クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第四十二話


ヒラム・アビフは言葉に偽りなく、素晴らしい腕前の持ち主だった。彼は特に青銅細工が巧みで、聞いてみればもともとは青銅技師だったらしい。しかし、他の技術にも無論のこと通じ、今ではモリヤ山の仕事場であっちに行ってはこっちに行ってはヒラムは仕事をしている。
特に、彼がした浮彫彫刻のシクラメンを見てソロモンは喜んだ。彫刻らしく図案化されたデザインの味を残しつつも、確かに生き生きとした花のような趣がある。他の彫刻技師との腕前の差は明らかだった。そのため、ヒラムが彫刻を請け負うところは全てヒラム一人に仕事を負わせることになった。大勢でやっても、ヒラムの彫刻だけが浮いてしまい、どうも不恰好になるからだ。ヒラムはそれに不平ひとつ言わないばかりか、自分が単独で仕事できることを何よりうれしがった。おまけに彼はその技術の巧みさもあることながら、作業のスピードも人一倍である。まさに百人力と言う言葉がふさわしかった。
彼はイスラエルにつくなり、王宮には泊まらずモリヤ山の近くに誂えてもらった小屋に寝泊まりした。そしてティルス王が国に帰るまでイスラエルでのもてなしを受けているときからモリヤ山の作業場に入り、仕事を始めたのだった。
彼は本当に、頭のてっぺんからつま先まで職人なのだと誰もが思った。職人仕事の無理がたたり若死にすることすら、おそらくこの男には僥倖なのだろう。そう思える気迫が、ヒラムにはあった。主であるはずのティルス王が祖国に帰った際も、彼は見送りすらせず、黙々とモリヤ山で青銅の柱の彫刻をやっていた。ティルス王はもはや諦めているのか、自分に対する彼の無礼をとがめることなどはしなかった。

ところで、ベナヤをはじめ王に近しい臣下の殆どが思っていることがあった。王は最近、非常に機嫌がいい。他人をひどく疑い、隙を見せないソロモンの事だから流石に目に見えて浮かれはしないものの、どことはなしに穏やかなのだ。
当のソロモン自身も、自分のその感情が見抜かれていることは知っていた。見抜かれていても、何ら迷惑に思うところはない。心穏やかであるのはいいことだ。
自分の機嫌の良さは神殿建設が順調に進んでいることからのみ来ているのではない、とソロモンは感じていた。ヒラム・アビフと言う男、本当に良い贈り物をティルス王はしてくれた、とソロモンは内心で思っていたのだ。
ヒラムの腕前も働きぶりも、先述の通りいっそ人間離れしたものがある。彼は確かに、生まれながらの職人そのものだ。職人仕事をやるために生まれてきたかのような存在である。堂々と天才を自称するだけのことはあるな、と彼は面白く思った。自分が心の中に思い描いていたものが、確かにヒラムの手を経て完成するのだ。
彼の不躾なところは相変わらずだったが、ソロモンはそれを得に不満にも思わなかった。彼にはそれを補って余りあるものがあるのだし、それに見たところ本気で彼は礼儀を払うことに関して不器用なだけであって、別段ソロモンを特別軽蔑しているわけでも敵視しているわけでもない。誰にでもそうなのだ。甘い言葉で外見を飾り立て内心で見下してかかるよりもはるかにましだ、とソロモンは思った。

ソロモンはそのようなことを考えながら、窓からモリヤ山を見ていた。さすがにヒラムがどこに居るのかまでは分からないが、おそらく彼は今もあの中で作業をしているのだろう。
「ねえ、ソロモン」と不意に声をかける存在。ベリアルだ。いつの間にか現れたらしい。
「嬉しそうだね」
「ああ」
「あのヒラム・アビフって奴、そんなにいい奴なの?」ベリアルは首をかしげてそう言った。「ボクはちょっと苦手なタイプだけど。だって汚いし、汗臭いし」
「それはしょうがなかろう。肉体労働者なのだから」ソロモンはベリアルに言う。「俺は気に入っているぞ。王として素晴らしい人材の存在を喜ぶのは当然のことだ」
「ふうん……」
ベリアルは少し目を細めて、ソロモンを見た。
「君の口からそんな言葉が出るなんてな」
「どういう意味だ」
「別に……ちょっと意外って思っただけ。それだけ。他意はないよ」


モリヤ山のふもとで、ベナヤは自分の馬の足を止めた。ソロモンが忙しいので今日は彼が労役の視察に来ることになっていたのだ。
「アドニラム!視察に来た。作業は進んでいるか」
彼は大声で、労役の監督の名前を呼ぶ。やがてアドニラムと呼ばれた中年の男が出てきて、ベナヤに礼儀正しく、礼をした。
「順調に進んでおります、ベナヤ閣下」
「それは何よりだ」
そのような短い会話を交わして、ベナヤはアドニラムに案内されるがままに、作業場を巡回する。労役に駆り出されているの3万人ほどだが、ベナヤが見たところ良く働いている。ベナヤの父親は祭司で、つまり彼もそれなりの上流階級の出身である。そのため、このような労役を真っ先に課されるような下層民のことは怠け者で下品な奴と言う偏見がないではなかった。だが、彼のイメージとは裏腹に神殿建設を行う彼らは本当に勤勉である。
ベナヤの眼からも、彼の仕えるソロモンがこの事業に並々ならぬ情熱を注いでいるのは分かった。何にせよ、設計は彼自身が行ったのだ。だから、労働者たちが真面目に働いているのは王にとってもこれ以上なく好ましい事であるだろう。
モリヤ山の作業場を歩くベナヤの眼に、ふと、二本の青銅の柱が止まった。横に寝かせたそれに彫刻の作業をしているのは、見間違えようもなく、最近ティルスから送られてきた天才技師、ヒラム・アビフだった。作業の厚さのためか、服を脱いで赤銅色の肉体をあらわにしている。彼はほかの労働者たちのように班に分かれず、ただ一人で作業をすることを許されていた。
彼の働き具合が相変わらずであることなど、わざわざアドニラムに聞かずともわかった。彼は青銅の柱にかじりつくように、華麗な彫刻をぎっしりと掘り込んでいる最中である。彫刻に関しては全く素人であるベナヤから見ても、彼の技術が一流のものであることは理解できた。
「あれは?」
ヒラム・アビフを見つめすぎて、気が付けばアドニラムを待たせていたことに気が付いたベナヤは、焦って適当な言葉を言った。
「あれは神殿の二本の大黒柱ですな。片方をボアズ、片方をヤキンと名付けております」
「名付けた?」
「はい、ヒラムが」
面喰ったような顔をするベナヤ、アドニラムが「武器はともかく、柱の名前を名づけるというのはあまり一般的ではありませんね」と冗談めかして言った。
「少し変な男なのです。まあ、それでも技術は見ての通りですがね」
「まあ……そうだな」
ヒラムは自分の事が話されていることに全く関心を示さず、ただ黙々と作業を続けていた。ベナヤが来たことなど、認識のうちにも入っていないかのようだった。ふと、彼の指にはまった黒曜石の指輪が目を引く。あんな高価そうなもの、しかも作業に邪魔になりそうなものを作業中にも手放さないのはどういうことだろうとベナヤは少し疑問にも思ったが、それもまた彼の変なところなのだろうと理由をつけた。
「どうしました?」
「いや、たしかに、変な男だと思って」
「ははは、我々凡人に、天才は分かりませんな。彼がイスラエルの言葉ができるだけましですよ。これでフェニキア語しかできなかったら、そのような者分からない我々にはいよいよ、奴をどう扱っていいのかわかりませんからな」
フェニキア語はティルスで使われている言葉である。
それにしても、天才は分からない、か。と、アドニラムの言葉を聞いて、ベナヤの頭にはふとソロモンが浮かんだ。
ソロモンもまた、間違いなく天才である。凡人が努力の域で達することができる領域を明らかに超越している。そして、やはりソロモンの事は今一つ読めない。ベナヤはそう感じていた。自分一人だけで何でもできるが、他人を拒もうとする孤高の天才。聞こえはいいが、周囲で働くものの立場からすれば必ずしも接しやすい存在ではない。特に、自分はソロモンに臣下として使われる存在だからまだいいものの、彼を使わなくてはならないアドニラムの苦労は推し量れない。
「アドニラム、ご苦労だな」
ベナヤは気が付けが、アドニラムをいたわる言葉をかけていた。アドニラムはそれに少しはにかみつつ、「もったいないお言葉にございます、閣下」と言った。

やがて、視察が終わるころには夕方になっていた。「閣下、そろそろ私は彼らに仕事の終わりを告げませんと」と、アドニラムが言う。ベナヤは了承した。もう自分は帰ってもよいのだが、せっかくなので最後まで見届けようという思いもあった。
アドニラムは班長達を集め、班員全員分の日当を持たせて仕事終わりを告げさせた。やがて、各班にもその命令はいきわたり、彼らは山のふもとにある詰所に向かってやっと仕事から解放された喜びと日当と一緒にぞろぞろと帰っていった。
ふと見ると、ヒラムだけがそれに気が付いていなかったようだった。アドニラムは彼のもとに近づくと「ヒラム」と、彼の肩を軽くたたいた。彼はそれでようやく振り返る。
「もう今日の作業は終わりだ。お前に与えられた小屋に帰りなさい」
「……もうそんな時間か?」
「時間だ。私は監督として、お前たちを働かせ過ぎない義務もある。仕事をやめなさい。ほら、今日の日当だ」
その言葉を聞いてヒラムは大きく背伸びすると、縫いであったシャツを羽織り、日当の入った袋をかすめ取って挨拶もせず帰っていった。作業中の真剣ながらもどこか生き生きとした表情が、少しつまらなさそうに濁っているようにも感じた。
「本当に、良くも悪くも天才なのですよ」アドニラムは言った。
「彼は集団の中で働く、と言うことが性に会わないものなのです。上司も、部下も、彼は持てない。私たちが彼のように天才でないことが原因なのではありましょうが、ほとんどの人間は天才ではない。彼はそれがわからないのですよ」
「ずいぶん部下をよく見ているな、アドニラム」
「彼は見ざるを得ません」
アドニラムはまたしても冗談めかして笑って見せた。
「職人の中にも、彼に師事して彼の技術を学びたがっているものも出ているんです。まだ来て数日もたたないというのに。しかし、彼は全て断っているのです。最初は私どもも謙遜か傲慢のどちらかからくるものだと思っていたのですが、最近、別にどちらでもないと分かりましたよ。単純な話で、彼はただ、他人にものを教えるなどできないだけです」
「あの技術の継承が行われないとは、惜しい事ではあるな」
「ええ。……どうも早死にしそうな性格ではありますが、せめて長生きしてほしいものですよ。このような仕事に携わる者として、そう思います」
アドニラムはそう言って、ベナヤを送り迎えようと山のふもとまで彼に同行した。


山のふもとにつくと、さっそくそこは賑やかに色めき立っていた。大勢の娼婦たちがそこにいて、値段の交渉や誘惑の声がところ狭しと響いていたのである。
「最近では、作業終わりを見計らって娼婦が客を取りに来るようになりましてね」と言ったのはアドニラム。
確かに精力の有り余っている肉体労働者の事だ。きつい仕事を終えてストレスを解消するには、これが一番安上がりで効果的ではあるだろう。
娼婦は本当に大勢集まっていて、若いのも年増のも混ざって、ベールをかぶって顔を隠しているのもあれば長い髪をこれ見よがしにさらけ出しているのもいた。服の色は色とりどりだが一様に安っぽい。労働者の日当でとれる娼婦なのだから、その程度のものであるということだろう。
とはいえベナヤはあまりこう言った猥雑な空気は好まない。アドニラムもそれは承知の上で、貴方さえよければ横道を案内すると言ってくれた。ベナヤはもちろんそれを頼み、馬の手綱を引いてゆっくりとわき道にそれた。
ふと、ベナヤの眼に一人の娼婦がとまった。顔を薄いベールで覆い隠しやはり客を取ろうとしているその女が、ベナヤは妙に気になった。
しかし、このような場に居るのもごめんなので、ベナヤは彼女を無視することに決めて、さっさと脇道に入る。そして、アドニラムに別れを告げて王宮に戻った。


とっぷりと日が暮れて夜になったころ、ソロモンは部屋でぼんやりと考え事をしていた。最初は植物のことについて考えていたのだが、次は貿易、次は天文学、次は、と言った風に考える対象はころころ変わる。それが少し面白くもあった。
寝台の上ではベリアルが歌っていた。ソロモンに聞かせるためなのか、あるいは彼が歌いたいからなのかはわからない。穏やかで静かな歌声だった。彼は何の楽器も持ってはいないのに、竪琴の演奏のような音まで聞こえた。人間ではないベリアルだからこそ出せる歌声なのだろう。
彼はどことなく夜風に当たりたくなり、すっと立ち上がってバルコニーの方に出た、それを見てかベリアルも後をついていく。
夜風は涼しく、心地よかった。星がよく輝いていて、月も大分太り明るい夜だった。もうすぐ満月となる。
ソロモンはバルコニーの長椅子に腰かけ、じっとそこから見える夜の景色を見ていた。
「ここでさ」
ベリアルが口を開く。
「君のお父さんが、君のお母さんを見つけたんじゃないの?」
「たぶんそうだな。ほら、見ろベリアル。あの家を。あそこがウリヤの家だったそうだ。むろん今はほかの者が住まっているが」
ソロモンはニヤリと笑ってそう返して見せた。
「つまり、俺はここから始まったようなものだ」
「そうだね。ふふ。でも、結局全員死んだ」
ベリアルは、ソロモンの首筋に細い指を這わせ、そのまま彼の肩を抱いた。
「大きくなったね」
「ああ」
ソロモンはベリアルに体を寄りかからせ、穏やかに目を細める。夜風が強く吹いて、彼の白い髪を揺らした。
モリヤ山のふもとがまだ少しばかり明るいのが見える。理由ははっきりしている。娼婦と、彼女らを買う労働者のおかげだ。
人は性に振り回される。ダビデとバテシバもそうだったし、アムノンも、アブサロムも、アビシャグもそうだったた。その人間の一つの本質が、モリヤ山のふもとにちらちら燃える明かりにもまた現れている、とソロモンは思った。
「あれ?」
ふと、ベリアルが声を上げる。
「どうした?」
「音が聞こえる。モリヤ山から」
なに?とソロモンは怪訝な声で返す。
「作業している……誰かが……」
ソロモンは耳を澄ました。だが、モリヤ山からはちっとも音などは聞こえてこない。いくらなんでも聞こえなくて当然なのだが、ベリアルには聞こえるのだろうか。それに、作業ならいくらなんでも明かりをともすだろう。しかしモリヤ山にはそのふもとの明るさとは裏腹に松明の明かりらしいものは少しもともっていなかった。
「こんな夜中に作業とは、感心なものだな」
だがソロモンは一応、否定はしなかった。ベリアルの感覚は所詮、自分達とは違うのだ。見えないものが見え、聞こえないものが聞こえるのだろう。
だが、それを言うベリアルの表情を見て、ソロモンは少し面食らった。初めて見るような表情だ、笑いを引っ込め、どこか、驚きもしたような。
ソロモンは不審に思い、「どうした、ベリアル」と言う。
「いや、なんでもないの。ソロモン、もう寝ようか」
「本当に、早く寝なくてはならんようになったよな。子供の頃は夜更かしをして昼まで寝ていられたのに」
「王様の仕事はしなきゃならないものね」
彼はいつもの笑顔に戻って、ソロモンと一緒に部屋に入っていった。


ソロモンが寝付いたころ、ベリアルはバルコニーに出た。
「やっぱり、聞こえる……一人二人じゃない。ざっと七十、いや、それ以上……?」
彼はしばらく耳を凝らしていたものの、意を決したように翼を広げてバルコニーから飛び立った。そして、闇夜に溶けて消えていった。

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