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クリスマス市のグリューワイン

預言者ナタンの懺悔 三話

ソロモンとマケダはそれ以降、一層親しくなったように思えました。彼らは今まで以上に、よく話をするようになりました。時に私すら、その場に立ち入ることはありませんでした。
彼女は建設途中のソロモンの神殿や、ソロモンの宮殿、そして我らがイスラエルの臣民を見て、本当に感心しているようでした。彼女はいつも、イスラエルをほめたたえ……私のように。そうです。私のように、口汚く異国を罵ることなどはしなかったのです。
彼女はイスラエルの男尊女卑には少し抵抗があるようでしたが、それでも、イスラエルの女性たちも男性たちも、同様にほめたたえました。
花の咲き誇る庭園でいつものように話をしあう彼らを、私はある日ふと見つけました。そして不快感が私を襲いました。彼らはじっとお互いを見つめ合って、楽しそう、と言うよりも、幸福のうちにあるように会話をしておりました。
この感情はなんだろうか?私は常々、疑問に思っていました。私が、あの娘をこれほどまでに嫌うのは、何故だろうか。今になってわかります。彼女が女性を重んじているから、彼女が嫌いなのだと、私は思っておりました。しかし、違うのです。私は、先に彼女が嫌いで、その他の事は全て、それに対する理由づけにすぎませんでした。


アフリカの宝石と言わんばかりの美しい女王と王が親しいことが、あらぬ想像を呼ばないわけはありませんでした。ソロモンにはまだ妻などいませんでした。彼もまだ若いのですし、マケダも同年代の少女です。おまけに、お互いが美しいもの同士です。そのような感情が生まれたところで、何の不自然がありましょう。
ただ、私はソロモンはそのことを一切気にしていないと思っていました。彼は驚くほどに理性的であり、清廉であると確信していたからです。しかし、それもまた、正解でもありませんでした。ソロモンは確かに、自分の事を気にして噂をとがめはしませんでしたが、彼女のために噂するものを激しく注意しました。彼女は国のしきたりにより処女たることを求められているのだから、たかだか噂であろうとも、男との関係があるなどとすることは彼女への侮蔑にあたるとしたのです。普段の穏やかさからは想像できない剣幕でそうはっきりと告げるソロモンは、どこか、憤りを感じているようにも見えました。
私はふと、そんな彼が心配になりました。彼はマケダとともに話すときはいつも通り穏やかながら、自分と彼女に関するうわさを聞くたびに、どんどん過敏に反応するようになっていったのです。そこに、彼の言っている理由以上のものが私には感じられました。

ある日、思い余って私は彼に、そのことを話しました。夜の事で、彼の部屋には私と彼の二人だけでした。彼は椅子に座って腕を組みながら、私の問いを聞いていました。彼は、私の懸念を素直に認めました。
「ナタン。……お前の言う通りかもしれない。僕はいささか、僕と彼女に関してあらぬことを言われるたび、我を忘れてしまう」
「お落ち着き下さい。ソロモン様」私は言いました。「所詮は噂です」
「だが、噂であっても、僕は我慢ならないんだ」彼はきっとした目つきになって、そう言いました。「いや……そんな噂を立てられること自体が、僕は嫌だ」
「何故ですか」
彼はその問いに、言葉を詰まらせました。長い間があきました。ちらちらと窓の外に燃える小さな火は、シバ人がテントを張っている場所であることがわかりました。彼らは、遠く離れた場所で祭儀をしていたのです。その日、シバの女王も祭儀に出るため、迎賓館を離れておりました。シバ人の太鼓の音が、うっすらと、こちらまでで聞こえてくるようでした。「……僕たちの」彼はゆっくりと言葉を紡ぎました。
「僕たちの間にあるものは、もっと清らかだからだ。僕たちの間には、そのような下種な言葉では語れない愛があるんだ」
彼はそう言って、火が瞬くように燃えている方をじっと窓から眺めました。そしてもう、私の方を見ようともしませんでした。
愛。
その言葉がどれほど、私に重くのしかかったことでしょう。うっすらと、そのような気はしていたのです。ソロモンの、そしてマケダの頬が色づくのは、会話の熱気のためだけではないと、私も思っていたのです。
愛。愛。私は、ソロモンの口からその言葉が出たことが、何にもまして重く感じられました。そして自分の中に、突然に、黒く渦巻く感情が竜巻のように湧きあがるのが解りました。その感情の中身はなんであったか、当時の私にはわかりませんでした。
ですが私にはわかりました。愛しているなどと言うことは、彼らは使いもしないのです。彼らはただ、話すだけです。二人にしかわからないことを話しているだけで、彼らの間には絆ができるのです。出会って一月ばかりしかたっていない仲の二人に、十七年もソロモンと付き添っている私以上の絆ができていることが、私にはわかったのです。ソロモンはじっと、シバの太陽神を崇めるための太鼓の音を聞いていました。その耳は、主の祈りの文句しか聞かないはずの耳であったのに、彼はじっと太鼓の音を聞いていました。


ソロモンがマケダを愛している。そして、おそらくマケダもソロモンを愛しているのだ。私の頭は、日を経るにつれ、その考えをより強固なものとしていきました。見れば見るほど、彼らは確かに、愛し合っていたのです。その時まで気が付かなかった私が馬鹿でした。繰り返しますが、不自然な話ではありません。ソロモンと言えども、若い少年です。あのような美しく魅力的な少女と親しくして、なぜ、そのような感情をちらとでも持たずにいられましょう。マケダも同じです。美しく聡明で、立派な志を持った少年に、女が少しも欲を抱かないなどあることでしょうか。
しかし、どうなりましょうか。ソロモンの言うように、マケダは永遠の処女たるべき存在なのです。シバの因習がそう定めているのです。ソロモンには、彼女を妻にすることなどできません。
ソロモンはどれほど、そのことを苦痛に思っているのか。それを私は、推し量れませんでした。女を知らぬ彼はそんなことなど考えもしていない、そのように思えました。彼はただ、マケダと一緒に話ができれば幸せと言ったように見えました。「(ですが、痛ましく思わざるを得ない、いずれ貴方に訪れる苦痛を考えると!)」私は、そう思いました。ソロモンがマケダを愛することに対して生まれた途方もない悲しみを、私はそう解釈したのです。


シバの民がもう帰らなくてはならないという話になったのは、間もなくの事でした。当然の話です。マケダも一国の女王、いつまでもイスラエルに長居をしているわけにはいきません。
それに、元からそうだった彼女は、ソロモンの知性に身をさらしたことで今やソロモンがそのまま女になったかのごとく、明哲さにあふれていました。もはや、彼女は頼りない新米の女王などではありえないのは誰の目にも明らかでした。
「あと一週間ほどで、国に帰ろうと思いますの」マケダはある日の晩餐、そんな話を切り出しました。
ソロモンはその言葉を聞き、一瞬ぴくりと表情をこわばらせました。しかしそれを言う彼女の方も、また、悲しげな表情をしておりました。
「そうですか」彼は、そう言いました。
「申し訳ありません」
「何故、謝る必要があるのですか」彼は言いました。
「別れの前の夜には、貴女が来た日のような、盛大な宴をいたしましょう」
彼はそう言って、一応は美しい笑顔をつくって見せました。

それからの一週間は矢のように流れました。おそらく二人にとっては、永遠に過ぎてほしくない時間であったでしょうにもかかわらず。
私はその間、以前にもましてひしひしと心を痛めていました。頭に浮かぶのは、ソロモンの事ばかりです。彼は女を知らず、みだらなものに心惑わされることなく、育ちました。そのような彼が、初めて愛した少女が、今目の前から去ろうとしているのです。
悲しい事ではありませんか。しかし、彼にそのことを問いただそうとも、彼はただ「彼女は女王だ。いずれ、帰らねばならない」と返すのみでした。決して、彼女を自分のものにしたいという心を表に出すことはなかったのです。
私はそれを、彼の理性ゆえに、と思いました。そして、この上なく悲しみました。なぜ、彼が傷つかなくてはならないのでしょう。彼は自らの思いを押さえつけ、自分自身で彼を傷つけているのです。私はそう思いました。そして、私の心にぽつりと、ささやくものがありました。
それは甘く、私の心に染み込んできたのです。その時私は気付かねど、あの時、私は初めて、誘惑と言うものに出会ったのだと思います。なるほど、世の人間が誘惑に打ち勝てぬはずです。誘惑とはあそこまで、正体を見せずに忍び寄るものですから。
「彼自身が彼を救わないのなら」誘惑は言いました。「彼を救うのはお前しかいなかろう」。

誘惑は、悪魔は、実に私の心を突きました。「(ああ!そうだ!なぜ今まで気が付かなかったのだろう。私にとって何にも勝るものは、ソロモンを救うことだったのだ。ソロモン、私が赤ん坊のころから育ててきた、何にも勝る美しく、賢い王子。あの子にまつわることだけが、私の欲望だったのだ)」私はその時、はっきりと心に思いました。
ソロモンの理性が、シバの因習が、彼の愛を苦しめるならば、そのようなものはすべて私が無に帰してやろう。私の心の中で、悪魔はまるでパン種のように膨れ上がりました。私が知り合いの薬屋のもとにやってくるころ、それは膨れに膨れ、とうとう、私の良心全てを押しつぶしてしまったのです。

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