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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第四十四話

日はとっぷりと暮れていた。
寒気と湿気に覆われたその空間は明らかに不潔なものであり、また下等なである、と、ナアマは思っていた。あの四年前の日、彼女にとっては悲劇としか言いようのない結婚を言い渡される前の幸せなアンモン王女である自分ならば、このような場所に決して幸福など見出しもしなかったであろう。
しかし、そのような場に身を置いて、安っぽい衣装をはしたなく乱しながら必ずしも心地よくはない湿気と悪臭を体で感じつつ、ナアマは確かにそこにわずかではあるが幸福があると見出していたのだ。少なくとも、ソロモンの王宮に居るよりはある。
固い、臭いベッドに身を横たえ、たった数枚の銀貨を代金に粗野で卑しい労働者たちにまるで犯されるように抱かれることを、ナアマは確かに楽しんでいた。むろん、多大な苦痛はある。しかしそれでも、あの夫、ソロモンとともにいる事よりはましなことだと彼女には思えていたのだ。売春婦以上に、彼女の体は激しく肉体労働者の男の体を求めた。売春婦たちは金のためにやっているのだろうが、ナアマに金はいくらでもある。ナアマは純粋に、悦楽のみのためにこの行為に浸っているのだ。
自分を抱いているこの外国人の男すら、まさか自分が王宮に住まう王妃であるなどとは思ってもいまい。彼の眼には自分はただの小汚い売春婦なのだ。そうでなければこのような乱暴な抱き方などできるものか。ナアマはその事実に酷く愉悦を覚え、また、自分の体に入れ代わり立ち代わりは言ってくる男を感じながら確かに満たされる思いを味わった。

彼女は、思いつきのようにこのことを始めた。あの時、彼女はやけになっていたのだ。
ソロモンが憎い。彼をコケにしたい。その結果選んだのが、売春婦になりすまして、日々、何人もの卑しい男たちに抱かれることだった。あれほど賢者とたたえられるソロモンも、まさか妻が彼の命令で日々働いている下賤な男に抱かれているなど露ほど知りもしない。その事実を彼女は楽しみ、それを持って彼女は彼を侮辱できるような思いだったのだ。やがて、それだけでもなくなった。彼女は、毎日に何度も行われるようなような性交がただ純粋に楽しくなってきたのだ。精力を持て余した彼らは、ひと月に一回自分のところに来るか来ないか、来たとしてまるで淡白に、義務的と言ってもいいほどに無感情にさっさと済ませて帰るソロモンとは何もかも違っていた。
彼女は目の前の男が入ってくることに嬌声を上げつつ内心で夫をあざけった。彼がいくら自分を侮辱しようとも、所詮彼は知らないのだ。妻が自分を離れ、自分よりも何倍もの悦楽を持ってこのような行為に浸っているということを。ああ、なんという惨めだろうか!?夫として、男として、最高の恥ではないか!彼女はそう思っていた。
「(ほほ、ごらんなさい、ソロモン。貴方よりもこの男の方が、貴方の何倍も馬鹿なこの男の方が、私を悦ばせることができるのよ!)」彼女は内心で、笑いようにそう言いながら悲鳴のような
ソロモンはこのことを知ればどんな顔をするだろうか。それを勝手に彼女は思い浮かべた。あの氷のように澄ました顔は、妻が娼婦の真似事をして、労働者に抱かれていると知った時、一体どのように崩れるのだろうか。その想像が、孤独を感じてやまないナアマを癒した。

やがて良い時間になると、ナアマは数枚の銀貨を携えて労働者とともに泊まっていた安宿を離れ、王宮に帰ろうとした。なぜ娼婦がこのようなものをと不信がられてもいけないので、馬は離れたところに留めてある。
ナアマは夜の道を歩いた。女の身で夜の道を歩くことが危険だとは彼女も知っている。しかし、その危険すら彼女は恐怖とも思っていなかった。若い女が合う「危険」など、むしろいま彼女は望みたいほどでもあった。そのような乱暴者に欲望のまま人間としての尊厳を踏みにじられるように犯されることも、彼女はきっと楽しいであろうと思えていた。彼女は、それほどまでに荒れていたのだ。
ふと彼女の眼にモリヤ山が映った。暗い中シルエットのみになったそれにはいくつも松明がともっているのが見えた。労働者たちから聞いたことがある。夜でも仕事をしている、一人の職人がいるのだ。他の職人たちが娼婦とともに一日の疲れを癒している間にだ。
ナアマは彼の存在を冷ややかに見た。所詮女を悦ばせられない存在なら、それほどまでの価値はないと名前も知らない男を評価した。


その夜も、ソロモンは自室の窓からモリヤ山を見ていた。
「どうしたの?」と声をかけるベリアルはずっとベッドに我が物顔で寝ている。ベリアルはここのところ、いないか、疲れたようにベッドに寝ているだけだ。
「ヒラム・アビフの奴、毎晩よくやるな」
「うん、ほんとにそう思う」ベリアルが言う。
ソロモンはその日、眠くなかった。王になってから生活リズムは昼型に矯正されてきたものの、その日、彼は眠る気分ではなかったのだ。目は不思議と冴え冴えとしていた。
夜が明けたら仕事が進んでいる、という現象は今でも続いていると聞く。おまけに、ヒラム・アビフが普段する仕事量の数倍の速度だというのだ。彼は人がいないほうが仕事の性が出るのだろうか。そもそも、あの男はいつ寝ているのだろうか。ソロモンは考えれば考えるほど、ヒラムに対して興味がわいてきた。
彼は急に座っていた椅子を立ちあがる。ベリアルが「どうしたの?」と声をかけた。
「今から、モリヤ山に行ってみようかと」
「今から?もう夜中でしょ」
「昼間に出歩くよりは楽だ」
「まあ、君にならそうだろうけどね……」
ベリアルは明らかに一緒には行きたくない、と言った風であった。ソロモンはそれを察し、「夜が明けるまでには戻る」と付け加え、部屋を出た。
明かりの伴っていない夜の王宮を歩き回るのは、子供のころから慣れたものである。彼は毛並みのいいラバを一頭静かに起こして、彼に乗ってそっと王宮を抜け出した。門番は眠っていた。


本来ならが来るはずのない音をヒラムは耳ざとく見つけたのだろう。ソロモンは、ひびいてくる作業の音が止むのを聞き届けた。
「誰だ?」と、たいまつの揺らめく光の奥から響いてくる声は、間違いなくヒラムのものだった。

ラバからひらりと飛び降りたその人物を見た時、さすがにマイペースなヒラムも驚いたらしい。彼は目を見開いて、「ソロモン王?」と聞いた。
「私以外に、このような姿をしたものがどこに居る」
彼は防寒のためマントに胴体をくるんではいても、白く、長く伸びた髪の毛は全く空気にさらしたままだった。半月の白い光とたいまつの赤い光は、彼の真っ白で整った顔を幻想的に照らしている。
「何のために来た」
ヒラムは警戒心そ込めた口調でそう言った。
「強いて言うのならば、お前の夜の仕事ぶりも見たいと思ったまでだ。いうなれば視察だな」
「視察ね」
ソロモンは乗ってきたラバを適当な場所につなぎ、ヒラムのそばに歩み寄った。
「大丈夫なのか、王のくせに護衛もつけずに」
「護衛が私を襲わないとは限らん」
ソロモンは軽く冗談じみた口調でそう言ったが、ヒラムは真に受けたらしく「そうか、そう言われてみればそうだな」と言ったので、ソロモンも苦笑いした。

ヒラムは前に制作していた二本の青銅の柱、ボアズとヤキンの仕上げに取り掛かっているようだった。彼はやすりがけをしていた。ソロモンはしばらくの間、後ろから彼の仕事ぶりをじっと見ていた。
目の前に横たわる巨大な聖堂の柱を、彼は美しいと思えた。自分が小さいときに、たった一人だった時に思い浮かべていた青銅の大黒柱そのものだ。全体的な滑らかでありながら荘厳なたたずまいから、ごくごく小さな花や格子の彫刻に至るまで、余すところなく自分の思い描いていたものそのものだ。ヒラムに自分の頭の中を見透かされているようですらあった。
ただやすりをかける行為にしても、その手つきは見事だとソロモンには感じられた。いくら彼でも職人仕事にそう通じているわけではないが、少なくとも彼の技術は何においても美しかった。青銅の柱がみるみるうちに磨かれ、月明かりの下で輝きを増す。いかにも、神の住まう神殿を飾るのにふさわしい神秘性をヒラムは柱に付与していると思えた。
いつの間にかソロモンは彼の手つきに見入っていた。非常に背の高いそれを丹念にやすりが消していく好意に、何時間もたっていただろうか。気が付けば月は一足先に地平線の底に沈み、空は真っ暗になってたいまつの光だけがヒラムの手元を明るく照らしていた。
ヒラムの手が止まった。作業が終わったのだろう。
「結局ずっとそこに居たな」
ヒラムは振り返って、ソロモンに向かってそう言った。
「ああ。目が離せなくてな。つい」
「ああ、そう言えばこれを設計したのはあんただもんな」
「そうとも、よく覚えていたな」
彼は、やすりを適当な場所に置くとソロモンの方に歩み寄ってきた。まるでソロモンが気まぐれを起こしてヒラムのもとに来たように、ヒラムも気まぐれを起こしてソロモンと話をしようと思ったかのようだった。
「やっぱり楽しいか?自分の創ったものが出来上がっていくって言うのは」
「無論の事だ」ソロモンはうなずく。
「分からんでもないな。あんたの設計図は本当に緻密に書かれている。思い入れがよく分かるよ」
ヒラムは王としてというよりも、今自分が取り掛かっている仕事の設計者としてのソロモンに向かい合って話をしていた。ソロモンはそれを嫌にも思わなかった。口調はなっていなくても、ヒラムは確かに設計師としての自分に敬意を払っているのが見て取れたからだ。
「王の仕事の中であれだけのものを作るのは大変じゃないか」彼は職人たちの休憩のため誂えられた簡易な椅子に座ってそう言う。ソロモンも同じ椅子に腰かけた。
「王になってからじゃない。あれは昔に書いていた。昔は暇だったからな」
「へえ。昔ってことは王子様だった時代か」
「そうなるな」
「設計技術もあって、王様の仕事もこなして、あんたは確かにうわさに聞く天才だな」ヒラムは言った。
「天才と言うのならばお前も同じだろうに。お前ほどの技術を持つ者はいないぞ」
「ああ。俺は天才だよ。だが、職人仕事のみに限るな」
ソロモンは笑う。「自分の事を自分で天才と言える自信のあるお前に、謙遜の言葉は似合わんな」
その言葉を受けて、ヒラムも笑った。
「俺は昔から、これしかできん。子供のころからずっと、職人仕事をやってきたんだ」
「そうなのか。普通の子供の用に友達と一緒に遊ぼうなどと考えたことはなかったのか?」
「……ああ、ないね」彼は答えた。
「俺の世界にあるのは昔から、これだけだ」
「不思議な奴だな、お前は。人間は普通、一つだけの世界では生きていないというのに」ソロモンは呟く。「この場を離れるお前は、まるで死んでいるかのようだ」
「それは間違っちゃない。俺は、作業場以外では生きられないんだ」
「だが、私はそれを否定はしないぞ。お前と言うものを得られたおかげで、私はこのように自分の望みをかなえられるのだから」
ソロモンは赤い光に照らされる青銅の二本の柱を赤い目でじっと眺めた。
「私の思い描いた通りだ。寸分の狂いもなく、その通りだ。私がこれを描いたのは、11歳の時だった。その時に思い描いていたもの、そのものだ」
「そりゃあどうも。それと、思っていた以上に早いんだな。11歳か」
「書き始めたのはもっと早い。と言うよりも、物心ついた時からこの設計をしていたようなものだから」
「あんたがなぜ生まれつきの設計士じゃないか、俺にはそこが不思議だな。話だけ聞いていればそうなりそうなものを、あんたは別の事までいくらでもやってのける」
冷たい夜風が二人を冷やした。肌に突き刺さるような寒さの風だが、そう不快とも思わなかった。気が付けばソロモンは、ヒラムと話し合うのが楽しくなっていた。それによって生まれた熱気を、風が冷やしたのだ。
存在すらも邪魔者にされていた自分が王になったように、創造の中にしか生きられなかった彼らも実在のものになった。彼は時間の移り変わりを感じた。この柱を描いたとき、あの傲慢なアブサロムはまだ生きていたのだから。

そのまま、いくらも話し込んでいただろうか。ヒラムは、「そろそろ小屋に帰る」と言った。
もう夜もだいぶ経っていた。さすがにもうそろそろ寝ないと、確かに明日の作業に差し支えはするだろう。
「そうか。すまなかったな、時間をとらせた。作業も、あまりできなかったろう」
ソロモンはその時になって、ヒラムが自分と話し込むあまり彼の本分である作業ができなかったであろうことに気が付いた。職人としてプライドが高い彼の望むところではなかったかもしれない。だが、ヒラムは意外にもいやそうな顔をしていなかった。
「気にしてねえよ。あんたと話せて楽しかった。他人とこんだけ話ができたのは久しぶりだ」
彼はそう軽く言いながら、たいまつの火を一つ、手に持った小さなたいまつに移した。揺らめく火の中聞こえてきたその言葉に、ソロモンは親近感を覚えた。他人とここまで話ができたのは久しぶり、ソロモンも、同じことを考えていた。
彼は衝動的に言葉を言った。
「また、来てもいいか」
「ああ、勿論だ」
返答は直ぐだった。そして、短かった。
別れ際にヒラムはソロモンと握手をした。彼の握手は少々独特で、指の組み方が通常とは違っていた。だが彼にとってはそれが正式な握手であるかの湯に、彼はいたって自然だった。
やがて力強く太い指をソロモンから離すと、ヒラムはそのまま、小さいたいまつの火とともに山のふもとに消えていった。


長い髪を刺すような寒い風にたなびかせて、ソロモンはヒラムの事を考えていた。
ヒラムに対して、ソロモンは共鳴するところがあった。ソロモンは確かに、あのティルスから来た男に対して今まで他人に感じる事のなかったものを感じていたのだ。
また彼と話したい。もっとさまざまなことを語り合いたい。不思議と、彼はそのように思えていた。
ラバを走らせソロモンがイスラエル王宮についたのは、東の空が白むとは言えないまでも青色になりかけてきたころだった。門番は相変わらず寝ていた。

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