの、パッと見は高貴で美しい女だということと、うっすらとシュネムのなまりがあるということを聞いたとき、ソロモンには彼女が誰であるのか見当がついた。おそらく彼女は、愛した男が目の前で雷に打たれ、灰になるところを見て、狂人となってしまったのに違いない。ソロモンは、適当な従者を見繕って、彼女を保護するよう命じた。そしてシュネムにある彼女の家、すなわちシュネムの領主の家に、そのまま彼女を送り届けてくるようにと。そのようになってはもう嫁の嫁ぎ先もあるまいが、まあ美しい顔がそのままなら、いくらか食い扶持は稼げるだろう。シュネムの領主が変わり果てた娘を恥と思い殺すなら、それもまた、彼女の運命なのだ。

即位式が終わり、ソロモンは続けて、神殿建設の発表を行った。ダビデが完遂できなかった計画を、あとを継いだ自分がやるという旨を。
「王よ。それは、新しくまた、設計士を探すということでしょうか」
大臣の一人がそう言う。設計図。神殿の設計図。そうだ、それがないがために、神殿はついに作り始められないままだったのだ。だが、神殿の設計図、と言う言葉が、妙にソロモンの中で引っかかった。自分は、それを探す必要などない。

と、その時だ。彼の頭の中に、とあるイメージが浮かんだ。荘厳なる、モーセの十戒を収めた聖櫃。それが輝いていた。しかし、その場は今聖櫃を収めてある聖所の天幕の中ではない。黄金とシクラメンの彫刻に彩られた、豪奢な建物。そうだ。なぜ気が付かなかったのだろう。あれは、神殿だったのだ。自分が小さい時から、ずっとずっと、描き続けてきたイメージ。あれこそが、主の神殿だったのだ。何故気づかなかったのだ。主は、小さいころから確かに、自分を選んでいたのだ。
自分は今、それを作れる。自分の心を慰めてきたものを、現実のものとして、生まれさせるだけの力を自分は得たのだ。
「その必要はない!」彼ははっきりと言った。その声は、どこか嬉しそうだった。
「設計図のあてはある。待っていろ、すぐに、この場に持ってきてやろう!」
彼はそう言って、玉座を降りるや否や、自分の部屋に駈け出した。自分がこれからできることが、次々と分かるような思いだった。
部屋にはベリアルが待っていた。彼は、ソロモンの楽しそうな表情を見るや否や彼の言いたいことを察したらしく、図面を引き出して彼の前に並べ始めた。


(第二章・完)
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