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クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第四十五話

ヒラム・アビフが来てからそろそろ半年の時間が過ぎようとしていた。
神殿は目に見えて建設が進み、彼が来るまでにはこの先10年もかかるかもしれないという見通しがぐっと減った。この調子ならば、後二年とすこしもすれば終わるだろう。
ソロモンはその日も、視察をしにモリヤ山に訪れていた。乾いた気候のイスラエルには珍しいほど曇った日で、陽光を嫌うソロモンにとって楽であったばかりではなく労働者たちも幾分か楽そうだった。
彼はアドニラムからいつもの通り現場の状況を聞いた。ヒラムは今ではすっかり職場に慣れて、ありとあらゆるところを手伝ったり指示して回っているそうだ。
建築総指揮者としての役割に、ヒラムはしっかりと責任を持って取り組んでいるのがよくうかがえた。相変わらず人を扱うことに対しては不得手のようだが、それでも彼は仕事そのものには誠実ではあったし、自分の技術を鼻にかけて他者を見下すようなことはなかった。
夜のうちに仕事が進むのも、もはや当たり前のことになっていた。今さら誰も驚くようなこともない。
ソロモンは機嫌よく、できかけた神殿を見た。ヒラムの作った青銅の柱、ボアズとヤキンは繊細かつ力強い装飾を誇り高そうにその身に飾り、高くそびえたっていた。
ソロモンはそれにそっと手を添える。ひんやりと冷たいが、その冷たさすらも非常に力強いもののように思える。
石切り場から石を運んでくる男たちの列の向こう側に、ヒラムが見えた。彼は今は一人で、青銅細工のための鋳型を作っているらしかった。
「ああ、そうそう」アドニラムがソロモンに行った。「どうも、ヒラムに影響されたか夜中に仕事をするものが増えてきたらしいですよ」
「ほう、それは本当か」ソロモンは興味深そうに言った。
「はい。たまにですがね。石切り場で石が大量に切られていたり、いつの間にか資材が運ばれていたりするんですよ。いくらなんでもそんな作業、ヒラム一人には無理でしょう」
それはそうだ。それらは明らかに、大勢で行う仕事に他ならない。ヒラムに影響された人夫たちがやっているのだということは想像に難くなかった。良い傾向だ、とソロモンは笑った。何かしらの方法で彼らの事も褒めなくてはなるまい。正当な褒めの言葉は、やる気を促すものだ。


ソロモンがとっくに王宮へと帰り、作業の時間も終わったところ、相変わらず山のふもとには娼婦がたむろしていた。そして、その中にはナアマもいた。
彼女はなるべく「強そう」な男を選ぼうと目を泳がせていた。やがて、彼女は一人のエドム人の労働者に、銀貨二枚の値段で話を付けた。値切りに値切られた結果だが、もともと彼女は金など欲しくないのだから、それでも十分なのだ。
ナアマは体を売って作った金を使いはしなかった。彼女はそれを鎖でつなぎ合わせて、装飾品にしたのだ。首飾りを作り、腕輪を作り、頭飾りを作り、髪留めを作った。全て小汚い銀貨だったが。彼女はそれを見に纏って度々ソロモンの前に姿を現した。自分が体を打って喜んでいることの証拠を夫に見せつけているような快感は相当のものだった。

彼らは、近くの安宿に入っていく。
その途中、彼らは一人の男とすれ違った。ブロンズのたくましい肌に、高く伸びた背。このエドム人よりも、精力はありそうに見えた。だが、ナアマは彼に全く魅力は感じなかった。それどころか彼を見ていると、自分の夫、ソロモンを見ているかのような嫌悪感に襲われたのだ。その男とはヒラム・アビフであったが、彼女はそれを知るはずがなかった。彼は、三人の職人と何かしら揉めていた。
話を聞いている限り激しく言い争っていたようだが、ナアマは彼に興味を持ちはしなかった。それに、自分の客であるエドム人の人夫にとっても、他の男にどういう形であれ気を取られるのは無礼なことだろう。彼女はヒラムの事は全く気に留めず、汚らしいエドム人に科を作ってみせた。


日が暮れて真っ暗になったころ、ソロモンは再びモリヤ山に訪れた。理由は言わずと知れている。
娼婦と労働者の声で隠微な音に満ちた路地ではない、裏道を通ればそこはもうモリヤ山だった。そして、工具の音が彼を目標へと導いた。
「ヒラム!」
ソロモンは声を上げて、その男を呼んだ。
「やあ、ソロモン王」
ヒラムの方も作業の手を止めて、ソロモンの方を振り返った。夜風のもとに流れ出る汗を、彼は汚れた布でふく。寒い夜にも汗をかくほどなのだから、よっぽど集中していたのだろう。
「ちょうどいま終わったところだ」
彼はあっけらかんとした声でソロモンに言い、前のように指の組方が独特な握手をした。
ソロモンとヒラムはあれ以降、たまに夜に会うようになった。今では二週間に一回ほどである。
ソロモンにとってもヒラムにとっても、話すことは楽しかった。何にせよ話すことはいくらでもあった。技術の天才たるヒラムの口から語られる建築の知識は、ソロモンにとって非常に興味深いものと映った。自分は本能的に図形とはなんたるかを悟りそれらをパピルスに書き記していたものの、ヒラムはそれらをちゃんとこまごまと体系として認識しているのだ。今さらながらに説明されて驚かされることが、彼の話の中にはいくらでもあった。
ソロモンは外の世界等にかかわりを持とうともしないヒラムに、いくらでも外の話をした。外交の事、貿易の事、そして、彼の来たティルスが今どうなっているかも、ヒラムはほかのだれでもなくソロモンを通じて知ったのだ。ヒラムも、ソロモンの話を面白いと言った。
無論、彼らはただの世間話もいくらでもした。人間嫌いな二人同士だから普通の若い友達同士がするほどのものにはならなかったが、それでも彼らは彼らの眼から見た自分以外のものについて、心行くまで語り合った。ソロモンと話している間は、ヒラムは工具を握っていなくとも生き生きとしていた。そしてソロモンも、彼と話している間は気楽でいられた。
いつの間にか、自分たちは完全に打ちとけられたとソロモンにはわかった。ヒラムと会った時に感じた親近感は、ただの勘違いではなかったのだと彼は確信した。
「ああ、そうだ。ヒラムよ」ソロモンは言った。
「先日話に出したものを持ってきた」
ソロモンはそう言ってマントの中に手を入れ、ごく小さな袋を取り出した。そしてその袋の口を開け、中にあるものを取り出す。
それは、一粒の大きなルビーだった。スリランカ産の飛び切り上等なもので、ソロモンの持つ王権の指輪とは一味違い、毒々しい赤色ではなく鮮やかながらもどこか優しさと可愛らしさを持ったピンク色の、少し色が薄いタイプのものだった。近隣の国から貢物として持ってこられた宝石の一つだ。
ヒラムはそれに目を輝かせて、慎重に手に取った。
「確かにすごいな……話に聞いていた通りだ!」
先日何とはなしにソロモンがかの国から宝石を大量に貢物として贈られたという話を彼にしたら、彼はそのうちから一つを持ってきてほしい、神殿の仕事の息抜きがてらにあんたに何か一つ拵えてみたい、と言ったのだ。そう言ったわけで、彼はその中でも彼自身が特に気に入ったこのルビーを持ってきたのである。
ヒラムは一通り眺めると、ソロモンから袋も取り出して、それを慎重に袋の中にしまった。
「何を作るんだ?」
「次会う時のお楽しみにしといてくれ」
ヒラムは笑った。
「お前は装飾品も作れるのか」
「ああ。小物作りは気分転換にもなっていいからな」
彼はそう冗談めかして言って見せた。気分転換にも仕事とは、彼の神経を体現しているかのようなものだ。
「お前は、本当に職人であるために生まれたようなものだな」ソロモンは言った。
「人間はいずれ老いるものだ。老いれば、体は動かなくなる。ヒラム。考えたことはないのか?自分が体が動かなくなった時のことは」
「……いや、ないね。俺は今ある俺の事しか考えられない」
ヒラムははっきりとそう言いきった。
「それにソロモン。それはあんたも同じだろ。年を取ればボケるもんだ。あんたのその天才の頭脳だって、きっとそうなっちまうよ。そこんとこ考えたことはないか?」
「……ないな。なるほど、確かに、私も今ある私の事しか考えられんようだ」
ソロモンとヒラムは、その言葉に笑いあった。


ある日の事だった。ナアマは少し早くにいつもの場所に向かった。
彼女はここ一週間、月のものがあった。いくらなんでも付きのもののある身で客などは取れない。いくら下賤なものとはいえ、月のもののある女を買うようなものはそうそう買いはしないだろう。
だから、彼女は一週間の間欲求不満に耐えかねるような思いだった。ようやくそれが終わり、水浴びをして身を清め、彼女はいつもの通り自分の居場所に行ったのだ。安っぽい着物に身を包んで。
人通りの少ない中うろうろしていると、彼女の頭にふと思い浮かぶことがあった。月のものから連想されたことだった。
彼女とソロモンの間に子供はいない。だが、いくらソロモンがあんな男でも、王である以上世継ぎは絶対に必要だろう。そして、それを生む義務があるのは妻である自分だ。
もしも、だ。もしも、自分がこのことによって子供を孕んだら、ソロモンはどんな思いをするだろうか。自分の子と思っていたのが、どこの誰ともわからない汚らしい労働者の子供だと分かれば。そして、妻がそのような男と淫行に及んだ結果の子供だとしたら。
男として、王として、それ以上の恥辱があるだろうか。妻を寝取られる以上の恥辱ではないだろうか。彼女はそう考えた。
今まで、彼女は彼らと楽しめればそれでいいという思考で動いてきた。しかしこの時、彼女の中に急に子供を産みたいという願望が頭をもたげてきた。何か月もの間毎日のように淫行に浸っておいて子供ができないのも運の悪いことだが、このまま続けていけばそれが起こらないなどあり得ない。
彼女はわくわくしながら、いつもの通り通りに人が増えるのを待った。


やがて夕方になり、労働者が下りてきた。より取り見取りの下品な娼婦たちも集まってくる。自分が大好きな時間だ。
ナアマは目を輝かせて男を物色し始めた。たくましく盛り上がった筋肉に、むせ返るような男の匂い。自分が一週間忘れていたものだ。
彼女は適当な男に声をかけようとした。その時だった。自分の眼に一人の男が止まった。非常によく目立つその彼は彼女をじっと見据えていた。
どの男よりも、彼は精悍だった。そしてのみならず、労働者とは程遠い高貴な雰囲気を彼は持っていた。当然である。ナアマは、彼の事を知っていた。
彼は、ベナヤだった。労働者たちをかき分けるようにして、自分に黄色い声やなまめかしい声をあげて寄ってくる娼婦たちをはねのけながら真直ぐにこちらへ向かってきていた。
ナアマは気付かれていないことに期待しながら、その場から逃げようとした。しかし、無駄だった。彼女は彼に、がしりと手をつかまれた。
「王妃殿下。何をしておいでですか、このようなところで」
彼の声がはっきりとベール越しに聞こえた。
「人違いですわ、兵隊様。私が王妃殿下などと、何を」
ナアマは震える声で、必死にそう言って逃げようとした。だがベナヤは「ごまかすのはおやめなさい!」と一喝するように言って、彼女の顔のベールをはぎ取った。
ナアマは悲鳴を上げる。その中から出てきた顔を彼に見せておいて、さすがに言い逃れできるはずもなかった。
ベナヤはその顔を見て、衝撃を受けている様であった。小声で言った。騒ぎを大きくしないためなのであろう。
「以前、ここに来た時、どうも引っかかるものがあったのです。その原因は、貴女でした。」
幸いその場は賑やかで、彼らに注目するものは誰もいなかった。安い娼婦は乱暴に扱われることも多々あることだし、見世物にもならないのだ。
「あなたの侍女から聞きました。貴方が顔を隠してここに居ると。……まさかと思って、来た次第です」
彼の声は小さかったものの、その声は義憤に震えていた。それは当たり前だ。自らが仕える主君の妻、イスラエルで最も高貴な女がこのようなところに居る。そして、この場に女がいてすることなど一つだ。正義感の強いベナヤが許容できるはずがない。常識を持つものなら、誰も許容などはしないはずだ。
何の言い逃れもできるはずはない。
「王宮に帰りましょう。今すぐに」
彼はナアマの手を引いて、立ち上がらせようとした。この場にそのままいさせてくれるはずもなかった。彼女はなされるがままに立ち上がった。
ベナヤは彼女を見た。その目には、涙が浮かんでいた。


その頃、ちょうどそこから離れた裏道をラバでとおる黒い影があった。ソロモンだった。
彼は人の一通りはけたモリヤ山に立って、ラバをいつものようにつないだ。そして、ヒラムのいる所に向かう。
「なんだ、ソロモン王。今日は早かったな」
ヒラムがそう言いながら出てきた。
「まだ夜でもないぞ」
「ああ、だが、夕方に来てもいいと言ったのはお前だ」
ソロモンは視察の日、こそりとヒラムに礼のものができたと言われたばかりだった。ヒラムは例の小さな袋を取り出した。
中から転がり出てきた来いピンク色の輝きは、確かにあのルビーのものだった。だが、その輝きはヒラムの手が加わったことで数百倍にも膨れ上がり、夕日の淡い光のもとですらまぶしいほど煌めいていた。
それは、指輪だった。大きくて華やかなルビーが繊細な彫刻を施された真鍮の台に収まっている。そして、特筆すべきは、そのルビーには紋章が施されていた。
ダビデ王家の紋章である六芒星よりも角が一つ少ない五芒星の模様の細工をされて、スリランカ産のルビーは誇り高そうにしていた。
「なんと、美しい……」ソロモンはマントを正しながらそう言った。そして、ヒラムのゴツゴツした武骨な手とその指輪を交互に見た。
このような太い指からこんな繊細なものが作られるなど、にわかには信じがたい。だが、これが彼なのだ。職人の神秘だ、とソロモンは感じた。
「気に入ってもらえたかい」
「ああ。……この星は、なんだ?」
「あんただ」ヒラムは当たり前のように言った。
「ダビデが六芒星なら、息子であるあんたは五芒星だろうよ」
「そうか。私の指輪か」彼は照れ臭そうに笑い、白い手の上でその芸術品を大切そうに転がした。
「ありがとう。……とても、嬉しい」
彼はそれを袋に入れてしまいながら「これ程のものをただで受け取るわけにもいかん。いくらかでも出させては貰えないか」と言った。
「いや……俺はあんたに売るために作ったんじゃねえ。あくまでも息抜きだ」
「そうにしても、仕事に見合うものを送るというのは私の主義でな」
それを聞くとヒラムは照れたようにはにかみ、「金など貰っても使い方も知らん。高い酒をくれないか。安酒しか飲んだことがないんだ」と言った。ソロモンは無論、それを二つ返事に了承した。
日は今にも沈もうかと言うところだった。ソロモンは太陽の断末魔のごとき光から自分の身を守るためマントをしっかり正した。
「ヒラム」ソロモンは言った。
「私の紋章とは、本当に良いものだな。この五芒星が語るのは私はダビデの息子でなく、ただソロモンと言う一人の人間であるということだけだ」
「ああ、俺はダビデなんて知らんからな」ヒラムが言った。「あんたは、十分それを持つだけの価値があると思うね。それに、俺は六芒星より五芒星のほうが好きなんだ。バランスを取るのが難しい分、取れたらとても美しく仕上がるからな。より知的だし、幾何学の美しさを内包していると思う」

それから、話はいつの間にか幾何学の議論に発展した。日が暮れて松明をともす時間になっても、彼らは話し込んでいた。


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