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クリスマス市のグリューワイン

預言者ナタンの懺悔 一話

全知全能なるイスラエルの神よ、私は死の間際でございます。私は貴方に罪を告白いたします。
アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神よ。私は幼少の折、貴方のお選びになった世にも偉大なサムエルに師事を受けて以来、預言者でございました。貴方の言葉を受け取り、神に仕えるものでございました。
恥ずべき事でございます。私は清らかに生きなくてはならぬ身でありました。私は神に仕える者の身として、貞淑な妻をめとり、彼女が死の床に就くまで、姦淫を犯すことなく添い遂げました。私たちの間には、一切の贅沢もなければいかがわしい欲望もありませんでした。私たちの間にできた子供はよく成長し、立派な大人となりました。その時まで、神よ、貴方に誓って申します。私は一切の罪も犯しはしませんでした。ですが、妻が死に、私もとっくに老爺となったころ、私は初めての罪を犯したのです。そしてそれは、なんと、悪魔の所業と言うにもふさわしき罪でございました。私は懺悔いたします。洗いざらいを主、この世をお創りになられたお方、あなたのもとに白状いたします。願わくば、この身に、相応の罪を降りかからせ、私の魂をお浄めください。

私の罪が始まった日の事は忘れも致しません。それは主よ、貴方様がお選びになった偉大なる英雄ダビデ王、彼にとこしえの誉れがありますように、が崩御し、彼の遺言に従って彼にかわり王位を引き継いだ彼の息子ソロモンが、年端もいかぬその身を玉座に置いた日の事でありました。私はすでに老いたその身を持って、王宮の大広間に来たのでございます。ダビデ王は遺言で、もしもソロモンに王位を継がせる際には、王冠は私の手からかぶせるようにとおっしゃっておりました。
初めて座るはずの玉座に身を携えたソロモンは、とてもそうとは思えないほど非常に堂々としておりました。まだ、彼はたったの十四歳の少年であったのです。それだというのに、彼の顔には一国を任されたことに対する不安などは見えませんでした。彼の表情にはただ、自信のみがあふれておりました。私は今でもありありと覚えております。金色の王の衣装に身を包んだ、十四歳の美少年の、なんと輝かしかったことでしょう。
そうです、ソロモンは美しかったのです。主よ、貴方が彼を愛されたことは一目見てその時にわかりました。武勇の誉れ高きダビデの血をよく受け継いでいると見えて、彼は背が高く、すらりと長い足を持っておりました。のみならず彼の母親であるバテシバの、イスラエルに並び立つものもなき美貌を、彼は余すところなく引き継ぎました。深い、緑色のかかった瞳は切れ長のまぶたに縁どられ、怯えた色など見せることもなくしっかりと我々を見据えておりました。その顔の整い方たるや、しっかりと健康的に小麦の色をした彼の肌の色さえなければ、よっぽど目に緑の宝石をはめ込んだ石造りの像かとでも思ったほどです。彼の美しさは、完璧と言ってもよいほどでした。美少年、その言葉があれほどふさわしかった人物など、きっと二度とはあらわれぬでしょう。私はそう確信しております。
私は別段、その日初めてソロモンに会ったわけでもありませんでした。私は預言者として、彼の教育係をしておりました。しかし、その日から彼は、私が今まで見てきたソロモンと言う名の王子とはまるで別人と相成ったのです。彼は元から美しい存在でした。しかし、その日より、私の眼に、彼の汚れなき美しさは威厳と輝きを兼ね備えた完全なものと映るようになりました。

私は彼に近づき、その頭にずっしりと重い金の王冠を載せました。彼は、静かにそれをいただきました。その時です。おそらく、主よ、私の心の中に悪魔が入り込んだのはこの時なのでしょう。私の指の背が、彼の母親譲りの黒髪に揺れ、私はふと、心の中にざわめくものがあったのです。彼の艶めく髪の感触を、私はしわくちゃの肌で感じ、何か、それがたまらなく魅力的なものに思えたのです。触れたというよりも、なでられた、と言ったような気分に私は陥ったのでした。無論、大切な式の最中、私はそれにふけるほどの暇もありませんでした。しかし、確実にそれは私の心の中にあるものを落とし続けたのです。



彼は実によく、父親亡き後のイスラエルを収めました。彼の業績について、私は貴方に語るまでもありません。彼は、ダビデのどの子よりも優秀で、なおかつ、神の道をよく知っておりました。むろん彼は長男ではありませんから、彼の即位に文句を持ったものがあるのは事実です。しかし、我々共、ソロモンに従う者達はみんなしてそれを黙らせました。我々共は皆、ダビデの他の王子よりもソロモンのほうが王に相応しいというのを重々わかっていたからです。
「ソロモン(平和)」の名が示すように、彼はいたって平和主義者で穏やかな性格でした。彼の兄アブサロムが血なまぐさい反乱の末に命を落としたことと比べれば、なんとすぐれたことでしょう。その上、貴方様がお選びになったソロモンは平和主義者ではあっても、戦いをむやみやたらとさけようとする弱虫でもなければ、平和を愛するあまり現実を見ない夢見がちな愚か者でもありませんでした。彼はその年齢に相応しくないほど至って聡明で、無駄な戦などすることもなくイスラエルを発展させる方法を熟知しておりました。

忘れがたいことがあります。「ナタンよ。僕の夢枕に今日、神が立ったのだ。神が、僕を祝福してくださった」と、ある朝彼は私に、少年らしさをまだどこか残す笑い方で、そう言いました。
「いったいどのようなことがありましたか」と、私は返しました。神の国であるイスラエルにあってさえ、神の言葉など普通は聞けぬものです。彼は、つつましやかに言いました。
「神は僕に、何かを望めとおっしゃった。それは富でも良いし、敵の命でも、メトセラにも勝る長寿でも良いというのだ。神に与えられぬものはないと。僕は知恵をくださいと頼んだ。だって、僕はまだ若く未熟者なのだし、父のように素晴らしい統治はできない。だから僕は神に、民を正しく裁き、善悪を判断する心を願った。そうしたら、神様はとても喜んでくださり、僕にそれを与えるとおっしゃったのだ」
それを聞いて、私がどれほどにまで嬉しかったことでしょう。彼は若いものがよく陥るように目先の利益や欲を老い求めるのではなく、ただ神に従うものとして、王として、自分に求められているものは何かを懸命に見抜き、それを望んだのです。主よ、私は私以上に貴方がそれを喜んだことを存じております。なぜならば、その日を区切りに、私どもの眼から見えてもソロモンは以前にもまして冴え冴えと知性に輝く人間になりましたから。
私どもは以前にもまして、ソロモンへの忠誠を誓いました。もはや、ソロモンの兄たちを支持していたがため、または彼がまだ若いということを理由に、彼の統治に懐疑的な心を持つ者はいなくなっておりました。彼がダビデが生前にはついぞ着手できなかった、イスラエルの神殿の建設に乗り出した時も、誰一人反対をしないばかりか、どの貴族も有力者の家も、諸国の王すら喜んで金や銀、資金の寄贈を行ったものですから。

彼の統治は申し分なく、彼は神の道を行く誠実なものでありました。そして私も、即位式の日に感じた不思議な感触を忘れ、以前の通り若い王に敬意をもって接しておりました。ゆえに悪魔もその忌まわしい顔を私の前に出すことはありませんでした。
それが変わったのは、あの、南の国の女王が来た日でありました。ソロモンの統治の、三年目の事でした。


シバと名のついたその王国の名を、知らないはずはありませんでした。はるか南のアフリカにある、前王ダビデの治世から香料や宝石などを大量にイスラエルによこしていた、貿易国の名です。私は他の国と同様に、この国を嫌悪しておりました。理由は貴方もご存じでしょう。イスラエルの神よ、彼らは異邦人であり、偉大にして真実なるあなたを知りもしないものだからです。おまけに、シバに至ってはそれだけではありませんでした。彼らは太陽などと言うあなたの作ったただの火の塊にすぎぬものを崇拝するばかりではなく、その王座に就き彼らを統治するものを、常に女性でなくてはならないと定めているからです。女性が男の足を引っ張る無価値なものと言うことは、貴方のお創りになられたイヴがはるか昔に証明したことではありませんか。にもかかわらずシバの民は、女性こそ素晴らしいものとして、民により選ばれた処女をその命尽きるまで太陽神の妻とし、玉座につけるというのです。ばかばかしい、浅はかな話ではありませんか!……いや、失礼いたしました。私の中で、彼女への憎悪は、ついぞ、消えぬままなのです。神よ、不信の人間とは言えど、貴方の作りだしたものをむやみと非難する権利は人間にすぎぬ私にはありません。反省いたします。
ともかくも、ある日そのシバ王国から、いつも通りの貿易の品に加え、一通の手紙がやってきました。その内容と言うのが、若くして大国を収めるソロモン王の英知を、ぜひともシバの女王がその目で確かめたいと言っている、と言う内容でした。彼らは女王がイスラエルに客としてやってくることの許可を得に来たのです。
シバ王国は、つい最近前の女王が崩御して、新しい女王が選ばれたと言うばかりなのを、私どもは知っておりました。彼女はまだ少女であり、ちょうど、我らが偉大なるソロモン王と同じ年齢とのことでした。まだ女王になったばかりで、周囲の大臣たちに支えられ何とか統治をするか弱き少女の姿が、私どもには想像できました。そして、私どもは苦笑いしました。特に私と同じように、女性と言うもののくだらなさを知る老人たちは。私どもは、愚かな慣習に縛られる余り相応しい王を立てぬこともできぬシバの民を物言わずとも嘲笑ったのです。しかし、その女王が直々にソロモン王にしたためたという手紙をじっと読むソロモンは、私たちのその笑いを、真摯な声で咎めました。
「お前達。勝手な憶測でものを語るのはやめないか。彼女は一国の君主であり、父の代からイスラエルと友好的に接している国を治めるものだ。お前たちに、彼女を侮辱する権利などない。それに」
彼はひらりと、自分が呼んでいた手紙をこちらにひるがえして言いました。
「彼女はイスラエルに物見遊山に来るのではない。自分と同じく若くして国を治める僕の統治を見て、君主に必要なものを学ぶことを望んでいるのだ。この手紙から、それがよく分かる。お前達も、見てみるがいい」
差し出された手紙は、繊細で丁寧な文字がつづられていました。そしてそれは、完璧なヘブライ語でしたためられていたのです。ヘブライ語を学ぶことはなかなかに骨が折れることだと外国人は口をそろえて言うものですが、その手紙に一切の間違いはありませんでした。おまけに内容はいたって腰が低く、ソロモン王への敬意と、自分もまた民を支えるに足る人間となることへの真摯な思いがよく表れていました。
「僕も、生まれながらに今のようであったわけではない。努力して今があるのだ。民の治めるにふさわしい人間たれという王の本質を忘れずに、そうあろうと努力する一国の若い君主を、男であれ女であれ、なぜお前達のように侮辱できよう。僕は彼女を国に招こうと思う。敬意には、敬意を持って返さねばならない。異存はあるか、お前達」
私どもは何の反対もできませんでした。少し、我々の意見が聞き届けられなかったことを不満に思わないではなかったのですが、ソロモンは王です。そのことを考え、私は思いをしまいました。そして、自分が敬愛するソロモンが良き王の模範として見られているのだという事実の方に目を向け誇らしさを感じることで、その不満を忘れようと努めました。
ソロモンはシバの女王の頼みを快諾する旨を、シバ語で書いた手紙にしたため、シバの行商隊の提督に持たせました。


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