クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第四十話

海を臨むその都市国家は、名前をティルスと言った。海を自在にかけるオリエントに名だたる貿易国である。ティルスの王ヒラムは、今、海を渡って帰ってきた自国の行商隊と仕事の話し合いをしているところである。
「……なるほど。では、引き続き、イスラエルにはレバノン杉を送るように。かの国には今、資材がいくらあっても足りないようだから」ヒラムは威厳のある声で、そう言う。

前のイスラエル王であるダビデの治世の時代から、ヒラムはイスラエルには友好的に接してきた。ティルスも多神教を掲げる国の手前、一神教のイスラエルとは宗教的には相いれない。だがヒラムは宗教者である前に、商売人であると自分の事を思っていた。文化が違えば宗教が違うのは当然のこと。それによって得られる利益を不意にする方がばかばかしいと彼には思えていたのだ。だから、彼はイスラエルに極めて友好的で、半ばへりくだったと言ってもいいような態度をもって接した。おかげでダビデの治世に深い関係を築くことができ、今ではイスラエルとの貿易で得られる利益は多大なものとなっている。
そのようなわけだから、つい三年ばかり前にダビデが崩御し、彼の息子が王位を継いだという知らせを受けた時、彼は少し心配に思った。もしも跡を継いだその王がダビデよりも宗教的ならば、自分達との関係も断ち切ってしまうのではないかと。信仰熱心で知られるイスラエルの事を想えば、十分に可能性のある話だと彼は考えていた。だが、それも杞憂に終わった。ソロモンと名乗る新しい王は、ダビデ以上にティルスとの貿易を熱心に行った。彼はイスラエルで大量に取れるオリーブ油や小麦をティルスに輸出し、その代わりティルスから資材を安く買いたたいた。
ソロモンに貿易の手腕があることは、ヒラムにはよく分かった。「(イスラエル王はよい世継ぎを得たものだ!)」と、彼は考えた。ダビデの治世のときにも勝って、イスラエルから得る利益は膨大なものとなっていったからである。たった3年のうちに、新しい王ソロモンはめきめきとイスラエルの国力を上げていった。

おまけに、もう一つの点において、ソロモンはティルスにとってありがたい存在であった。その理由は、彼が王位につくなり巨大な神殿の建設を始めたことにある。
もう何年も昔から、イスラエルの神殿建設の計画はヒラムの耳に届いていた。資材の流通に特に通じるヒラムとしては、これで荒稼ぎしようとさっそく名乗りを上げたのである。しかしその計画はなかなか進まず、いつの間にか凍結化していた。だがソロモンは満を持してそれを実行に移し、結果、ティルスに膨大な利益をもたらしたのだ。ヒラムは大量のレバノン杉をイスラエルへと流し、ソロモンはそれらすべてを買い取って神殿の建設に使った。
今や若い王ソロモンは、ヒラムの一番のお得意である。
だがしかし、ヒラムの心に一つ、引っ掛かることがあった。それは、ソロモンと言う男があまりに有能すぎると感じる点である。

有能な人間であるということは、勿論良い事である。事実ソロモンの有能さはティルスにも大きな利益をもたらしてくれた。だが、有能であるということは同時に油断がならないということにもつながる。特に地位を兼ね備えた有能な人間は、そのような者であればあるほど、情に薄いのが世の常であると長らく王位につき沢山の人間を見てきたヒラムは理解していた。おまけにソロモンはその栄光の裏で、自分にとっての邪魔者はもちろんの事兄や母親、父親をも非情なまでにあっさりと殺して今の立場を手に入れた、などと言う黒い噂の付きまとう存在でもあった。王位争いとは時としてそう言ったものだが、それにしても彼は際立って冷酷だった、と噂は語っているのだ。
それはつまり、自分の身の振り方次第でソロモンはすぐにティルスを切り捨て、結果ティルスに大きな損をもたらす存在になるかもしれない、と言うことも意味した。話を聞くだけでも、ヒラムは経験上、ソロモンが亡き父と友好関係を築いてくれたからなどと言う理由一つでティルスと交流し続けるようほど義理を重んずる人間ではないと何となく悟ることができた。そこが、その優秀な若い王の一つの難点であるとも思えた。

ある日の事である。ヒラムは王は、彼の信頼する大臣たちを集め、会議を行った。
ヒラムは考えていた。まだまだ、彼はティルスの繁栄にとって重要な存在である。彼の機嫌を損ねる事だけは、絶対にしてはならないことだ。ここで一つ、レバノン杉の輸出以上に彼に対して貢献しておくのが、ティルス王としてヒラムがするべきことの一つである。
「お前たち。私はソロモン王に、何か特別な贈り物をしようと思う。ちょうど、もうすぐ彼が王位について4年目になろうというところだから、その祝いに合わせて何かを送ろうと思うのだ。何がいいか、お前たちの意見を聞かせなさい」
ヒラムはそう言った。大臣たちはしばし考え込んだが、やがて、一人が口を開いた。
「ソロモン王の神殿は建造を初めて何年にもなりますが、非常に精密な技術を王が求めることから、なかなか完成に至らないと聞きます。ここは一つ、わがティルスから最高の職人を送ってはいかがでしょう」
「最高の職人?」
ヒラム王はその言葉を聞いて、ふと眉をひそめた。
「……と、言うと、あの男をイスラエルに送るというのか」
「そうであります。我が王よ。都合のいいことに、彼はイスラエル人の血を引いてもおりますし」大臣は言う。
「それに、厄介払いにもなりましょう……奴はティルスの王宮で抱え込んでいても、いずれ何か危険なことをしでかすかもしれません。なんといっても……あれは、人ならざる悪魔の子と言われているのですから」



イスラエルはよく晴れていた。
エルサレムにある山、モリヤ山では、今日も今日とてソロモン王の神殿建築事業が行われている。国中から集められた職人が、ソロモン王が自ら描き起こした設計図通りにイスラエルの神を崇めるための巨大かつ豪華絢爛な神殿を作るのだ。
モリヤ山は丘と言っても差支えのない背の低い山ではあるが、イスラエル人にとっては聖地のひとつともされていて、ソロモンはそこにこだわりこの場所に神殿を立てることを決めた。
モリヤ山で工事が行われている様子は、晴れて空気が澄んでいることもあり、王宮の窓からもよく見えた。ソロモンは、日光に弱い彼の眼を守るために目元までかぶせた黒いマントの高さを調節しつつ、それを眺めた。
彼は、不思議な気分を味わっていた。今、彼がいるのは王の寝室である。彼の父親、ダビデが使っていたものだ。
彼は流石に、もう子供のころから使い続けていた北の独房を自分の部屋として使うことはできなくなっていた。いくらなんでも、王となり、大人になってまでかたくなにあの部屋を使い続けることのメリットは、そうすることにより家臣たちから妙な目で見られることから得られるデメリットに勝るものはなかった。彼は特製の錠前を作らせ、それと太い鎖をもってあの部屋を固く閉ざし、自分だけが入れるようにした。
ダビデやアドニヤがなくなってから、もう何年とたつ。いつのまにやら、自分を痛めつける家族と名のつくものが一切合切消えた世界が当然のものとなっていた。恐ろしいものだ、と彼は思う。あのように崇められたアドニヤは、もうアブサロムと同様に一人の裏切り者として歴史に消えた命のひとつでしかない。ダビデもそうだ。
彼はあの後、イスラエル一の英雄たる父に相応しい葬儀を執り行った。誰もが、ダビデの死を嘆いていた。あの、何もかもに見て見ぬふりをした、父親とは到底呼べない男の死を。しかし、彼の死すらもソロモンがその後行った政治の影にだんだん薄れていった。ソロモンが即位した当初、少なからぬ人数の人間は彼の統治に不安を覚え、不満を口に出していたのは言うまでもない。だが、彼らすらも最終的にはその口を閉じざるを得なかった。ソロモンは実にてきぱきと王の仕事をこなして見れたからだ。貿易も対外交渉も、人民の裁きも彼はその知性を持って片付けていった。
「(当然だ。俺は有能だ。イスラエルの神すらも、俺に知恵を授けたのだから。俺が有能な王となれんはずはないのだ)」
彼はそう思って、薄く笑う。見よ、モリヤ山を。あの労働者たちは、全て自分の命令で動いているのだ。彼が子供のころから夢見ていた神殿は、もはや彼一人が愛するものではない。あれほど大勢の人間がその美しい姿をこの世に存在させんと日々奮闘しているのだ。
誰も自分の言葉など聞かなかった。誰も、自分を馬鹿にしていた。しかし今は違う。誰もが自分の言うことを聞き、また、聞かざるを得ないのだ。こんな日が来るなど、彼自身すら思ってもいなかった。いずれ、誰にも嘆かれずにひっそり死ぬのが自分自身の運命と思っていた頃がいっそ懐かしい。窓際の、日の当たらないところにおいた植木鉢に咲いているシクラメンも、彼と一緒に笑っているようだった。
「ソロモン」
ふと、後ろから声が聞こえて、彼は笑った顔のまま振り返る。
「ベリアルか」
「そろそろ休み時間は終わりだよ。お仕事しなきゃ」
「ああ……。そうだな。行かねば」
彼は細い腰を上げて、長くて黒い衣服の裾を正す。そして、黄金の王冠を頭に乗せた。王冠は、彼が特別に作らせたものだった。彼の愛するシクラメンをあしらった、美しくもどこかはかなげな輝きをたたえたそれは彼によく似合っていた。
ベリアルはクスクスと笑って、彼の肩を叩いた。
「行ってらっしゃい、お仕事がんばってね」
「ああ、それはもちろんの事」


「それでは、これより裁きを始める。訴えのあるものは前に歩みでよ」
玉座に座ったソロモンの後ろで、役人の一人が厳かな声でそう言う。大広間の群集はじっと息を殺して、黒いマントを頭からはおり、その上にに輝く王冠をいただいたソロモン王を見ていた。彼の丹念に編んだ白い髪が黒いマントから覗き、マントの黒色とも相まって冷たく輝く。その輝きが、いかなる偽りをも見通してしまうかのようだった。
「陛下!お裁きをお願い致します」
そう言って歩みでてきたのは、赤と青のベールをかぶった二人の女と、一人の赤ん坊だった。

女は二人とも明らかにやすぴかものと分かる装飾品を飾って、居心地が悪そうにしていた。彼女達の着ているつつましさがなく下品な衣装から、彼女たちが売春婦であることがうかがい知れた。
「話をしろ」ソロモンは女二人にそういう。女のうち一人、青いベールの女が、おずおずと話を始めた。
「陛下、私とこの女は、ともに売春婦でございます。同じ家に住み、二人きりだけで生活を営んでおります。私たちの家には、誰も訪れません。私たちが、売春婦であるからです。私が父もわからぬ自分の子を産んだときも、貧しく産婆も雇えぬ私は、この女に子を取り上げてもらいました。三日後、この女も産気づき、私は彼女が私にしてくれたように、父のない彼女の子を取り上げたのです。それなのに……それなのに……ああ!この女は、私を裏切ったのです!そして、それよりも、それ以上に、私の子を……子を!」
女は興奮と激昂のあまりえずいた。ソロモンは彼女の興奮が収まるまで黙っていた。もう一人の赤いベールの女は、じっと怨嗟の念を込めて、赤ん坊を抱きしめながら自分の隣でなく青いベールの女を睨みつけていた。
「王様、王様……ある、朝の事です、私は、自分の子にお乳を上げようとしました。しかし……その子は死んでいたのです。私はショックのあまり、取り乱しました。しかしです……しかし、激情も冷めてよく見てみますと、その顔は、私の子供ではありませんでした!そして、私の隣でこの女とともに寝ている赤ん坊が、私の子だったのです!私にはわかりました。寝ているうちに、この女は自分の子の息を詰まらせて、殺してしまったのでしょう。そして……そして、この女は、私の子と彼女の子を入れ替えたのです!でも……彼女はそれを認めない、彼女は、私に私の子を返そうとしないのです!」
「いいえ」赤いベールの女が、重々しく、途方もない憎しみを抱えた声で静かに言った。
「その訴えは間違っております……王様。この、生きている子は、私の子です。この女が、自分の子を殺した。それだけなのです」
「いいえ、王様!死んだのは彼女の子、生きているのが私の子です」
「違います……違います」
二人は王の前で、同じ問答を堂々巡りに繰り返した。ソロモンはしばらく黙っていたが、ふと口を開いた。それに合わせて、二人の売春婦もわめくのをやめた。
「片方が言えば、片方が正反対の事を言う、と来たか」ソロモンは二人を指さし、言った。「お前たちに一つ質問することがある。本当に、お前たちの家にはお前たち以外はいないのだな」
「はい」と、青いベールの女。「まだ年端もいかぬ頃、私たちは売春婦になりました。それ以来、私たち以外に、穢れた私たちにかかわろうなどと言う人物はおりません。私たちの赤ん坊すら、私たち意外に知る者もおりませんでした」
「それが聞ければ十分だ。つまり、証人が完全にいないということだからな」
ソロモンは手にした王笏を玉座の手すりでカンと鳴らし、「ベナヤ!」と、今や彼の新鋭隊長を任せられている軍の最高司令官の名を呼んだ。
「は……な、なんでしょうか」
ベナヤはいきなりソロモンに呼ばれたことに戸惑いつつ、答える。
「ベナヤよ。お前に命令がある。お前の剣をよこせ」
「…え?」
「聞こえなかったのか?剣をこの私によこせ、と言っているんだ」
ベナヤは唐突な質問に戸惑いつつも、ソロモンのせかすような視線には逆らえない。彼は訳も分からぬまま、自分の剣を抜き、王に手渡した。ソロモンの真っ白な指が、ずっしりと重いそれの柄をつかむ。
「赤子をこれへ」
彼は、剣を持っていないほうの手を赤いベールの女に差し出した。女もベナヤ同様に戸惑ったが、やはり彼同様に何か口答えすることもできず、その腕に赤ん坊を預けた。
ソロモンは片腕で赤ん坊を抱きあげる。彼は不穏な空気を感じてか、先ほどから泣いていた。彼はそれをじっと見降ろすと、言った。
「二人の母に、一人の赤子。真実がわからぬのなら、これが最良の方法だな」
彼はその言葉を聞いてはっと彼を見上げる二人の女を見据え、さらに言葉を続ける。
「この場で、この赤子を二つに切り裂く。そして片方をお前が、もう片方をお前がとるがよい。お前たちは同じだけ赤子の肉体を得て、同じように赤子の魂を持たぬものとなるのだ。どうだ、それが一番平等な方法だろう」

裁きの場はどよめいた。当然の事である。このような裁き、前代未聞だ。荒唐無稽な論理と言っても言い。
だが、ソロモンは得意げに威厳すらこめてそう言い放ったのだ。赤ん坊と剣を携えて。
「お前たち、それでいいだろうな?」
マントの下に、赤く輝くソロモンの瞳が二人の売春婦を睨む。青いベールの女は目を白黒させ、赤いベールの女も信じられないものを見る目でソロモンを見ていた。
「どうせ、母は売春婦、父親もない赤子だ」ソロモンは冷たい声音で言った。「生きていたところで、仕方があるまい」
彼の声音が、裁きの場に重々しく響いたようであった。彼は赤ん坊を静かに自分に玉座に横たえ、煌めく刃面を彼にあてた。
「……そう、ですわね」赤いベールの女が口を開いた。
「確かに…そうだわ。この子が生きていたって、どうせ、彼に未来などないもの。陛下。善いでしょう。そのようにしてくださいな。何もかも分け合っていた私たちが、また分け合えるように」
「物わかりのいいことだ」ソロモンは跪く彼女を見下ろして、そう言った。
だが、その時である。
「陛下!……申し訳ありません、嘘をついておりました、全て、偽りの事を申しておりました!」
青いベールの女が、ソロモンの足元に、泣きながら寄ってきたのである。護衛兵があわてて、彼女の非礼をとがめ彼女を王から引き離した、だが彼女は、暗記ながら続ける。
「王様、お願いです。この子を、そのようにはしないでください、この子は彼女の子です。私の子などではありません。私は自分の子を殺してしまっただけなのです。仕方がないなんて言わないでください、彼女に与え、生き延びさせてください!その子は、彼女のものなのですから……王様!お願い致します。王様!」
彼女は悲痛に叫び散らしながら、そう言った。衛兵が彼女を止めることなど異にも介していないように。
赤いベールの女は、自分の相方の泣きわめく様子を、じっと隣で見ていた。すると、ソロモンはもう一度王酌を鳴らし、ベナヤを呼んだ。
「ベナヤ。もうよい。剣をお前に返そう。どうやら、真実は明らかになった」

その唐突な一言の後王がとった行動に、青いベールの女が泣きじゃくりながらも怪訝な顔をしたのは言うまでもない。彼は、玉座においてあった赤ん坊を再び抱き上げ、そして、青いベールの女に渡したのだ。彼女は赤ん坊の母であると言った赤いベールの女にではなく。
「この子はお前の子だ。自分が罰されるのも顧みずこの子が生きることを望んだお前こそ、この子の真の母親だ」

ソロモンはこの場にいるすべての人間に言い聞かせるようにそう高らかに告げた。その一言に、裁きの場が一気に圧倒されたのは、言うまでもない。


青いベールの女は、震える手で赤ん坊を受け取った。ぐずっていた彼は、母が目にたまる涙を払いつつ無理に笑い顔をつくてあやすと、少しずつ少しずつ、態度を和らげていった。
ソロモンはそれをぼんやりと見ている赤いベールの女を指さして言う。
「兵隊よ、この者を連れていけ。この、浅はかな裏切り者に、相応の処罰を与えるのだ」
赤いベールの女は、言い訳も抵抗もしなかった。彼女はただ無言のまま、大広間の出口に引き出されるその瞬間まで、彼女の相方である青いベールの女と、その赤ん坊を無表情のまま、目だけを見開いて見つめていた。
「女よ」
ソロモンは泣きながら我が子を抱く売春婦の前にひざを折り、言った。
「一つ、詫びねばならんな。お前たちの口から言葉を引き出すためではあったが、それでも私はその赤ん坊に対して侮蔑の言葉を使ってしまった。その赤ん坊が仕方がないか、未来があるか否か、それはすべてお前次第だ。……母親次第だ。他人の決めることではない。……それだけは、謝ろう」
「王様……恐れ大うございます」
彼女はもう一度、床に頭をつけてぺこりと礼をした。
裁きの場は興奮と畏怖に静かに沸き立っていた。誰もが、ソロモンの裁きに感心し、また知恵ある彼を敬い畏れたのだ。証拠も何もない状況から、答えを導きだした彼を。
「女よ、下がるがいい。後があるからな」
彼は玉座に腰かけ、青いベールの女にそう言った。彼女は立ち上がって、自分の子供と一緒に、群衆の中に歩いて消えていった。
「さあ!次のもの、歩み出るがいい」ソロモンは叫んだ。


裁きの時間が終わり、大広間からは人が消えた。ソロモンは自分の執務室に帰ろうと足を動かす。
「お供いたします」ベナヤが彼にそう言った。彼は特にそれを拒まず、彼に後をついてこさせた。
「陛下、疑問があるのですが」
「なんだ、ベナヤ」
「あの売春婦たちの事ですが」
ソロモンはそのこの場に反応し、マントを翻して彼の方を見た。ベナヤはそれにびくりと怯むも、続ける。
「本当に、あれは正しかったのでしょうか?……いえ、その。貴方様の裁きにケチをつけるわけではないのですが、どちらがどちらの子かは分かるすべはないのですし……ひょっとしたら、本当にあの赤いベールの女の方が母だったという可能性も……」
「お前の言う母とは、生物学上の問題か?」
ソロモンは氷に浸したナイフのようなキレのある声で、ベナヤの言葉に口をはさんだ。
「血のつながりと言うものが、そこまで重要か?」
「え……?」
「私は、自分の子が死んでもいいなどと言う女は母親と認めない。血のつながりごときが、その事実の前に何の意味を持とうか。……それだけの話だ。我が子の死を嘆かぬものが……どうして、母親などと名乗れるものか。私が。どうして……そのような存在を許せるものか」
彼の赤い目が怒りに燃えているのが、ベナヤにはわかった。ベナヤは彼の心の触れてはならないところに触れてしまったことに気が付き、あわててその場で平謝りをする。
「もうよい」ソロモンは短くそう言って、ベナヤを振り切るような早い歩き方ですたすたとその後を去った。ベナヤは自分から伴をすると言ったにのもかかわらず、その後姿を見送ることしかできなかった。ベナヤにはソロモンの感情を、自分はソロモン以外のだれよりも知っているという自覚があった。彼の口から、彼自身の、彼の言うところの『生物学上の』母を殺せと命令を受けたのは、この自分なのだから。
一人きりで歩いていく黒い後姿を見ながら、彼は思った。彼は、孤独だ。しかし、彼は他人と居続けるくらいならば孤独を望むのだろう。他人とは彼にとって、そのような存在でしかなかったのだ。そういう中で、彼は育ってきたのだから。
夕日の中、仕事を終えて引き上げるモリヤ山の労働者たちの群れが見えた。


その日の夜、ソロモンのもとに手紙がやってきた。ティルスのヒラム王からのものだ。もうすぐ開かれる、ソロモン王が王位について四年目を祝う宴に出席するという旨だ。……そして、それにあたって、一人の男を連れてくる、と、手紙には書いてあった。
彼の名前はヒラム・アビフといい、ティルスに名だたる建築技師と言うことだった。

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