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クリスマス市のグリューワイン

feat: Eve 第一話


エデンの園は、光に満ちている。まぶしく暖かい光の粒の中で、カサカサと音を立てて走っていく存在があった。
彼女は小柄な体でせわしなく走り、ようやく見つけた目的のものに向かって走ってきた。
「アダム!見つけた!アダム!」
高く、無邪気な声で、長い髪を風になびかせ彼女はアダムのもとにかけていく。そして、その場に腰かけている彼にギュッと抱きついた。
「おはよう!」
「……ああ、おはよう。イヴ」
アダムはぼそりと、ぶっきらぼうな口調でそう返した。
アダムはどうやら少し、不器用な男らしい。イヴはそう思っていた。彼はイヴほどストレートに愛情表現をするのに戸惑ってしまうきらいがあるのだ。
「イヴ。なんでお前は俺にそんなにくっつきたがるんだ?」
「だってアダムの事、好きだもの」
にっこり笑ってそう返すイヴから、アダムは少し決まりが悪そうに眼をそらした。
イヴが生まれて、数日が立つ。彼女はたくさんの言葉や名前をすぐ覚えて、いくらもしないうちに無邪気にアダムについて回った。
「イヴ。その……ちょっと、離れてくれないか?」
「なんで?」
「いや、なんでって……」
彼らがそんな問答をしていると、不意に二つ、光輝く存在がやってくる。彼らはイヴとアダムの背後からやって来て視界に入るわけはなかったのだが、彼らが現れるとき、イヴはいつも感覚で分かるのだ。彼らは、天使、と呼ばれる存在だ。
イヴはパッと顔を明るくして「おはよう!ガブリエル、ミカエル!」と、彼らにあいさつした。

「ええ、おはよう、イヴ」
「やあ、イヴ。今日も元気そうだな」
二人はいつもと変わらない、美しく整った笑顔でそう答えると、ミカエルの方がイヴに少し苦笑したように言う。
「イヴ。アダムは今仕事で忙しいんだ。離れてあげなさい」
そして、彼女の肩にそっと手をかけて後ろに引いた。あくまで軽く、であるものの、イヴの体はすっとアダムから離れる。
イヴを引き離すと、ミカエルはそのまま、アダムと一緒に彼女にはわからない話をし始めた。なんでも、アダムの仕事の話であるらしい。
アダムには仕事がある、とイヴは最近知った。彼女は目覚めた時、彼に「イヴ」という名前を付けられたが、まさに、そうやって新しく生まれたものに名前を付けて回るのがアダムの仕事らしい。そして、新しいものはどんどん生まれてくるというのだ。
確かに、その仕事は重要だろうとイヴは思う。自分がもしイヴと言う名をつけられていなかったら、と言うのは想像できない。アダムにイヴと呼ばれた時、自分の存在が完成したような感覚を彼女は味わったのだ。だからきっと、他のものにとっても名前を付けられることはこの世に誕生するにあたって非常に大きな意味を持つのだろう。
ただ、イヴは不満に思うところもあった。仕事の時になると、アダムは全くイヴに構ってくれない。彼女にどこか迷惑そうな態度で当たる。イヴはそれが残念だった。
「イヴ」彼女がそう思っていると、ガブリエルの方が彼女に声をかけた。「わたしと一緒に遊びましょう」
ガブリエルの方も、イヴの肩を引き自分の方に引き寄せる。彼女はイヴよりは背が高く、にっこりと優しい目でイヴを覗き込んだ。
「悲しそうな顔ね」
「だって……お仕事はじまっちゃったら、アダムが構ってくれないんだもの」
「ふふふ、イヴは本当にアダムが好きね」
「うん、大好き!」
ガブリエルは上品な笑い方に合わせて白い翼を動かした。輝く羽毛がふわりと風に舞い、木漏れ日に溶けていく。イヴはそれを、とても美しいと思った。
「ガブリエル、私にはお仕事ってないの?」
「イヴは大丈夫よ。イヴはね、楽しく遊んでいればいいの」
ガブリエルはそう言って、イヴの手を引いた。そしてアダムとミカエルとは逆の方向に歩いていく。イヴも手を引かれるまま、彼女についていった。
イヴが生まれてから、毎日のようにこんな感じだ。イヴはアダムに構ってもらいたがるが、彼の方は彼女ほど伴侶との交流に熱心ではいてくれないらしい。それで、優しいガブリエルがいつも代わりにイヴを構ってくれるのだ。


エデンの園。天使達は、この空間を「神様がお創りになられたもの」だと言った。神様とはどういう存在なのかとイヴが聞けば、この世にある全てのものをたった一人で作られたお方だ、と、ガブリエルは答えた。
「ねえ、ガブリエル」イヴは、森の中にぽっかりと空いた広場で太陽の光を受けて寝ころびながら、彼女に言った。あたりには甘い花と果物の香りが漂っており、森を通して軽くふく風は涼しくて、気持ちがよかった。
「なあに?」
イヴの頭を自分の膝に乗っけて、ガブリエルは答える。彼女の膝はとてもポカポカ暖かく、柔らかく、気持ちがいい。イヴは自分の頬をそれにうずめて「エデンって、いろいろあるのね。本当に全部、神様が作ったの?」と言った。
「ええ、それはもちろん。神様は何でも作れるのよ」
「私も、神様に創られたの?」
「そうよ」
「ガブリエルも?」
「ええ!わたしも。ミカエルも、他の天使達も、みんな神様に創られたの」
「ふーん……」
イヴは、その神にまだあったことがない。だが、ガブリエルは実に熱心に神様の事を語るので、おそらく実際に存在はするのだろう。
ガブリエルたちは天使と呼ばれる存在で、アダムとイヴとは姿かたちは似ていても根本的に違うのだと、イヴは最近知った。天使は神のそばに仕えて、その命令を何でも聞く存在と言うことなのだ。
「私達って、天使じゃないの?」
「そうよ、貴方とアダムは、人間だから」
「人間、って何?」
「それはね、イヴ。この世でもっとも偉大な神様が、一番愛しておられるものよ。なんたって、神様は、自分の姿に似せて最初の人間を……アダムを作ったんだから」
「じゃあ、神様にも姿はあるのね?」
「あるわよ。それはもちろん。でも、なかなか姿をお見せにならないだけ」
ガブリエルはそう言って、イヴの頭を優しく撫でた。
「だからね、イヴ。わたし達は貴女たちのために一生懸命働くし、エデンの園に居るのはみんなあなたの友達よ。だって、神様が貴方達を特別大事にして、そのように望まれているんですから」
「すっごく、幸せなことね」
「ええ!そうよ、イヴ」


イヴはその場で眠ってしまったようだった。しばらくするとあいかわらずガブリエルが膝に彼女を乗せたまま笑いかけていた。
もう日は傾きかけて、遅い時間になっていた。
「ガブリエル、ごめんなさい」イヴは焦って言い、自分の方から体を起こした。当のガブリエルに至っては「心配しないで。私はちっとも気にしてないわ」と笑って言い、彼女も一瞬ですっくと立ち上がって、来た時と同じようにイヴの手を引いて森の中に入っていく。元来た道を変えるのだ。仕事を終えたアダムの場所に。
「ねえ、エデンのものは、全部友達なの?」
「ええ、そうよ。それに、貴女はエデンにあるものは、全部自由にしていいのよ。……園の真ん中に生えている木の実以外はね」

イヴが常々言われていることがあった。それは「エデンの園に生えてるどの木からでも実をとって食べてよい。ただし、園の中央に生えている木の実だけは食べてはならない」と言うものだった。
園の中央の実と言っても、ガブリエルはそこに連れて行ってすらくれないし、イヴはそれを見たこともない。だから、食べようもないのに禁じるのはおかしな話だと彼女は思っていた。


「アダム!ただいま!」
「あ、ああ……イヴ。お帰り」
「アダム。貴方の奥さんよ。大切にしてあげなさいな」
アダムのもとに帰るなり、イヴは嬉しそうに彼に飛びついた。日はすっかり沈んでいたが、天使たちが明るく輝くおかげで全く視界に難はない。アダムは、自分にすり寄るイヴを見つつ、少し渋い顔でミカエルにこういった。
「ミカエル。イヴはもう少し、多くのものと交流すべきじゃないのか?俺とガブリエルとしか話さないというのはあまりよくない気もする。毎日毎日、同じことの繰り返しじゃないか。変化が必要だ」
「変化?」と、怪訝なイヴの声。
「それもそうだな。エデンにはいろいろな存在がいることだし」
ミカエルはそれに深くうなずいた。だが、もう一人の天使のほうが口をはさむ。
「それならばね、アダム、明日貴方が、そのお友達を探しておやりなさいな。イヴはまだ、動物に会ったこともないのよ」


翌朝の事だった。アダムとイヴは並んで、エデンの園を歩いた。
「あれが、犬だ。そしてあれがウサギ」
アダムは彼のそばにいるイヴに、動物を指さして教えた。
「犬?どうして犬って言うの?」
「俺がそう名付けたからだ」
そうそっけなく答えるアダムを放っておいて、イヴは犬とウサギに駆け寄った。そして笑顔で「こんにちは、犬さん、ウサギさん!」と笑いかける。
彼らも、友好的に鳴いてイヴに返事をした。そして、彼女にじゃれ付く。イヴは動物たちと遊ぶという慣れないことに少し戸惑いつつ、それを受け入れた。
彼らの毛皮の感触が、ふわふわとしていて気持ちいい。イヴはそれを、彼女自身のつるっとした素肌で感じていた。自分達にはない毛皮の感触は新鮮で、良いものに思えた。
だが、イヴはふと、有ることに疑問を感じ、彼女と動物たちをじっと見ているアダムの方を振り返って尋ねた
「ねえ、アダム」
「なんだ」
「どうしてこの子たち、何も話さないの?いいお友達みたいだけど、話ができないのはさびしいわ」
彼女の言うとおり、犬やウサギはイヴに理解できる言葉を話さない。彼女はそれが不服だった。だがアダムは「そんなの当然だ。違う生き物同士は基本的には話せない」と言った。「天使たちは除いてな。奴らは、どんな生き物とでも話せる」
「……そうなの」
犬たちは確かに可愛い。でも、話ができないのはあまり楽しくない。アダムは当たり前の事としてそれを受け止めているようだったが、イヴはなぜ彼もこれをもっと残念がらないのか不思議に思った。
その時だった。

犬とウサギが不意におびえて、さっとイヴの手をすり抜けてどこかに駈け出した。「あっ!」イヴは一瞬怯み、あわてて彼らを連れ戻そうと呼ぶ。しかし、彼らはさっさと去って行ってしまった。
「待って……」
彼女の言葉は、アダムの発した言葉に遮られた。即ち、彼は「やあ、蛇。久しぶりだな」と、イヴのすぐ背後にいる存在、犬とウサギを怯えさせたそれに向かって話しかけたのだ。アダムは彼らが逃げたことなど、全く気に病んではいないようだった。

奇妙な生き物、とイヴは思った。彼女が振り返った時、彼女のすぐ後ろに生えていた木の枝に、それはいたのだ。
手も足も、毛皮すらない、蔓のように細長い小さい生物。彼は、一見すれば動けなさそうなものなのに、器用に腹ばいで枝の上を歩いていた。体中、堅そうな金色の鱗に包まれて、日の光を反射してきらきらと光輝いていた。見開かれた二つの眼は、じっと、アダムとイヴを見つめていた。
彼は隙のなさそうな身のこなしで、アダムとイヴのすぐ目の前にある枝の先端までやってくる。そして、口を開いた。
「おはよう。アダム。隣にいるのは新しく作られたという、アダムの片割れだな?」
よどみなく、イヴにも分かる言葉で彼はそう言ったのだ。

イヴは目をぱちぱちさせた。どういうことだろう?先ほどアダムが、違う動物同士は喋れないと言ったばかりではないか。目の前にいる彼はどう考えてもアダムと自分とは似ても似つかない。人間ではない。だが、言葉をしゃべっている。
「どうしたんだ、驚いているようだが」
「だって、私たちと全然違うのに言葉が通じるんですもの」とイヴが言うと、蛇は「まあ、それは俺が特別なだけだ」と言った。
「お前たちだけじゃないさ、エデンにいる大体の生き物の言葉なら俺はわかる。俺は、ずっと前からエデンにいるから。ああ、紹介が遅れたな。俺は蛇と名付けられたんだ、そこに居るアダムに。お前は?」
彼はマイペースに、まだ驚きのさめやらないイヴにそう言ってきた。
「イヴ」
「そうか、よろしく、イヴ」
彼はそう言って、小さい頭をイヴの掌に伸ばした。そして、小さく彼女の手の甲にキスをする。
それを受けて、彼女の中でも不思議とこの蛇と名乗る妙な生物への警戒心がほどけたような思いだった。「ねえ、蛇さん。私、お話ができてうれしいの」イヴは笑顔でそう言う。
「蛇さん。私とお友達になってくれる?」
「エデンのものは全部人間の友だと、天使どもに教わってなかったのか?」蛇は頭を再び枝の方に引っこめて、彼女に皮肉っぽく笑いながらそう言う。
「俺と君はとっくに友達さ。君が生まれた時から。なあ、アダム?」
「ああ。まあな。まあその……なんだ。俺からも頼むよ、蛇。エデンで天使たち以外に、俺たちの言葉をわかるのはお前くらいなもんだ。ぜひ、イヴに構ってやってくれ」
「お前にそう言われちゃあな。良いぜ、俺も暇なんだ。俺にはお前みたいな大した仕事もないからな」
蛇はゆっくりかぶりを降って、イヴに「よろしくな、イヴ」と言った。


その後も、アダムはエデンを回って様々な動物を見せてくれた。動物には空を飛ぶものもいたし、毛皮のあるものもないものもいた。鱗のあるものも、甲羅があるものも、様々だった。だが、アダムの言うとおり、イヴと言葉の通じる動物はいなかった。ただ一匹、蛇を除いて。
すっかり日も暮れる頃、イヴはそろそろ歩き疲れてしまった。アダムはそのことをわかったのか、「疲れたのか?」と彼女に問いかけた。
「うん」
「それなら、今日はもうここで寝よう」彼は思いついたようにそう言って、イヴを柔らかい若草の上に寝せた。そして自分は近くにあったベリーの実を適当にもぎ取ると、イヴにもそれをよこした。
イヴはそれを受け取ると、甘い果汁に満ちた実を口の中全体で味わう。アダムは、柔らかく熟れたベリーの実が好きなのだ。彼女はよくそれを知っていた。
アダムも目の前で、そうあからさまに表情には出さなくとも、おいしく食べているというのがイヴにはわかった。彼女はそれを見て、不意に笑みがこぼれた。
「どうしたんだ」
「なんでもないの」
怪訝そうなアダムの顔の後ろに、イヴはふと、昼間に見た蛇の視線があるように思った。だが、彼女が目を細めてみても、暗闇の中にイヴよりも小さな存在である蛇の存在は確認できはしなかった。


「イヴ……か」
月も沈んで真っ暗になった時刻。アダムとイヴも寝付いたころに、蛇は自分の巣で、そうつぶやいた。


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