クリスマス市のグリューワイン

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feat: Solomon 第四十八話


「何事だ!?」と、ソロモンは叫んだ。同じような声が一気に湧き上がった。
鋳型が炎上し、一瞬でヒラムの姿は火に包まれた。ゆらゆら揺れる中見える彼の姿は、逃げようとはしておらず、代わりに自分の作品を守ろうと火を消しにかかっていた。
「ヒラム!」ソロモンはたまらずに叫んだ。すかさずアドニラムが「陛下、こちらへ!」と、彼の手を引いた。
「何をする!」とソロモンは怒鳴った。しかしアドニラムは強い口調で「陛下、鋳物の事故は大変に危険でございます!陛下にお怪我を負わせるわけにはいきません!」と言った。アドニラムも職人である。その盛り上がった筋肉は、細身のソロモンの体を楽に引っ張った。
周囲はパニックになり、労働者や職人たちがあわてて水をかける。しかし、逆効果だった。火はどんどん飛び火し、ますます燃え上がる。たちまち周囲は大火事になった。ヒラムが出てくる様子はなかった。
「ご避難下さい!」アドニラムはソロモンにそう言った。だが、ソロモンの赤い目はじっと燃え盛る「海」を見つめていた。
「……ヒラム、ヒラム……」
その時だった。
ソロモンの眼に、何かが映った。「海」のなれの果てに、ふわりとやってくる何者かの姿。光り輝き、翼を生やしたそれは、大慌ての労働者たちの眼には届いていないようだった。
「(……ベリアル?)」
ソロモンはそう思った次の瞬間、唐突に気を失った。


目が覚めた時、ソロモンは労働者たちの休憩所に寝かされていた。前に自分が休憩を取ったところだ。相変わらず、王である自分に配慮してか誰もいない。周りが薄暗い。そろそろ日が暮れかかっているのだろうか。
彼は、頭の中で起こったことを整理した。そうだ。大きな火が燃え上がって、ヒラムが……と、考えたところで彼はぞくりと背筋が震えあがった。
「(ヒラム!)」
彼は慌てて勢いよく扉を開き、休憩所から出た。

「陛下!お目覚めですか!」
アドニラムがすぐ外に控えていた。彼はまだ言いたそうだったが、ソロモンは焦って「ヒラムはどうなった!」とまくし立てた。
アドニラムはそれを聞いてつらそうな表情になると、「……おいでください、陛下」と、「海」があった場所に向かって歩き出した。

ようやく火が収まったと見えて、周囲は真っ黒に焼け焦げていた。ヒラムが苦心して作った鋳型はすっかり燃えてなくなってしまっていた。
ソロモンは目がちかちかする思いだった。その場に、ヒラムの焼死体らしきものはない。
「ヒラムは、見つかりませんでした」アドニラムはそういった。
そんなまさか、ヒラムは火の中で、骨まで焼けてしまったというのか。ソロモンは思った。そして、その場で頭を抱えた。
他のものには、何よりも優秀な職人を失ったと王が嘆いているように思えただろう。しかし、ソロモンはとにかく、悲しいと思えていた。心臓が抜き取られてしまったような、空虚な気持ちだった。
それは、彼にとって初めての感情だった。生まれてから一度も、こんな思いになったことはない。激しい怒りはあった。激しい悲しみもあった。しかし、こんなに、静かな、そして押しつぶしてくるような悲しみは初めて体験する。
「(ヒラム……!ヒラム!)」
彼は言葉が見当たらなかった。心の中でさえ。普段の饒舌な自分からは信じられないほど、今この感情を形容する言葉など思い浮かばなかった。彼はただ、ヒラムの名前を心の中で読んだ。何回も読んだ。それが一番、自分が望んでいることのように思えた。こんなことは初めてだ。本当に、初めてだ。


ソロモンがそのように思いながら放心していると、三人の職人たちがアドニラムのそばに寄ってきた。彼らの名前はそれぞれジュベラ、ジュベロ、ジュベルムだった。
「アドニラム様、悲しんでもいられません。ヒラム・アビフ亡き後の仕事を決めなくてはなりません。神殿の建設は明日以降も続くのですから」彼らはそう言った。
「私どもを元の職にお戻しください」
アドニラムはそんな彼らに嫌悪感を覚えた。いくらヒラムが嫌いだったからと言って、彼がこうしていなくなり、なおかつ普段冷静な王すらそれにひどく動揺している目の前で、あんまりと言えばあんまりな態度だ。
だが、いずれそうせざるを得ないのも事実だ。アドニラムは彼らの無礼をとがめた後「言われずともそうしてやる!」と叫んだ。彼らはそれに、顔をほころばせようとした。

しかし、それはかなわなかった。
「その必要はねえぜ、総監督」という、聞きなれた声が彼らの耳に聞こえたからである。


彼らは慌てて振り返った。ソロモンも、その声に一気に現実に引き戻され、がばりと顔を上げた。地平線に消えようとしている赤い夕陽を背中に受けて彼らの前に仁王立ちに立っているのは、まさにヒラム・アビフだった。


「ヒラム!?」
彼らのうちのだれよりも早く、ソロモンが声を上げた。そして、彼に駆け寄った。彼の体には、軽い火傷がある程度で、とてもあの火に巻き込まれたとは思えない綺麗な体だった。
「よお……ソロモン王。それに総監督。聞いてくれ」
彼はなぜ生きていた、いつ逃げた、と言う彼らの問いよりも先に、自ら口を開いた。そして、三人の職人をその太い指で指差した。
「そいつらが、俺の青銅に混ぜ物をした。そのおかげで、あの爆発と火事が起こった」
その言葉に、ソロモンとアドニラムは今度はジュベロ達の方を振り返った。彼らは、なんとか取り繕うとはしていたが、明らかにヒラムを見て真っ青な顔をしていた。ヒラムは続けた。
「すまんな。『海』は作り直す」
「ヒラム……わかった。ご苦労だ。しばらく、休んでいろ。私とアドニラムはこの三人に問いたださねばならない」
ソロモンにも何となく、ヒラムにもろもろの事を聞いてはならない気がした。とにかくも、彼は生きていた。そのことで、ソロモンは心の空虚感が一気に埋まり、急に安堵に満たされたようになって、普段のペースを取り戻せて来ていた。
ヒラムはその言葉に素直にうなずくと、さっさと休憩所に帰っていった。

ソロモンは三人を並べ、アドニラムに言った。
「アドニラム。この三人は何者だ?」
「は、あのう……」
アドニラムは言った。ジュベラたちの事と、その立場、そして、彼らがヒラムを恨んでいたということも。
アドニラムはそのことを王に報告するなり、早めに手を打つなりしなかったことを激しく後悔しているようだった。ソロモンはそれに対し「以後厳重に気をつけろ。私への報告も行るな」と言うと、三人の職人に向かい合った。
「さてと……お前達。お前たちは自分の嫉妬から、ヒラムを殺しかけ、おまけにあのような大規模な事故を引き起こしたのだな?」
「へ、陛下、それは、その……」
地べたに跪いたままあたふたと何か言おうとする彼らに、ソロモンは「言い訳などせずともよい。私の目は節穴ではないわ。真実を隠そうとしている人間など、見ればわかる!」と言い切った。
「幸い死人も重傷人も出なかったことだし、前科もない。実刑は免れさせてやる。……だが、この罪は重い!アドニラム、こやつらをさっさと追い出し、二度と作業現場に居れるな!そして私にこやつらの故郷と言えを教えるがいい、賠償を払わせる」
「は、ただいま」
アドニラムは忙しそうに、彼らの故郷を言い始めた。



すっかり一連の事が終わって、三人の職人たちもまず牢につながれるため一足先にモリヤ山を離れ、ソロモンは帰路についた。夜になっていた。
ラバの背に揺られながら、ソロモンは今日あったことを考えていた。自分の目の前で鮮烈に爆発し跡形もなく焼けた「海」。そして、何故かそれから平気な顔で生還したヒラム。いったい自分は何を見たのか。全く非現実的だ。そうだ。あの時自分が見たものはなんだったのだろう。あれは、ベリアルだったのだろうか。思いだろうとしても、記憶力に自信のある彼には珍しくどうもイメージがぼやけて思い出せなかった。
代わりに思い出されてきたのは、ヒラムが死んだと思って彼が抱いた感情だった。そっちの方は、嫌に鮮烈だった。
自分は、誰に愛された覚えもない。人間のうち、誰も自分を可愛がってはくれなかった。
何人も、身近な人間の死を見てきた。だが、誓って言えるのは、その時一回も、先ほどのような感情に浸ったことなどない。
ヒラム。ヒラムは特別なのだ。ああ、自分はヒラムを失いたくないのだ、と、彼は冷たい夜の風を受けながら考えた。
ヒラムは、親しくそばによってくれる。遠慮はせずに、いくらでも話をしてくれる。そして自分も、彼にいくらでも話をできる。
ふと、自分のもとに始めてベリアルが来た時の事を思いだした。「友達」と、ベリアル入っていた。
「(友達……なのか?ヒラムは)」
ソロモンは考えた。
ヒラムといると楽しい。ヒラムは、自分が今まで出会ってきた誰とも違う。ヒラムを失いたくない。
アドニヤの時にも同じことを考えていた、と内省的な考えも頭に浮かんだ。しかし、それはすぐに打ち消された。またしても、形容しがたい。しかし、はっきりと感じる。何かが違っていた。
もっと爽やかでもっと心地よい、と、ソロモンは感じていた。
彼は急に、どっと疲れが出た。奇妙な出来事に、慣れない感情。元から疲労が強かったのもあって、彼は本当に疲れた。彼はラバを急いで走らせ、王宮に向かった。


王宮に入るなり彼は憮然として廊下を進み、そして自分の寝室の扉を開けた。寝室には誰もいないはずだったが、それは間違っていた。自分の寝台に、ナアマとベナヤがいた。裸で、抱き合っていた。


ベナヤは、部屋に入ってきたソロモンを見て、さっと血の気が引けた。いつの間にか夜になっていたことに、彼とナアマはその時初めて気が付いた。それほどにまで、夢中になっていたのだ。窓から見える暗さも目に入らないほどに。
月は丸く明るく、寝台の上を明々と照らしていた。
何と言おうかと思ったが、言葉が出ない。そもそも、こんな状況で何の言い訳ができるというのだ。彼は顔を真っ青にしたまま、口をパクパクさせた。ソロモンは憮然とした表情でこちらを見てきている。
ナアマは、最初こそうろたえていた。しかし、しだいに彼女の視線は挑戦的なものになっていった。彼女は得意そうに、口元で笑いながらソロモンを睨みつけていた。ベナヤもそれを見た。そんな態度はいけない、と言いそうになってもそんな言葉も出なかった。
ナアマは明らかに、この状況に満足しているようだった。憎い夫に、この状況を偶然見せつけられたことに、彼女はただならない興奮を覚えているようだった。その証拠に、彼女は無言のままベナヤの体を一層強く抱きしめた。そもそも、彼女は夫への憎しみのためにもとはと言えばこのようなことを始めたのだから、本懐がとげられたも同じではあるだろう。
その沈黙は、非常に、非常に長い時間であるとベナヤには思えた。月が地平線に静むまでソロモンはその場で硬直しているかのように思えた。
しかし、全くそんなことはなかった。実際にソロモンが無言であったのはほんの数秒の事である。彼は、ベナヤに向かって「ベナヤ。ナアマ」と言ったのだ。
ベナヤは縮み上がるような思いで、返事をした。ナアマは「あら、なんですの、あなた」と、ソロモンを見下すような高飛車な口調で答えた。ソロモンは相変わらず憮然とした表情で言った。
「さっさとそこをどけ。それは私の寝台だ。お前たちのものではない。私は疲れていて眠いんだ」

それが、彼の言葉だった。

ベナヤは全くこの場に相応しくない言葉に混乱した。ナアマも、先ほどまでの表情をやめ戸惑ったような顔になった。
ソロモンはもう一度「早くしろ」と言った。その時になって、ようやくベナヤにはソロモンの不機嫌そうな顔の合点がいった。ソロモンは本気で、今ただ眠いのだ。
ベナヤはうろたえながらも、体を反射的に動かし、ソロモンの寝台から離れた。ナアマの手も引っ張って。
ソロモンは彼らが離れるなり頭にはめてあった王冠だけ取るとあとは寝間着に着替えもせずにそのまま寝台に横たわった。
「あ、あの……もしもし、陛下?」
ベナヤは彼に声をかけた。しかし、返答は帰ってこなかった。代わりに、規則正しい彼の寝息が聞こえてきた。
ベナヤは茫然としていた。目の前で起こったことがただ非現実的だった。彼はナアマの方を見た。
ナアマは屈辱にその身を震わせていた。その目には涙が浮かび、月明かりがそれを光らせていたが、その顔自体は怒りに燃えていた。
「何よ」
彼女は絞り出すように言った。
「何よ……なによ、この、ろくでなし!寝とられ男!」
彼女は自分の夫にそう吐き捨てると、裸の身を衣服に滑り込ませて、ベナヤをおいてさっさとその場を立ち去って行ってしまった。止める暇も、追いかける暇もなかった。
ベナヤはその場に取り残された。彼の眼には、月明かりに照らされた横たわるソロモンの白い体が映っていた。ベナヤは、昔のようにそれを美しいと思った。そして、たしかに、そこから異常性を感じた。彼は確かに歪んでいる。ナアマが彼を称するように。

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