クリスマス市のグリューワイン

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feat: Eve プロローグ

程よく暖かい温度に、静かに耳をくすぐる心地の良い音。ほんのりと香る、すがすがしい空気。彼女は自分の体にあるものすべてを、良く思った。
それらの感覚は突然にやってきた。それらを感じる以前に自分が何を感じていたのか、全く思い出せない。彼女は今、誕生したばかりなのだから思い出せるはずがないのだ。
ただ、感じる事は素晴らしいと彼女は思う。彼女がもっと多くの感覚を得たいと思うのにそう時間はかかりはしなかった。たった一瞬の事だった。彼女は本能的に、自分の顔についている二つの穴を開けばさらに新しいものが感じられると分かった。
彼女はゆっくりと眼を開けた。その目に飛び込んできたのは、自分とよく似た存在だ、と、彼女は自分自身の姿を知りもしないうちに、そう直感した。


「イヴ」
彼女が生まれて初めて見る光景を、その存在は占拠していた。彼女のすぐ目の前に彼はあって、彼女よりも鋭く吊り上った目で彼女をじっと見つめながら、ぼそりと呟いた。彼は地面に寝そべる彼女をじっと覗きこんでいた。
「お前の名前はイヴだ」
イヴという言葉がなんなのかもわからない。まして名前という言葉は彼女にはまるっきり意味が解らないはずだった。しかし、彼の言った言葉の中で、イヴという文字だけが不思議な力をもって彼女の体にしみこんでいった。自分自身という存在のよりどころが、イヴという言葉を軸として瞬く間に出来上がっていくのを彼女は体全体で感じていた。
「俺はアダム。……こんにちは、イヴ」
彼は静かな口調でそう言った。彼の表情は硬く、どこか、目の前の彼女に戸惑いを覚えている様であった。
だが、イヴと名付けられた彼女は、表情と言うものが元来そのようなものだとは思わなかった。と言うのも、彼の顔をじっと見て、彼女は彼女が意図するまでもなく、にっこりと笑顔になるのがわかったからだ。なぜ、そうなるのか彼女に理解できるところではなかった。ただ、イヴは口元で弧を描き、くりくりと大きく開いた目を細めて、アダムと名乗ったその存在に笑いかけた。
イヴは、目の前にいるアダムと言うものに、たまらない好意を覚えた。彼女はふと寝そべらせていた腕を持ち上げようと試みた。腕はするりと上に伸び、二本ともアダムの首元に回された。それを使ってイヴは、アダムにぎゅっと抱きついた。
「好き」
彼女が初めて発した言葉は、それだった。



「……好き?」
アダムは、彼女の言葉に眉をひそめて、怪訝そうにそれを繰り返す。彼女は相も変わらず笑って、それを肯定するそぶりを見せた。
「アダム?」
彼女は次に、彼の名前を繰り返した。
「ああ。俺の名前はアダムだ。そして、お前がイヴ」
「アダム。私ね、貴方の事好き」
イヴはそう言って、もう一度、彼に強く抱きついた。彼女は、今度は上体を起こし、彼と向かい合うような体制になった。
好き、と言う言葉を彼女は聞いたことなどない。だが、アダムを見ることで自分の胸中に温かく広がる感情を表すのにはその言葉がぴったりだとも思えた。頭の中に、何者かが直接その言葉を送り込んでくれたような感覚だ。まるで、アダムが自分にイヴと言う名前をくれたように。
イヴはアダムの胸元に自分の顔をうずめた。なんとなく、そこが非常に懐かしい場所のように思えたからだ。



不意に、パチパチと言う音が聞こえた。それに気を取られて、イヴはアダムから少し離れる。アダムの方はそれを待っていたとでもいうように、さりげなくイヴを押し出すようにして彼女の体を離した。それによって、彼女の眼はようやくアダム以外のものを見た。
緑色に光る空間に明るく、優しく光る木洩れ日。それを受けて、二つの存在が立って、手を叩いて鳴らしているのだった。

「素晴らしい!成功したと思えるな、アダム」
「本当に。それにとっても素敵よ。可愛いらしいわ。……ねえ。見た?彼女、貴方の胸元にすり寄ってたわよ。自分がどこから生まれたか、分かるみたいに」
そう言う彼らは、どちらも自分やアダムによく似ているが、背中にアダムにはない真っ白なものが生えていた。それが翼という名前であることは、イヴはまだ知らない。イヴには、彼らが光り輝いているように思えた。二人とも、頭には金色に輝く髪の毛を生やしている。自分やアダムのそれは、茶色をしていた。アダムの方が若干黒めで、イヴ自身のものには赤みがかかっていた。
片方は片方よりも背が高く、きりりとした表情をしている。彼は、アダムに少し似ているようにも思えた。もう片方の方は、そうでもない。身長はアダムよりも低く、表情は柔らかくて優しげだった。そして、体は丸くふくらみがあり、イヴの視線に映るイヴ自身の体型とよく似ていた。
その、優しげなほうの存在が、イヴにそっと近寄ってきた。イヴは見慣れぬ存在をぼうっと見つめる。彼女は「はじめまして」と、イヴに白い手を差し伸べた。
「わたしの名前は、ガブリエル」
彼女は、もう片方の手でもう一方を指す。
「そして、こっちがミカエル」
「ガブリエルと、ミカエル」
「そうよ!物覚えがいいわね、偉いわ」
彼女は美しい、とイヴには思えた。彼女のみならず、ミカエルも非常に美しい。美しい彼女の柔和な微笑みが、急に表れた存在に対する彼女に少しの恐れを消した。
「イヴ。怖がらないで。わたし達はね、貴女の友達よ」
「友達?」
「そう。友達。ここに……エデンの園にいるのは皆、貴女の友達よ」
彼女は二本の手でイヴをつかむと、イヴを立たせようとした。イヴはバランスがとれずぐらつくが、近くの木につかまってなんとか体を支える。それでもまだ、足が震えてしゃんとは立てなかった。
「大丈夫よ、平気。ちゃんと立てるわ。貴女はそう作られているんですもの」
ガブリエルの言葉に励まされながらイヴが足を恐る恐る地面につけると、ふと彼女の中にある感覚が芽生えた。この点に体重をかければ体が転ばない、というポイントがわかった。
「あら、ひょっとして重心を見つけた?そうそう、その調子よ。うん……離すわね。大丈夫よ、じっとしていて」
彼女はそういってイヴを支える手をゆっくりとほどいていく。イヴは不思議と転ぶ恐怖を感じはしなかった。そして、実際に転びもせずその場に立っていた。
「すごいじゃない!よくできたわね」
彼女はにっこり笑ってイヴに語る。イヴもうれしくなり、先ほど見つけたポイントを失わないように慎重になりながらも、片足を少し浮かせて動いてみた。体は、倒れなかった。
彼女は嬉しくなって、周囲をぐるぐると歩きはじめる。ガブリエル自身も興奮したように「イヴ!凄いわね。もう歩けるようになったなんて」と満面の笑顔で言った。

「ガブリエル。何を当たり前のことではしゃいでいる。イヴは主が良きものとしてお創りになられた存在だ。一切の不都合などあり得るはずがない」
「ミカエル。このことを喜ぶくらい、いいじゃないの」
イヴとガブリエルがはしゃぐ中、ふと、ミカエルの突き刺すような冷静な声が響いた。それに合わせて、イヴも歩き回るのをやめた。歩き回らずとも、彼女はすでに二本の足でしっかり立てるようになっていた。
ミカエルはガブリエルととってかわるようにイヴの前に立ち、「君が祝福されるように」と厳かな口調で言った。
「君に問うことがある。君は先ほど、アダムを好きと言ったな、それはなぜだ?」
「なぜ?……好きだから」
「素晴らしい!やはり成功だ!我らが主よ、あなたの御名はたたえられんことを」
イヴの前で勝手に自分の世界に入ろうとするミカエルに戸惑うイヴを、ガブリエルの方が目ざとく見つけて、彼を制止した。彼はそれでようやく我に帰ったらしく、決まりが悪そうに咳払いを一つすると、イヴに言った。
「イヴ。君はここにいる、アダムの伴侶として、この世に生を受けたのだ」
ミカエルはそう言って、ぼうっとそのやり取りを眺めていたアダムの肩を叩く。
「伴侶と言う言葉の意味が解るか?」
「ううん」
「伴侶とは、生涯ともにいるべき相手の事だ。そして、相手を永遠に愛する……うん、つまり、好きでいる者の事だ。イヴ。お前はこのアダムを好きになるために、この世に生まれた存在なのだ」
ミカエルの言葉は、イヴにとって納得のいくものと映った。アダムを好きでいるためにこの世に生まれた。もしも自分自身が本当にそのような存在ならば、それ以上にいいことなど存在しないはずだ。自分は、彼を見るだけで、彼の事が好きだと思えたのだから。
「アダムの良き伴侶となりたまえ、イヴ。我々、天使も協力しよう。アダムと君、神様の最も愛される生物、人間がとこしえに栄えるように」
ミカエルがなおもつらつらと述べる台詞は、イヴにさほど届かなかった。彼のしゃべることは生まれたばかりのイヴにはいささか難しすぎた。彼女はただ、夫であるアダムの顔を見つめていた。アダムは少し照れているのか、ぶすっとしてイヴに視線を合わそうとしない。しかし、彼女はそれで不幸にも思わなかった。


この場は、エデンの園と言うらしい。この美しい場所で、イヴは何でもできるような気がしていた。光に満ちた空間は、同じく、希望にも満ちていると彼女には思えた。


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